聚楽第にも伏見城にも、当時の建物は残っていません。その代わり、地面の下から出てきたものが並んでいるのがこの資料館です。2026年9月9日に訪れ、1階の特別展示「秀吉の京都改造」と2階の常設展示を、あわせて約40分で見てきました。
訪問前に知っておきたいこと
京都市考古資料館は、京都市内の発掘調査で出土した資料を展示している市の施設です。2階の常設展示では旧石器時代から江戸時代までの出土品を約1,000点、1階では年に数回の特別展示を行っています。2026年9月時点では、1階で特別展示「秀吉の京都改造」が開かれていました。
| 入館料 | 無料(常設展示・特別展示とも) |
|---|---|
| 所要時間 | 特別展示と常設展示を両方見て約40分(2026年9月9日の訪問時) |
| 開館時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 月曜(祝日の場合は開館し、翌平日が休館) |
| 特別展示 | 「秀吉の京都改造」2026年7月11日〜11月23日/1階特別展示コーナー・階段下展示ケース |
| 英語表記 | 訪問時、展示品には英語の表記が付いていませんでした |
| 撮影 | 訪問時は一部に撮影禁止の表示があり、それ以外は撮影できました。当日の掲示に従ってください |
| 情報確認日 | 2026年9月13日(会期・開館情報は京都市の公式案内で確認) |
建物は大正期の旧西陣織物館を使っていて、入口を入った瞬間の雰囲気が、いわゆる新しい博物館とはまったく違います。展示を見る時間と同じくらい、建物を見る時間を取ってもいいくらいです。
アクセス|市バス「今出川大宮」の目の前
今出川通に面していて、市バスの停留所からは横断歩道を渡るだけです。筆者は伏見の古田織部美術館を見たあと、地下鉄で今出川駅まで来て、そこからバスに乗り換えて到着しました。地下鉄駅からそのまま歩くこともできます。
Access
| 住所 | 〒602-8435 京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町265-1 |
|---|---|
| 電話 | 075-432-3245 |
| 最寄りバス停 | 市バス「今出川大宮」下車すぐ/「堀川今出川」からも徒歩圏 |
| 最寄り駅 | 地下鉄烏丸線「今出川」駅(駅番号K06)から今出川通を西へ徒歩約10〜15分 |
| 実用的な新幹線駅 | 京都駅 |
| 京都駅から | 市バス9系統(西賀茂車庫前ゆき)で「堀川今出川」下車、西へ徒歩約2分。市バス101系統(二条城経由)は「今出川大宮」に停車します。地下鉄烏丸線で今出川駅まで行き、徒歩またはバスに乗り換える経路もあります。所要時間は経路と時間帯で変わるため、京都市交通局の案内で確認してください |
| 主要都市から | 要確認(京都駅までの所要時間は各交通機関の案内をご確認ください) |
| 現地移動難易度 | 低い。停留所から入口まで平坦で、館内は1階と2階のみ |
| 推奨交通手段 | 市バス。周辺の晴明神社・西陣織会館・聚楽第跡の石碑とあわせて歩くなら徒歩 |
| 駐車場 | 要確認(公式の案内で専用駐車場を確認できていません) |
| 受付時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 注意点 | 月曜休館。特別展示は2026年11月23日で終了します |



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1階 特別展示「秀吉の京都改造」(2026年11月23日まで)
秀吉が京都にいた期間は十数年に過ぎません。その短い間に、聚楽第と伏見城を建て、御土居で町をぐるりと囲み、平安京から続いていた町割に新しい道を通しました。この特別展示は、その都市改造を発掘調査の成果から見せるものです。展示は「秀吉以前の京都」「妙顕寺城、聚楽第」「天正地割、寺町、御土居、京都新城、公家町」「伏見城、淀城」「方広寺東山大仏」「京都市内出土茶陶」の6つのテーマで構成されています。
以下は、実際に見て特に足を止めた展示です。展示替えの可能性があるため、ここで紹介しているのは2026年9月9日時点で並んでいたものです。
特別展示コーナーの入口
1階、受付を入ってすぐの一角

特別展示は独立した大きな展示室ではなく、1階の一角を使った構成です。規模を期待して行くと拍子抜けするかもしれませんが、並んでいるものは金箔瓦をはじめ密度が高く、一点ずつ見ていくと時間が過ぎます。屋外にも案内が出ているので、開催中かどうかは建物の前で分かります。


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| 会期 | 2026年7月11日〜11月23日 |
|---|---|
| 会場 | 1階特別展示コーナー・階段下展示ケース |
| 料金 | 無料 |
| 主催 | 京都市考古資料館・公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所 |
伝聚楽第の蟇股
木でできた、建物の部材そのもの

