Support Following the Shogun フロントページへ戻る

増上寺を歩く|工事中の三解脱門・徳川将軍家墓所・所要時間

大殿と東京タワー
東京・芝公園|徳川将軍家の菩提寺

増上寺を歩く|工事中の三解脱門・徳川将軍家墓所・所要時間

増上寺は、東京タワーの足元で徳川将軍家の菩提寺を歩ける寺院です。三解脱門は長期修理中ですが、大殿、安国殿、徳川将軍家墓所、宝物展示室、江戸期の門や移築遺構は見学できます。

現況三解脱門は修理中
所要時間約30・60・90分
アクセス大門駅から徒歩約5分
有料施設墓所・宝物展示室

料金・時間・工事情報は2026年9月5日に公式情報で再確認。現地写真は2024〜2026年に撮影しています。

まず知っておきたい現在の状況

現在の三解脱門は、1621年に倒壊した旧門に代わって1622年に再建されたものです。現在は保存修理中で、最新の工事報告では2032年秋頃の完了予定です。門は素屋根に覆われていますが、その下を通って境内へ入れます。通路は狭いため、混雑時は係員の案内に従ってお進みください。

徳川将軍家墓所は、券売所建て替えのため2026年中に約2週間の公開休止が予定されています。2026年9月1日の公式告知時点では具体日が未定です。訪問日が決まったら、増上寺公式の最新情報を確認してください。

30分・60分・90分の回り方

ここで示す30・60・90分は、見学範囲を決めるための目安です。2026年7月11日に私が写真を撮りながら歩いたときは、境内で約1時間37分過ごしました。撮影や有料施設の見学も含むため、実際の所要時間は目的や歩く速さによって変わります。

約30分

大門から工事中の三解脱門前へ進み、大殿と安国殿を参拝します。有料施設には入りません。

約60分

30分の範囲に黒門、経蔵、鐘楼堂、水盤舎、大納骨堂を加え、現存・再建・移築の違いを見比べます。

約90分

約60分のコースに、徳川将軍家墓所か宝物展示室のどちらかを加えます。両方に加えて旧台徳院霊廟惣門まで足を延ばすなら、時間に余裕を持たせてください。

大門駅からのアクセス

初めてなら、都営浅草線A09・大江戸線E20の大門駅が便利です。大門から三解脱門、大殿へと続く正面参道を歩けます。公式の徒歩目安は5分です。2026年7月11日はA6出口から地上へ出ると大門が見え、その先へまっすぐ進めました。出口案内は変更される場合があるため、当日の駅表示も確認してください。

歴史の小話:駅名にもなった大門は増上寺の総門です。増上寺の案内では、旧門は江戸城の大手門を徳川家康から譲られたものとされ、現在の門は交通整備に合わせて1937年に大きく造り直されたと説明されています。大門の写真は「そのほかの境内施設」で紹介しています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

御成門駅I06と芝公園駅I05からは各徒歩3分、赤羽橋駅E21からは徒歩7分、神谷町駅H05からは徒歩10分が公式目安です。JR浜松町駅JY28/JK23、東京モノレール浜松町駅MO01からは徒歩10分です。一般来訪者用の駐車場はありません。大殿内にはエレベーターがあり、車いすも借りられます。ただし、境内には段差のある場所もあります。

大門周辺の街路案内図
増上寺境内案内図
増上寺の境内総合案内板

写真をタップすると拡大できます

何が現存し、何が再建・移築されたのか

増上寺は1393年に創建され、徳川家康が江戸に入った後に徳川家の保護を受け、1598年に現在地へ移りました。江戸時代には広い寺域と将軍家霊廟群を持ちましたが、1945年の空襲で堂宇と霊廟の多くを失いました。現在の境内では、江戸期の建物、戦後の再建、別の場所から移された旧霊廟遺構、戦後に集約された墓所が並んでいます。

