姫路城完全ガイド エリア3:大天守・登城ルートエリア
菱の門の先から始まる「いろは」の連続門と枡形が織りなす迷路型防御。国宝・大天守と東小天守、乾小天守をめぐる、姫路城最大の見どころ22スポットを解説します。
姫路城完全ガイド:全6エリア
エリア3では、菱の門をくぐった先から国宝・大天守に至るまでの登城ルートを歩きます。「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」と続く仮名順の門群と、幾重にも折れ曲がる枡形(ますがた)構造が、姫路城随一の「迷路型防御」を形作っています。大天守・東小天守・乾小天守が渡櫓で結ばれた連立式天守は、世界文化遺産・国宝としての価値の核心部分です。
エリア3のスポット一覧
いの門
迷路型登城ルートの第2の関門

「いの門(いのもん)」は、姫路城の大天守へと至る登城ルートの途中に設けられた門で、敵の進軍を意図的に迷わせる「迷路型防御」の一部として設計された戦略的な構造物です。登城経路には「いろは…」順に門が配置されており、いの門はその2番目にあたります。菱の門をくぐって進んだ先の枡形(ますがた)空間に位置し、敵の進入を一時的に止めて挟撃するための要所です。
豊臣秀吉の時代、姫路城はまだ簡素な構えでしたが、池田輝政が築いた近世城郭への改修により、こうした連続する門と枡形による防御構造が導入されました。いの門はその代表例です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 菱の門から北へ進んだ先)
ルの櫓から徒歩約3分(約220m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 枡形構造との連動性:L字型の通路と高石垣に囲まれた空間の中にあり、城攻めを困難にする仕掛けの中心です。
- 石垣の技巧:門周辺の石垣は「切込接(きりこみはぎ)」の高い技術が用いられ、美しさと強度を兼ね備えています。
ろの門
死角のない枡形構造の第3の関門

「ろの門(ろのもん)」は、大天守へと至る複雑な曲輪(くるわ)構造を構成する連続門群の第3番目にあたります。菱の門 → いの門 → ろの門という順に登っていくことで、敵を翻弄する“迷路式構造”を形成しています。大天守へ至る唯一の道筋に設置されており、敵軍が大群で押し寄せても直進を阻まれ、石垣の曲がり角ごとに防御兵から攻撃される構造となっています。門自体は櫓門形式で、厚い木製の扉と石垣に囲まれた空間です。
豊臣秀吉が築いた原型にはこのような多門防御は存在せず、1601年からの池田輝政による大改修で完成した“総構え”防御構造の一部として追加されたものです。
住所:兵庫県姫路市本町68
いの門から徒歩約1分(約33m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 櫓門の堅牢な構造:小規模ながら櫓門形式で、防御用の狭間(さま)や分厚い門扉が備わった本格的な軍事施設です。
- “死角なし”の構造:門前後は高石垣で囲まれ、常に上からの視線と攻撃を受ける設計。守る側が圧倒的に有利な位置取りです。
将軍坂
本丸へ迫る急勾配の折れ坂

「将軍坂(しょうぐんざか)」は、大天守へ至る主要登城路のひとつに設けられた、急勾配の石畳の坂道で、敵を翻弄する複雑な通路の一部として機能しています。坂は枡形門「はの門」を越えた先から始まり、ほぼ直角に曲がる「折れ」の構造を持つのが大きな特徴。登る者の視界を限定し、左右や上部から攻撃されやすい設計になっています。
この坂は、池田輝政による姫路城の大改修(1601〜1609年)で整備されたもの。豊臣秀吉時代の直線的な構造から脱却し、曲線と高低差を組み合わせた迷路型防御構造の集大成とも言える存在です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・天守登城ルート中腹)
ヌの櫓から徒歩約2分(約130m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 急勾配の石畳坂:足元に注意しつつ登る坂は、当時の兵が防具をつけて上るには相当の労力が必要だったと想像されます。
- 高石垣の威圧感:坂の左右を囲む高石垣は、まるで壁のように迫り、侵入者に圧力をかける「視覚的防御」も見どころです。
石燈籠の基礎
備前丸に残る見逃しがちな遺構

