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織田信長 ゆかりの地 完全ガイド

清洲城・岐阜城・安土城・比叡山延暦寺など、実地取材した信長ゆかりの地を県別に整理。『SHŌGUN 将軍』の黒田信久を入口に、史実と作中設定を混同しない形で巡れます。

取材エリア愛知・岐阜・滋賀・京都・奈良
現存天守犬山城(信長の叔父ゆかり)
取材記事数掲載全件が実地取材済み
起点SHŌGUN 将軍 / 信長ゆかりの地
このページに掲載している訪問ガイドは、すべて著者が現地取材・現地撮影を行ったものです。
ヘッダー画像について。このページ最上部のイラストはAIで生成したものです。信長の生前に描かれた肖像は残っていないため、想像図になります。それ以外は別で、以下の訪問ガイドに掲載している写真と360°パノラマは、すべて現地で撮影したものです。

この記事で分かること

訪問ガイド各城の詳しい解説・現地ガイド記事へのリンク(全件実地取材済み)
ドラマとの関係『SHŌGUN 将軍』の黒田信久と、史実の織田信長との違い
城・史跡信長の主要な居城や主な合戦に関わる城の訪問レポートとガイド
混同しやすい城旧二条城・那古野城・岐阜城天守・名護屋城(佐賀)の違い

人物

このページは「行ける場所」をまとめたものです。信長という人物そのもの — 生涯の流れ本能寺の変で何が起きたのかなぜ明智光秀が謀反を起こしたのか、年表 — については、別ページにまとめてあります。

織田信長の生涯と年表 ― 桶狭間から本能寺の変まで
織田信長の生涯を、桶狭間の戦いから安土城、本能寺の変までたどります。年表、明智光秀の謀反をめぐる諸説、「是非に及ばず」、享年49と満47歳の違いまで。

ドラマ『SHŌGUN 将軍』の黒田信久について

ドラマ『SHŌGUN 将軍』の世界観を支える要素のひとつが、作中で語られる"かつての支配者"の影です。作品内では、織田信長をモデルとする人物として「黒田信久(Kuroda Nobuhisa)」が登場し、すでに故人という位置づけで語られます。

黒田信久は、落葉の方の父という設定で語られ、かつて分裂した日本を統一へと導いた存在として位置づけられています。才能によって得た権力が、裏切りによって儚く崩れるという歴史の皮肉を思わせる人物であり、作中の登場人物たちの決断や運命に深い影を落とします。名前は語られるだけで場面の空気を一変させます。

史実の織田信長は、天下統一に迫る過程で本能寺の変(1582年)を迎えた人物として知られます。ドラマの「黒田信久」は、その史実を下敷きにしつつ、あくまで作中の設定として描かれる存在です。なお、落葉の方のモデルとされる淀の方の父は、史実では信長ではなく浅井長政です。この点もドラマと史実を切り分けるうえで押さえておくと混乱しにくくなります。

ここから先は、史実として広く知られる流れを軸に、信長ゆかりの城郭・史跡を整理します。作中の要素は作品表現として楽しみながら、史実は史実として別軸で追うと、両方の理解が深まります。

『SHŌGUN』の登場人物は実在? モデルとなった歴史上の人物を一覧で解説 - Following The Shogun~将軍の遺響~
『SHŌGUN』はフィクション作品ですが、その登場人物の多くは実在した歴史上の人物をベースに描かれています。ここでは各キャラクターと、そのモデルとなった実在の人物を対比しながら解説し、実際にゆかりの地を訪れられるページへもご案内します。

