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姫路城完全ガイド エリア4:備前丸・帯曲輪エリア

兵庫県姫路市 / 姫路城完全ガイド・エリア4

姫路城完全ガイド エリア4:備前丸・帯曲輪エリア

大天守の裏側に広がる備前丸から搦手(からめて)の帯曲輪まで。怪談「播州皿屋敷」の舞台お菊井戸や、通称・腹切丸(井戸曲輪)など、姫路城の知られざる一面を14スポットで解説します。

エリア4/6:備前丸・帯曲輪
スポット数14カ所
お菊井戸直径約1m・深さ約20m
見どころ井戸曲輪(腹切丸)

エリア4では、大天守の南側に広がる備前丸と、搦手(からめて=裏口)側の帯曲輪を歩きます。歴代藩主が政務を執った対面所跡や、怪談「播州皿屋敷」の舞台として知られるお菊井戸、通称・腹切丸(正式には井戸曲輪)など、天守の華やかさとは異なる姫路城のもうひとつの顔に出会えるエリアです。

このサイトは実地取材で制作しています。記事が参考になった方は、サポートいただけると励みになります

エリア4のスポット一覧

対面所跡

藩主が家臣と公式に対面した政務の場

Ruins of the Taimensho at Himeji Castle

姫路城の「対面所跡」は、備前丸に広がっていた御殿群の中に位置し、対面所が含まれていたとされる場所です。この対面所は、藩主の政務や儀式の場として使用されていたと伝えられています。現在では建物は現存していませんが、その跡地には案内板や標識が設置され、訪れる人々にその歴史を伝えています。現在見える遺構を特定する際は、現地説明板や写真に対応する範囲に限って紹介します。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68番地 姫路城内
水の三門から徒歩約1分(約72m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 対面所跡の案内板:かつての対面所の位置や役割についての情報が記されています。
  • 周辺の遺構:対面所跡の周囲には、他の歴史的な建造物や遺構が点在しており、城の全体像を感じることができます。
対面所は、藩主の政務や儀式の場として使用されていたと伝わり、城内の政治的な中心地の一つでした。現在見える遺構については、現地説明板や写真に対応する範囲に限定して紹介しています。

備前丸

大天守を仰ぎ見る最高防御エリア

Bizenmaru Compound at Himeji Castle

「備前丸(びぜんまる)」は、大天守がそびえる天守台のある区画であり、姫路城の中枢にあたるエリアです。備前丸には池田輝政の御殿があったと伝えられています。名前の「備前」は、輝政の次男・忠継が備前国(現在の岡山県)を領したことにちなむ可能性があるとされています。備前丸は、高石垣の上に築かれた天守台を中心に、南側には備前門、水の門群、天守入口(附櫓)、周囲には複数の櫓跡や井戸跡が配置されています。

また、備前丸は大天守を間近に仰ぎ見ることができる代表的な場所であり、観光客にとってもフォトスポットとしての人気が非常に高いエリアです。

360°パノラマ
🎥
360° Panorama / 360° パノラマ — 現地体験 備前丸
アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・備前丸)
対面所跡から徒歩約1分(約50m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 大天守の雄姿:白漆喰の壁が青空に映える姿は”白鷺城”の異名にふさわしく、どこから見ても美しいアングルが楽しめます。
  • 御殿井戸跡:備前丸に掘られた深い井戸で、非常時の飲料水確保と、籠城時の生命線として重要な役割を果たしていました。
備前丸には、かつて「天守専用の御殿(政庁)」を設ける計画があったとも言われており、戦だけでなく”政の中心”としての役割も想定されていました。天守台の石垣には、石工たちの「刻印石」が多数確認されています。

備前門

備前丸へ直接入る東側の門

Bizen-mon Gate at Himeji Castle

備前門(びぜんもん)は、東側の登城路から備前丸へ直接入るための門です。備前丸へ直接入る唯一の門とされ、東側からのアクセスにおける重要な入口となっています。「備前」の名の由来については諸説あり、池田輝政の次男・忠継が備前国を領したことにちなむ可能性が指摘されています。