「石燈籠の基礎」は、大天守の手前、備前丸と呼ばれる広場にひっそりと残された、江戸時代に設置されていた石灯籠の“土台部分”だけが現存する貴重な遺構です。現在では上部の灯籠部分は失われており、基礎のみが地面に残っている様子から、「見逃してしまいそうな名所」として知られています。
この石燈籠は、江戸期以降に備前丸が儀式的・迎賓的な空間として整えられた際に設置されたものと考えられており、築城者・池田輝政の時代にはまだ存在せず、後の藩政期に整備された城内景観の一部です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 大天守前・備前丸)
将軍坂から徒歩約1分(約10m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 石材の技巧:円形に美しく切り出された基礎石は、石工の丁寧な技術が見て取れます。
- 天守との位置関係:大天守に向かうルートの視界の中にあり、視線誘導の効果を持っていたとも考えられています。
はの門
連続門群の中核をなす高麗門

「はの門(はのもん)」は、大天守群に至る複雑な登城ルートの一角を担う城門で、「い・ろ・は…」と続く門の中で4番目に位置する重要な防衛拠点です。高麗門形式で造られた現存建築で、高い石垣に囲まれた枡形(ますがた)空間の一角に設けられ、天守台の南側に配置されています。門をくぐった先でルートが直角に曲がるため、敵兵の突進を妨げ、側面・上部からの攻撃がしやすい設計です。
築造は1601〜1609年の池田輝政時代。豊臣秀吉の時代にはまだこうした高度な多門防御構造は見られませんでした。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・天守登城ルート上)
将軍坂から徒歩約1分(約10m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 高麗門の重厚な構造:両側に石垣が迫る中、低く重厚な門構えが印象的。敵の視界を遮りながら内部へ誘導する仕掛けも見どころです。
- 枡形との連携:門をくぐった瞬間に直角に曲がらされるルート設計が、計算された防御ラインであることを実感させます。
にの門
死角のない枡形虎口を成す現存櫓門

「にの門(にのもん)」は、大天守へ向かう登城ルート上に設けられた防御門のひとつで、【い→ろ→は→に】と続く連続門構造の4番目(または5番目)にあたる重要な施設です。現存する櫓門で、木造の二階建て構造と重厚な石垣に囲まれた、いわゆる“枡形虎口”の一部を形成しています。登ってきた敵が門を突破しようとしても、左右と上方から狙われる死角のない要塞的設計が特徴です。
この門の築造は池田輝政時代(1601〜1609年)。豊臣秀吉の時代にはまだ存在していなかった複雑な多門構造を導入し、姫路城を最強の城へと変貌させる過程の中で誕生しました。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 登城ルート途中)
はの門から徒歩約1分(約80m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 櫓門形式の防御構造:二階建ての櫓門で、上層からの狙撃・監視が可能。攻防一体の設計です。
- 枡形空間との連携:門の前後が石垣で囲まれ、門を通ろうとする敵を一時的に閉じ込める“トラップ空間”の役割も。
十字紋の鬼瓦
和風建築に残る異文化の意匠

「十字紋の鬼瓦(おにがわら)」は、天守群の一角「にの門櫓」の唐破風屋根に設置された非常に珍しい意匠で、瓦に刻まれた十字模様が注目を集めています。伝統的な和風建築において異質とも言えるこのデザインは、歴史ファンの間で長年にわたり様々な憶測を呼んできました。
かつては、豊臣秀吉の家臣・黒田官兵衛(如水)がキリシタンであったことから、彼にまつわる意匠ではないかと囁かれてきましたが、実際にはこの瓦が設置されたのは官兵衛が姫路を離れた後、池田輝政による大改修時代と考えられています。池田家の重臣の中には実際にキリスト教信者が多く、この十字紋も信仰や異文化への寛容さの象徴として取り入れられた可能性があります。
住所:兵庫県姫路市本町68番地(にの門櫓 屋根部分)
にの門から徒歩1分(15m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 十字紋の意匠瓦:日本建築には珍しい十字紋が刻まれた鬼瓦。にの門櫓の唐破風屋根上に設置され、異文化の影響を感じさせます。
- にの門櫓との一体感:重要な防御門であるにの門櫓の美しい屋根とともに見ることで、建築的なバランスと象徴性を堪能できます。
ロの隅櫓
塩蔵を備えた天守曲輪北東端の櫓

