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- ④ 二の丸エリア
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富士見櫓エリアを抜けると、いよいよ江戸城の心臓部——本丸エリアに入ります。かつて将軍が政務を執り、大奥が置かれ、徳川幕府260年の権威を体現した場所です。
このエリアのハイライトは3つ。天守台跡——上に登れる高さ約11mの石垣から城内を一望できます。富士見多聞——江戸城に現存する唯一の多聞(武器庫)。そして天守復元模型——1657年に焼失し二度と再建されなかった幻の天守を1/30スケールで見られる展示です。
本丸エリア
富士見多聞・石室・本丸跡・天守復元模型・台所前三重櫓跡・天守台跡・北桔橋門と、7つのスポットが続きます。江戸城の遺構として最も密度が高く、見応えのあるエリアです。
富士見多聞
江戸城唯一の現存多聞——本丸西側を守った長屋造りの武器庫
富士見多聞(ふじみたもん)は、江戸城本丸の西側に位置する江戸城に現存する唯一の多聞です。多聞とは、石垣上などに建てられた長屋状の櫓で、防御の拠点であるとともに、武器などを収める倉庫としての役割もありました。本丸にあった多聞のうち、現在残るものはこの富士見多聞だけです。
富士見多聞は、本丸西側の石垣上に建つ長屋状の多聞櫓です。多聞は、濠を渡ったり石垣を登ってこようとする攻め手に対して、細い窓から鉄砲や弓矢などで攻撃するための拠点であり、武器などを収める倉庫としての役割もありました。蓮池濠側から見上げる石垣は高く、江戸城本丸の防御構造を実感できる見どころです。
📜 史跡データ詳細
| 建築形式 | 本丸西側の石垣上に建つ長屋状の多聞。 |
|---|---|
| 役割 | 攻撃拠点であるとともに、武器などを収める倉庫としての役割を持った建物です。 |
| 構造・特徴 | 石垣上に建てられた長屋状の多聞。蓮池濠側から見上げる石垣が見どころです。 |
| 現存状況 | 現存(江戸城に現存する唯一の多聞) |
| 文化財指定 | 特別史跡「江戸城跡」の範囲に含まれる遺構です。個別建造物としての指定有無は公式情報で要確認。 |
👀 見どころ
- 江戸城唯一の現存多聞:本丸にあった多聞のうち、現在残るものは富士見多聞だけです。長屋状の外観から、防御と武器収蔵を兼ねた建物の役割を想像できます。
- 石垣上に建つ長屋造り:蓮池濠側から見上げると、石垣上に建つ多聞の防御施設としての性格がよく分かります。
- 内部見学:現在は内部を見学できます。長屋状の空間や細い窓の構造を間近で確認すると、防御拠点・武器庫としての役割がより実感できます。
📌 トリビア
- 多聞の役割:多聞は、石垣や土塁の上に築かれた長屋状の建物で、防御拠点であるとともに、武器などを収める倉庫としても機能しました。
- 「多聞」の名称の由来:多聞(たもん)とは、石垣や土塁の上に築かれた長屋形式の建物。四天王の一人・多聞天(毘沙門天)に由来するとも、防衛上の「物見(ものみ)」が変化したとも言われています。
🗺 住所
東京都千代田区千代田1-1
🚶 アクセス
松之大廊下跡から徒歩約1分(約100m)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約30分
💴 入園料
無料。現在は内部見学もできます。公開状況は変更される場合があるため、訪問時は現地案内もご確認ください。
地図を開くと、松之大廊下跡から富士見多聞までの位置関係を確認できます。
石室
伊豆石が積まれた石造りの蔵——用途に諸説が残る非常時の避難施設
蓮池濠沿いに佇む石室(いしむろ)は、伊豆半島産の安山岩(伊豆石)を隙間なく積み上げた石造りの蔵です。内部は約20平方メートルで、用途については、抜け穴説や御金蔵説など複数の説があります。宮内庁や千代田区観光協会では、江戸時代にこの付近に大奥があったことから、火災など非常時に大事な品を避難させる場所だったと考えられる、と説明されています。
