江戸城跡を歩く:
400年を経て残る7つの見どころ
江戸時代の門、三重の櫓、日本最大級の天守が建っていた石垣の台座。いずれも無料で見学でき、全体を歩いても約90分です。このページでは、現地で実際に見られる遺構を中心に、行く前に知っておくと助けになる厳選7スポットをまとめます。
📋 見学前に確認したい基本情報
⚠ 公開時間や入園条件は変更される場合があります。訪問前に宮内庁公式サイトで確認してください。
東京の中心に残る江戸城跡を、東御苑の中から見ていきます。ここはかつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸が置かれていた場所で、260年以上にわたり徳川幕府の中枢でした。かつては多くの門、櫓、番所、御殿がありましたが、1657年の明暦の大火、明治期の解体、第二次世界大戦を経て、現在まで残る建物は限られています。このページで扱う7か所は、いま実際に現地で確認できる主な見どころです。それぞれの場所で注目したい部分や、江戸時代から残る部分を確認しながら見学できるようにまとめました。江戸城全体の歴史を先に押さえたい場合は、江戸城完全ガイドもあわせて参照してください。各エリアを詳しく知りたい方は、ページ末尾の詳細ガイドへのリンクをご利用ください。
なぜ江戸城の建物は少ししか残っていないのか
17世紀前半の江戸城は、外濠の内側だけで約5平方キロメートルに及ぶ大規模な城郭でした。天守は初期に三度建て替えられ、最も高い時期には約44〜51メートルに達したとされます。日本の城郭天守としては最大級の規模でした。ただし、江戸城の主要建物は敵の攻撃で失われたわけではありません。火災、政治判断、明治以降の解体、戦災によって姿を消していきました。
現在見られる門、櫓、番所、天守台の石垣は、こうした変化を経て残った部分です。都心で江戸時代の城郭建築や石垣をまとめて見られる場所は多くありません。
見学ルート全体マップ
下のルートは、大手町駅側の入口である大手門から入り、園内を順に歩いて平川門寄りの二の丸庭園まで進む流れです。全体の歩行距離は約2kmです。
現地で見ておきたい7つの見どころ
各スポットごとに、見どころ、基本データ、アクセス、地図をまとめています。金色のボタンを開くと詳細を確認できます。
1. 大手門
江戸城の正面入口。藤堂高虎が築き、伊達政宗が石垣工事に関わった門

大手門は、江戸城へ入る正面の門でした。大名、勅使、将軍自身も、この門を通って城内へ入りました。大手門は、慶長年間に築城の名手として知られる藤堂高虎が関わったとされる江戸城本丸登城の正門です。左右の石垣には、仙台藩主伊達政宗が関わったと伝えられています。往時には鉄砲30挺、弓10張、長柄槍20筋が備えられていたとされます。
現在見られる内側の高麗門は、江戸時代から残る建物です。東京の中心部でこの時代の城門をそのまま見られる例は多くありません。一方、渡櫓門は戦災などを経て失われ、現在見られるものは1966年に再建された建物です。二つの門の間には枡形の空間があり、侵入者の動きを止めるための構造が現地で分かります。
📜 基本データ
| 築造年 | 1606年(慶長11年)に藤堂高虎が行ったとされる。明暦の大火後、1659年に再建 |
|---|---|
| 築造者 | 藤堂高虎が関わったとされる。石垣工事には伊達政宗が関わったと伝わる |
| 門の形式 | 枡形門。高麗門と渡櫓門で構成 |
| 現状 | 高麗門は1659年再建の建物。渡櫓門は1966年再建 |
| 戦災 | 渡櫓門は戦災などを経て失われ、現在の建物は1966年に再建 |
| 文化財指定 | 東京都指定有形文化財(1995年指定) |
👁 現地で見るポイント
- 枡形の空間:二つの門を通ると、間に四角い空間があることが分かります。敵の動きを止め、横から攻撃するための配置です。
- 石垣の積み方:左手の石垣では、伊達政宗側の工事による野面積みを近くで確認できます。
- 春の景色:3月下旬には門の周辺に桜が入り、東御苑の中でも写真を撮る人が多い場所になります。
📌 補足メモ
- 「大手」は城の正面入口を指す城郭用語です。城下町側に向いた主要な入口に使われます。
- 藤堂高虎は大坂城、二条城、江戸城などの石垣にも関わった築城家で、近世城郭の石垣技術を代表する人物の一人です。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
東京メトロ東西線・大手町駅(T09)から徒歩約5分(約0.4km)
🚗 駐車場
専用駐車場なし。大手町・丸の内周辺の有料駐車場を利用
⏳ 見学時間
短時間なら約15分、じっくり見るなら約30分
💴 入園料
無料
大手町駅から大手門への徒歩ルート:
2. 三の丸尚蔵館
伊藤若冲など皇室ゆかりの名品を収蔵。現在は拡張工事のため休館中、2026年秋再開予定