「ロの隅櫓(すみやぐら)」は、東小天守と連結し、天守曲輪(てんしゅくるわ)の北東端を固める重要な構造の一部です。構造は地上2階・地下1階。地下は「塩蔵(しおぐら)」として使われたとされ、戦時の籠城戦に備えて塩を貯蔵するという、当時のリアルな防衛戦略を感じさせます。1階北側には唐破風風の美しい出格子と、敵を上から攻撃するための「石落とし」が設けられています。
東小天守の2階に上がるには、ロの隅櫓を経由する必要があり、城内導線の複雑さも見どころのひとつです。現在は内部非公開ですが、外観の美しさと機能性の両面から、姫路城の完成度の高さを象徴する隅櫓です。
住所:兵庫県姫路市本町68番地 姫路城内
十字紋の鬼瓦から徒歩約1分(約2m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 塩蔵としての地下空間:敵との戦いに備えて塩を保存していた地下構造。姫路城が”籠城に強い”といわれる所以です。
- 石落としと出格子の美:1階の北面には、唐破風風の出格子と石落としが設置され、見た目の美しさと実用性が融合しています。
ほの門
備前丸手前の最終防衛ライン

「ほの門(ほのもん)」は、大天守へと至る登城ルートの中に設けられた複数の門のひとつで、「い・ろ・は・に・ほ…」と仮名順で連続配置された門群の第5または6番目にあたる重要な防御ポイントです。大天守南側の「備前丸」と呼ばれる広場に至る直前に設置されており、最終防衛ラインの直前にあたる関門として極めて重要な位置にありました。構造は高麗門形式で、両側を高石垣に囲まれた典型的な枡形構造の中に組み込まれています。
築かれたのは、池田輝政が姫路城を大規模に改修した1601〜1609年の間です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 備前丸手前)
ロの隅櫓から徒歩約1分(約30m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 高麗門の重厚な造り:門の両脇には控え柱があり、分厚い木扉が敵の侵入を物理的に食い止めます。
- 枡形空間による挟撃構造:門の直前・直後は直線ではなく曲線・角が設けられており、敵が隊列を組めないようになっています。
姥ヶ石
老女の石臼にまつわる伝承の石

姥ヶ石(うばがいし)は、大天守の西側石垣下にひっそりと残る、城と人のつながりを象徴する伝承の石です。この石は、築城中に石材が不足した際、ある老女が自らの大切な石臼(いしうす)を差し出し、それが石垣の一部として使われたという美談にちなんでいます。
この話は、全国の城にある「人柱伝説」に似た背景を持ちつつも、姫路城では「生贄」ではなく「心の奉納」として語られている点が特に注目されます。人の命を捧げるのではなく、人の“心意気”で城を守るというストーリーは、戦国の世にあってもなお、人間らしい優しさと感謝の心が存在していたことを伝えています。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 大天守西側石垣下)
ほの門の目の前
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 丸く目立つ形の石:他の切石に比べて丸みのある石で、もとは石臼であったとされる特徴的な形をしています。
- 解説板とともに鑑賞:現地には解説板も設置されており、物語を読みながら実物を目にすることで、より深い感動を得られます。
塩櫓
天守曲輪南東を守る補給拠点

塩櫓(しおやぐら)は、大天守の南東側の石垣上に建つ現存櫓で、天守曲輪の防衛を担う重要な建造物のひとつです。その名の由来には諸説ありますが、「塩」=生活物資を貯蔵した倉庫的な役割を持っていたことにちなんでいるとされ、実際に兵糧や火薬、道具などの保管場所として使用されていたと考えられています。
構造は二重二階建ての櫓で、大天守に近接した位置にあることから、天守の補助防衛施設としても極めて重要な存在でした。内部には、狭間(さま)や石落としなどの実戦的防御機能も備わっています。築造は池田輝政による姫路城大改修(1601〜1609年)期です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 天守曲輪南東)
ほの門の目の前
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 現存櫓ならではの木組構造:太い梁と柱で構成され、戦国時代の職人技が今に息づいています。
- 天守を側面から守る配置:南東方向からの敵襲を想定した配置で、大天守に向かう敵に対して”横撃ち”が可能な設計です。
油壁
梯子を滑らせる異色の防御壁