混同しやすい城の整理

信長ゆかりの地を調べるとき、同じ読みや近い名前の城で検索が行き違いになりやすい箇所があります。以下に整理しました。

紛らわしい組み合わせ整理のポイント
旧二条城 vs 元離宮二条城 旧二条城は信長が足利義昭のために築いた城(現在は石碑のみ)。現在「二条城」として知られる元離宮二条城は、その後に徳川家康が築いた別の場所です。検索時は「旧二条城跡」で分けると迷いにくくなります。
那古野城 vs 名古屋城 那古野城は、もとは今川義元の父・今川氏親が尾張進出の拠点として築いた城。信長の父・信秀が奪い取り、幼い信長に譲りました。信長が清洲城へ移ったあと廃城となり、のちに家康が同じ跡地に名古屋城を築いています。現在、名古屋城二之丸に那古野城址の碑が残ります。
那古野城(名古屋)vs 名護屋城(佐賀) 読みが同じ「なごや」でも全く別の城。名護屋城(佐賀県唐津市)は豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として1591年に築いた城で、信長とは直接の関係はありません。秀吉が自分のゆかりの地と同じ読みを気に入って名づけたという説が伝わりますが、確定した史実ではありません。
岐阜城天守(現存?) このページで扱う信長ゆかりの城の中では、現在も木造天守が残っているのは犬山城のみです。岐阜城の現在の天守建物は後世の復興で、戦国期の建物ではありません。安土城・清洲城なども同様に、天守は現存しません。
訪問ガイド

何が残っているか・所要時間の一覧

信長の城は、どれも当時のまま残ってはいません。何が残っていて何が復元なのか、どれくらい時間がかかるのかを先に一覧にしておきます。行き先を決めてから、県別の個別ガイドへ進んでください。

安土城跡
滋賀
残っているもの:天主台の礎石、大手道の石段、信長の父の墓。特別史跡。
アクセス:JR琵琶湖線・安土駅から徒歩約20分。京都駅からおよそ45〜50分。
所要:城跡だけで1時間半〜2時間、周辺と博物館を含めると半日〜1日。
ひとこと:1か所だけ選ぶならここ。石段を登った先に残るのは礎石だけですが、規模は体で分かります。
岐阜城
岐阜
残っているもの:金華山そのものと眺望。天守は1956年の再建。
アクセス:岐阜市中心部からロープウェー。名古屋から1時間以内。
所要:半日。伊奈波神社周辺と組むと1日。
注意(2026年9月10日時点):天守閣・資料館は耐震改修のため休館中。再開予定は2027年11月。ロープウェーと山頂施設は通常営業しています。
清洲城
愛知
残っているもの:現在の天主閣は1989年の模擬天守で、五条川を挟んだ対岸に建っています。本来の城跡は清洲古城跡公園として保存され、1996年の河川工事で見つかった石垣の一部が移設復元。隣接する清洲公園に信長公銅像。
アクセス:名古屋から在来線で約20分。
所要:2〜3時間。
桶狭間古戦場
愛知
残っているもの:地形。記念地は隣接する2つの自治体に分かれています。
アクセス:名古屋から電車とバス。
所要:両方を見るなら半日。
ひとこと:今は住宅街ですが、土地の起伏はそのまま読めます。建物を見に行く場所ではありません。
熱田神宮
愛知
残っているもの:信長塀。桶狭間の戦勝の礼として信長が奉納したと伝わる築地塀で、瓦を幾層にも挟んで固めたものが今も境内に立っています。草薙神剣を奉斎する社でもあります。
アクセス:名古屋市内。JR熱田駅・名鉄神宮前駅がすぐ。
所要:1時間程度、杜を歩くならもう少し。
ひとこと:信長本人が奉納したものの前に立てる、数少ない場所です。
本能寺
京都
残っているもの:現在の本能寺は1582年以降に別の場所へ移って再建されたもの。当時の跡地は少し離れた場所に別途表示があります。
アクセス:京都駅から地下鉄かバス。河原町エリアの徒歩圏。
所要:1時間、旧地まで歩くなら2時間。
ひとこと:信長ゆかりの地のなかでは、いちばん行きやすい部類です。
比叡山延暦寺
滋賀・京都
残っているもの:1571年の焼き討ち後に再建された伽藍。東塔・西塔・横川に分かれています。
アクセス:京都または坂本からケーブル・バス。冬期は便が減ります。
所要:1日。
犬山城
愛知
残っているもの:現存天守。国宝。1537年に信長の叔父・織田信康が築いたとされますが、現存天守そのものの建築年代には諸説あります。
アクセス:名古屋から名鉄。
所要:半日。
注意:信長本人の城ではありません。つながりは一族を経由したものです。

