豊臣秀吉が1590年の小田原合戦で築いた陣城です。建物は残っていませんが、谷を丸ごと石垣で囲んだ井戸曲輪をはじめ、野面積みの石垣が山上に広く残ります。「一夜で建った城」という名前とは裏腹に、小田原市の説明では天正18年4月から6月までの約80日間、のべ4万人が動員されました。2025年11月16日に早川駅から歩いて訪ね、城内を2時間30分かけて回った記録をもとに、何が残っていて、どの順で歩くと分かりやすいのかをまとめます。
石垣山城は行く価値があるか:何が残り、誰に向くか
石垣山城でまず押さえておきたいのは、小田原城とは別の場所にある別の城だということです。小田原城が北条氏の本拠で、現在は再建された天守閣が建つのに対し、石垣山城はそれを攻めた豊臣秀吉が対岸の山上に築いた陣城で、建物は一つも残っていません。見えるのは石垣と、曲輪と呼ばれる平坦面、そして石垣が崩れて岩が転がる斜面です。
ただ、その石垣の残り方が想像以上です。特に井戸曲輪は、谷そのものを高い石垣で囲い込んだ構造がほぼそのまま残っていて、底に降りて見上げると規模がはっきり分かります。小田原城ほどメジャーな感じではないが、立派な石垣があり、崩れた岩が斜面に転がる光景も含めて見ごたえがある、というのが実際に歩いた印象でした。
向いている人
石垣そのものを見たい人
自然石をほとんど加工せずに積む野面積みが、井戸曲輪・南曲輪・本丸周辺に広く残ります。崩れた部分も含めて、石の積み方を間近で観察できます。
向いている人
秀吉の足跡をたどっている人
秀吉が関わった城跡の多くは西日本にあります。小田原合戦の本陣がそのまま史跡として残るこの場所は、関東で秀吉の動きを地形ごと追える数少ない城跡です。
向いている人
小田原城とセットで歩きたい人
城内の展望地点からは、攻められた側の小田原城が小さく見えます。攻める側と守る側、両方の視点から同じ1590年を見ることができます。
注意したい人
建物や展示を期待する人
天守も櫓も再建されておらず、現地に管理事務所もありません。建物を見に行く場所ではなく、石垣と地形を読む場所だと思ってください。
一方で、園内に自動販売機はありません。売店も城内にはないため、飲み物は登る前に用意しておく必要があります。足元は石垣が崩れた岩の上を歩く場所もあるので、スニーカーか登山靴など、歩き慣れた靴で行ってください。
「一夜城」は一夜ではない:約80日、のべ4万人、そして天正19年の瓦
石垣山一夜城という名前から、一晩で建った城を想像する人は多いと思います。実際に現地の案内板と小田原市の説明が伝えているのは、その逆の話です。
小田原市によれば、築城には天正18年(1590)の4月から6月までの約80日間が費やされ、のべ4万人が動員されました。秀吉は4月6日には笠懸山に登って本陣とし、5月半ばには石垣ができ、6月には広間や天守などの作事に取りかかっています。一夜で現れたように見せたと伝わるのは、完成後に周囲の樹木を一気に伐り払い、小田原城から白い城壁が突然現れたように見せたという場面で、築城期間そのものの話ではありません。
合戦が終わっても工事は続いていた可能性があります。小田原市の文化財解説によれば、天守台跡などから多量の瓦が出土しており、その中には「天正十九年」「辛卯八月日」とへら書きされたものがあります。天正19年は1591年、北条氏が降伏した翌年です。急ごしらえの陣城というイメージとは違い、合戦後も一定期間、造営が続いていたことをうかがわせます。
本丸付近には「小田原合戦と一夜城伝説」の案内板が立っていて、後世の記録に残る逸話が紹介されています。ただし、北条方がこれに動揺したのか、それが降伏の決め手になったのかという因果関係までは、こうした伝承から確かめられるものではありません。伝説として読むのが自然だと思います。

