- ① 大手門エリア
- ② 富士見櫓エリア
- ③ 本丸エリア(このページ)
- ④ 二の丸エリア
- ⑤ 城外エリア
- ▶ 全体ガイドに戻る
富士見櫓エリアを抜けると、いよいよ江戸城の心臓部——本丸エリアに入ります。かつて将軍が政務を執り、大奥が置かれ、徳川幕府260年の権威を体現した場所です。
このエリアのハイライトは3つ。天守台跡——上に登れる高さ約11mの石垣から城内を一望できます。富士見多聞——江戸城に現存する唯一の多聞(武器庫)。そして天守復元模型——1657年に焼失し二度と再建されなかった幻の天守を1/30スケールで見られる展示です。
本丸エリア
富士見多聞・石室・本丸跡・天守復元模型・台所前三重櫓跡・天守台跡・北桔橋門と、7つのスポットが続きます。江戸城の遺構として最も密度が高く、見応えのあるエリアです。
富士見多聞
江戸城唯一の現存多聞——将軍が富士と海を眺めた長屋造りの武器庫
富士見多聞(ふじみたもん)は、江戸城本丸の西側に位置する江戸城に現存する唯一の多聞(長屋造りの武器庫)です。多聞は城郭の石垣上に建てられ、防御と武器収蔵を兼ねた施設で、富士見多聞は万治2年(1659年)に松平忠昌(福井藩主)によって再建されました。
かつてはこの多聞から将軍が富士山や品川の海を眺めたと伝えられており、その名の由来となっています。内部は通常非公開ですが、石垣上に建つ長屋造りの構造は外観から十分に観察できます。下に広がる高さ約19メートルの石垣は本丸エリアでも屈指の壮観です。
📜 史跡データ詳細
| 築造年(再建) | 1659年(万治2年) |
|---|---|
| 築造者 | 松平忠昌(福井藩主) |
| 構造・特徴 | 石垣上に建てられた長屋造りの武器庫(多聞)。高さ約19mの石垣上に立つ。 |
| 改修・復元歴 | 1657年(明暦3年)の大火で焼失後再建。1925年(大正14年)に関東大震災後復旧。1968年(昭和43年)に解体修理。 |
| 現存状況 | 現存(江戸城唯一の多聞) |
| 文化財指定 | 要確認 |
👀 見どころ
- 江戸城唯一の現存多聞:富士見櫓と並ぶ、江戸城に現存する貴重な建築物。「多聞」という形式は全国の城郭でも見られますが、江戸城ではここだけです。
- 高さ約19メートルの石垣:多聞を支える石垣の高さと規模は本丸エリア最大級。下から見上げると当時の普請規模が伝わります。
- 将軍の眺望スポット:かつてここから富士山と品川の海が見えたとされます。現在は視界が変わっていますが、西方向への開けた視野は残っています。
- 内部は非公開:通常は外観のみ見学可。特別公開の機会がある場合は宮内庁公式サイトで確認してください。
📌 トリビア
- 松平忠昌の普請:再建を担った松平忠昌は越前福井藩主で、徳川家康の孫にあたります。幕府の城普請を有力大名が担う「天下普請」の仕組みがここでも機能していました。
- 「多聞」の名称の由来:多聞(たもん)とは、石垣や土塁の上に築かれた長屋形式の建物。四天王の一人・多聞天(毘沙門天)に由来するとも、防衛上の「物見(ものみ)」が変化したとも言われています。
地図を開くと、松之大廊下跡から富士見多聞までの位置関係を確認できます。
石室
伊豆石が積まれた防火の蔵——焼痕が残る大奥の避難用石造り蔵
蓮池濠沿いに佇む石室(いしむろ)は、伊豆半島産の安山岩(伊豆石)を隙間なく積み上げた石造りの蔵です。内部は約20平方メートルで、火災時に大奥の調度品や文書類を避難させる蔵として使用されたと考えられています。御金蔵や抜け穴とする説もありますが、場所柄から避難用蔵説が有力です。
外壁には火災の熱による焼け跡が残っており、過去の大火が伊豆石の表面に刻んだ痕跡をじかに見ることができます。江戸城内でも目立たない遺構ですが、歴史の痕跡を最も直接的に感じられるスポットのひとつです。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 伊豆産安山岩(伊豆石)を用いた石造りの蔵。内部約20平方メートル。 |