門は両脇を石垣に挟まれた区画内に設けられており、そこをくぐると備前丸の内部へとつながっています。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 備前丸・附櫓入口)
備前丸から徒歩約1分(約77m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分

見どころ
  • 備前丸への直接の入口:備前門をくぐると備前丸の内部へと入り、大天守を間近に望む区画へと続きます。
  • 堅牢な門構造:門の両側に控柱があり、扉には防火や破壊対策のための鉄製の補強痕も残ります。
備前門を含む備前丸エリアは、江戸時代には藩主に関わる重要な区画として扱われていたと考えられています。門の木材には、鉄釘が見えない場所に打ち込まれており、外見の美しさと防御力を両立させる設計が施されています。

への門

北腰曲輪側の登城路にある門

He-no-mon Gate at Himeji Castle

「への門(へのもん)」は、姫路城の北腰曲輪側の登城路に設けられた門です。登城順に「い・ろ・は・に・ほ・へ…」と並ぶ仮名順の門の一つで、大天守直前の最終門という位置づけではなく、北腰曲輪側のルート上で敵の進行を妨げる役割を果たしていたと考えられています。

構造としては高麗門形式で、門の前後は石垣と狭い通路に挟まれており、北腰曲輪側から侵入する敵の動きを妨げる”迎撃地点”として機能したと考えられています。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 北腰曲輪側)
アクセス不可だが、旧番所から見える

見学の目安

短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分

見どころ
  • 北腰曲輪側の登城ルート:この門は北腰曲輪側から城内へと向かう動線上に位置し、敵の進行を妨げる役割を果たしていました。
  • 石垣に囲まれた枡形構造:門を中心に石垣がL字に配されており、敵の動きを制限し、側面・上部からの挟撃を可能にする構造です。
姫路城には計21基の門があったとされます。「への門」は北腰曲輪側の登城路に位置し、その一角を守る重要な門のひとつでした。門扉の内側には、当時の補強用鉄板の釘跡が残っています。

との一門

いろは順に名付けられた登城ルートの門

Tono-ichimon Gate at Himeji Castle

「との一門」は、姫路城の門に「い・ろ・は…」のいろは順で名前を付ける慣例に従って命名された門のひとつです。天守曲輪へと至る登城ルートの一角に位置し、防御上重要な門として機能していました。

この門は、「水の一門」「水の二門」「への門」などを通り抜けた先にある備前丸の西側に位置しており、そこから天守台の附櫓を経て、大天守内部へと入っていきます。構造は比較的小型ながら、高石垣に囲まれた極めて狭い通路に設けられた高麗門です。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 備前丸西側)
アクセス不可で天守閣の窓からみえる

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分

見どころ
  • “大天守の玄関”に立つ門:この門をくぐればすぐに附櫓、そして大天守の正面玄関。緊張感と高揚感が交錯する瞬間です。
  • 石垣と門の圧迫感:通路は極めて狭く、両側の高石垣が壁のように迫り、守備側が有利な空間構造となっています。
「との一門」を含め、姫路城の門の多くは「い・ろ・は…」のいろは順で名付けられています。「との」の由来を「殿」と結びつける説もありますが、名称の意味やこの門が城主専用であったと断定する根拠は確認されていません。門の扉には、釘隠しや金具の細工に家紋のような装飾が見られます。

旧番所

搦手の通行・警固を支えた現場の建築

Former Bansho (Guardhouse) at Himeji Castle

姫路城を”白鷺城”たらしめる白漆喰の眩しさは、天守だけのものではありません。搦手(裏口)側、備前丸の動線にひっそりと控える「旧番所」は、華やかな主役ではなく、城の秩序を静かに支えた”現場”の建築です。慶長年間、池田輝政が1601年から1609年にかけて大改築を進めた時代、その防御の要所の一つが搦手側で、通行・警固の要として番所が置かれたのが、この場所です。すぐ傍には重要文化財の井郭櫓があり、番所はその附(つけたり)指定として守り継がれています。

