- ① 大手門エリア
- ② 富士見櫓エリア
- ③ 本丸エリア
- ④ 二の丸エリア
- ⑤ 城外エリア(このページ)
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皇居東御苑の外周に広がる城外エリアには、江戸城の歴史的事件と深く結びついた場所が点在しています。なかでも必見は3か所——桜田門(1860年、井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」の舞台。国指定重要文化財)、田安門(現存する江戸城遺構の中で最古。国指定重要文化財)、半蔵門(伊賀忍者の頭領・服部半蔵の名を冠した搦手門)です。
また千鳥ヶ淵は、家康が江戸城防衛のために造成した人工の濠で、現在は約260本の桜が咲く東京屈指の花見スポット。城外エリアは皇居東御苑の入場不要で見学できるスポットが多く、時間が限られている方にも訪れやすいエリアです。
城外エリア
9つのスポットは皇居の西・南・北側に分散しています。すべてを一日で回るより、目的に合わせてルートを組み合わせるのがおすすめです。
平河天満宮
江戸三大天神の一つ——家康・紀州藩・彦根藩が信仰した学問と縁結びの社
平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)は、江戸三大天神のひとつに数えられる神社で、学問の神・菅原道真公を主祭神とします。相殿には誉田別命(八幡宮)と徳川家康公(東照宮)も祀られており、紀州藩徳川家・彦根藩井伊家の祈願所でもありました。
境内には天保15年(1844年)奉納の銅鳥居(千代田区指定文化財)、学業成就を祈願できる5体の撫で牛、恋愛成就の縁結びの梅があります。盲目の国学者・塙保己一や蘭学者・高野長英が深く信仰したことでも知られています。
📜 史跡データ詳細
| 創建年 | 不明(江戸時代以前) |
|---|---|
| 主祭神 | 菅原道真公(相殿:誉田別命・徳川家康公) |
| 銅鳥居奉納 | 天保15年(1844年)氏子町による奉納 |
| 文化財指定 | 銅鳥居・力石・狛犬が千代田区指定有形文化財 |
| 別称 | 江戸三大天神の一つ |
👀 見どころ
- 銅鳥居(千代田区文化財):天保15年(1844年)に奉納された銅製の鳥居。千代田区の指定文化財で、江戸後期の鋳造技術の水準を示します。
- 5体の撫で牛:境内に5体鎮座する石造の牛。体の気になる部分と同じ箇所を撫でると病気平癒のご利益があるとされています。
- 縁結びの梅:2つの実が寄り添うように成る梅の木。恋愛成就のご利益があるとされています。
📌 トリビア
- 紀州藩・彦根藩の祈願所:江戸三大天神のひとつとして、紀州藩徳川家・彦根藩井伊家など有力大名の祈願所でもありました。
- 塙保己一と高野長英:盲目ながら『群書類従』を編纂した国学者・塙保己一と、「蛮社の獄」で知られる蘭学者・高野長英がともに深く信仰していたことで知られています。
地図を開くと、半蔵門駅(Z05)から平河天満宮までの位置関係を確認できます。
千鳥ヶ淵
家康が造った江戸城の防衛池——春は約260本の桜が咲くボートの名所
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は、皇居北西部に位置する内濠で、江戸時代初期に徳川家康が江戸城の防衛と飲料水確保を目的に造成した人工の貯水池が始まりです。淵の形状が千鳥に似ることからその名がついています。
現在は全長約700メートルの千鳥ヶ淵緑道として整備されており、約260本のソメイヨシノ・オオシマザクラが春に満開になります。ボートに乗りながら水面から桜を見上げる体験は、東京でも屈指の花見スポットです。また、第二次世界大戦の戦没者遺骨を収蔵する千鳥ヶ淵戦没者墓苑も隣接しています。
📜 史跡データ詳細
| 造成年 | 江戸時代初期 |
|---|---|
| 造成者 | 徳川家康(防衛・貯水目的) |
| 桜の本数 | 約260本(ソメイヨシノ・オオシマザクラ) |
| 緑道の長さ | 約700メートル |
| ボート場 | あり(有料・シーズン限定) |
| 隣接施設 | 千鳥ヶ淵戦没者墓苑 |
👀 見どころ
- 桜のトンネル(春):緑道沿いの約260本が一斉に咲くと、頭上を桜で覆われたトンネルができます。3月下旬〜4月上旬が見ごろ。
