- ① 大手門エリア(このページ)
- ② 富士見櫓エリア
- ③ 本丸エリア
- ④ 二の丸エリア
- ⑤ 城外エリア
- ▶ 全体ガイドに戻る
江戸城は、徳川家康が築いた江戸幕府の中心地で、広大な敷地には今も多くの遺構が残っています。このページでは、大手門エリアを中心に紹介します。正門として使われた大手門をはじめ、将軍の警備を支えた番所など、当時の構造をそのまま歩いて確かめられるスポットが集まっています。各スポットの歴史やアクセス情報もあわせてまとめました。
大手門エリア
大手門
江戸城の正門——将軍と諸大名が行き交った枡形の要衝

1607年(慶長12年)、藤堂高虎によって創建された大手門は、江戸城の正門として将軍や諸大名の出入りに使用されました。1620年(元和6年)の工事では酒井忠世が分担し、左右の石垣は伊達政宗が築造したとされています。鉄砲30挺、弓10張、長柄20筋で守られるなど、厳重な警備体制が敷かれていました。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1607年(慶長12年) |
|---|---|
| 築造者 | 藤堂高虎 |
| 構造・特徴 | 高麗門と渡櫓門からなる枡形門 |
| 改修・復元歴 | 1620年に酒井忠世が工事を分担、伊達政宗が石垣を築造。渡櫓門は1967年に木造で復元。 |
| 現存状況 | 高麗門は現存、渡櫓門は1967年に木造で復元 |
| 消滅・損壊 | 渡櫓門は戦災で焼失 |
| 文化財指定 | 東京都指定有形文化財(1995年) |
| 備考 | 鉄砲30挺、弓10張、長柄20筋で守られるなど、厳重な警備体制が敷かれていた |
👀 見どころ
- 高麗門:江戸時代から現存する門で、重厚な造りをじっくり見ると当時の建築技術の確かさが伝わります。
- 枡形:敵の侵入を防ぐために設けられた四角い広場で、門をくぐるとその構造を体感できます。
- 復元された渡櫓門:戦災で焼失後、1967年に木造で復元されたものです。
- 石垣:門の周辺に江戸時代の石垣が残っており、間近で見ることができます。
- 季節限定の楽しみ方:春には桜が咲きます。
📌 トリビア
- 知られざる歴史的背景:将軍の出入りや勅使の参向、諸侯の登城など、城内で最も人の往来が多かった門のひとつで、それだけに警備体制も厳しかったようです。
- 著名人との関係:藤堂高虎や伊達政宗など、戦国期を生き抜いた武将たちが築城に関わっています。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
最寄り駅:東京メトロ東西線「大手町駅(T09)」から徒歩5分(約0.4km)
🚗 駐車場
※要確認
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約30分
💴 入場料
無料
地図を開くと、最寄駅から大手門までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:大手門
三の丸尚蔵館
皇室ゆかりの美術品を擁する——若冲・永徳が眠る宮内の殿堂

三の丸尚蔵館は、皇居東御苑内にある美術館で、皇室ゆかりの美術品を展示しています。1993年に開館し、伊藤若冲や狩野永徳の国宝級の作品を含む約9,500点を所蔵しています。展示内容はイベントごとに入れ替えられるため、常設展示はありません。定期的に特別展が開催されており、訪れるたびに異なる作品を見ることができます。
📜 史跡データ詳細
| 開館年 | 1993年(平成5年) |
|---|---|
| 設立者 | 宮内庁 |
| 構造・特徴 | 皇室ゆかりの美術品を展示する美術館。展示内容はイベントごとに入れ替えられるため、常設展示はありません。 |
| 改修・復元歴 | 2023年に新施設をオープン。管理運営は宮内庁から国立文化財機構に移管。 |
| 現存状況 | 現存・営業中 |
| 消滅・損壊 | なし |
| 文化財指定 | なし(収蔵品に国宝・重要文化財多数) |
| 備考 | 訪問前に公式サイトで展示内容を確認することを推奨 |
👀 見どころ
- 国宝・重要文化財の展示:伊藤若冲の「動植綵絵」や狩野永徳の「唐獅子図屏風」など、日本美術を代表する作品が展示されることがあります(展示内容は時期により異なります)。
- 特別展・企画展:定期的に開催されており、訪れるたびに異なる作品に出会えます。
📌 トリビア
- 知られざる歴史的背景:昭和天皇の崩御後、皇室から国への美術品の寄贈を契機として設立されました。
- 知る人ぞ知る歴史スポット:館内の一部には通常非公開の収蔵スペースがあり、特別なイベントの際にのみ見学できます。
- 著名人との関係:横山大観や高村光雲など、日本を代表する芸術家の作品が多数収蔵されています。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
大手門から徒歩1分(約0.1km)
🚗 駐車場
※要確認
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約40分
💴 入場料
1,000円(2025年3月時点。詳細は公式サイトを確認ください。)
地図を開くと、大手門から三の丸尚蔵館までの位置関係を確認できます。
同心番所
下級武士が守った江戸城の中間防衛線——葵の紋が残る小さな詰所