対象現在の状態
三解脱門1622年再建の建物が現存・保存修理中
大殿1945年焼失後、1974年再建
安国殿現建物は2011年建立
黒本尊現在も信仰を集める阿弥陀如来像
徳川将軍家墓所戦後の改葬を経て現在地に集められた墓所
鋳抜門旧文昭院霊廟の中門を移設
宝物展示室2015年開設、大殿地下1階
台徳院霊廟模型1910年の1/10模型、Royal Collection所蔵・長期貸与
黒門江戸期の門、1980年に現位置へ移築
水盤舎旧霊廟遺構、1978年移築
大梵鐘・鐘楼堂鐘は1673年、堂は戦後再建
大納骨堂1933年建築、1980年移築
慈雲閣1989年建立
圓光大師堂2009年竣工
千躰子育地蔵尊1975年から順次奉安
旧台徳院霊廟惣門1632年の旧霊廟遺構・重要文化財
旧台徳院霊廟跡旧霊廟跡の一部にザ・プリンス パークタワー東京が建つ
有章院霊廟二天門1717年の旧霊廟遺構・重要文化財
芝東照宮増上寺に隣接する別の神社

境内・墓所・旧霊廟遺構を歩く

現存修理中

三解脱門

1622年再建の現存門・保存修理中

素屋根に覆われた三解脱門
素屋根に覆われた三解脱門。1622年再建・保存修理中。

三解脱門は、1611年建立の最初の門が1621年に倒壊した後、1622年に再建されました。江戸初期の建築で、戦後再建の大殿や2011年建立の安国殿とは時代が異なります。現在は素屋根に覆われ、門の全景を見ることはできません。

見どころ・状態

修理は第1期が2027年12月まで、第2期が2028年1月から2032年8月までの予定で、最新報告では2032年秋頃の完了予定です。素屋根下の通路は利用できます。修理前の姿は、2024年10月12日に撮影した2枚の写真で見ることができます。

歴史の小話:『三解脱』は貪欲・怒り・無知という三つの煩悩から解放される意味だと増上寺は説明しています。公式英語案内では、一般的な山門に見られる仁王像が置かれていないことも、念仏を唱えるすべての人に救いが開かれているという浄土宗の教えと関係すると解説されています。

出典: 増上寺公式英語案内

素屋根に覆われた三解脱門のズーム
修理前の三解脱門正面
芝公園側から見た修理前の三解脱門

写真をタップすると拡大できます

再建参拝無料

大殿

1974年再建の本堂

大殿正面
大殿正面。1974年再建。

大殿は1945年に焼失し、1974年に再建されました。境内からは、堂の背後に東京タワーがそびえる増上寺らしい景観を楽しめます。訪問時の堂内には香が漂い、外のにぎわいとは異なる静けさがありました。行事や時間帯によって雰囲気は変わります。

見どころ・状態

大殿の開堂時間は通常6:00〜17:30です。境内参拝は無料で、館内にはエレベーターがあります。2024年10月12日に撮影した写真には行事の設営が写っています。通常の境内とは様子が異なる場合があります。

歴史の小話:増上寺では、大門から大殿までの道のりを、穢土から西方極楽浄土へ向かう旅になぞらえています。大門から三解脱門までの約108間は煩悩、三解脱門から大殿までの約48間は阿弥陀仏の四十八願、18段と25段の階段は第十八願と二十五菩薩を表すとされています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

大殿屋根の金色の鴟尾と東京タワー
大殿前の行事風景
大殿正面と大階段
大殿に掲げられた増上寺の扁額
大殿と東京タワーを望む境内景観

写真をタップすると拡大できます

2011年御朱印AI画像あり

安国殿と黒本尊

現建物は2011年建立

安国殿
安国殿。2011年建立。

安国殿には黒本尊と呼ばれる阿弥陀如来像が安置されています。恵心僧都源信の作と伝えられ、増上寺の寺伝では徳川家康が陣中にも奉持して勝利を祈ったとされます。作者や霊験にまつわる話は、歴史的に確認された事実ではなく、増上寺に伝わる由緒です。