- 千鳥ヶ淵ボート場:お濠でボートを漕ぎ、水面から桜や田安門・半蔵門を見上げる体験は格別です。
- 千鳥ヶ淵戦没者墓苑:海外で戦没した日本人兵士の遺骨が収蔵されており、静かな祈りの場として敬われています。
- エゴノキ(初夏):緑道沿いに植えられたエゴノキが6月頃に白い花を下向きに咲かせます。
📌 トリビア
- 防衛目的の人工濠:観光スポットとして知られる千鳥ヶ淵ですが、元々は江戸城の防衛ラインの一部として意図的に造成されたものです。
- シーズン中の混雑:桜シーズンには1日数万人が訪れることもあります。ライトアップが行われる夜間も人気ですが、早朝の静かな時間帯は別格の美しさです。
🗺 住所
東京都千代田区九段南2丁目
🚶 アクセス
東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅(Z05)」5番出口から徒歩約11分(約750m)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約30〜60分
💴 入場料
無料(ボートは有料)
地図を開くと、半蔵門駅(Z05)から千鳥ヶ淵緑道までの位置関係を確認できます。
半蔵門
伊賀忍者の頭領・服部半蔵が警備した搦手門——将軍の非常口でもあった江戸城の西門
半蔵門(はんぞうもん)は、江戸城の西側に位置する搦手門(裏門)で、伊賀忍者の頭領として知られる服部半蔵正成の名を冠しています。家康の江戸入府後、服部半蔵がこの門の警備を担当し周辺に屋敷を構えたことが名称の由来です。1620年(元和6年)、伊達政宗ほか6名の東国大名によって築かれました。
江戸城の搦手(裏口)として、将軍が非常時に甲州街道を経て甲府へ避難する際の出口としても機能していたとされています。現在は半蔵門線の駅名にもなっており、現代でもその名が生きています。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1620年(元和6年) |
|---|---|
| 築造者 | 伊達政宗ほか6名の東国大名 |
| 構造・特徴 | 高麗門と渡櫓門からなる枡形門 |
| 改修・復元歴 | 渡櫓門は明治4年(1871年)に撤去。高麗門は和田倉門から移築。 |
| 現存状況 | 高麗門が現存 |
| 名称の由来 | 服部半蔵正成(伊賀忍者の頭領・徳川家康の家臣) |
👀 見どころ
- 高麗門と半蔵濠:現存の高麗門は和田倉門から移築されたもの。門の前に広がる半蔵濠の景観とあわせて見ると、西側防衛ラインの規模が伝わります。
- 甲州街道との接続:半蔵門の外は甲州街道(現・国道20号)の起点にあたります。将軍の非常時脱出ルートとしての歴史的意味が、現代の道路に引き継がれています。
📌 トリビア
- 将軍の非常口:有事の際、将軍がここから甲州街道を通って甲府へ逃れる「将軍脱出ルート」の起点でした。江戸城の防衛設計における搦手の役割を具体的に示す場所です。
- 「半象門」異説:山王祭の象の山車が大きすぎてこの門を通れず、半分に切って通したため「半象門」と呼ばれたという異説もあります。真偽は不明です。
- 伊達政宗の普請:6名の東国大名による普請は、天下普請の一環。伊達政宗が主な担当者のひとりでした。
地図を開くと、半蔵門駅(Z05)から半蔵門までの位置関係を確認できます。
桜田門
桜田門外の変の舞台——井伊直弼が倒れた江戸城南西の重要文化財城門
桜田門(さくらだもん)は1636年(寛永13年)に築かれた江戸城外郭の城門で、国指定重要文化財です。高麗門と渡櫓門からなる枡形構造が現存しており、白壁と黒瓦の美しい外観は江戸時代の建築技術の粋を示しています。
1860年(安政7年)3月3日、この門の外で「桜田門外の変」が起きました——江戸幕府の大老・井伊直弼が水戸藩・薩摩藩の浪士たちに暗殺された事件です。幕末の権力構造を揺るがしたこの事件の現場に、今も変わらず門が立っています。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1636年(寛永13年) |
|---|---|
| 構造・特徴 | 高麗門と渡櫓門からなる枡形門。白壁と黒瓦。 |
| 改修・復元歴 | 関東大震災で破損後、鉄鋼土蔵造りに改修 |
| 現存状況 | 現存 |
| 文化財指定 | 国指定重要文化財(1961年) |
| 歴史的事件 | 1860年(安政7年)3月3日「桜田門外の変」——井伊直弼暗殺事件の現場 |