外壁には火災の熱による焼け跡が残っており、過去の大火が伊豆石の表面に刻んだ痕跡をじかに見ることができます。江戸城内でも目立たない遺構ですが、歴史の痕跡を最も直接的に感じられるスポットのひとつです。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 伊豆産安山岩(伊豆石)を用いた石造りの蔵。内部約20平方メートル。 |
| 現存状況 | 現存(外壁に焼痕あり) |
| 用途諸説 | 抜け穴説、御金蔵説などがありますが、火災など非常時に大事な品を避難させる場所だったと考えられると説明されています。 |
| 文化財指定 | 特別史跡「江戸城跡」の範囲に含まれる遺構です。個別建造物としての指定有無は公式情報で要確認。 |
👀 見どころ
- 焼け跡の確認:外壁の伊豆石に残る焼痕は、江戸時代の度重なる大火の証拠。石の変色具合から火災の温度の高さが推測できます。
- 精巧な石組み:伊豆石を隙間なく積み上げた切石造りの構造は、当時の高度な石工技術の表れ。縦横の目地の揃い方を観察すると精度が伝わります。
- 蓮池濠との対比:石室の前に広がる蓮池濠との景観も見どころで、四季を通じて表情が変わります。
📌 トリビア
- 伊豆石の特性:伊豆半島から船で江戸まで運ばれた安山岩は、耐火性に優れ、石垣・石蔵に多用されました。江戸城内で使われた石の多くが伊豆・相州(神奈川)産です。
- 大奥との近接:石室は、江戸時代に大奥があったとされる区域の近くに位置します。そのため、火災などの非常時に大切な品を避難させる場所だった可能性があると説明されています。
地図を開くと、富士見多聞から石室までの位置関係を確認できます。
本丸跡
徳川幕府の心臓部——広大な芝生の下に眠る「天下の書院」の跡地
現在は広大な芝生が広がる本丸跡は、かつて将軍の居城・本丸御殿が建ち並んでいた場所です。本丸御殿は表御殿・中奥・大奥の三区域に分かれ、表御殿の「大広間」では正月に諸大名が参集し、徳川幕府の権威を体現する空間でした。「天下の書院」と称された本丸御殿は1863年(文久3年)の火災で焼失し、以降再建されることはありませんでした。
現在の本丸跡は、広大な芝生広場として整備されています。ここに本丸御殿が建ち並んでいたことを、案内板や資料を手がかりに想像しながら歩くと、徳川幕府の中枢空間の規模を実感できます。広大な空間のスケール感そのものが、本丸跡の大きな見どころです。
📜 史跡データ詳細
| 消滅年 | 1863年(文久3年)の火災で焼失(最終) |
|---|---|
| 構造(当時) | 表御殿・中奥・大奥の三区域で構成 |
| 主要施設 | 大広間・白書院・黒書院・中奥・大奥など |
| 現存状況 | 本丸御殿の建物は現存せず、現在は本丸大芝生として整備されています。 |
| 備考 | 江戸時代の江戸城本丸だった場所で、宮内庁では面積約13万平方メートルと説明されています。 |
👀 見どころ
- 案内板や資料を手がかりに歩く:現在は広大な芝生広場ですが、かつてここに本丸御殿が建ち並んでいたことを想像しながら歩くと、本丸の規模感が伝わります。
- スケールの体感:広大な芝生の開放感そのものが、本丸跡の大きな見どころです。徳川幕府の中枢が置かれた空間の広さを実感できます。
- 天守台・富士見多聞との連続性:本丸跡から天守台・富士見多聞を見渡すと、本丸御殿を中心とした城の構造が立体的に理解できます。
📌 トリビア
- 火災の歴史:本丸御殿は明暦の大火(1657年)をはじめ度重なる火災で焼失・再建を繰り返しました。最後の焼失は1863年で、幕末の動乱期と重なっていたこともあり、以降再建されませんでした。
- 徳川幕府の中枢空間:本丸御殿には、表御殿・中奥・大奥などが置かれ、政務・儀礼・将軍の生活を支える空間が広がっていました。
- 三代将軍・家光の時代が最盛期:天守台が完成し本丸御殿も整備された家光の時代に、江戸城は最大の規模に達しました。
地図を開くと、石室から本丸跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:本丸跡
江戸城天守復元模型
1/30スケールで蘇る幻の天守——寛永期の壮麗さを精巧に再現した展示模型
本丸休憩所増築棟に常設展示されている天守復元模型は、1657年の明暦の大火で焼失した寛永期の天守(1638年築)を1/30スケールで精巧に再現したものです。2020年(令和2年)9月29日から一般公開が開始されました。