見どころ・状態

私が訪れた特別公開の日には、黒本尊を参拝し、御朱印と御朱印帳をいただきました。御朱印や御朱印帳の種類・価格は、時期によって変わる場合があります。御朱印やお守りの授与は9:00〜17:00と案内されています。ここで紹介する黒本尊の画像は、AIで作成した参考イメージです。実物の写真ではありません。

歴史の小話:黒本尊という名について、増上寺は『長年の香煙で黒ずんだ』『人々の悪事や災難を受け止めて黒くなった』という二つの伝承を紹介し、家康の命名とも伝えています。いずれも、黒本尊への信仰を伝える寺伝です。

出典: 増上寺公式・歴史

安国殿屋根の葵紋
増上寺の御朱印と御朱印帳
AIで作成した黒本尊のイメージ

写真をタップすると拡大できます

江戸期移築

黒門

江戸期の門・1980年移築

黒門
黒門。江戸期・1980年移築。

黒門は1648〜1652年頃に三代将軍徳川家光が寄進したと伝わります。江戸時代の門ですが、1980年に現在の位置へ移されました。

見どころ・状態

境内側から見ると、木彫や象をかたどった彫刻の細部がよく分かります。

歴史の小話:明治初期、旧方丈一帯には北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれたと増上寺は説明しています。黒門はその後いったん鐘楼堂脇へ移され、1980年に現在地へ移築されました。黒門の移動の歴史には、明治以降の境内の変化も刻まれています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

黒門の彫刻
黒門の象をかたどった彫刻
黒門を境内側から見た景観

写真をタップすると拡大できます

江戸期AI画像あり

経蔵

外観・特別公開・AIによる堂内イメージ

経蔵
経蔵。江戸期建築。

経蔵は1613年に幕府の助成で建てられ、1800年に大改造と移築を受けた東京都指定有形文化財です。通常は外観からの見学ですが、ここでは特別公開時の入口も紹介します。堂内の画像はAIによる参考イメージで、実際の内部を撮影したものではありません。

見どころ・状態

入口の写真は、2025年9月15日の特別公開で撮影しました。続く堂内画像はAIで作成した参考イメージです。実物写真ではなく、通常の拝観で内部に入れるわけではありません。

歴史の小話:内部中央には八角形の回転式書架『輪蔵』があり、家康が寄進した宋版・元版・高麗版の三大蔵経を収めていました。経典は現在、後方の収蔵庫に移されています。公式英語案内では、五百羅漢図が戦災を免れた理由として、経蔵に保管されていた可能性にも触れています。

出典: 増上寺公式案内

経蔵一切経一般公開時の入口
AIで作成した経蔵内部のイメージ

写真をタップすると拡大できます

鐘は江戸期堂は再建

大梵鐘と鐘楼堂

鐘は1673年・堂は戦後再建

大梵鐘と鐘楼堂
大梵鐘と鐘楼堂。鐘1673年・堂は戦後再建。

大梵鐘は1673年に鋳造されました。一方、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものです。

見どころ・状態

鐘楼堂の全景に加え、葵紋、鐘を吊る龍頭、撞木、現地説明板など、近くで見たい細部も写真で紹介します。

歴史の小話:あまりの大きさに鋳造を7回繰り返して完成したと伝えられます。江戸の古い川柳は、芝の鐘が『江戸の七分ほど』、さらには『西国の果てまで』響くと誇張してうたい、音の名物として親しまれた様子を伝えています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