築造年慶長6〜14年(1601〜1609年)
築造者池田輝政(慶長期の姫路城大改築の一環)
構造・特徴桁行2間・梁間1間/一重/入母屋造/本瓦葺(井郭櫓の附指定建物)
文化財指定国指定重要文化財(姫路城 井郭櫓:昭和6年〈1931〉12月14日指定/附指定:旧番所)
アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城内)
水の六門から徒歩約2分(約120m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 入母屋造×本瓦葺の”城郭の実用品”:豪壮さよりも実用を優先した寸法感。白漆喰と瓦、木部の渋さが姫路城の「働く建築」を語ります。
  • 搦手側の緊張感を体感する立地:備前門周辺の動線に寄り添い、警固の目が置かれた場所です。
「旧番所」は単独で目立つ存在ではなく、重要文化財「井郭櫓」の附指定として価値づけられ、セットで守られてきました。搦手側は”裏口”ゆえに観光ルートの主役になりにくい反面、城の防御計画を読み解くには濃いエリアです。

井郭櫓

櫓の内部に井戸を抱く珍しい形式

Ikaku Yagura (井郭櫓) at Himeji Castle

備前門を抜けて、観光の熱気がすっと薄まる搦手(からめて)側へ。ここで出会う「井郭櫓(いのくるわやぐら)」は、姫路城の”美”ではなく”生”を支えた建築です。池田輝政が慶長6年(1601)から大改築を進め、1609年に天守群が完成するまでの時代、城は「見せる」だけでなく、「守り、暮らし、持ちこたえる」ための装置として組み上げられました。

井郭櫓の最大の個性は、名の通り櫓の内部に井戸を抱えていること。櫓内は複数の部屋に分かれ、井戸が置かれた部屋を中心に”水の確保”と”搦手の守り”が一体化していたと紹介されています。すぐそばに付属するように置かれたのが「旧番所」です。

築造年慶長6〜14年(1601〜1609)
築造者池田輝政(慶長期の姫路城大改築の一環)
構造・特徴一重櫓、本瓦葺(櫓内に井戸を設けた”井戸櫓”としても紹介される)
文化財指定国指定重要文化財(1931年12月14日指定)/姫路城は世界遺産(1993年登録)
アクセス

住所:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68(姫路城内)
旧番所から徒歩1分(約0.1km)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 櫓の中に”水源”をしまう発想:城の継戦能力を、目に見える形で感じられるポイントです。
  • 搦手を押さえる実戦の目線:石落としや鉄砲挟間があり、枡形を上から押さえる位置にあると紹介されています。
「井郭櫓」は「井戸櫓」とも呼ばれることがあり、池田氏の居館(備前丸)へ水を供給していた可能性が紹介されています。屋根の鬼瓦には「銀杏の葉」意匠があるとする解説記事もあります。

長壁神社遺趾

城が背負ってきた信仰の記憶

Osakabe Shrine Ruins at Himeji Castle

きらびやかな天守の陰で、姫路城には”祈りで守る城”のもう一つの顔があります。搦手側の坂道に立つ「長壁神社遺趾」は、城の守護神に関する伝承を伝える旧跡で、建物の遺構が残る史跡というより、城が背負ってきた信仰の時間を「ここにあった」と指差す記憶装置です。長壁神(刑部〈おさかべ〉神)は、姫路城が築かれる前から姫山に祀られていた地主神とされ、秀吉の築城(1580〜81年頃)の際に一度は城下へ移され、のちに池田輝政の時代、再び姫山へ祀り直されたと伝わります。

明治になると城内が陸軍に使用され、城内の長壁神社は1879年(明治12)に播磨総社境内地へ移転。ここに残ったのが”社の痕跡”であり、いま私たちは石碑の前で、城が「攻め」と同じ熱量で「鎮め」を必要としてきたことを知ります。

築造年創建年代不詳(姫路城築城以前から姫山に鎮座)/城内での再祀は池田輝政期の出来事として語られる
構造・特徴現地は社殿ではなく「遺趾」。搦手側(とノ二門外)付近に石碑・説明板が立つ形で”城の守護神”の記憶を伝える
改修・復元歴1580〜81年頃:秀吉の築城で城外へ移された後、総社境内へ/1649年に榊原氏が城内社殿を再興/1879年に城内社は総社境内へ移転
文化財指定姫路城は特別史跡・世界文化遺産(1993年登録)。長壁神社遺趾は城内史跡として案内される
アクセス