江戸城の天守は慶長・元和・寛永の3期にわたって築かれましたが、現在の模型は最後の寛永期の姿を再現しています。天守台跡に登って「ここに建っていた」と実感した後、この模型を見ると、その規模と壮麗さが具体的に伝わります。
📜 史跡データ詳細
| 公開開始 | 2020年(令和2年)9月29日 |
|---|---|
| 模型の対象 | 寛永期の天守(1638年築・1657年焼失) |
| スケール | 1/30 |
| 展示場所 | 本丸休憩所増築棟(本丸跡内) |
| 展示状況 | 本丸休憩所増築棟で常設展示。見学は皇居東御苑の公開日・公開時間に準じます。 |
| 入園料 | 無料 |
👀 見どころ
- 精巧な1/30模型:白壁・黒瓦・多層構造の天守の細部が精密に再現されており、「焼失前の江戸城はこうだった」という具体的なイメージを得られます。
- 天守台跡との組み合わせ:先に天守台跡に登ってから模型を見る(または逆順)と、実際の台とその上に建っていた建物の関係が立体的に理解できます。
- 休憩所の利用:模型展示室に隣接した休憩所で水分補給や資料閲覧もできます。
📌 トリビア
- 3代の天守:慶長期(1607年)・元和期(1623年)・寛永期(1638年)と3度にわたって建て替えられた天守。寛永期が最大規模で、地上5層・地下1層、高さ約58メートルに達したとされています。
- 保科正之の一言:焼失後の再建を断念させた一言「天守は武威の象徴に過ぎず、民の苦しみを省みるべき」は、徳川4代将軍・家綱の補佐を務めた保科正之(家光の弟)によるものとされています。
地図を開くと、本丸跡から天守復元模型までの位置関係を確認できます。
台所前三重櫓跡
二の丸庭園を一望する石垣の展望台——1863年の大火で失われた三重の櫓跡
本丸の東側に位置する台所前三重櫓跡は、1863年(文久3年)の火災で焼失した三重の櫓の跡地です。現在は石垣が残り、上部が展望台として整備されています。石垣上からは二の丸庭園・白鳥濠が一望でき、都心の高層ビル群と江戸時代の庭園が重なる独特の景観を楽しめます。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 三重の櫓跡。石垣上部は展望台として整備済み。 |
| 現存状況 | 石垣が現存 |
| 消滅・損壊 | 1863年(文久3年)の大火で焼失 |
| 文化財指定 | 特別史跡「江戸城跡」の範囲に含まれる遺構です。個別建造物としての指定有無は公式情報で要確認。 |
👀 見どころ
- 展望台からの眺望:二の丸庭園・白鳥濠・北の丸方面を見渡せる本丸エリア屈指の展望スポット。石垣の高さから眺めると城の規模が体感できます。
- 現代と歴史の対比:眼下の二の丸庭園の奥に都心の高層ビル群が見える景観は、江戸時代と現代が重なる印象的な構図です。
- 春の桜:周辺の桜の季節は石垣と花のコントラストが特に美しいです。
📌 トリビア
- 台所との位置関係:「台所前」の名称が示す通り、かつての本丸御殿の台所(調理場)に隣接した位置に立っていた櫓です。幕府の日常的な場所を守る役割を担っていました。
地図を開くと、天守復元模型から台所前三重櫓跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:台所前三重櫓跡
天守台跡
幻の天守がそびえた高さ11メートルの石垣——保科正之の一言で再建を断念した江戸城の象徴
本丸エリアの最大の見どころが天守台跡です。江戸城の天守は慶長期・元和期・寛永期の3度にわたって築かれましたが、寛永期の天守は明暦3年(1657)の大火で焼失しました。現在残る天守台は、その翌年に加賀藩前田家の普請によって築かれたものとされ、東西約41メートル、南北約45メートル、高さ約11メートルの石積みが残っています。
天守台の上部には登ることができます。高さ約11メートルの石垣上から見渡す皇居東御苑・北の丸・都心の景色は、このエリアでもっとも開けた眺望スポットです。かつてここに高さ約58メートルの天守がそびえていたことを想像しながら立つ体験は格別です。