三の丸尚蔵館は、皇室に伝わった絵画、彫刻、漆工、染織など約9,800件を収蔵する施設です。伊藤若冲の《動植綵絵》や狩野永徳の作品など、国宝を含むコレクションがあります。現在は大規模な拡張工事のため休館中で、全面開館は2026年秋の予定です。完成後は展示面積が従来の約8倍、収蔵能力が約4倍になる計画です。休館中も、建物と敷地の外観は見学ルート上から確認できます。
三の丸尚蔵館は、2025年5月7日から2026年秋まで第2期整備のため休館しています。この期間は入館できませんが、建物自体は見学ルート上で目に入ります。再開後は、皇室に伝わった美術品を公開する施設として、これまでより大きな展示空間で企画展が行われる予定です。2026年秋以降に訪れる場合は、事前に公式サイトで開館状況を確認してください。なお、東京国立博物館・表慶館では、2026年4月17日から5月17日までグランドオープン前の関連展示が開催されました。
📜 施設データ
| 開館 | 1993年(新施設第1期は2023年11月開館) |
|---|---|
| 現状 | 一時休館中。2025年5月7日から拡張工事、全面開館は2026年秋予定 |
| 運営 | 国立文化財機構(2023年に宮内庁から移管) |
| 収蔵品 | 約9,800件。絵画、彫刻、漆工、染織、金工など |
| 主な作品 | 伊藤若冲《動植綵絵》、狩野永徳《唐獅子図屏風》など |
| 再開後 | 展示面積は従来の約8倍、収蔵能力は約4倍。常設展示ではなく企画展形式 |
| 公式サイト | https://shozokan.nich.go.jp/ |
📌 補足メモ
- 収蔵品は、昭和天皇崩御後に国へ寄贈された皇室ゆかりの美術品を中心としています。
- 横山大観、高村光雲など、近代日本美術を代表する作家の作品も含まれます。
- 特別な催しでは、通常は見られない収蔵エリアが紹介されることもあります。
🚶 アクセス
大手門から徒歩約1分(約80m)
🚧 現状
拡張工事のため休館中。2026年秋再開予定
⏳ 見学時間
休館中は外観のみ。館内見学は2026年秋以降
🔗 公式サイト
https://shozokan.nich.go.jp/
大手門から三の丸尚蔵館へのルート:
3. 百人番所
江戸城に残る最大の番所。幕府直属の鉄砲組が詰めた長屋状の警備施設

百人番所は、江戸城に残る三つの番所のうち最大の建物です。建物の長さは南北約45メートルあり、伊賀組、甲賀組、根来組、二十五騎組という鉄砲組が詰めていました。単なる警備兵ではなく、戦国期に鉄砲や忍びの技能を持った集団を、徳川幕府の警備体制に組み込んだものです。建物は1968年に修復され、東御苑内でも江戸城の警備施設の姿をよく残しています。
「百人組」は文字どおり百人規模の組を意味しますが、実際にここに関わった人数はそれ以上でした。伊賀、甲賀、根来などの名は、戦国期の忍びや鉄砲集団を連想させます。江戸城が整備されるころには、彼らは幕府の警備組織に組み込まれ、平時の城内警備や儀礼に関わる部隊となっていました。
📜 基本データ
| 建築年代 | 江戸時代前期(正確な年は不詳) |
|---|---|
| 築造者 | 徳川幕府 |
| 構造 | 約50メートルの長屋状建物 |
| 配置された組 | 伊賀組、甲賀組、根来組、二十五騎組 |
| 修復 | 1968年、江戸時代の姿に近い形へ修復 |
| 現状 | 現存。外観を見学可能 |
👁 現地で見るポイント
- 建物の長さ:約50メートルの外観を横に歩くと、ここが大人数を収容する警備施設だったことが分かります。
- 屋根と木組み:切妻屋根と太い木組みから、実用を重視した城内施設らしさが見えます。
- 背後の石垣:番所の背後に見える石垣は、次に向かう中之門周辺の構成に関わるものです。
三の丸尚蔵館から百人番所へのルート:
4. 中之門跡
本丸へ向かう最後の門跡。建物は失われ、石垣に大名家の刻印が残る