住所:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68(姫路城内・搦手側)
現在、アクセス不可

見どころ
  • “とノ二門外”という場所の意味:城内北東部、鬼門を意識したとされる位置に、かつて社があったと見られる点が最大の見どころです。
  • 石碑の前で読み解く「守りの二重構え」:門・櫓で守る搦手の防御に、信仰の守りが重ねられていたことが実感できます。
長壁神は、秀吉の築城(1580〜81年頃)で一度城外へ移され、輝政期に再び姫山へ祀り直されたとされる——城づくりが信仰の配置を動かした好例です。「おさかべ姫」伝説の源流の一つとして、長壁神(刑部神)が語られています。

帯の櫓

高石垣上に建つ折れ曲がった一棟の櫓

Obi-no-Yagura (\

帯の櫓(おびのやぐら)は、高い石垣の上に建つ、折れ曲がった平面を持つ一棟の櫓です。細長く”帯”のように石垣の縁をたどる姿からその名が付きました。

その役割は、単なる見張り場ではなく、敵の進入を遅らせる空間を形成しつつ、狭間(さま)や石落としからの攻撃を可能にする防御拠点としての性格も強く持っています。築造は池田輝政による大改築期(1601〜1609年)です。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 天守曲輪内)
旧番所から徒歩約1分(約25m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 折れ曲がった一棟の櫓:文字通り”帯”のように高石垣の縁をたどる、折れ曲がった平面を持つ一棟の建物です。
  • 武器庫・射撃拠点としての機能:狭間・石落としが設置され、火縄銃や弓矢での攻撃を想定した”戦う櫓”です。
「帯の櫓」の内部の壁には、築城時の作業班が記したとされる「墨書」が残っています。

帯の櫓 腹切丸(井戸曲輪)

後世の呼称が広めた”物騒な”名の曲輪

Harakirimaru at Himeji Castle

大天守を堪能して外へ出た瞬間、東側から見上げる白漆喰の壁と、足元を切り立たせる高石垣が、ふいに「姫路城は戦うための城だった」ことを思い出させます。ここが帯の櫓——城内でも屈指の高さを誇る石垣(垂直で約23m級)の上に、物見の機能と数寄屋風の空間をひとつに束ねた建物です。石垣の下へ視線を落とすと、そこに口を開けるのが井戸曲輪(通称:腹切丸)。中央の井戸を要にした袋状の曲輪は、非常時の水の確保と、搦手側の最終防衛のための”奥の手”でした。

ただし「腹切丸」という物騒な呼び名は、史実の処刑場ではなく、大正期の一般公開以後に広まった後世のイメージが大きいとされます。正式には井戸曲輪です。

築造年慶長6〜14年(1601〜1609)※帯郭櫓(腹切丸側)の文化財データ
築造者池田輝政(姫路城大改修の中心)
構造・特徴帯郭櫓:二重二階櫓・本瓦葺/帯の櫓:城内最高クラスの高石垣上に、物見櫓と数寄屋風建物を連結/井戸曲輪:中央井戸を備える袋曲輪
改修・復元歴昭和27〜29年(1952〜1954)帯の櫓の解体修理で、南側増築が本多時代(1617年以降)と判明/2015〜2016年に井戸曲輪西側石垣の保存修理
備考「腹切丸(腹切櫓)」の呼称は大正期の一般公開以後に定着したとされ、正式には井戸曲輪(帯郭櫓)
360°パノラマ
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360° Panorama / 360° パノラマ — 現地体験 腹切丸(井戸曲輪)
アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68
帯の櫓から徒歩1分(約15m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 城内屈指の高石垣と帯の櫓:垂直方向で約23m級。白壁と石の量感が一気に迫り、姫路城の”防御の顔”を最短で体感できます。
  • 物見×数寄屋の「二面性」:監視のための櫓に、茶の席利用説を感じさせる造作が共存しています。
「腹切丸」という呼び名は、史実の処刑場というより、一般公開後に広まった名称とされます。正式には井戸曲輪です。帯の櫓の解体修理(昭和期)の知見から、南側の増築が本多時代(1617年以降)と判明しました。