もう一つ、現地の案内板で面白かったのが「石垣山の縄張は誰が?」という一枚です。肥前名護屋城との縄張の共通点を図で並べ、設計者を考察しています。同じ発想で城を設計した人物が、朝鮮出兵の拠点となった名護屋城にも関わったのではないか、という視点は、石垣を見る目を変えてくれます。



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アクセス:早川駅から徒歩約50分と、土日祝のうめまる号
石垣山城は標高約250mの山上にあります。公共交通で城のすぐ近くまで行けるのは土日祝のみで、平日は歩いて登るか車を使うかの二択になります。この差が訪問計画に一番影響するので、先に確認しておいてください。
Access — 石垣山一夜城歴史公園
| 所在地 | 神奈川県小田原市早川1383-12 |
|---|---|
| 最寄り駅(徒歩) | JR東海道線 早川駅から石垣山農道経由で徒歩約50分。箱根登山鉄道 入生田駅から徒歩約60分(いずれも小田原市の目安) |
| 実用的な新幹線駅 | JR小田原駅(東海道新幹線停車)。小田原駅から早川駅までは東海道線で1駅 |
| 主要都市からの目安 | 東京から小田原駅まで新幹線でおよそ35分〜45分、在来線でおよそ1時間20分〜1時間40分。京都からは新幹線ひかりでおよそ1時間55分〜2時間5分、新大阪からはおよそ2時間10分〜2時間20分(いずれも小田原駅に停車する列車の場合の目安。こだま利用時はさらに時間がかかります)。名古屋方面も新幹線で小田原駅乗り換えとなります。列車により所要は変動するため、当日の時刻表で確認してください |
| 路線バス | 観光回遊バス「うめまる号」が土日祝(年末年始等を除く)に運行。小田原駅東口1番バスのりば発、1日8便。「石垣山一夜城に停車する公共交通機関はうめまる号だけ」と小田原市は案内しています |
| バス運賃 | 1日フリー乗車券 おとな600円/こども300円(2026年9月24日確認) |
| タクシー | 小田原駅から約15分・約2,000円。早川駅・箱根板橋駅から約10分・約1,500円(現地配布パンフレットの目安。金額は変動することがあります) |
| 平日の場合 | 城の直近まで行くうめまる号の運行がないため、徒歩または車になります |
| 推奨交通手段 | 坂を歩きたい人は早川駅から徒歩。登りを避けたい人は土日祝に合わせてうめまる号 |
| 現地移動の難易度 | 駅から城までは舗装された坂道と農道が続きます。城内は未舗装で、崩れた石の上を歩く区間があります |
| 駐車場 | 石垣山一夜城歴史公園に駐車場あり(現地パンフレットの案内図に表示) |
| トイレ | 公園内にあり(現地パンフレットの案内図に表示)。城内に自動販売機はありません |
| 入園料・受付時間 | 史跡公園のため入園料の案内はありません。小田原市は「現地に管理事務所等はございません」と案内しています |
| 現地ガイド | うめまる号の運行日を中心に無料の定点ガイドがありますが、1月期・2月期は実施されず、悪天候時は中止になることがあります。NPO法人小田原ガイド協会による城内ガイドは有料・要予約で、これとは別です |
| 注意点 | 臨時運休があります。うめまる号を使う場合は、当日の運行情報と時刻表を小田原市の公式ページで必ず確認してください |
城のすぐ前には一夜城ヨロイヅカ・ファームがあり、ベーカリーとマルシェ、レストランが入っています。ただし定休日は火曜・水曜です(2026年9月24日に神奈川県と旅行情報サイトの案内で確認)。城内に自動販売機はないため、この2日に行くと現地で飲み物を買う手段がありません。水は駅前かコンビニで用意してから登ってください。
早川駅から城へは複数のルートがあります。そのうちの一つは、雨のあとに水が川のように流れていたことがありました。雨の翌日に徒歩で登るなら、濡れても困らない靴を選んでおくと安心です。
石垣が崩れた状態のまま残っている城跡です。舗装された遊歩道ばかりではないので、スニーカーか登山靴をおすすめします。
地図で見る:駅からのルート
JR早川駅から
箱根登山鉄道 入生田駅から