中之門は、江戸城の本丸へ入る手前に置かれた重要な門でした。将軍、大名、勅使などが本丸へ向かう際、この付近を通ったことになります。現在、門の上部構造は残っていませんが、石垣は現地で確認できます。石をよく見ると、採石や運搬を担った大名家を示す刻印が残るものがあります。江戸城の石垣が、各大名に割り当てられた普請によって築かれたことを示す手がかりです。
石に印を刻むことは、管理のためでもあり、責任の所在を明らかにするためでもありました。石垣に不具合があれば、どの大名が関わった石かを確認できます。石材は各地の採石場から運ばれ、多くの人手を使って江戸まで届けられました。中之門跡の刻印は、江戸城築城が巨大な動員によって成り立っていたことを現地で確認できる部分です。
📜 基本データ
| 本来の役割 | 本丸へ入るための主要な防御門 |
|---|---|
| 現状 | 石垣が残り、上部の門建築は失われている |
| 注目点 | 大名普請に関わる石の刻印 |
| 周辺の遺構 | 百人番所、大番所 |
👁 現地で見るポイント
- 刻印:石に刻まれた丸、三角などの記号を探してみてください。石材を担当した大名家を示すものです。
- 石垣の積み方:自然石を組み上げる野面積みの特徴が見られます。
- 石垣の高さと幅:門建築が失われた現在でも、本丸へ近づく入口が狭く制御されていたことが分かります。
百人番所から中之門跡へのルート:
5. 富士見櫓
江戸城を代表する三重櫓。かつては富士山を望めた現存建物

富士見櫓は、東御苑の中でも写真に収められることが多い建物です。明暦3年(1657)の大火後、万治2年(1659)に再建された三重の櫓で、監視と防御の役割を持っていました。「富士見」の名は、かつて上層から富士山を望めたことに由来します。1657年の明暦の大火で天守が焼失した後、この櫓は江戸城を代表する建物として扱われるようになりました。
櫓が築かれた当時、西側には関東平野が広がり、空気の澄んだ冬の朝には上層から富士山を望めたとされます。現在は東京の高層ビル群に遮られ、富士山を望むことはできません。それでも、白い漆喰壁と黒い瓦、春には周囲の桜が加わる姿は、江戸城跡を示す写真としてよく使われています。天守が失われた後、この櫓が江戸城を示す建物として扱われてきたことも理解しやすい場所です。
📜 基本データ
| 建築年代 | 江戸時代前期(正確な年は未確定) |
|---|---|
| 築造者 | 徳川幕府 |
| 構造 | 三重櫓。白漆喰の壁と黒瓦の屋根 |
| 名称の意味 | 「富士見」は富士山を望むことに由来 |
| 歴史上の役割 | 1657年に天守が焼失した後、江戸城を代表する櫓として扱われた |
| 現状 | 江戸時代の現存建物 |
👁 現地で見るポイント
- 白壁と黒瓦:白い漆喰壁と黒瓦の対比がはっきり見えます。城内の建物として視認性も高い外観です。
- 石垣の土台:櫓の下には石垣が築かれています。隅の大きな石とその間を埋める石の構成を確認できます。
- 撮影しやすい方向:中之門跡側から近づくと、三重の立ち上がりを空に抜いて見やすくなります。
- 桜の時期:3月下旬には周辺の桜が入り、東御苑の紹介でよく見かける景色になります。
中之門跡から富士見櫓へのルート:
6. 天守台
江戸城天守が建っていた場所。再建されなかった巨大天守の石垣台