大梵鐘の現地説明板
大梵鐘の葵紋
大梵鐘上部の龍頭
大梵鐘表面の葵紋と銘文
鐘楼堂の外観
鐘楼堂内の大梵鐘と撞木

写真をタップすると拡大できます

旧霊廟遺構移築

水盤舎

旧霊廟遺構・1978年移築

水盤舎
水盤舎。旧霊廟遺構・1978年移築。

水盤舎は清揚院殿の御霊屋に由来する旧霊廟遺構で、1978年に現在地へ移されました。小規模ながら、1945年以前の壮大な霊廟群を伝える貴重な建物です。

見どころ・状態

木彫の細部と現地説明板を見ると、旧霊廟から移された建物であることがよく分かります。

歴史の小話:清揚院は三代将軍家光の三男・徳川綱重に贈られた院号です。小さな水盤舎は、失われた清揚院霊屋の姿をしのばせる数少ない手がかりです。

出典: 増上寺公式・境内散歩

水盤舎の木彫細部
水盤舎の現地説明板

写真をタップすると拡大できます

戦前建築移築

大納骨堂

1933年建築・1980年移築

大納骨堂
大納骨堂。1933年建築・1980年移築。

大納骨堂は1933年に建てられ、戦災を免れました。現在の位置へ移されたのは1980年です。

見どころ・状態

現地説明板には、1933年の建立と1980年の移築が記されています。

歴史の小話:本尊の地蔵尊像は、近代彫刻家・高村光雲の作品をもとにしたものと増上寺が案内しています。建物が移された後も、有縁・無縁の遺骨を祀る納骨堂としての役割は受け継がれています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

大納骨堂の現地説明板
大納骨堂の現地説明板。現地案内。
現代の境内参道史

そのほかの境内施設

大門・築地塀・光摂殿

光摂殿
光摂殿。現在の境内に建つ施設。

光摂殿は、現在の増上寺で使われている建物です。慈雲閣は1989年、圓光大師堂は2009年に建てられ、千躰子育地蔵尊は1975年から順次奉安されています。大門と境内東側の石垣・築地塀からは、参道と旧寺域の輪郭をたどれます。

見どころ・状態

大門は地名と駅名の由来になった総門です。境内東側には石垣と築地塀が続きます。光摂殿の天井絵公開は限定的なため、行事案内で確認してください。

歴史の小話:現在の大門は1937年の再建ですが、旧門は徳川家康から譲られた江戸城の大手門だったと寺伝に残ります。また光摂殿の格天井には、120人の日本画家が四季の草花を描いた作品が納められています。江戸から現代まで、異なる時代の建築と意匠を一度に見られる一角です。

出典: 増上寺公式・境内散歩/光摂殿天井絵

地名と駅名の由来になった増上寺の大門
増上寺境内東側に残る石垣と築地塀

写真をタップすると拡大できます

このサイトは実地取材で制作しています。記事が参考になった方は、サポートいただけると励みになります
有料戦後集約

徳川将軍家墓所

6人の将軍を含む計38人の墓所

徳川秀忠と江姫(崇源院)の墓塔
徳川秀忠と江姫(崇源院)の墓塔。秀忠・崇源院(江)合祀塔。

墓所は大殿の裏側です。二代将軍徳川秀忠と正室・江姫(崇源院)の墓塔を写真で紹介します。ここには6人の将軍を含む計38人が葬られており、全15代の将軍の墓がそろっているわけではありません。戦災後の調査・荼毘・改葬を経て、別々の霊廟にあった墓が現在地へ集められました。

見どころ・状態

墓所入口のゲートは、大殿裏側の受付へ向かう目印です。墓所は有料で、鋳抜門は六代将軍徳川家宣の旧文昭院霊廟にあった中門を移した遺構です。受付終了が境内より早いため、墓所だけを見るか、共通券で宝物展示室も回るかを早めに決めておくと安心です。

歴史の小話:増上寺の案内では、秀忠の木造霊屋が戦災で焼失したため、現在は正室・崇源院(江)と同じ石造宝塔に合祀されています。一基の宝塔に二人が祀られている現在の姿には、戦災と戦後改葬の歴史が表れています。

