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安土城の摠見寺跡を歩く|三重塔・二王門・本堂跡

安土城跡・摠見寺エリア

安土城の摠見寺跡を歩く|三重塔・二王門・本堂跡

安土城は1582年に焼失した「幻の城」ですが、摠見寺は主郭部焼失では類焼を免れました。しかし1854年の火災で本堂などの主要伽藍を失い、旧境内には三重塔と二王門が残りました。室町建築のこの2棟を、現地訪問にもとづいて詳しくご案内します。

エリア摠見寺エリア(4スポット)
重要文化財2棟現存(三重塔・二王門)
三重塔 建立享徳3年(1454年)
所要時間約20〜40分
現地訪問済み:2024年4月・2025年4月を含む5回以上の現地登城をもとにした一次情報です。

安土城は1582年に焼失した「幻の城」ですが、その城内に建てられた摠見寺(そうけんじ)は1582年の主郭部焼失では類焼を免れました。しかし1854年の火災で本堂などの主要伽藍を失い、旧境内には室町時代に建立された三重塔(享徳3年・1454年)と二王門(元亀2年・1571年)が残りました。どちらも国の重要文化財に指定されており、安土城跡の中で「実際の建物として残っているもの」という点でほかのすべての石垣・礎石遺構とは一線を画します。詳しくは摠見寺公式サイトもあわせてご覧ください。

このページでは、本堂跡・重要文化財2棟(三重塔・二王門)・竈跡の合計4スポットを詳細データ・現地体験付きでご案内します。天主台から摠見寺ルートで下山する際に通りますので、疲れた足で通り過ぎず、ぜひ足を止めてじっくりご覧ください。

このエリアの最大の特徴:旧境内に残る三重塔と二王門は、安土城築城期に城内へ移された木造建築です。石垣と礎石が中心の城跡を歩いたあとに実際の建物が現れるため、ひときわ強い印象を残します。

摠見寺は信長が安土城内に建立した寺院です。境内の建物は1582年の主郭部焼失では類焼を免れましたが、1854年の火災で本堂・方丈・書院・庫裡など主要な建物の多くを失い、現存するのは三重塔と二王門のみとなりました。現在の仮本堂は昭和初期(1932〜33年)に大手道沿いの伝・徳川家康邸跡へ再建されたものです。

国指定史跡

摠見寺本堂跡

信長の菩提寺として築かれた旧本堂── 礎石が語る焼失前の伽藍

安土城跡の摠見寺本堂跡に残る礎石と平坦地

主郭部から西へ進むと、木立の中に広い平坦地が現れ、本堂の礎石が並んでいます。ここが、かつて安土城内に置かれていた摠見寺の旧本堂跡です。摠見寺は信長が安土城を築く際、各地から堂宇を移して建立し、自らの菩提寺としたと伝わります。1582年の落城後も寺は存続しましたが、嘉永7年(1854年)の火災で本堂をはじめとする主要な建物を失いました。平成6年度の発掘調査では本堂・拝殿・鎮守社などの建物跡が確認され、後に豊臣秀頼が建立した書院・庫裏の跡も見つかっています。本堂そのものは残っていませんが、礎石の並びから城内に本格的な寺院が置かれていたことがうかがえます。

摠見寺旧境内の建物配置を色分けして示した平面図です。
礎石と石列が残る摠見寺本堂跡。木立の向こうに琵琶湖方面の眺望が開けています。
桜の木に囲まれた摠見寺本堂跡の平坦面。低い石垣と礎石が残っています。
石段の正面から見た摠見寺本堂跡。石垣の上に建物跡の平坦面が広がります。
摠見寺本堂跡付近から望む湖と山並み。眼下に安土の町並みが見えます。
摠見寺本堂跡付近から木々越しに望む琵琶湖方面の景観です。
杉林の中を摠見寺の建物へ向かって上る石段です。