訪問ガイド

愛知県

信長の地元です。家督を継いだ清洲城、桶狭間の古戦場、そして戦勝の礼として信長塀を奉納した熱田神宮。犬山城もこの県にあります。いずれも名古屋から日帰りできる距離です。

岐阜県

1567年に稲葉山城を落とし、地名も城名も「岐阜」に改めた場所です。天下布武の印を使い始めたのもこの時期。2026年9月10日時点で、岐阜城の天守閣と資料館は耐震改修のため休館中です(再開予定2027年11月)。山とロープウェー、岐阜駅周辺のゆかりスポットは通常どおり訪問できます。

滋賀県

最後の本拠・安土城跡があります。信長ゆかりの地のなかで、まとまった当時の遺構が残る唯一の場所です。焼き討ちにあった比叡山延暦寺、浅井・朝倉と戦った姉川古戦場もこの県です。京都・大阪から琵琶湖線で向かえます。

京都府

信長の話が終わる場所です。本能寺は変のあと別の場所に移って再建されており、当時の跡地は少し離れたところに残ります。上洛以降の政治の舞台でもあり、朝廷とのやりとりに関わる寺社も点在します。

奈良県

畿内平定の過程で関わった場所が点在します。三好氏や宗教勢力との攻防に関係する史跡が中心で、愛知や滋賀ほど数は多くありませんが、上洛後の動きを追ううえで欠かせない一帯です。

モデルコース

いずれも実際に歩いた行程です。所要時間は歩いてかかった時間で、電車移動を前提にしています。

京都・大阪から1日 ― 安土

朝の琵琶湖線で安土へ(京都から45〜50分)。9時ごろに安土駅に着けるかどうかで、その日の余裕がまるで変わります。駅から徒歩20分、大手道の石段を登って天主台へ。摠見寺跡、ふもとの博物館まで見ると、14時〜15時までは見ておいたほうが安心です。半日では足りません。

1か所しか行けないならここ、というのが実際に回った印象です。

名古屋から1日 ― 方角を絞る

清洲と桶狭間を同じ日に、というのが一見よさそうな組み方ですが、この二つは名古屋を挟んで反対側です。両方入れると午前が移動で消えます。方角で組んでください。

北西:清洲+岐阜方面。名古屋から岐阜へ向かう線上にあるので、戻らずにつながります。ただし岐阜城の天守は2027年まで休館中(2026年9月10日時点)。山と駅周辺のスポットは開いています。

南:桶狭間+熱田神宮。午前に古戦場、帰りに熱田。信長が出陣前に立ち寄ったと伝わる社で、勝利の礼として奉納した信長塀が今も残ります。

名古屋から1日 ― 出陣ルートを歩く

上の例外です。1560年のあの朝、信長は勝つか討ち死にかも分からないまま清洲を発ちました。その道は今も名古屋を横切って辿れます。街を横断する非効率さそのものが、この日の内容になります。

清洲城 → 榎白山神社 → 日置神社 → 法持寺 → 熱田神宮 → 鳴海城跡 → 善照寺砦 → 中島砦 → 桶狭間。小さな神社や公園、石碑が中心で、派手な見どころはありません。だからこそ、つなげて歩くと桶狭間が「まぐれの奇襲」ではなく「判断の連続」に見えてきます。

各スポットの所要時間とアクセスは、専用ガイドにまとめてあります。

清洲城から桶狭間へ|信長の行軍ルートを歩く全9スポット史跡ガイド
清洲城を出た信長が桶狭間へ向かった道のりを、榎白山神社・熱田神宮・善照寺砦など全9スポットで追体験。アクセス・地図・所要時間つきの実地取材ガイド。2026年大河『豊臣兄弟!』の桶狭間前夜を現地で確かめる。
3日 ― 尾張から本能寺まで

