摠見寺の三重塔・二王門|安土城に残る重要文化財2棟を歩く

摠見寺の三重塔・二王門|安土城に残る重要文化財2棟を歩く

現地訪問済み:2024年4月・2025年4月を含む5回以上の現地登城をもとにした一次情報です。

安土城は1582年に焼失した「幻の城」ですが、その城内に建てられた摠見寺(そうけんじ)の建物のうち、2棟だけが炎を逃れて今も現存しています。室町時代に建立された三重塔(享徳3年・1454年)と二王門(元亀2年・1571年)です。どちらも国の重要文化財に指定されており、安土城跡の中で「実際の建物として残っているもの」という点でほかのすべての石垣・礎石遺構とは一線を画します。

このページでは、重要文化財2棟と竈跡の合計3スポットを詳細データ・現地体験付きでご案内します。天主台から摠見寺ルートで下山する際に通りますので、疲れた足で通り過ぎず、ぜひ足を止めてじっくりご覧ください。

📌 このエリアの最大の特徴:安土城跡で「建物として現存しているもの」は摠見寺の三重塔と二王門の2棟のみです。すべての武将屋敷跡・本丸・天主台が礎石と石垣しか残っていない中で、室町時代から続く木造建築に直接触れられる唯一の場所です。

摠見寺エリア 3スポット

重要文化財と生活の痕跡

国指定重要文化財 必見

① 三重塔

室町時代から生き延びた国の重要文化財── 甲賀から移築された塔

摠見寺の三重塔は、室町時代の1454年(享徳3年)に建立された建物です。もともとは近江国甲賀郡の長寿寺にあったものを、織田信長が安土城築城の際に現在地へ移築したとされています。棟札からこの事実が確認されています。三間三重塔婆で屋根は本瓦葺きという特徴を持ち、国の重要文化財に指定されています。1582年の安土城焼失の際も炎を逃れ、1604年には豊臣秀頼による補修も行われました。570年以上の歴史を持つ建物が今もここに立っています。

  • 建立年:享徳3年(1454年)── 安土城築城より120年以上前に建てられた建物です。
  • 甲賀からの移築:もともと甲賀郡の長寿寺にあったものを信長の命で移築。棟札から移築の事実が確認されています。
  • 豊臣秀頼による補修:1604年(慶長9年)に秀頼の命により補修が行われており、江戸時代初期にも大切にされていたことがわかります。
  • 平成の台風被害と修復:平成29年の台風被害後、平成30年秋に修復工事が行われています。
  • 三間三重塔婆・本瓦葺き:室町時代の建築様式をよく残す貴重な塔です。
🔍 現地で確認できたこと:天主台から摠見寺ルートで下山すると、木々の間からひょっと三重塔の姿が現れます。この瞬間が毎回印象的です。礎石しか残っていない城跡の中で、突然570年前の建物が目の前に現れる感覚は、石垣や礎石を見てきた後だからこそ格別です。塔の足元まで近づいて、木組みの細部を間近で確認してみてください。
安土城跡 摠見寺 三重塔 1454年建立の国指定重要文化財 室町時代の木造建築

短時間:約5分 / じっくり:約20分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367
🚶 アクセス:天主台から摠見寺ルートで下山する途中に現れます。入場口からは徒歩約20分。

おすすめ度
歴史的価値:★★★ / 視覚的魅力:★★★ / 体験的価値:★★
建立年享徳3年(1454年・室町時代)
移築天正年間(1575〜76年頃)、信長により甲賀郡・長寿寺から
構造三間三重塔婆・本瓦葺き
補修歴1555年修理、1604年豊臣秀頼による補修、2018年台風後修復
現存状況現地に現存(国の重要文化財)
文化財指定国指定重要文化財
目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと
目に見えるもの発掘・記録でわかったこと
三間三重塔婆・本瓦葺きの木造建築棟札から甲賀郡の長寿寺からの移築が確認。秀頼による補修記録も現存
参照資料・出典