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  • 本堂の礎石群:広い平坦地に礎石が並び、本堂が建っていた範囲をたどることができます。建物は残っていませんが、礎石から旧本堂のおおよその規模がわかります。
  • 旧境内からの眺望:旧境内の西側には、西の湖や周辺の景色を望める場所があります。天候や樹木の状態によって見え方は変わります。
  • 6月2日の信長忌:毎年6月2日には、摠見寺仮本堂で織田信長の菩提を弔う法要が営まれます。参列方法や拝観条件は変わる場合があるため、事前に公式案内をご確認ください。
🔍 現地で確認できたこと:三重塔・二王門を見たあとに旧境内の奥へ回ると、木立の間に礎石が並ぶ広い平坦地が現れます。案内板がなければ通り過ぎてしまいそうな静かな場所ですが、礎石の広がりを前にすると、かつてここに本格的な伽藍があったことが実感できます。

石碑・礎石をひと通り眺めるだけなら数分程度です。この地点単独の公式な所要時間の案内はありませんが、三重塔・二王門とあわせて見学するのがおすすめです。

🗺 住所:〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6371(安土城跡内)
🚶 アクセス:三重塔・二王門から続く旧境内の奥に位置します。

おすすめ度:歴史的価値:★★★ / 視覚的魅力:★★ / 体験的価値:★★

築造年天正4年(1576年)の安土城築城時と伝わります。
築造者織田信長。安土城築城時に、各地から複数の堂宇を移して建立したと伝わります。
構造・特徴南向きの本堂を中心に、前方へ三重塔と鐘楼、本堂脇に鎮守社と拝殿を配した伽藍でした。現在は本堂の礎石と平坦地が残っています。
改修・復元歴後に豊臣秀頼が、本堂の西側に書院や庫裏などを建立しました。平成6年度に旧境内の発掘調査が行われましたが、本堂の建物は復元されていません。
現存状況本堂は残っておらず、礎石、平坦地、周辺の石組みを見ることができます。旧境内には三重塔と二王門が現存しています。
消滅・損壊1582年の安土城焼失後も寺は存続しましたが、嘉永7年(1854年)の火災で本堂などの主要な建物を失いました。
文化財指定国の特別史跡「安土城跡」の範囲内です。摠見寺本堂跡単独の文化財指定は確認できませんでした。
備考旧境内に残る三重塔と二王門は、いずれも国の重要文化財です。現在の摠見寺仮本堂は、大手道沿いの伝徳川家康邸跡にあります。

目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと

目に見えるもの本堂の礎石と広い平坦地、周辺の石組み
発掘・記録でわかったこと平成6年度の発掘調査で本堂・拝殿・鎮守社などの建物跡を確認。後年に豊臣秀頼が建立した書院・庫裏の跡も発見

参照資料・出典

安土城跡発掘調査報告書(平成6年度調査)

豆知識・トリビア

  • 安土城焼失後も残った寺院:摠見寺は1582年の安土城焼失後も存続し、江戸時代を通じて信長の菩提を弔いました。本堂などを失ったのは、それから約270年後の嘉永7年(1854年)です。
  • 百々橋口道と旧境内:旧境内は、城下と城内を結んだ百々橋口道の途中にありました。道は二王門や表門を通り、本堂前から裏門へ続いていたとされています。
  • 現在も残る三重塔と二王門:嘉永7年(1854年)の火災を免れた三重塔と二王門は、現在も旧境内に残っています。どちらも国の重要文化財です。
国指定重要文化財 必見

三重塔

室町時代から生き延びた国の重要文化財── 甲賀から移築された塔

安土城跡 摠見寺 三重塔 1454年建立の国指定重要文化財 室町時代の木造建築

摠見寺の三重塔は、室町時代の1454年(享徳3年)に建立された建物です。もともとは近江国甲賀郡の長寿寺にあったものを、織田信長が安土城築城の際に現在地へ移築したとされています。棟札からこの事実が確認されています。三間三重塔婆で屋根は本瓦葺きという特徴を持ち、国の重要文化財に指定されています。1582年の安土城焼失の際も炎を逃れ、1604年には豊臣秀頼による補修も行われました。570年以上の歴史を持つ建物が今もここに立っています。