同心番所は、江戸城内に現存する三つの番所の一つで、主に「同心」と呼ばれる下級武士が詰めていた警備詰所です。大手門から本丸へ向かう途中に位置し、登城者の監視や警備を担当していました。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 江戸時代後期(正確な年は不明) |
|---|---|
| 築造者 | 江戸幕府 |
| 構造・特徴 | 木造平屋建ての番所。屋根瓦には徳川家の家紋である葵の紋が見られます。 |
| 改修・復元歴 | 昭和43年(1968年)に江戸時代の姿に復元。 |
| 現存状況 | 現存(復元) |
| 消滅・損壊 | なし |
| 文化財指定 | なし |
| 備考 | — |
👀 見どころ
- 同心番所の建物:江戸時代後期のものとされ、修復を経て現在も当時の姿をとどめています。
- 屋根瓦の葵の紋:屋根瓦に徳川家の家紋である葵の紋が残っており、細部まで確認できます。
- 枡形の石垣:番所の周囲に枡形の石垣が残っており、城郭の構造を実感できます。
📌 トリビア
- 知られざる歴史的背景:御三家(尾張、紀伊、水戸)以外の大名はここで乗り物を降り、徒歩で本丸へ向かうきまりになっていました。
- 知る人ぞ知る歴史スポット:屋根の一番高い部分には葵御紋の妻瓦が使われており、軒先は三巴紋の瓦になっています。上を見上げながら歩くと気づけます。
地図を開くと、三の丸尚蔵館から同心番所までの位置関係を確認できます。
百人番所
江戸城最大の番所——鉄砲百人組が守り続けた全長50メートルの長屋

百人番所は、江戸城内に現存する三つの番所の中で最も大きなもので、「百人組」と呼ばれる鉄砲隊が詰めていた警備詰所です。大手門から本丸へ向かう途中に位置し、登城する大名や要人の監視・警備にあたっていました。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 江戸時代初期(正確な年は不明) |
|---|---|
| 築造者 | 江戸幕府 |
| 構造・特徴 | 全長約50メートルの長屋形式の番所。内部の柱や梁の構造から当時の建築技術を感じることができます。 |
| 改修・復元歴 | 昭和43年(1968年)に江戸時代の姿に復元。 |
| 現存状況 | 現存(復元) |
| 消滅・損壊 | なし |
| 文化財指定 | なし |
| 備考 | — |
👀 見どころ
- 百人番所の建物:江戸時代初期の建築で、内部の柱や梁の組み方から当時の技術を確認できます。
- 長屋形式の構造:全長約50メートルと、番所の中ではかなり大きな造りです。かつてここに鉄砲隊が常駐していたと考えると、規模感がわかります。
- 周囲の石垣:番所を囲む石垣も状態よく残っており、城全体の防御構造を考えながら見ると面白いです。
📌 トリビア
- 知られざる歴史的背景:鉄砲百人組と呼ばれる精鋭部隊が常駐しており、江戸城の防衛において重要な位置を担っていました。
地図を開くと、同心番所から百人番所までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:百人番所
よくある質問(FAQ)
江戸城跡 全体マップ
江戸城跡 関連記事
次の記事

江戸城 目次

メインページに戻る

comment