「油壁(あぶらかべ)」は、敵の侵入を防ぐために施された独特の防御設備の一つです。戦国期の高度な戦術が息づく姫路城では、石垣だけでなく、木材や土を用いた壁面に油を塗布することで、滑りやすくし、敵兵の侵入や梯子の設置を阻止する工夫がなされました。油壁は、見た目にも重厚感があり、その技術は当時の防御意識の高さと洗練された戦略が反映されています。
今日では、敵に備えた城郭建築の実際の防御技術として、その歴史的価値が再評価され、多くの歴史ファンに注目されています。
住所:兵庫県姫路市本町68番地 姫路城内
ホの門から徒歩約1分(約6m)
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 油塗りが施された壁面:梯子が滑るよう工夫された防御装置。その加工技術は職人の技と知恵の結晶です。
- 防御機能の一端を垣間見る展示:油壁がどのようにして敵の侵入を阻止したのか、解説パネルを通してその仕組みを学べます。
水の一門
大天守直前の最終チェックポイント

「水の一門(みずのいちもん)」は、大天守直前に設けられた最終関門の一つで、登城ルートの最終盤、備前丸から天守台へ登る石段の途中に構えられています。その名の由来は諸説ありますが、「水」とは天守に最も近く、”水際”のような最終防衛ラインを意味しているとも、「井戸(御殿井戸)」が近くにあることから名付けられたともいわれています。
この門を抜けると、いよいよ大天守の入口となる「天守入口玄関(附櫓)」へと到達します。つまり、水の一門は姫路城の全防衛網の”最終チェックポイント”であり、ここを突破されれば本丸中枢への侵入を許す、極めて重要な位置にあります。
住所:兵庫県姫路市本町68(大天守直下・備前丸)
油壁から徒歩約1分(約6m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 門越しに望む大天守:水の一門の少し手前から見上げる天守は、まさに圧巻。記念撮影にも人気の構図です。
- 石垣と通路の狭さ:門の両脇には急峻な石垣が迫り、進入者の動きを物理的にも心理的にも制限します。
水の二門
天守直下の超狭小な最終防衛門

「水の二門(みずのにもん)」は、大天守直下の「備前丸」エリアに設けられた連続門の一つで、天守へ至る最後の数メートルの間に存在する超狭小な通路に配置された”最後の防衛門”のひとつです。「水の一門」に続き、大天守へ迫る敵をさらに分断・排除するために設計されており、姫路城の”最終防衛ライン”の構成要素として極めて重要な役割を担っています。
小規模ながらも、枡形空間の中に設けられた高麗門形式の門で、側面と背後を石垣に囲まれ、敵の行動を強力に制限する構造です。池田輝政の時代(1601〜1609年)に設けられました。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 大天守直下・備前丸)
水の一門から徒歩約1分(約20m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- “最後の一線”の防御門:水の二門をくぐれば、もう目の前は大天守。ここを守りきれば城は落ちない、という意識で設計された門です。
- 圧迫感ある枡形構造:門は狭い通路に挟まれており、上からの視線と射撃が容易な構造です。
二の隅櫓
天守曲輪南西角の防衛跡地

「二の隅櫓(にのすみやぐら)」は、大天守を囲む「天守曲輪(てんしゅくるわ)」の四隅に配された櫓の一つで、天守台の防衛と視界確保の役割を担っていた建物です。その名の通り、「第二の隅」、つまり大天守の南西側の角に位置する櫓とされています。
現在は建物そのものは残っておらず、「跡地」として石垣と基礎構造が確認できる状態ですが、かつてはここに武器の備蓄や見張り、狙撃の拠点として使われる小規模な櫓が存在していました。築造は池田輝政の大改修(1601〜1609年)期です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・天守曲輪内)
水の二門から徒歩約3分(約10m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 石垣上の基礎構造:二の隅櫓の基礎跡が今も残されており、柱の位置や形状から、当時の建築規模を想像できます。
- 防御の視点で見る景色:この櫓跡からは南西方面の視界が開けており、まさに見張り台として最適な立地です。
水の三門
天守玄関口直前の最終関所