| 現存状況 | 現存(外壁に焼痕あり) |
| 用途諸説 | 大奥の避難用蔵(有力説)/御金蔵説/抜け穴説 |
| 文化財指定 | 要確認 |
👀 見どころ
- 焼け跡の確認:外壁の伊豆石に残る焼痕は、江戸時代の度重なる大火の証拠。石の変色具合から火災の温度の高さが推測できます。
- 精巧な石組み:伊豆石を隙間なく積み上げた切石造りの構造は、当時の高度な石工技術の表れ。縦横の目地の揃い方を観察すると精度が伝わります。
- 蓮池濠との対比:石室の前に広がる蓮池濠との景観も見どころで、四季を通じて表情が変わります。
📌 トリビア
- 伊豆石の特性:伊豆半島から船で江戸まで運ばれた安山岩は、耐火性に優れ、石垣・石蔵に多用されました。江戸城内で使われた石の多くが伊豆・相州(神奈川)産です。
- 大奥との近接:石室は本丸御殿の大奥の脇に位置しており、緊急時の避難先として大奥の女性たちが使用したと考えられています。
地図を開くと、富士見多聞から石室までの位置関係を確認できます。
本丸跡
徳川幕府の心臓部——広大な芝生の下に眠る「天下の書院」の跡地
現在は広大な芝生が広がる本丸跡は、かつて将軍の居城・本丸御殿が建ち並んでいた場所です。本丸御殿は表御殿・中奥・大奥の三区域に分かれ、表御殿の「大広間」では正月に諸大名が参集し、徳川幕府の権威を体現する空間でした。「天下の書院」と称された本丸御殿は1863年(文久3年)の火災で焼失し、以降再建されることはありませんでした。
地面には本丸御殿の各部屋の区画が示されており、かつての建物の広さと配置を想像しながら歩くことができます。広大な空間のスケール感そのものが、幕府の規模を伝える展示です。
📜 史跡データ詳細
| 消滅年 | 1863年(文久3年)の火災で焼失(最終) |
|---|---|
| 構造(当時) | 表御殿・中奥・大奥の三区域で構成 |
| 主要施設 | 大広間・白書院・黒書院・中奥・大奥など |
| 現存状況 | 跡地のみ。地面に部屋の区画表示あり。 |
| 備考 | 地下に石垣・建物基礎が残存(考古学的調査済み) |
👀 見どころ
- 部屋の区画表示:地面に示された表御殿・大奥などの区画を見ながら歩くと、本丸御殿の規模感が体感できます。「大広間」の広さは特に圧倒的です。
- スケールの体感:広大な芝生のどこを歩いていても御殿の中にいる計算になります。この空間の大きさそのものが展示です。
- 天守台・富士見多聞との連続性:本丸跡から天守台・富士見多聞を見渡すと、本丸御殿を中心とした城の構造が立体的に理解できます。
📌 トリビア
- 火災の歴史:本丸御殿は明暦の大火(1657年)をはじめ度重なる火災で焼失・再建を繰り返しました。最後の焼失は1863年で、幕末の動乱期と重なっていたこともあり、以降再建されませんでした。
- 地下に眠る遺構:芝生の地下には石垣や建物の基礎が残っており、これまでに考古学的な調査が行われています。
- 三代将軍・家光の時代が最盛期:天守台が完成し本丸御殿も整備された家光の時代に、江戸城は最大の規模に達しました。
地図を開くと、石室から本丸跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:本丸跡
江戸城天守復元模型
1/30スケールで蘇る幻の天守——寛永期の壮麗さを精巧に再現した展示模型
本丸休憩所増築棟に常設展示されている天守復元模型は、1657年の明暦の大火で焼失した寛永期の天守(1638年築)を1/30スケールで精巧に再現したものです。2020年(令和2年)9月29日から一般公開が開始されました。
江戸城の天守は慶長・元和・寛永の3期にわたって築かれましたが、現在の模型は最後の寛永期の姿を再現しています。天守台跡に登って「ここに建っていた」と実感した後、この模型を見ると、その規模と壮麗さが具体的に伝わります。
📜 史跡データ詳細