出典: 増上寺公式・徳川将軍家墓所

徳川将軍家墓所入口のゲート
徳川将軍家墓所内部
鋳抜門
鋳抜門脇の説明板と扉の細部

写真をタップすると拡大できます

重要文化財現存

旧台徳院霊廟惣門

1632年の現存門・重要文化財

旧台徳院霊廟惣門
旧台徳院霊廟惣門。1632年現存遺構。

旧台徳院霊廟惣門は、徳川秀忠の霊廟の入口として1632年に建てられました。霊廟の主要建築は1945年に焼失しましたが、この門は残りました。展示室の模型と見比べると、失われた霊廟の全体像と、現地に残る門の位置づけが分かります。

見どころ・状態

中心境内から少し離れています。時間が限られる場合は大殿・墓所・安国殿を先に回り、余裕があれば足を延ばすのがおすすめです。

歴史の小話:増上寺の公式英語案内では、三代将軍家光が父秀忠のために造営した台徳院霊廟は、のちに同じ職人たちが手がけた日光東照宮の原型になったと考えられている、と紹介されています。模型と惣門をあわせて見ると、失われた霊廟の壮麗さが想像しやすくなります。

出典: 増上寺公式英語案内

旧台徳院霊廟惣門の葵紋装飾
旧台徳院霊廟惣門の仁王像
旧台徳院霊廟惣門のもう一体の仁王像
旧台徳院霊廟惣門の現地説明板

写真をタップすると拡大できます

旧霊廟跡現代景観

旧台徳院殿(二代秀忠)霊廟の跡地に建っているザ・プリンス パークタワー東京

ホテル敷地に残る霊廟の地形と惣門

旧台徳院霊廟の跡地に建つザ・プリンス パークタワー東京
旧台徳院霊廟の跡地に建つザ・プリンス パークタワー東京。2026-07-11撮影・ホテル敷地。

ザ・プリンス パークタワー東京の公式案内は、現在の敷地にかつて二代将軍徳川秀忠の広大な台徳院霊廟があったと説明しています。写真は、2026年7月11日にプリンス芝公園側からホテルを見上げて撮影しました。

見どころ・状態

ホテル周辺は、旧台徳院霊廟の広がりを現代の街並みに重ねて歩ける場所です。敷地内には旧台徳院霊廟惣門が残り、ホテルの公式周辺案内によると、惣門の手前にはかつて水路もありました。

歴史の小話:高層ホテルと芝公園の風景に、かつての塀・水路・門・社殿を重ねて想像できます。旧建物の正確な位置は写真だけでは分からないため、模型や現地案内とあわせて見るのがおすすめです。

出典: ザ・プリンス パークタワー東京公式・周辺案内

2009年

圓光大師堂

2009年竣工

圓光大師堂
圓光大師堂。2009年建立。

圓光大師堂は法然上人八百年御忌を記念して2009年に完成した建物です。江戸期の霊廟遺構ではなく、現在も使われている念仏道場です。

見どころ・状態

堂の前にある現地説明板には、建立の由来が記されています。

歴史の小話:2006年に知恩院から法然上人御廟の浄砂を拝領し、増上寺ではこれを『御身柄』と名づけました。浄砂は経筒型の五輪塔に納められ、圓光大師堂の内陣奥に奉安されていると案内されています。

出典: 増上寺公式・境内散歩

圓光大師堂の現地説明板
圓光大師堂の現地説明板。現地案内。
重要文化財延長

有章院霊廟二天門と御成門

1717年の旧霊廟遺構と北側の門

有章院霊廟二天門
有章院霊廟二天門。1717年現存遺構。

有章院霊廟二天門は、七代将軍徳川家継の霊廟に属した1717年の門で、重要文化財です。中心境内から北へ足を延ばすと、御成門とあわせて見学できます。

見どころ・状態

御成門は、二天門から北へ歩く際の目印になります。周辺では道路を横断するため、現地の歩行者動線に従ってください。

歴史の小話:港区観光協会は、門の向かって右に北方を守る多聞天、左に西方を守る広目天が安置されていると案内しています。「二天門」の名の通り、左右の守護神も見どころです。