新緑の中に立つ摠見寺三重塔。三層の屋根と相輪が青空に映えています。
石垣下から見上げた摠見寺三重塔。石段と塔の全体が縦構図に収まっています。
木々と石垣の間から見上げた摠見寺三重塔。深い軒と木組みが目立ちます。
摠見寺三重塔の初層を間近から見た様子。扉、縁、複雑な軒組を確認できます。
摠見寺三重塔の軒下を見上げた細部。幾重にも組まれた木材と丸瓦が見えます。
摠見寺三重塔の初層と石垣を側面から見た近景。軒組や縁の構造が分かります。

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  • 建立年:享徳3年(1454年)── 安土城築城より120年以上前に建てられた建物です。
  • 甲賀からの移築:もともと甲賀郡の長寿寺にあったものを信長の命で移築。棟札から移築の事実が確認されています。
  • 豊臣秀頼による補修:1604年(慶長9年)に秀頼の命により補修が行われており、江戸時代初期にも大切にされていたことがわかります。
  • 平成の台風被害と修復:平成29年の台風被害後、平成30年秋に修復工事が行われています。
  • 三間三重塔婆・本瓦葺き:室町時代の建築様式をよく残す貴重な塔です。
🔍 現地で確認できたこと:天主台から摠見寺ルートで下山すると、木々の間から、ふいに三重塔が姿を現します。この瞬間が毎回印象的です。礎石しか残っていない城跡の中で、突然570年前の建物が目の前に現れる感覚は、石垣や礎石を見てきた後だからこそ格別です。塔の足元まで近づいて、木組みの細部を間近で確認してみてください。

短時間:約5分 / じっくり:約20分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367
🚶 アクセス:天主台から摠見寺ルートで下山する途中に現れます。入場口からは徒歩約20分。

おすすめ度:歴史的価値:★★★ / 視覚的魅力:★★★ / 体験的価値:★★

建立年享徳3年(1454年・室町時代)
移築天正年間(1575〜76年頃)、信長により甲賀郡・長寿寺から
構造三間三重塔婆・本瓦葺き
補修歴1555年修理、1604年豊臣秀頼による補修、2018年台風後修復
現存状況現地に現存(国の重要文化財)
文化財指定国指定重要文化財

目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと

目に見えるもの三間三重塔婆・本瓦葺きの木造建築
発掘・記録でわかったこと棟札から甲賀郡の長寿寺からの移築が確認。秀頼による補修記録も現存

参照資料・出典

重要文化財指定調書 / 安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア

  • 建立は安土城より120年以上前:1454年建立のこの塔は、安土城の築城(1576年)より120年以上前に建てられたものです。信長はこの古い塔を甲賀から運んで城内に配置しました。
  • 二度の火災を越えて:三重塔は1582年の主郭部焼失を免れ、その後の1854年の火災でも残りました。二度の大きな火災を越えて現在まで立ち続けていることが、この塔の大きな見どころです。
  • 秀頼の補修:1604年には豊臣秀頼による修理が行われました。信長の死から20年以上たった後も、摠見寺の伽藍が維持されていたことがわかります。
国指定重要文化財 必見

二王門

金剛力士像が守る楼門── 信長が甲賀から移した重要文化財

安土城跡 摠見寺 二王門 1571年建立 国指定重要文化財 金剛力士像を安置する楼門

摠見寺の二王門は、元亀2年(1571年)に建立された楼門形式の建物で、国の重要文化財に指定されています。建立者は甲賀武士の山中俊好で、信長の命で安土城内の現在地へ移築されたと伝えられています。入母屋造・本瓦葺きの二層構造で、格子越しに見ることができる金剛力士像(阿形・吽形の一対)も、門とともに国の重要文化財に指定されています。石段の上に立つ二王門は、安土城と摠見寺がたどった二度の火災を越え、現在まで残った貴重な建物です。

長い石段の上に立つ摠見寺仁王門。周囲を新緑の木々に囲まれています。
摠見寺仁王門を斜め前から見た様子。左右の金網越しに仁王像が見えます。
摠見寺仁王門の正面。左右の仁王像の間から、山上へ続く石段が見通せます。

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  • 入母屋造・本瓦葺きの二層構造:室町時代の楼門建築の特徴をよく残しています。
  • 金剛力士像(阿形・吽形):格子の内側に安置されており、格子越しに間近で見ることができます。門と像の両方が国の重要文化財に指定されています。
  • 石階段上に現存:急な石段を上った先に門が建っており、下から見上げる角度が圧倒的です。
  • 甲賀武士・山中俊好の建立:もともと甲賀の武士が建立した門を、信長が移築させたという経緯を持っています。