📜 史跡データ詳細
| 現在の天守台 | 明暦3年(1657)の大火で寛永期天守が焼失した後、翌年に加賀藩前田家の普請によって築かれたものとされています。 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 東西約41メートル、南北約45メートル、高さ約11メートルの石積み。上部へ登ることができます。 |
| 天守の歴史 | 江戸城には慶長期・元和期・寛永期の3度にわたって天守が築かれました。最後の寛永期天守は明暦3年(1657)の大火で焼失し、その後再建されませんでした。 |
| 天守の規模 | 寛永期天守:地上5層・地下1層、高さ約58メートル(推定) |
| 現存状況 | 石垣が現存(天守は1657年焼失・未再建) |
| 文化財指定 | 特別史跡「江戸城跡」の範囲に含まれる遺構です。個別建造物としての指定有無は公式情報で要確認。 |
👀 見どころ
- 登頂体験:天守台上部への登頂は本丸エリアで最もおすすめの体験。上からの眺望は東御苑内でも屈指の開放感があります。
- 石垣の刻印石:天守台の石垣には、普請を担当した大名家が石を運んだ証として刻んだ「刻印」が各所に見られます。探しながら歩くと楽しさが増します。
- 石垣の規模感:高さ約11m・幅約41mという石垣の寸法を間近で見ると、寛永期天守(高さ約58m)を乗せるために必要だった基盤の大きさが伝わります。
- 天守復元模型との連携:天守台に登った後、休憩所の1/30模型を見ると「あの台の上にこれが建っていた」というイメージが具体化します。
📌 トリビア
- 保科正之の進言:天守再建計画に対し「天守は武威の象徴に過ぎず、民の苦しみを省みるべき」と進言した保科正之は、家光の異母弟にして会津藩主。その一言が幕府の方針を転換させ、天守は以後一度も再建されませんでした。
- 刻印石の種類:星・丸・文字・家紋など、大名家によって異なる刻印が石に刻まれています。
地図を開くと、台所前三重櫓跡から天守台跡までの位置関係を確認できます。
パノラマ写真:天守台跡①
パノラマ写真:天守台跡②
北桔橋門
跳ね橋が守った本丸北の要塞門——正面に天守閣を望む江戸城の北端
本丸北端に位置する北桔橋門(きたはねばしもん)は、本丸と北の丸の境界を守った城門です。「桔橋(はねばし)」の名称が示す通り、かつて門前の橋は有事の際に跳ね上げられる構造でした。この門を入ると正面に天守台が望め、江戸城の北側防衛の最前線として機能していました。
現在は皇居東御苑の出入口のひとつとして使われており、門の柱には跳ね橋の滑車を吊るしたとされる金具が残っています。平川濠と乾濠の景観も美しく、エリアの締めくくりにふさわしいスポットです。
📜 史跡データ詳細
| 築造年 | 不明(江戸時代初期と推定) |
|---|---|
| 築造者 | 江戸幕府 |
| 構造・特徴 | 本丸北側を守る門と橋の遺構。橋は有事に跳ね上げる仕組みだったと説明されています。 |
| 現在の状況 | 現在は皇居東御苑の出入口のひとつとして利用されています。千代田区観光協会では、冠木門と橋が残ると案内されています。 |
| 見どころ | 門や橋の構造、平川濠・乾濠の眺め、本丸北側の防御線としての位置関係に注目できます。 |
| 文化財指定 | 特別史跡「江戸城跡」の範囲に含まれる遺構です。個別建造物としての指定有無は公式情報で要確認。 |
👀 見どころ
- 跳ね橋の名残:かつて有事の際に橋を跳ね上げて通行を遮断したとされる構造が、門名に残されています。
- 天守台との位置関係:北桔橋門を入ると正面に天守台が見え、本丸北側の守りの重要性が実感できます。
- 平川濠と乾濠の景観:門周辺からは濠の水面と石垣をあわせて見ることができ、城郭らしい景観が楽しめます。
📌 トリビア
- 北の守り:北桔橋門は本丸北側を守る重要な門でした。現在は皇居東御苑の出入口として利用され、竹橋駅方面への動線としても便利です。
地図を開くと、天守台跡から北桔橋門までの位置関係を確認できます。
よくある質問(FAQ)
江戸城跡 全体マップ
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