| 公開開始 | 2020年(令和2年)9月29日 |
|---|---|
| 模型の対象 | 寛永期の天守(1638年築・1657年焼失) |
| スケール | 1/30 |
| 展示場所 | 本丸休憩所増築棟(本丸跡内) |
| 現存状況 | 常設展示中 |
| 入場料 | 無料 |
👀 見どころ
- 精巧な1/30模型:白壁・黒瓦・多層構造の天守の細部が精密に再現されており、「焼失前の江戸城はこうだった」という具体的なイメージを得られます。
- 天守台跡との組み合わせ:先に天守台跡に登ってから模型を見る(または逆順)と、実際の台とその上に建っていた建物の関係が立体的に理解できます。
- 休憩所の利用:模型展示室に隣接した休憩所で水分補給や資料閲覧もできます。
📌 トリビア
- 3代の天守:慶長期(1607年)・元和期(1623年)・寛永期(1638年)と3度にわたって建て替えられた天守。寛永期が最大規模で、地上5層・地下1層、高さ約58メートルに達したとされています。
- 保科正之の一言:焼失後の再建を断念させた一言「天守は武威の象徴に過ぎず、民の苦しみを省みるべき」は、徳川4代将軍・家綱の補佐を務めた保科正之(家光の弟)によるものとされています。
地図を開くと、本丸跡から天守復元模型までの位置関係を確認できます。
台所前三重櫓跡
二の丸庭園を一望する石垣の展望台——1863年の大火で失われた三重の櫓跡
本丸の東側に位置する台所前三重櫓跡は、1863年(文久3年)の火災で焼失した三重の櫓の跡地です。現在は石垣が残り、上部が展望台として整備されています。石垣上からは二の丸庭園・白鳥濠が一望でき、都心の高層ビル群と江戸時代の庭園が重なる独特の景観を楽しめます。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 三重の櫓跡。石垣上部は展望台として整備済み。 |
| 現存状況 | 石垣が現存 |
| 消滅・損壊 | 1863年(文久3年)の大火で焼失 |
| 文化財指定 | 要確認 |
👀 見どころ
- 展望台からの眺望:二の丸庭園・白鳥濠・北の丸方面を見渡せる本丸エリア屈指の展望スポット。石垣の高さから眺めると城の規模が体感できます。
- 現代と歴史の対比:眼下の二の丸庭園の奥に都心の高層ビル群が見える景観は、江戸時代と現代が重なる印象的な構図です。
- 春の桜:周辺の桜の季節は石垣と花のコントラストが特に美しいです。
📌 トリビア
- 台所との位置関係:「台所前」の名称が示す通り、かつての本丸御殿の台所(調理場)に隣接した位置に立っていた櫓です。幕府の日常的な場所を守る役割を担っていました。
地図を開くと、天守復元模型から台所前三重櫓跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:台所前三重櫓跡
天守台跡
幻の天守がそびえた高さ11メートルの石垣——保科正之の一言で再建を断念した江戸城の象徴
本丸エリアの最大の見どころが天守台跡です。高さ約11メートル、幅約41メートルの巨大な石垣は、1606年(慶長11年)に徳川家康が築いたもの。1657年の明暦の大火で天守は焼失し、その後再建されることなく現在に至ります。
天守台の上部には登ることができます。高さ約11メートルの石垣上から見渡す皇居東御苑・北の丸・都心の景色は、このエリアでもっとも開けた眺望スポットです。かつてここに高さ約58メートルの天守がそびえていたことを想像しながら立つ体験は格別です。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 1606年(慶長11年) |
|---|---|
| 築造者 | 徳川家康 |
| 構造・特徴 | 高さ約11メートル、幅約41メートルの石垣。上部への登頂可能。 |
| 天守の規模 | 寛永期天守:地上5層・地下1層、高さ約58メートル(推定) |