太鼓櫓北方土塀

十六所の銃眼を持つ白い”鎧”

Taiko Yagura North Earthen Wall at Himeji Castle

天守を見上げる高揚感のまま東側へ回り込むと、風景は一転して”通路”になります。備前丸の南東、帯曲輪の細長いラインに寄り添うように伸びるのが、太鼓櫓北方土塀。この土塀は桃山期・慶長6〜14年(1601〜1609)に整えられ、文化財記録によれば延長35.0mの壁面に銃眼(狭間)を十六所持ち、本瓦葺の屋根で覆う——まるで白漆喰の”鎧”です。すぐ隣には太鼓櫓が寄り添い、土塀は”音”ではなく”銃口の影”で城を守っていました。

築造年慶長6〜14年(1601〜1609)
築造者池田輝政期の姫路城大改修
構造・特徴延長35.0m/銃眼(狭間)十六所/本瓦葺の土塀(1棟)
改修・復元歴昭和30年(1955)解体修理
文化財指定国指定重要文化財(1931年12月14日指定)
360°パノラマ
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360° Panorama / 360° パノラマ — 現地体験 太鼓櫓北方土塀
アクセス

住所:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68(姫路城内・帯曲輪付近)
帯の櫓・腹切丸(井戸曲輪)から徒歩4分(約0.25km)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 銃眼(狭間)十六所の”リズム”:35mの壁に規則正しく並ぶ狭間は、見た目の美しさと同時に「どこからでも撃てる」現実の設計です。
  • 本瓦葺×白漆喰の質感:瓦の反り、目地、漆喰の白。天守の白さとは別の距離感で、姫路城の「壁の作法」を間近に味わえます。
この土塀は文化財記録に「延長35.0m・狭間十六所」と記される建造物です。姫路城が”迷路の城”である以前に、”射撃戦を想定した城”でもあったことが伝わります。

りの門

上山里に残る、池田期以前の建築年を伝える門

Ri-no-mon Gate at Himeji Castle

「りの門(りのもん)」は、上山里にある門です。柱に残る墨書から、1599年(慶長4年)の建築であることが分かっており、池田輝政による大改築(1601〜1609年)よりも前、豊臣期・木下家定の時代に遡る貴重な遺構とされています。「い・ろ・は・に…」と続く仮名順の門配置の一つで、天守台を囲む枡形構造の一角にあり、門の手前や左右を高石垣に囲まれた狭小な通路が設けられています。

この墨書の年代は、姫路城に現存する建造物の中でも特に古い部類に入り、池田期以前の姫路城の姿を伝える手がかりとして注目されています。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 上山里)
太鼓櫓北方土塀から徒歩約1分(約16m)

見学の目安

短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分

見どころ
  • 墨書が語る建築年代:柱に残る1599年の墨書は、池田輝政の大改築より前、豊臣期に遡ることを示す貴重な手がかりです。
  • 枡形空間と連携した構造:門の前後を石垣に囲み、狭い動線の中で敵を迎撃するための空間設計が光ります。
門の周辺の石垣には、異なる石材加工法(打込接・切り込み接ぎ)の痕跡が混在しており、複数時期の補修があったことがわかります。

太鼓櫓(への櫓)

城内に時刻と合図を伝えた”時計塔”

Taiko Yagura (Taiko Turret / Heno Yagura) at Himeji Castle

現在「太鼓櫓」と呼ばれている建物は、上山里にある「への櫓(へのやぐら)」です。太鼓は、かつて旧大手口(現在は失われた登城口)付近にあった三重櫓(旧・太鼓櫓)から移されたと伝わっており、この現在の建物が「太鼓櫓」と呼ばれるようになったのは近代以降とされています。つまり”太鼓櫓”という名は、旧大手口にあった三重櫓(旧・太鼓櫓、現存せず)と、現在の上山里のへの櫓という、時代の異なる2つの建物にまたがって受け継がれてきた名称です。