1日目(名古屋泊・南):桶狭間、帰りに熱田神宮。出陣ルートを通しで歩くならこの日に。

2日目(名古屋泊・北西):午前に清洲、午後は岐阜か犬山。行き先を絞ってから出てください。岐阜は駅周辺・公園・山と全部回ると、それだけで1日使います。

3日目(安土経由で京都へ):新幹線1本ではなく米原乗り換えになるので、接続時間を見ておいてください。安土駅の観光案内所にコインロッカーがあります。荷物を預けて登れるかどうかは、石段では思っている以上に効きます。夕方に京都へ入って本能寺へ。信長が終わった場所で旅も終わります。

いつ行くか

いちばん良い時期3月下旬〜5月上旬と、10月下旬〜11月。安土の石段と桜、犬山・岐阜の紅葉が年に二度の山です。
避けるなら真冬の比叡山。延暦寺はシャトルの便が減り、1日で回るのが難しくなります。実際に困ったのはここだけでした。
夏について思うほど障害ではありません。安土は暑く、登りは日陰が少ないので覚悟はいりますが、承知していれば問題なく回れます。金華山はロープウェーがあるので夏でも楽です。きついのは徒歩の登山ルートのほうです。
雨の日実際に回った印象では、雨で失われるものはありませんでした。濡れた石には濡れた石の質感があります。雨が奪うのは青空だけなので、写真が目的でなければ気にしなくていいと思います。確実な屋内なら清洲の展示。岐阜は2027年まで休館中です。
出かける前に岐阜城の天守閣・資料館は2027年10月下旬まで休館(2026年9月10日時点)。各スポットの料金・時間は季節で変わるので、個別ガイドの確認日をご覧ください。
このサイトは実地取材で制作しています。記事が参考になった方は、サポートいただけると励みになります

おすすめスポット

京都・滋賀・岐阜・愛知は比較的距離が近く、長期滞在であれば一緒に回れます。ただし、各スポットは見どころが多いため、1スポットにつき半日〜1日を確保しておくと時間に余裕をもって見学できます。

安土城跡(滋賀県)
山城で、石垣も多く残っています。現在多く残っている平城とは違い、「山に登って史跡を巡る」感覚が強く、訪問した実感を持ちやすいスポットです。春の桜の時期は緑の中に花の色が映えて特におすすめ。城跡のみなら半日で回れますが、周辺の博物館なども含めてゆっくり見るなら1日確保すると余裕があります。
比叡山延暦寺(滋賀県)
信長が焼き討ちしたと伝わる場所ですが、現在は復興され、建物も残り、現代も修行の場として機能しています。当時とは違えど、本物の仏教の場ならではの空気感を体験できます。冬はシャトルバスが運行されないため移動が困難で、春〜秋の訪問がおすすめです。全エリアを回るなら1日確保した方がよいです。
岐阜城(岐阜県)
金華山の頂上にある天守から見る景色が良く、旅行に来た実感を強く感じられます。なお、2026年9月10日時点、天守閣と資料館は耐震改修のため休館中です(再開予定2027年11月)。ロープウェーと山頂の展望スペースは通常営業しています。岐阜城の周辺には伊奈波神社などもあり、岐阜駅エリアの観光とセットで計画すると充実します。春の桜、秋の紅葉の季節がおすすめ。岐阜城のみなら半日、周辺エリアを含めるなら1日確保を。
犬山城(愛知県)
信長の叔父にゆかりのある城で、日本に数えるほどしか残っていない現存天守のひとつです。木造の内部を実際に歩いて見学できる貴重な体験ができます。桜の春や紅葉の秋がおすすめで、約半日程度を計画すると良いです。
訪問日記

訪問日記

よくある質問

1か所だけなら安土城跡(滋賀)です。信長ゆかりの地のなかで、まとまった当時の遺構が残っているのはここだけで、天主台の礎石と大手道の石段が実際に見られます。名古屋を拠点にするなら清洲城と桶狭間、京都からなら安土か本能寺が回りやすい組み合わせです。

順に4か所です。清洲城(1555年ごろ〜)、小牧山城(1563年ごろ〜)、岐阜城(1567年〜)、そして安土城(1579年〜)。安土に住んだのは3年ほどでした。いずれもこのページで扱っていて訪問できますが、当時の建物が残っている城はひとつもありません。