出典: 港区観光協会

有章院霊廟二天門の現地説明板
有章院霊廟二天門の持国天像
有章院霊廟二天門の葵紋装飾
御成門の外観
御成門の表示と門
御成門の別角度

写真をタップすると拡大できます

拝観時間と料金

以下は2026年9月5日に増上寺公式で確認した内容です。行事や工事で変わる場合があります。

施設時間休み料金
大殿6:00〜17:30行事により変動境内参拝無料
安国殿・御朱印・お守り9:00〜17:00行事により変動参拝無料、授与品は別途
徳川将軍家墓所平日11:00〜15:00、土日祝10:00〜16:00。最終入場は各15分前火曜。祝日の火曜は公開大人500円、高校生以下無料
宝物展示室平日11:00〜15:00、土日祝10:00〜16:00火曜。祝日は開館一般700円、中高生300円、小学生以下無料
墓所+展示室共通券各施設の受付時間内各施設に準ずる1,000円

墓所は2026年中に約2週間の公開休止が予定されています。2026年9月1日の告知時点で具体日は未定です。墓所または展示室を90分コースへ入れる場合は、出発前に最新案内を確認してください。

現地を歩いた判断:時間がないならどう回るか

複数回歩いた経験から、限られた時間で優先したい場所をまとめました。増上寺公式の推奨順ではありません。

最優先
大殿内部

東京タワーと重なる外観だけでなく、堂内で参拝する時間も取ってください。

次に
徳川将軍家墓所

大殿の裏側にあり、受付時間は境内より短めです。拝観するなら早めに向かうのがおすすめです。

できれば
安国殿

黒本尊信仰に触れられ、御朱印やお守りもこちらで授与されます。

余裕があれば
宝物展示室と旧台徳院霊廟惣門

1/10模型で失われた霊廟の全体像を知り、1632年の惣門で現存部分を確かめられます。

後回し可
二天門・御成門・芝東照宮

中心境内から離れているため、滞在が30分ほどなら大殿・墓所・安国殿を優先します。

よくある質問

大殿、安国殿、徳川将軍家墓所、宝物展示室、黒門、水盤舎などは見学できます。三解脱門の全景が目的なら、修理後の訪問も検討してください。

境内の主要部は約30分、状態の異なる建物を広く見るなら約60分、墓所または展示室まで回るなら約90分が目安です。両方の有料施設と旧惣門まで含める場合は、さらに時間に余裕を持たせてください。

三解脱門は1622年再建の建物が現存します。黒門、経蔵、大梵鐘、水盤舎、旧台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門にも、江戸期の建物・鐘・旧霊廟遺構が残ります。ただし、黒門や水盤舎などは移築され、鐘楼堂など一部の建物は戦後に再建されています。

墓所は大殿の裏側にあり、6人の将軍を含む計38人が葬られています。全15代の将軍の墓がそろっているわけではありません。

別料金です。2026年9月5日確認では墓所は大人500円、展示室は一般700円、共通券は1,000円です。

公式の徒歩目安は5分です。2026年7月11日はA6出口から大門が見え、そのまま直進すると増上寺へ着きました。当日の駅表示も確認してください。

増上寺は東京タワーと大門・浜松町の間にあり、芝東照宮も周辺にあります。この記事の30/60/90分は増上寺だけを回る目安です。東京タワーや芝東照宮まで訪ねるなら、別途時間を見込んでください。

☕ このサイトを応援する

Following the Shogunは現地取材をもとに制作しています。
記事が役に立ったと感じていただけたら、サポートいただけると励みになります。

Following the Shogun サポート用QRコード

QRコードからもサポートできます

comment