重要文化財指定調書 / 安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア
  • 建立は安土城より120年以上前:1454年建立のこの塔は、安土城の築城(1576年)より120年以上前に建てられたものです。信長はこの古い塔を甲賀から運んで城内に配置しました。
  • 焼失を逃れた理由:1582年の安土城焼失の際に、本丸・天主が炎に包まれた中でもこの塔は現存しています。城の中枢から離れた摠見寺境内という位置が幸いしたと考えられています。
  • 秀頼の補修:豊臣秀頼が関ヶ原の戦いから4年後の1604年に補修を命じたことは、信長の遺構を大切にする姿勢を示しているともいえます。
国指定重要文化財 必見

② 二王門

金剛力士像が守る楼門── 信長が甲賀から移した重要文化財

摠見寺の二王門は、元亀2年(1571年)に建立された楼門形式の建物で、国の重要文化財に指定されています。建立者は甲賀武士の山中俊好で、信長の命で安土城内の現在地へ移築されたと伝えられています。入母屋造・本瓦葺きの二層構造で、格子越しに見ることができる金剛力士像(阿形・吽形の一対)も、門とともに国の重要文化財に指定されています。1582年の安土城焼失の際にも炎を逃れた、奇跡的な生き残りです。

  • 入母屋造・本瓦葺きの二層構造:室町時代の楼門建築の特徴をよく残しています。
  • 金剛力士像(阿形・吽形):格子の内側に安置されており、格子越しに間近で見ることができます。門と像の両方が国の重要文化財に指定されています。
  • 石階段上に現存:急な石段を上った先に門が建っており、下から見上げる角度が圧倒的です。
  • 甲賀武士・山中俊好の建立:もともと甲賀の武士が建立した門を、信長が移築させたという経緯を持っています。
🔍 現地で確認できたこと:二王門は石段の下から見上げると、門が空に向かってそびえるように見えてとても迫力があります。格子越しの金剛力士像は、目が慣れてくると表情や筋肉の造形がはっきり見えてきます。スマートフォンのライト機能を活用すると、細部がより鮮明に確認できます。門をくぐって反対側から見ると、また異なる趣があります。
安土城跡 摠見寺 二王門 1571年建立 国指定重要文化財 金剛力士像を安置する楼門

パノラマ写真はこちら(重臣屋敷・二王門編)

短時間:約5分 / じっくり:約20分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:三重塔からさらに石段を下りた先に現れます。摠見寺ルートで下山すると自然に通ります。

おすすめ度
歴史的価値:★★★ / 視覚的魅力:★★★ / 体験的価値:★★
建立年元亀2年(1571年)
建立者甲賀武士・山中俊好
移築天正年間、信長により安土城内へ
構造入母屋造・本瓦葺きの二層楼門
安置像金剛力士像(阿形・吽形)── 像も重要文化財
文化財指定門・金剛力士像ともに国指定重要文化財
目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと
目に見えるもの発掘・記録でわかったこと
楼門本体・格子越しの金剛力士像甲賀郡の武士が建立し信長が移築。門と像の両方が重文指定
参照資料・出典

重要文化財指定調書 / 安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア
  • 二王門という名称:二王とは「仁王」すなわち金剛力士像のことです。門の両脇に力士像を安置していることから「二王門」あるいは「仁王門」と呼ばれます。
  • 安土城焼失後も現存:1582年の安土城焼失の際にも炎を逃れ、450年以上にわたって現地に建ち続けています。
  • 門と像の両方が重文:建物だけでなく内部の金剛力士像も重要文化財に指定されており、セットで見学する価値があります。
国指定史跡

③ 竈跡

城に暮らした人々の息吹── 戦国の日常を伝える遺構

安土城跡の西側上段郭では、竈跡(かまどあと)が複数確認されています。調理や暖房など日常生活の痕跡として貴重な遺構で、炭や焼け土が入った皿状の凹地も見つかっています。これらは火災の痕跡や、竈を作り替えた際の名残と考えられています。軍事拠点としてのイメージが強い安土城ですが、ここには実際に人々が日常生活を送っていた事実が刻まれています。