👀 見どころ
- 枡形門の構造:高麗門をくぐると四角い枡形の空間に入り、渡櫓門が正面に現れます。この構造が防衛上どう機能したかを体感できます。
- 「桜田門外の変」の現場:門の外(現在の交差点付近)が事件の現場。門を背景に立つと、幕末の1860年3月3日を想像できます。
- 桜田濠との景観:濠と門を組み合わせた景観は、四季を通じて美しく、特に春の桜の季節が印象的です。
📌 トリビア
- 桜田門外の変の経緯:安政の大獄で多くの志士を弾圧した大老・井伊直弼が、水戸・薩摩浪士18名に襲撃されました。雪の中、護衛の警備が手薄だったことが悲劇につながりました。この事件は幕府の権威を決定的に失墜させ、明治維新への流れを加速させたとされています。
- 「外桜田門」の別称:皇居内の「内桜田門(桔梗門)」と区別して「外桜田門」とも呼ばれます。
地図を開くと、桜田門駅(Y17)から桜田門までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:桜田門
御宿稲荷神社
家康が宿泊した邸宅に祀られた稲荷——「御宿」の名が示す関東移封の記憶
御宿稲荷神社(おんじゅくいなりじんじゃ)は、東京都千代田区内神田に位置する神社です。その名称の由来は、徳川家康が豊臣秀吉の命で関東に移封された際(1590年)、当地の郷士の邸宅に宿泊したことにあります。
この邸宅の庭には宇迦之御魂命を祀る祠があり、後に家康の足跡を記念して社地が寄進され「御宿稲荷神社」として信仰を集めるようになりました。「御宿」という社名そのものが、家康関東移封という歴史的事実を今に伝える名称です。
📜 史跡データ詳細
| 創建年 | 不明(江戸時代初期、家康関東移封後) |
|---|---|
| 主祭神 | 宇迦之御魂命 |
| 名称の由来 | 徳川家康が関東移封の際、当地の郷士の邸宅に宿泊したことに由来 |
| 現存状況 | 現存 |
👀 見どころ
- 「御宿」の社名の意味:社名そのものが「家康がここに宿泊した」という歴史的事実を示す生きた史料です。江戸城の歴史と都市の発展が一体になった場所です。
- 地域に根付いた信仰:商売繁盛・家内安全の神として、古くから地域の人々に親しまれています。
📌 トリビア
- 家康の関東移封(1590年):豊臣秀吉による小田原征伐後、家康は東海の旧領を取り上げられ関東8か国に移されました。当初は不利な条件に見えましたが、家康はこの地で江戸の整備を進め、やがて天下を取ることになります。御宿稲荷神社は、その「関東入り」の起点に関わる神社です。
🗺 住所
東京都千代田区内神田1-6-8
🚶 アクセス
JR山手線・京浜東北線「神田駅(JY02/JK27)」から徒歩約7分(約500m)
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約15分
💴 入場料
無料
地図を開くと、神田駅(JY02/JK27)から御宿稲荷神社までの位置関係を確認できます。
桔梗門(内桜田門)
桔梗紋の形に由来する江戸城の西側城門——枡形の防御構造が残る将軍の出入口
桔梗門(きっきょうもん)は「内桜田門」とも呼ばれ、外桜田門(桜田門)と対になる城門です。江戸城の西側に位置し、将軍の出入口として機能していました。門の名称は、枡形内に桔梗の紋章が描かれていたことに由来するとも言われています。
現在は宮内庁参観受付の入口として使われており、皇居参観を希望する場合にはこの門を通ります。枡形構造の石垣が現存しており、江戸城の防御ラインの一端を確認できます。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 別称 | 内桜田門(外桜田門=桜田門と区別するため) |
| 構造・特徴 | 枡形門構造。現在は宮内庁参観受付の入口として使用。 |
| 現存状況 | 現存 |
| 名称の由来 | 枡形内の桔梗紋に由来するとも言われる |
👀 見どころ
- 枡形の石垣:門の枡形構造を支える石垣が残っており、外桜田門(桜田門)との構造比較ができます。
- 二重橋との組み合わせ:桔梗門・正門・二重橋は一連の景観をなしており、これらを一つの防衛ラインとして見るとスケールが伝わります。
📌 トリビア
- 皇居参観の入口:現在は宮内庁が主催する皇居参観(事前申込または当日受付)でここから入場します。一般公開の窓口として今も機能している歴史的な門です。