金剛力士像の頭部内側には、応仁元年(1467年)の造像銘が残ります。二王門より古い像がどのような経緯で門内に安置されたのか、摠見寺の移築の歴史を考える手がかりです(出典:摠見寺公式情報・文化財指定資料)。

🔍 現地で確認できたこと:二王門は石段の下から見上げると、門が空に向かってそびえるように見えてとても迫力があります。金剛力士像は格子越しに見学できます。周囲が暗いと細部まで見えにくいことがありますが、現地の案内に従い、静かに拝観してください。門をくぐって反対側から見ると、また異なる趣があります。

パノラマ写真はこちら(重臣屋敷・二王門編)

短時間:約5分 / じっくり:約20分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:三重塔からさらに石段を下りた先に現れます。摠見寺ルートで下山すると自然に通ります。

おすすめ度:歴史的価値:★★★ / 視覚的魅力:★★★ / 体験的価値:★★

建立年元亀2年(1571年)
建立者甲賀武士・山中俊好
移築天正年間、信長により安土城内へ
構造入母屋造・本瓦葺きの二層楼門
安置像金剛力士像(阿形・吽形)── 像も重要文化財
文化財指定門・金剛力士像ともに国指定重要文化財

目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと

目に見えるもの楼門本体・格子越しの金剛力士像
発掘・記録でわかったこと甲賀郡の武士が建立し信長が移築。門と像の両方が重文指定

参照資料・出典

重要文化財指定調書 / 安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア

  • 二王門という名称:二王とは「仁王」すなわち金剛力士像のことです。門の両脇に力士像を安置していることから「二王門」あるいは「仁王門」と呼ばれます。
  • 安土城焼失後も現存:1582年の安土城焼失の際にも炎を逃れ、450年以上にわたって現地に建ち続けています。
  • 門と像の両方が重文:建物だけでなく内部の金剛力士像も重要文化財に指定されており、セットで見学する価値があります。
国指定史跡

竈跡・枡形虎口

城に暮らした人々の息吹── 戦国の日常を伝える遺構

安土城跡 竈跡 当時の調理設備が残る石組みの遺構 戦国時代の日常生活の痕跡

安土城跡の西側上段郭では、竈跡(かまどあと)が複数確認されています。調理や暖房など日常生活の痕跡として貴重な遺構で、炭や焼け土が入った皿状の凹地も見つかっています。これらは火災の痕跡や、竈を作り替えた際の名残と考えられています。軍事拠点としてのイメージが強い安土城ですが、ここには実際に人々が日常生活を送っていた事実が刻まれています。

「西側上段郭と竈跡」の虎口、礎石建物、井戸・敷石、竈跡などを遺構図と発掘写真で説明する解説板です。
西側上段郭を見渡した景観。低い石列の向こうに斜面と石垣が続いています。
西側上段郭に保存表示された方形の遺構。木枠の内側に石が詰められています。
地表に残る円形の石組み遺構。周囲には建物跡を示す石列が延びています。
西側上段郭の遺構を高い位置から見た全景。保存表示された遺構と石列を確認できます。
石垣で囲まれた安土城の枡形虎口。中央の石段を通って奥の郭へ進む構造です。
枡形虎口を正面から見た様子。左右の石垣の間に低い石段が設けられています。

タップすると拡大できます

  • 竈跡本体:西側上段郭に点在する竈跡は、当時の生活の様子を伝える遺構です。
  • 炭や焼け土の痕跡:発掘調査では、竈跡とともに炭や焼け土を含む凹地が見つかりました。現在は案内板と保存表示を見比べることで、ここに炊事や火を使う生活空間があったことを想像できます。
  • 生活遺構としての希少性:城跡では「攻防の遺構」が注目されがちですが、炊事場跡は城内の日常生活を伝える数少ない遺構のひとつです。
🔍 現地で確認できたこと:摠見寺ルートで下山して城跡を出た直後の右手に位置しています。多くの見学者が通り過ぎてしまいますが、案内板の前に立ってじっくり読むと、城の「軍事拠点」というイメージとは違う日常の側面が見えてきます。