現在のへの櫓は、上山里の登城路沿いに位置する二重構造の櫓で、太鼓を打ち鳴らすことで登城時間、警戒、火災、非常時の合図などを城内に伝えていたとされています。木組みや梁の構造美が今も残されています。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 上山里・への櫓)
りの門から徒歩約1分(約5m)

見学の目安

短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分

見どころ
  • 太鼓が置かれていた空間:現在は太鼓そのものは残っていませんが、太鼓が設置されていたとされる床の位置や壁の補強痕などが見られます。
  • への櫓としての構造美:上山里の登城路に沿って建つ、二重構造の機能美あふれる建物。屋根の勾配や梁の組み方に注目です。
江戸時代、太鼓の合図は一日の始まりと終わりを告げる”開門・閉門”のサインでもあり、姫路城に住む武士や家族の生活リズムを形づくっていました。なお、旧大手口にあった三重櫓(旧・太鼓櫓)は現存せず、太鼓の名は移設とともに現在のへの櫓へ受け継がれたとされています。

お菊井戸

「播州皿屋敷」伝説の舞台となった井戸

Okiku's Well (Okiku Ido) at Himeji Castle

「お菊井戸(おきくいど)」は、姫路城・上山里の中央にある深い石組みの井戸で、日本三大怪談のひとつに数えられる『番町皿屋敷』のモデルとなった「お菊伝説」の舞台とされています。井戸の旧名は「釣瓶取井戸(つるべとりいど)」で、この井戸が「お菊伝説」の舞台として語られ、現在地に結び付けられて定着したのは明治後期以降とされています。伝承では、家宝の皿を失くしたと疑われた腰元・お菊が、この井戸に投げ込まれて命を落としたとされ、以後、井戸から「一枚…二枚…」と皿を数える幽霊の声が聞こえたという怪談が語り継がれてきました。

実際の井戸は直径約1m、深さ約20mあり、現在もそのままの姿で残されている現存遺構です。伝説の真偽は不明ですが、明治後期以降、この井戸は「お菊井戸」として人々の興味を引きつけてきました。

アクセス

住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 上山里中央)
太鼓櫓(への櫓)から徒歩約1分(約52m)

見学の目安

短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分

見どころ
  • 深さ約20mの現存井戸:石組みがしっかりと残り、覗き込むと当時の姿がリアルに感じられます。
  • 伝説と対峙する静寂な空間:周囲は木々に囲まれた静かな空間で、語られる怪談とは対照的に、穏やかな雰囲気も魅力です。
お菊の物語は江戸時代の講談・歌舞伎によって広まりましたが、元々は姫路城ではなく、江戸・番町の話が原型とされます。この井戸が「お菊井戸」としてその伝説と結び付けられ、現在地に定着したのは明治後期以降とされ、旧名は「釣瓶取井戸」でした。井戸の周囲には、お菊の霊を慰めるための「塚」や「句碑」が建てられたこともあります。

FAQ

正式名称は「井戸曲輪」です。「腹切丸」という呼び名は史実の処刑場を意味するものではなく、大正期の一般公開以後に広まった後世のイメージが大きいとされています。

家宝の皿を失くしたと疑われた腰元・お菊が井戸に投げ込まれ、以後「一枚…二枚…」と皿を数える声が聞こえたという「番町皿屋敷」系の怪談です。元々は江戸・番町の話が原型とされ、姫路版は後にアレンジされた地元伝承です。井戸は上山里中央にあり、旧名は「釣瓶取井戸」で、この伝説と結び付けられ現在地に定着したのは明治後期以降とされています。

備前丸から帯曲輪まで一通り見て回ると、エリア4全体でおよそ1時間前後を見込んでください。

姫路城完全ガイド:他のエリアを見る

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姫路城 ― 日本随一の現存城郭を訪ねて – Following The Shogun~将軍の遺響~
兵庫県の中心で、いまも息づく武士の時代へ――近世初頭の城郭建築の粋が詰まった「生きた傑作」を歩いてみませんか。

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