会場の正面に置かれていた一点です。聚楽第のものと伝えられる蟇股で、木製の建築部材です。瓦や陶器が並ぶ中で、これだけは建物の骨組みの一部がそのまま残ったもので、手で触れられる距離に建物の実物があるという感覚がありました。「伝」と付いている通り、聚楽第のものと確定しているわけではありませんが、そう伝わってきたこと自体が、この建物がどれだけ惜しまれたかを示しているようにも思えます。


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隣には「豊国大明神」の神号を書いた掛軸が並んでいました。豊国大明神は、死後の秀吉に贈られた神号です。都市改造の展示の入口に、その秀吉を神として祀った資料が置かれている並びになっています。
本能寺跡出土の「能」字文軒丸瓦
事件の舞台だった建物の、屋根の先端

屋根の軒先を飾る丸瓦に、「能」の字が表されています。本能寺を連想させる文字が瓦そのものに入っているわけで、出土地と建物が文字で結びつく珍しい資料です。展示では「秀吉以前の京都」のテーマに置かれていて、秀吉の都市改造に入る前に、信長の時代の京都に一度立ち寄る構成になっています。

同じケースに、本能寺跡から出土した戴輪宝鬼瓦も並んでいました。軒先の丸瓦と棟の鬼瓦が揃うと、屋根全体のつくりが少し想像しやすくなります。
現在の本能寺、本能寺跡、南蛮寺跡の位置関係は本能寺・本能寺跡・南蛮寺跡|3地点の違いと歩き方ガイドで整理しています。
聚楽第跡出土の金箔瓦
桐・唐草・葡萄の葉、そして鴟尾

この展示の中心です。桐紋を表した丸瓦に金箔が残っていて、豊臣の家紋が金色で屋根の先に並んでいた様子が、実物から直接想像できます。文様は桐だけではありません。唐草、葡萄の実と葉、そして屋根の棟に載せる鴟尾まで、金箔が施された瓦の種類の多さに驚きます。金箔の残り方は一点ごとに違い、ほとんど剥がれたものと、はっきり金色が見えるものが並んでいます。
聚楽第は1587年に完成し、1595年に破却されました。現地に建物はなく、今あるのは石碑だけです。だからこそ、この瓦が「建物があった」ことの手触りのある証拠になります。
- 金箔桐文軒丸瓦 — 豊臣の桐紋を表した軒丸瓦
- 金箔唐草文軒平瓦 — 平瓦に唐草の文様
- 金箔葡萄葉文飾瓦 — 葡萄の実と葉を表した飾瓦
- 金箔鴟尾瓦 — 屋根の棟に載せる大型の瓦
- 妙顕寺城跡出土の金箔軒平瓦 — 聚楽第以前、秀吉が京都で使った拠点の瓦





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現地の石碑と、この瓦の出土地との対応は聚楽第跡を歩く|石碑・金箔瓦・御城印をたどるモデルコースと訪問ガイドにまとめています。展示を見てから歩くと、石碑の位置の意味が変わります。
京都新城・御土居・天正地割
城だけでなく、町の形を変えた

京都新城跡からも金箔瓦が出ています。こちらは菊文と桐文が並んでいて、聚楽第の瓦と見比べられる並びになっていました。このテーマで扱われるのは建物だけではありません。天正地割による町割の再編、寺町の形成、そして町全体を囲んだ御土居。秀吉が変えたのは城の位置ではなく、京都という町の形そのものだった、ということがパネルで示されています。


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御土居跡から出てきたもの御土居の跡からは、土塁そのものの調査成果だけでなく、そこで暮らした人の痕跡も出ています。西洋の文字を記した木の板、キリシタンの墓碑、木でできた小さな臼や椀、独楽。寺社の印象が強い京都で、キリスト教を信仰した人がこの町にいたことを、墓碑が直接伝えています。城や土塁の大きさから少し目を移すと、そこにいた人の側に視点が動きます。
伏見城・淀城の出土品
秀吉が最後に拠点とした城

伏見城跡からも金箔瓦がまとまって出ています。聚楽第の瓦と見比べると、同じ金箔瓦でも文様の系統が違うことが分かります。伏見城も、現在の地上に桃山期の建物は残っていません。指月と伏見山、二つの伏見城についての発掘調査のパネルもあり、城が動いた経緯を追えます。淀城の資料もこのテーマに含まれます。

会場は章ごとに見出しが立てられていて、どのテーマを見ているかが分かるようになっています。伏見城と淀城はこの第4章にまとめられていました。
金箔瓦の復元
出土品と復元品を並べて見る