短時間:約5分 / じっくり:約15分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:摠見寺ルートで下山し城跡入場口から出て右手に現れます

おすすめ度:歴史的価値:★★ / 視覚的魅力:★ / 体験的価値:★

年代天正期(1576〜1582年)
発見場所西側上段郭
構造・特徴複数の竈跡、炭・焼け土の入った皿状凹地
現存状況遺構として確認可能
文化財指定国指定特別史跡「安土城跡」

目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと

目に見えるもの竈跡・炭・焼け土の凹地
発掘・記録でわかったこと火災痕跡と竈作り替えの名残、城内での日常生活を証明

参照資料・出典

安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア

  • 生活の場としての城:竈跡の発見により、安土城が単なる軍事拠点ではなく実際の生活の場でもあったことが明らかになっています。
  • 作り替えの痕跡:炭や焼け土の入った皿状の凹地は、火災の痕跡や竈の作り替えの名残とされています。
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よくある質問(FAQ)

短時間で回ると約20分、じっくり見学すると約40分です。三重塔と二王門の2棟の重要文化財を中心に巡るコンパクトなエリアです。天主台から摠見寺ルートで下山する際に自然と通りますので、登城の疲れを感じながらも見落とさずに見学できます。

三重塔・二王門ともに内部への立ち入りはできませんが、外観は間近で見学できます。二王門の金剛力士像は格子越しに見学できます。周囲が暗いと細部まで見えにくいことがありますが、現地の案内に従い、静かに拝観してください。

三重塔は室町時代の享徳3年(1454年)に建立されました。もともと近江国甲賀郡の長寿寺にあったものを、信長が安土城築城の際に現在地へ移築したとされています。棟札からこの事実が確認されています。安土城の築城(1576年)より120年以上前に建てられた建物です。

はい、二王門の格子越しに金剛力士像(阿形・吽形の一対)を見ることができます。門と金剛力士像はともに国の重要文化財に指定されています。周囲が暗いと細部まで見えにくいことがありますが、現地の案内に従い、静かに拝観してください。

特別拝観は摠見寺の仮本堂(徳川家康邸跡に建てられた建物で、大手道エリアに位置します)で不定期に開催されます。別途500円(抹茶・菓子付き)が必要です。摠見寺エリアの三重塔・二王門は入場料に含まれ常時見学可能です。開催日は摠見寺公式サイトでご確認ください。

竈跡は安土城跡の西側上段郭にあります。摠見寺ルートで下山し、城跡入場口から出て右手に位置します。案内板が設置されていますが、多くの見学者が通り過ぎてしまいますので意識して探してみてください。

はい、滋賀県東近江市の超光寺(ちょうこうじ)に、摠見寺の裏門(台所門)が明治12年(1879年)に移築されています。滋賀県指定有形文化財に指定されており、摠見寺の旧裏門を移築した建物として見学できます。詳しくは遺構寺院ガイド(超光寺・西光寺・光澤寺)をご覧ください。

他のエリアへ

大手道エリア詳細ガイド(秀吉邸・利家邸・摠見寺仮本堂ほか7スポット)

主郭部エリア詳細ガイド(黒金門・天主台・信長公本廟ほか10スポット)

遺構が残る寺院3選(超光寺・西光寺・光澤寺)

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安土城跡ガイド2026|入場料・アクセス・見学コース・エリア別の見どころ - Following The Shogun~将軍の遺響~
このページは、安土城跡に2024年4月・2025年4月を含む5回以上登城した筆者が、入場料・所要時間の実測値・大手道や主郭部、摠見寺跡の見どころ・現地でしかわからない注意点をまとめた完全ガイドです。

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当サイトの情報は2026年3月時点のものです。最新の開城時間・料金・特別拝観の開催日は摠見寺公式サイトでご確認ください。掲載写真・360°パノラマ画像の無断転載はご遠慮ください。

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日本の戦国史を歩く——城跡・古戦場・武将ゆかりの地、すべて現地訪問ベースで紹介
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