「水の三門(みずのさんもん)」は、天守曲輪内、いわば”天守の足元”にあたる位置に設けられていたとされる門で、備前丸からさらに内部へ通じる場所に築かれた「水の一門」「二門」に続く第3の防御門です。門の位置は、大天守の基礎をなす天守台の東南部〜南東部周辺にあり、敵が大天守を目指して最後の通路を進んでくる中で、極めて狭い空間に設けられた”関門中の関門”でした。ここを越えられてしまえば、ついに敵は天守本体の玄関口に到達するという、まさに”天守最後の関所”です。
「水の門」という名は、天守曲輪内に非常時の飲料用として掘られた「御殿井戸」があることや、「水際の戦い=最終段階の防衛戦」を意味する暗喩として付けられたとも考えられています。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 備前丸・天守台周辺)
二の隅櫓から徒歩約1分(約20m)
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 大天守の”直前”の関門:水の三門を越えると、天守台入口(附櫓)が目前。姫路城における最終迎撃地点のひとつです。
- 極端に狭い通路構造:敵の動きを完全に制限し、上から・横から集中攻撃が可能な設計です。
水の六門
西小天守地階へ通じる鉄板貼りの門

天守へ向かう最後の備え——それが「水の門」群で、最終到達点にあたるのが水の六門。池田輝政が慶長期に進めた大改築で、姫路城は1601年に工事が始まり、1609年に連立式天守が完成しましたが、その完成形の知恵がこの一帯に濃縮されています。水の六門は、水五門をくぐった直後、国宝・西小天守の地階に据えられ、ここから天守群へ入る——まさに「最後の一枚」を引くような門です。柱や扉に鉄板を貼るなど、要所ならではの重装備が語るのは、輝政が描いた”迷わせ、遅らせ、心理を崩す”防御のシナリオです。
| 築造年 | 慶長6年(1601)〜慶長14年(1609)頃(池田輝政の大改築期) |
|---|---|
| 築造者 | 池田輝政(関ヶ原後に姫路城主となり大改築を推進) |
| 構造・特徴 | 天守群直前の最終関門。西小天守地階の出入口として据えられ、柱・扉に鉄板を貼るなど堅固な造り |
| 改修・復元歴 | 「明治の大修理」(1910〜1911年)の修理対象に「水の六門」が含まれる |
| 文化財指定 | 姫路城は国宝・特別史跡で、世界文化遺産にも登録(1993年)。水の門は「水一門〜水四門」が重要文化財 |
住所:〒670-0012 兵庫県姫路市本町68(姫路城内)
備前門から徒歩約1分(約120m)
短時間での見どころ:約2分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- “天守群の入口”という緊張感:水五門の直後、西小天守地階に現れる門。ここを越える瞬間、攻城の物語が一気にクライマックスへ。
- 鉄板貼りの防御ディテール:柱や扉を鉄板で覆う重装備が、重要地点であることを無言で伝えます。
姫路城大天守
国宝・世界遺産の象徴、白鷺城

「姫路城大天守(ひめじじょう だいてんしゅ)」は、白鷺城(しらさぎじょう)の名で親しまれる姫路城の象徴であり、日本を代表する城郭建築の粋を極めた存在です。高さ約31.5メートル(石垣含め約46.4メートル)を誇る5層6階構造の木造建築は、築城当時のまま現存する極めて貴重な天守であり、国宝および世界遺産にも登録されています。
この大天守は、1601年から1609年にかけて池田輝政によって大改修された際に築かれたもので、豊臣秀吉が築いた3層の天守跡を土台にしつつ、より壮麗かつ防御力に優れた構造へと拡張されました。外観の白漆喰壁が優雅な印象を与える一方で、内部には石落としや狭間、急階段など、防衛を意識した数多くの軍事的要素が組み込まれています。大天守の最上階からは、姫路市街を一望できます。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 大天守)
水の六門の奥から中へ
短時間での見どころ:約30分/じっくり観光するなら:約60〜90分
見どころ- 白鷺のような外観:白漆喰の美しい壁と千鳥破風・唐破風のリズムある屋根構成が、まるで羽を広げた白鷺のような印象を与えます。
- 六階建ての内部構造:最上階には西国一円を見渡す展望と、城主守護の「刑部神社」が祀られており、神聖な空気が漂います。
刑部神社
天守最上階に鎮座する守護神