2026年に制作された復元金箔軒丸瓦が、製作工程の解説とあわせて展示されています。出土品の金箔はほとんどが剥がれていますが、復元品を並べて見ると、屋根に上がっていた当初の姿がどれだけ派手なものだったかが分かります。ここで展示されているのは復元品であって出土品ではない、という区別は押さえておいてください。


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金箔瓦をどう観察し、どう分析したかという過程そのものも展示されています。出土品を「見せる」だけでなく、どう調べたかを見せているのが、研究機関が主催する展示らしいところです。
古田織部屋敷跡出土の桐文織部角皿
茶の湯の器が、屋敷跡から出てくる

古田織部は信長・秀吉・家康に仕えた武将で、茶の湯の歴史に大きな足跡を残した人物です。その屋敷跡から出土した角皿が、桐の文様と四角い器形まで確かめられる状態で展示されています。茶碗ではなく、料理を盛る器という点が面白いところで、茶会の席に何が並んでいたかを想像する手がかりになります。


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中京区福長町から出土した黒織部の茶碗や志野織部の向付も並んでいます。伏見城跡からは唐津や黄瀬戸、輸入陶磁器も出ており、器の種類の幅がそのまま当時の暮らしの幅になっています。
織部という人物そのものに興味がわいたら、古田織部美術館の訪問ガイドと秀吉企画展レポートもあわせてどうぞ。筆者はこの日、織部美術館を見てから考古資料館へ回りました。
2階 常設展示|京都の地面の下から出てきたもの
特別展示だけ見て帰ってしまう人もいますが、2階の常設展示も無料です。旧石器時代から江戸時代までの出土品が時代順に並んでいて、平安京の時代から江戸までの京都の地面の下が、一続きで見られます。
2階の常設展示室
約1,000点の出土品が時代順に

展示ケースが時代ごとに並び、土器、瓦、発掘調査の記録写真が組み合わせて置かれています。地層の断面をそのまま見せる展示もあり、「京都の地面は掘ると層になっている」ということが目で分かります。特別展示のテーマに合わせて見るなら、市内各所から出土した軒瓦の展示が面白く、文様の変化を並べて追えます。




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「宮都のうつりかわり」の地図は、京都に都が置かれるまでの流れを一枚で見せるもので、常設展示の導入として分かりやすい展示です。
淀城の鯱瓦
大きさがそのまま迫力になる一点

常設展示の中で、単体としていちばん目を引くのがこの鯱瓦です。天守や櫓の棟に載っていたもので、写真で見るのと実物を前にするのとでは大きさの印象が違います。展示ケース越しですが、側面から見られる位置もあり、平面的な写真では分からない厚みが確認できます。



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常設展示には、方広寺跡から出土した桐文軒丸瓦も並んでいます。方広寺は秀吉が大仏を造営した寺で、特別展示のテーマのひとつでもあります。特別展示と常設展示を行き来すると、同じ桐紋の瓦が別の場所から出ていることに気づきます。
建物そのものが文化財|旧西陣織物館

この建物はもともと西陣織物館として建てられたもので、京都市の登録有形文化財です。資料館は1979年11月に開館しました。周辺は西陣のエリアで、屋外にも「西陣」の表示が掲げられています。展示だけを目的に来ても、建物と町の両方が付いてくるのがこの場所の得なところです。
聚楽第の御城印は受付で
この資料館では聚楽第の御城印を扱っています。2026年9月9日の訪問時には、通常版4種類(1枚300円)、ご当地版1種類(1枚400円)、豪華版2種類(1枚1,000円)が取り扱われていました。筆者はこのうち豪華版を1枚、1,000円で購入しました。通販や取り置きには対応していないと案内されてきた品なので、確実に手に入れたいなら現地で受付に確認してください。種類・在庫・価格は時期によって変わります。


どんな人に向いているか
この資料館を勧めたいのは、聚楽第や伏見城のように、現地に行っても建物が残っていない場所を歩く人です。石碑の前に立っても、何があったのかを想像する手がかりは多くありません。先にここで金箔瓦や蟇股を見ておくと、石碑の意味が変わります。徳川の時代になって秀吉のものが消えていった京都で、秀吉にゆかりのある実物に触れたい人にも向いています。
戦国時代というと合戦や武将同士のやり取りに目が行きがちですが、この展示を見て改めて感じたのは、秀吉が京都で取り組んだのが政治と町づくりだったということです。聚楽第を建て、伏見城を築き、御土居で町を囲み、道を通す。並んでいるのは瓦と土器ですが、見えてくるのは都市計画です。

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