- 「内」と「外」の区別:桔梗門(内桜田門)と桜田門(外桜田門)は、城の内外の桜田地域に面した門をそれぞれ指します。事件が起きたのは「外」の桜田門です。
地図を開くと、二重橋前駅(C10)から桔梗門までの位置関係を確認できます。
巽櫓
東南を守る三重の監視塔——白壁と黒瓦が映える江戸城の現存隅櫓
巽櫓(たつみやぐら)は、江戸城の東南隅(巽の方角)に位置する三重の隅櫓です。「巽」は東南の方角を意味する言葉で、その名の通り城の東南角を守る監視・防御施設として機能しました。白壁と黒瓦のコントラストが美しく、富士見櫓と並んで江戸城に現存する主要な建築物のひとつです。
桔梗門・二重橋とセットで見る景観が有名で、皇居の顔としてメディアでもよく登場するアングルです。石垣には大名家の刻印が残っており、天下普請の痕跡を確認できます。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明(江戸時代初期) |
|---|---|
| 構造・特徴 | 三重構造の隅櫓。白壁・黒瓦。城の東南隅(巽の方角)に位置。 |
| 現存状況 | 現存(江戸城の現存建築のひとつ) |
| 文化財指定 | 要確認 |
| 内部 | 通常非公開。特別公開時に見学可。 |
👀 見どころ
- 白壁と黒瓦の外観:富士見櫓と同様の意匠で、皇居の東南角を彩る現存建築。二重橋・正門石橋との組み合わせで撮影するアングルが有名です。
- 石垣の刻印:巽櫓の石垣には、大名家が普請を担当した証として刻んだ刻印が残っています。
- 特別公開(不定期):内部が特別公開されることがあり、木造の梁・柱など当時の建築技術を間近で見られます。宮内庁公式サイトで確認してください。
📌 トリビア
- 「巽」という方角の意味:巽は十二支でいえば辰巳の方角(東南)を指します。江戸城の各隅には隅櫓が設けられており、方角名で呼ばれることが多かったです。
- 皇居の「顔」としての現代的役割:桔梗門・二重橋・巽櫓を含むエリアは、皇居の象徴的景観として国内外に広く知られており、外国要人が訪日した際の背景映像にもよく使われます。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
東京メトロ千代田線「二重橋前駅(C10)」から徒歩約8分(約500m)
⏳ 見学目安
短時間:約10分 / じっくり:約20分
💴 入場料
無料(内部通常非公開)
地図を開くと、二重橋前駅(C10)から巽櫓までの位置関係を確認できます。
清水門
浅野長晟が築いた北の丸の東門——扉の刻銘が語る万治元年の再建
清水門(しみずもん)は、北の丸の東門として寛永元年(1624年)に広島藩初代藩主・浅野長晟によって築かれました。1657年の明暦の大火で焼失後、万治元年(1658年)に再建されており、現在も高麗門と櫓門からなる枡形門の構造が現存しています。1961年に国指定重要文化財に指定されました。
扉の肘金物には「万治元年」(1658年)の刻銘があり、再建の年代を今に伝えています。御三卿・清水家はこの門にちなんで命名されており(九代将軍家重の子・重好が清水家を創設)、門の名称が家名の由来となった珍しい例です。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1624年(寛永元年) |
|---|---|
| 築造者 | 浅野長晟(広島藩初代藩主) |
| 構造・特徴 | 高麗門と櫓門からなる枡形門。扉の肘金物に「万治元年」の刻銘。 |
| 再建年 | 1658年(万治元年)——明暦の大火後 |
| 現存状況 | 現存 |
| 文化財指定 | 国指定重要文化財(1961年) |
| 清水家との関係 | 御三卿・清水家はこの門にちなんで命名された |
👀 見どころ
- 扉の「万治元年」刻銘:高麗門の扉の肘金物に刻まれた1658年の銘文は、再建の歴史を物語る一次史料です。実際に確認してみてください。
- 高麗門と枡形の石段:門をくぐった先の石段から、枡形の空間全体を見渡せます。田安門との構造比較も興味深いです。
- 北の丸公園との一体感:清水門は北の丸公園の東入口として機能しており、武道館方面へのルート上にあります。
📌 トリビア
- 浅野長晟と赤穂浪士の繋がり:清水門を築いた浅野長晟は、後に忠臣蔵の浅野内匠頭の先祖にあたります。富士見櫓エリアの「松之大廊下跡」と清水門を結ぶ歴史の線が見えてきます。