1582年6月2日未明、京都・本能寺で家臣の明智光秀の軍に囲まれ、自刃しました。享年49(満47歳)。遺体は見つかっていません。詳しい経緯、明智光秀の動機をめぐる諸説、「是非に及ばず」と伝わる最期の言葉については、本能寺の変の解説をご覧ください。

遺骨が確認されていないため、確定した埋葬地はありません。本能寺(京都)、信長自身が建てた摠見寺(安土)、大徳寺総見院(京都)、阿弥陀寺(京都)、高野山などに供養塔や墓所があります。このページで実地取材しているのは本能寺と安土周辺で、そのほかは公開されている寺院情報によるもので、現地は未訪問です。

主要なスポットは電車で回れます。安土、岐阜、清洲、犬山、本能寺はいずれも鉄道で行けますし、このページのモデルコースも電車前提で組んでいます。車が効くのは、バスの本数が少ない滋賀・奈良の小さな史跡です。桶狭間は迷うところで、2つの記念地の移動は車のほうが楽ですが、車で移動するより、歩いた方が土地の高低差を体で感じやすいです。桶狭間の戦いを考えるうえで地形は重要な要素のひとつなので、私は実際に回ったときは歩きました。次に訪れるときも歩くと思います。

ドラマ内で、かつて分裂した日本を統一へと導いた人物として語られる武将です。落葉の方の父という設定で登場しますが、すでに故人として扱われています。史実の織田信長がモデルとされており、才能によって得た権力が裏切りで崩れるという構図が共通しています。ただし、ドラマの登場人物は史実の信長そのものではなく、作中の設定として描かれています。史実と分けて楽しむことで、ドラマと歴史の両方をより深く理解できます。

別の場所に建てられた別の城です。旧二条城は、信長が足利義昭のために築いた城で、現在は石碑のみが残ります。現在「二条城」として知られる元離宮二条城は、その後に徳川家康が築いた城です。同じ「二条城」という名前で検索すると混乱しやすいため、「旧二条城跡」と「元離宮二条城」で分けて検索すると目的の場所にたどり着きやすくなります。

同じ場所にありますが、別の時代に建てられた別の城です。那古野城はもとは今川義元の父・今川氏親が尾張進出の拠点として築いた城で、後に信長の父・信秀が奪い取り、幼い信長に譲りました。信長が清洲城へ移ったあと廃城となり、その跡地に徳川家康が名古屋城を築きました。現在、名古屋城二之丸に那古野城址の石碑が残っています。

全く別の城です。名護屋城(佐賀県唐津市)は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として1591年に築いた城で、信長とは直接の関係はありません。秀吉自身が「自分のゆかりの地・尾張の那古野と同じ読みだ」と気に入ってこの地を選んだと伝わっています。信長ゆかりの地を調べる際は、佐賀の「名護屋城」と検索結果が混在することがあるため注意が必要です。

現在の天守建物は後世に建てられた復興です。このページで扱う信長ゆかりの城の中では、現在も木造天守が現存しているのは犬山城のみです。安土城・清洲城・岐阜城をはじめ、信長に関わる城の多くは天守が残っておらず、石垣や遺構・案内板で往時をたどる形になります。なお、2026年9月10日時点、岐阜城の天守閣・資料館は耐震改修のため休館中です(再開予定2027年11月)。ロープウェーや山頂周辺は通常どおり利用できます。

「一夜城」という伝承は広く知られていますが、史料の読み方については諸説あります。現地にある建物は後世に建てられた資料館・復元施設であり、戦国期の遺構ではありません。伝承と現地施設を切り分けながら訪れると、歴史を立体的に楽しめます。

京都・滋賀・岐阜・愛知は比較的距離が近く、長期滞在であれば一緒に回れます。ただし各スポットの見どころが多いため、1か所につき半日〜1日を確保するのが現実的です。安土城跡・比叡山延暦寺はそれぞれ1日、岐阜城と周辺エリア・犬山城は半日が目安です。季節は春(桜)と秋(紅葉)が各スポットとも特におすすめです。

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日本の戦国史を歩く——城跡・古戦場・武将ゆかりの地、すべて現地訪問ベースで紹介
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