| 現存状況 | 石垣が現存(天守は1657年焼失・未再建) |
| 文化財指定 | 要確認 |
👀 見どころ
- 登頂体験:天守台上部への登頂は本丸エリアで最もおすすめの体験。上からの眺望は東御苑内でも屈指の開放感があります。
- 石垣の刻印石:天守台の石垣には、普請を担当した大名家が石を運んだ証として刻んだ「刻印」が各所に見られます。探しながら歩くと楽しさが増します。
- 石垣の規模感:高さ約11m・幅約41mという石垣の寸法を間近で見ると、寛永期天守(高さ約58m)を乗せるために必要だった基盤の大きさが伝わります。
- 天守復元模型との連携:天守台に登った後、休憩所の1/30模型を見ると「あの台の上にこれが建っていた」というイメージが具体化します。
📌 トリビア
- 保科正之の進言:天守再建計画に対し「天守は武威の象徴に過ぎず、民の苦しみを省みるべき」と進言した保科正之は、家光の異母弟にして会津藩主。その一言が幕府の方針を転換させ、天守は以後一度も再建されませんでした。
- 刻印石の種類:星・丸・文字・家紋など、大名家によって異なる刻印が石に刻まれています。加賀前田家・薩摩島津家など有力大名の刻印が確認されています。
地図を開くと、台所前三重櫓跡から天守台跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:天守台跡①
パノラマ写真:天守台跡②
北桔橋門
跳ね橋が守った本丸北の要塞門——正面に天守閣を望む江戸城の北端
本丸北端に位置する北桔橋門(きたはねばしもん)は、本丸と北の丸の境界を守った城門です。「桔橋(はねばし)」の名称が示す通り、かつて門前の橋は有事の際に跳ね上げられる構造でした。この門を入ると正面に天守台が望め、江戸城の北側防衛の最前線として機能していました。
現在は皇居東御苑の出入口のひとつとして使われており、門の柱には跳ね橋の滑車を吊るしたとされる金具が残っています。平川濠と乾濠の景観も美しく、エリアの締めくくりにふさわしいスポットです。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明(江戸時代初期と推定) |
|---|---|
| 築造者 | 江戸幕府 |
| 構造・特徴 | 高麗門と枡形を備えた城門。橋はかつて跳ね橋構造だったとされる。 |
| 改修・復元歴 | 1968年(昭和43年)に整備 |
| 現存状況 | 高麗門と橋が現存 |
| 文化財指定 | なし |
👀 見どころ
- 跳ね橋の金具:門柱に残る滑車用の金具は、跳ね橋構造だった証拠。見落とされがちなので意識して探してみてください。
- 平川濠・乾濠の景観:門前に広がる内濠の景観は四季を通じて美しく、特に緑が濃い季節は印象的です。
- 天守台との位置関係:門を入った正面方向に天守台が望めます。江戸時代にはここから実際に天守が見えていたはずです。
📌 トリビア
- 太田道灌との関係:この付近はかつての江戸城(太田道灌が築いた城)の大手(正面)にあたると伝えられており、徳川以前の江戸城の痕跡が感じられる場所でもあります。
- 現在の機能:現在は皇居東御苑の出入口として使われており、竹橋駅(T08)から来る訪問者の入口として機能しています。
地図を開くと、天守台跡から北桔橋門までの位置関係を確認できます。
よくある質問(FAQ)
江戸城跡 全体マップ
本丸エリアは皇居東御苑の中心部に位置します。北桔橋門から出ると二の丸エリア・城外エリアへ向かえます。全体の位置関係はマップでご確認ください。
江戸城跡 関連記事
次のエリア:二の丸エリア

前のエリア:富士見櫓エリア

江戸城跡 全体ガイド(目次)

メインページに戻る

※ 開園時間・休園日は変更になる場合があります。訪問前に宮内庁公式サイトでご確認ください。
※ このページは Following The Shogun〜将軍の遺響〜 が作成した歴史観光ガイドです。
comment