  • 竈跡本体:西側上段郭に点在する竈跡は、当時の生活の様子を伝える遺構です。
  • 炭や焼け土の痕跡:火災の痕跡や竈の作り替えの際に生じたと考えられる炭や焼け土が見られます。
  • 生活遺構としての希少性:城跡では「攻防の遺構」が注目されがちですが、炊事場跡は城内の日常生活を伝える数少ない遺構のひとつです。
🔍 現地で確認できたこと:摠見寺ルートで下山して城跡を出た直後の右手に位置しています。多くの見学者が通り過ぎてしまいますが、案内板の前に立ってじっくり読むと、城の「軍事拠点」というイメージとは違う日常の側面が見えてきます。
安土城跡 竈跡 当時の調理設備が残る石組みの遺構 戦国時代の日常生活の痕跡

短時間:約5分 / じっくり:約15分

🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:摠見寺ルートで下山し城跡入場口から出て右手に現れます

おすすめ度
歴史的価値:★★ / 視覚的魅力:★ / 体験的価値:★
年代天正期(1576〜1582年)
発見場所西側上段郭
構造・特徴複数の竈跡、炭・焼け土の入った皿状凹地
現存状況遺構として確認可能
文化財指定国指定特別史跡「安土城跡」
目に見えるもの vs 発掘・調査でわかったこと
目に見えるもの発掘・記録でわかったこと
竈跡・炭・焼け土の凹地火災痕跡と竈作り替えの名残、城内での日常生活を証明
参照資料・出典

安土城跡発掘調査報告書

豆知識・トリビア
  • 生活の場としての城:竈跡の発見により、安土城が単なる軍事拠点ではなく実際の生活の場でもあったことが明らかになっています。
  • 作り替えの痕跡:炭や焼け土の入った皿状の凹地は、火災の痕跡や竈の作り替えの名残とされています。

よくある質問(FAQ)

短時間で回ると約20分、じっくり見学すると約40分です。三重塔と二王門の2棟の重要文化財を中心に巡るコンパクトなエリアです。天主台から摠見寺ルートで下山する際に自然と通りますので、登城の疲れを感じながらも見落とさずに見学できます。

三重塔・二王門ともに内部への立ち入りはできませんが、外観は間近で見学できます。二王門の格子越しに金剛力士像をしっかり確認できます。5回以上訪問した経験から、二王門は格子の隙間からスマートフォンのライトを当てると力士像の細部がよりはっきり見えます。

三重塔は室町時代の享徳3年(1454年)に建立されました。もともと近江国甲賀郡の長寿寺にあったものを、信長が安土城築城の際に現在地へ移築したとされています。棟札からこの事実が確認されています。安土城の築城(1576年)より120年以上前に建てられた建物です。

はい、二王門の格子越しに金剛力士像(阿形・吽形の一対)を見ることができます。門と金剛力士像はともに国の重要文化財に指定されています。スマートフォンのライト機能を活用すると、像の細部がより鮮明に見えます。

特別拝観は摠見寺の仮本堂(徳川家康邸跡に建てられた建物で、大手道エリアに位置します)で不定期に開催されます。別途500円(抹茶・菓子付き)が必要です。摠見寺エリアの三重塔・二王門は入場料に含まれ常時見学可能です。開催日は摠見寺公式サイトでご確認ください。

竈跡は安土城跡の西側上段郭にあります。摠見寺ルートで下山し、城跡入場口から出て右手に位置します。案内板が設置されていますが、多くの見学者が通り過ぎてしまいますので意識して探してみてください。

はい、滋賀県東近江市の超光寺(ちょうこうじ)に、摠見寺の裏門(台所門)が明治12年(1879年)に移築されています。滋賀県指定文化財に登録されており、安土城の建築遺構のひとつとして見学できます。詳しくは遺構寺院ガイド(超光寺・西光寺・光澤寺)をご覧ください。

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当サイトの情報は2026年3月時点のものです。最新の開城時間・料金・特別拝観の開催日は摠見寺公式サイトでご確認ください。掲載写真・360°パノラマ画像の無断転載はご遠慮ください。

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