- 清水の地名の由来:かつてこの付近に清水が湧き出ていたこと、あるいは古くに清水寺が存在したことが名称の由来とされています。
🗺 住所
東京都千代田区北の丸公園
🚶 アクセス
都営新宿線・東京メトロ東西線・半蔵門線「九段下駅(T07/Z06/S05)」4番出口から徒歩約6分(約500m)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約30分
💴 入場料
無料
地図を開くと、九段下駅(T07/Z06/S05)から清水門までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:清水門
田安門
現存最古の江戸城遺構——松平定信が生まれた田安家の門
田安門(たやすもん)は、現存する江戸城の遺構の中で最古のものとされており、1620年(元和6年)の築造で1961年に国指定重要文化財に指定されています。北面する高麗門と、その西側に直交する渡櫓門からなる枡形門の構造が完全な形で残っています。
享保15年(1730年)には、八代将軍・徳川吉宗の第二子・宗武が門の名称にちなんで田安家を創設しました。その子・松平定信(「寛政の改革」を主導した老中・白河楽翁)もここで生まれています。現在は北の丸公園の出入口として使われており、武道館へのルート上にあります。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1620年(元和6年)、1636年(寛永13年)に修繕 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 北面する高麗門と西側に直交する渡櫓門からなる枡形門。現存最古の江戸城遺構。 |
| 文化財指定 | 国指定重要文化財(1961年) |
| 現存状況 | 現存(戦災により石垣一部崩壊) |
| 田安家創設 | 1730年(享保15年)——徳川吉宗の子・宗武がこの門にちなんで創設 |
| 関連人物 | 松平定信(宗武の子・寛政の改革を主導した老中)がここで誕生 |
👀 見どころ
- 現存最古の江戸城遺構:江戸城に残る建築物の中で築造年が最も古いとされています。清水門と並べて見ると、同時代の建築水準が比較できます。
- 高麗門の釣金具の刻銘:高麗門の扉の釣金具には製作に携わった職人の名が刻まれています。細部まで観察することで江戸時代初期の職人技を確認できます。
- 千鳥ヶ淵・牛ヶ淵の水門:田安門前の土橋は、かつて千鳥ヶ淵と牛ヶ淵の水位調整をしていたと伝えられています。
📌 トリビア
- 松平定信とは:8代将軍吉宗の孫にあたり、11代将軍家斉の下で老中として「寛政の改革」を断行した人物。倹約・学問奨励・農村再建など幕政改革を推進しましたが、改革の厳しさから「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と皮肉られる狂歌も残っています。
- 「田安口」の古名:田安門周辺はかつて「田安口」または「飯田口」と呼ばれ、上州(群馬)方面への道が通じていた交通の要所でした。
🗺 住所
東京都千代田区北の丸公園
🚶 アクセス
都営新宿線・東京メトロ「九段下駅(T07/Z06/S05)」2番出口から徒歩約3分(約200m)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約30分
💴 入場料
無料
地図を開くと、九段下駅(T07/Z06/S05)から田安門までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:田安門
よくある質問(FAQ)
江戸城跡 全体マップ
城外エリアは皇居の西・南・北に分散しています。半蔵門・平河天満宮・千鳥ヶ淵は西側(半蔵門駅(Z05)周辺)、桜田門・桔梗門・巽櫓は南側(桜田門駅(Y17)・二重橋前駅(C10)周辺)、清水門・田安門は北側(九段下駅(T07/Z06/S05)周辺)にそれぞれ位置します。
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※ 開園時間・休園日・桜の開花状況などは変更になる場合があります。千鳥ヶ淵ボート場の営業情報は公式サイトでご確認ください。
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