ここにはかつて江戸城天守が建っていました。江戸時代前期、天守は三度建て替えられ、最も高い時期には約44〜51メートルに達したとされます。1657年の明暦の大火で天守は焼失し、以後再建されませんでした。現在残るのは天守台の石垣です。高さは約11メートル、幅は約41メートルあり、上まで登ることができます。上部からは東御苑の広がりと、周囲の高層ビル群が見えます。
火災の後、幕府の重臣である保科正之は、天守の軍事的必要性は高くなく、再建に必要な資材と費用は江戸市中の復興に回すべきだと進言しました。明暦の大火では江戸の町も大きな被害を受けていたためです。その後、天守再建の計画は実現せず、現在は天守台だけが残っています。
📜 基本データ
| 天守台築造 | 1607年(慶長12年)、徳川家康の時期 |
|---|---|
| 天守の高さ | 約44〜51メートル(復元案により差あり) |
| 天守台の規模 | 高さ約11メートル、幅約41メートル |
| 焼失 | 1657年、明暦の大火 |
| 再建されなかった理由 | 保科正之が江戸市中の復興を優先するよう進言 |
| 現状 | 石垣が現存し、上まで登ることができる |
| 再建計画 | 東京都で検討されたことはあるが、2025年時点で正式決定はない |
👁 現地で見るポイント
- 台の大きさ:上まで登ると、約11メートルの高さを体感できます。この上に天守が建っていたことを考えると、周囲からかなり目立つ建物だったことが分かります。
- 上からの眺め:天守台の上からは、東御苑と周辺のビル群を一度に見渡せます。
- 刻印:中之門跡と同じく、大名家を示す刻印が残る石があります。
- 桜:天守台周辺の開けた場所は、春の見学にも向いています。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
富士見櫓から徒歩約9分(約700m)
⏳ 見学時間
短時間なら約10分、じっくり見るなら約25分
💴 入園料
無料(皇居東御苑の入園料)
♿ バリアフリー情報
急な石段があります。車いすで上部まで登ることはできません。
富士見櫓から天守台へのルート:
7. 二の丸庭園
江戸時代の庭園絵図を参考に整備された回遊式庭園。錦鯉や季節の花も見られる

二の丸庭園では、門や石垣とは違った角度から江戸城跡を感じられます。軍事施設ではなく、将軍家の庭園として整えられた空間です。江戸時代の二の丸には庭園が設けられていた時期があり、現在の回遊式庭園は、18世紀半ば頃の庭園絵図を参考に1968年に整備されたものです。池には、ヒレナガニシキゴイもいます。
江戸時代の二の丸には、御殿とともに庭園が設けられていた時期がありました。現在の回遊式庭園は、1968年の皇居東御苑公開にあわせ、18世紀半ば頃の庭園絵図を参考に整備されたものです。石垣や門とは違い、江戸城が政治や儀礼、文化の場でもあったことを感じられる場所です。
📜 庭園データ
| 由来 | 江戸時代の二の丸には庭園が設けられていた時期があります |
|---|---|
| 現在の庭園 | 1968年、18世紀半ば頃の庭園絵図を参考に整備 |
| 庭園形式 | 蓬莱島、鶴島、亀島を配した書院造庭園・池泉回遊式庭園 |
| 旧庭園の焼失 | 1867年の火災で焼失 |
| ヒレナガニシキゴイ | 2018年に上皇陛下が放流 |
| 季節の見どころ | 桜(3月下旬〜4月上旬)、花菖蒲(6月上旬)、紅葉(11月) |
👁 現地で見るポイント
- 蓬莱島:池の中央にある島は、不老不死の仙境を表す意匠です。格式ある庭園に用いられる要素です。
- ヒレナガニシキゴイ:通常の錦鯉よりもひれが長く、池の中でも見分けやすい品種です。
- 花菖蒲(6月上旬):園内には花菖蒲の植栽があります。大規模な名所に比べると落ち着いて見られることが多い場所です。
- 石灯籠:庭園内には複数の石灯籠が置かれています。復元された庭の中で、江戸期の庭園意匠を意識できる部分です。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
天守台から徒歩約9分(約800m)
⏳ 見学時間
短時間なら約15分、じっくり見るなら約30分
💴 入園料
無料(皇居東御苑の入園料)
🚪 出口
平川門出口が近くにあります。大手門まで戻らずに出たい場合に便利です。
天守台から二の丸庭園へのルート:
さらに詳しく知りたい方へ
このページでは東御苑の主な見どころをまとめました。各エリアの歴史や建築、現地で見るポイントを詳しく知りたい方は、以下の4本の詳細ガイドをご覧ください。
よくある質問


※ 開園時間、入園条件、アクセス情報は予告なく変更される場合があります。訪問前に必ず公式情報を確認してください。※ 三の丸尚蔵館は2025年5月7日から拡張工事のため休館中で、全面開館は2026年秋の予定です。訪問前にhttps://shozokan.nich.go.jp/で最新状況を確認してください。※ 各建物の築造年や築造者に関する情報は、執筆時点で確認できる情報に基づいており、今後の研究により見解が変わる場合があります。※ 徒歩時間は目安であり、歩く速度や混雑状況によって変わります。※ バリアフリー情報:天守台には急な石段があり、車いすでは上部まで登れません。それ以外のルートはおおむね平坦です。
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