「刑部神社(おさかべじんじゃ)」は、大天守の最上階(6階)に鎮座する小さな祠(ほこら)で、姫路城の守護神として古くから信仰されてきた存在です。「刑部(おさかべ)」とは、姫路地域に伝わる地霊・土地神の一柱とされ、地元では「おさかべさま」として親しまれてきました。
この神社の起源は定かではありませんが、一説には姫路城築城以前からこの地に祀られていた古社の御神霊を、大天守最上階に勧請したとされ、城の安全・火災除け・勝運・五穀豊穣を司る神と伝えられています。城の天守に神社が祀られるのは全国的にも非常に珍しく、姫路城の「神聖さ」と「戦の場」としての両面性を象徴する存在でもあります。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 大天守最上階)
天守閣の最上階にあり
短時間での見どころ:約3分/じっくり観光するなら:約10分
見どころ- 木製の小祠:天守最上階の北西側に祀られた、小さくも神聖な社。瓦葺きの屋根とシンプルな木の構造が印象的です。
- 静謐な空気と眺望の融合:神社の周囲からは姫路の町を一望でき、歴史と信仰、自然と建築が一体となった空間です。
乾小天守
連立式天守の一翼をなす国宝小天守

乾小天守(いぬいこてんしゅ)は、大天守の西北=”乾(いぬい)=北西”方角に位置する三重三階の小天守で、国宝かつ現存する連立式天守の一部です。大天守とは「イの渡櫓」で連結されており、姫路城の”連立式天守”という独自の構造美と防御性を象徴する存在となっています。
単なる”付属の塔”ではなく、内部には狭間(さま)や石落とし、急階段などが完備されており、独立した戦闘拠点としての機能を十分に備えています。築造は池田輝政による大改修(1601〜1609年)の時代です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・天守曲輪内)
天守閣内から入場
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 三重三階の重厚な造り:大天守よりコンパクトながら、天守と同じ高品質な建築技術で築かれ、屋根の曲線も美しい仕上がりです。
- イの渡櫓との連携構造:渡櫓で繋がることで、攻め込まれても小天守に撤退・反撃ができる”連携防御”が実現しています。
ロの渡櫓
大天守と乾小天守を結ぶ戦う渡り廊下

ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)は、大天守と乾小天守(西小天守)を結ぶ渡り廊下形式の櫓で、姫路城が世界に誇る「連立式天守」の構造的・戦略的中核を担っています。名称の「ロ」は、江戸時代の建築図や修理台帳などで用いられた仮名順による識別記号です。
この渡櫓は単なる通路ではなく、実戦を想定して設計された”防御施設”でもあることが最大の特徴です。内部には鉄砲狭間(さま)や石落とし、射撃用の窓などが完備されており、万が一、大天守に敵が侵入しても、この渡櫓を閉じて小天守に撤退・反撃することができるようになっています。池田輝政による築城(1601〜1609年)で整備された構造です。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城・天守曲輪内)
天守閣内から入場
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 防御機能付きの渡り櫓:単なる連絡通路ではなく、狭間や石落としによる戦闘構造が備えられた”攻める通路”です。
- 連立天守の心臓部:ロの渡櫓によって、大天守と乾小天守が一体化し、防衛機能と美観を高める巧妙な構造となっています。
東小天守
天守曲輪東側を守る国宝小天守

東小天守(ひがしこてんしゅ)は、大天守と連結する三重三階の小天守で、天守曲輪の東側を防衛する要として築かれました。西の乾小天守と対をなす配置で、姫路城の”連立式天守”という画期的な構造美と軍略構造を完成させるピースの一つです。
池田輝政による大改修(1601〜1609年)で築かれたこの東小天守は、大天守と「ハの渡櫓」で結ばれた防御・連絡拠点であり、戦時には物資の補給・退避・再攻撃が可能な独立機能を持つ建物でした。現在は国宝として保存され、姫路城全体の均整美と立体構造を支える重要な役割を担っています。
住所:兵庫県姫路市本町68(姫路城 天守曲輪 東側)
天守閣内から入場
短時間での見どころ:約5分/じっくり観光するなら:約15分
見どころ- 連立式天守の一翼:大天守、乾小天守、東小天守の三基で形成される立体的な美しさと防御線の連携は圧巻です。
- ハの渡櫓との繋がり:細長い渡櫓を通って東小天守に入る構造は、攻撃されにくい造りで、堅牢さを実感できます。
FAQ
建物自体の高さは約31.5メートル、石垣を含めると約46.4メートルです。5層6階構造の木造建築で、築城当時のまま現存しています。
「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」と続く連続する門と枡形(ますがた)が、敵の進軍を意図的に迷わせ、分断・遅延させる”迷路型防御”を形成しているためです。池田輝政による大改修(1601〜1609年)で完成しました。
大天守内部の見学を含めると、エリア3全体でおよそ90分〜2時間を見込んでください。
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