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徒歩で登る場合、早川駅から基本的にずっと坂道です。住宅地を抜けると果樹園の斜面が広がり、振り返ると相模湾が見えます。途中には無人のみかん販売所や、石垣山に参陣した武将を紹介する案内板が点在していて、登りの単調さを紛らわせてくれます。
入口の大きな石材は、石垣山城のものではありません。公園の入口付近には、矢穴や刻印の残る大きな石材が置かれています。これは江戸城の修築用の石を切り出した早川石丁場群関白沢支群で見つかり、ここへ移されたものです。早川石丁場群は慶長8年(1603)から寛永13年(1636)にかけての江戸城改修にともなう石丁場跡で、1590年の石垣山城とは時代も目的も異なります。城内の石垣と混同しないよう、最初に見ておくと分かりやすいと思います。

城内の歩き方:入口から左回り、2時間30分のルート
城内への入口は駐車場のある一か所だけです。そこから左回りに歩くと、石垣の見どころが後半に集まる形になり、最後に一番見ごたえのある井戸曲輪へ降りることになります。2025年11月の訪問では、細かく隅々まで見て回って2時間30分かかりました。主要な曲輪だけを押さえるなら、もっと短く回ることもできます。
入口から左へ。崩れた石材が斜面に散らばる区画で、石垣の崩れ方そのものが見どころになります。
本丸の西側にあたる曲輪です。平坦面と、その縁を支える石垣の痕跡を確認しながら本丸へ向かいます。
城の中心部です。木立に囲まれた平坦面に石標が立ち、建物跡の位置は立て柱の説明で示されています。
芝生広場として整備された広い曲輪です。本丸から見下ろすと、曲輪どうしの高低差がよく分かります。
木製の展望デッキから小田原市街と相模湾を望みます。小田原城もここから見えます。
谷を丸ごと石垣で囲った区画へ降ります。この城で最も石垣の規模が実感できる場所です。
園路を通って入口方面へ。東口周辺にも大きな石垣が残っていて、午後は逆光が石の輪郭を際立たせます。

現地に残るもの:6つの見どころ
ここからは、実際に歩いた順に沿って主要な曲輪を紹介します。それぞれのカードを開くと、その場所の写真と補足をまとめてあります。
南曲輪
崩れた石垣が、そのまま残る区画

入口から左回りに歩き出して最初に着く曲輪です。樹林のなかに石標が立ち、その周囲に大小の石材が散らばっています。整えられた石垣を見るというより、崩れた状態のまま置かれている石の量に驚く場所です。
現地のパンフレットは、この付近の崩れを、城としての役割を終えた際に城の一部を壊す「城割り」という作法の痕跡として説明しています。虎口や石垣の隅が崩れているのはそのためだとされています。ただし、個々の崩落がどれも城割りによるものかどうかは、見ただけでは判別できません。パンフレットの説明として読んでおくのが安全です。
ここで見ておきたいもの
- 斜面に散らばる石材の大きさと量
- 石垣の隅が崩れている箇所
- 樹林に覆われた、整備前に近い城跡の雰囲気






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所要時間の目安
石材を見ながらゆっくり歩いて10分から15分ほどです。
| 現況 | 遺構(崩落した石材と石垣の痕跡) |
|---|---|
| 建物 | なし |
| 足元 | 未舗装。石の上を歩く箇所あり |
本丸・天守台
建物は残らないが、位置は現地で読める

城の中心にあたる区画です。木立に囲まれた平坦面の中央に「本丸跡」の石標が立ちます。天守台跡などからは多量の瓦が出土していて、小田原市はそこから天守や櫓があったと推定していますが、建物は一つも残っていません。
それでも建物跡の位置が分からずに困ることはありませんでした。現地には立て柱が設けられ、そこに説明が付いています。どの平坦面が何にあたるのかを、地面の高低差と照らし合わせながら読んでいけます。本丸の縁からは二の丸の芝生広場を見下ろすことができ、曲輪どうしの高低差がはっきり分かります。本丸のすぐ西には西曲輪跡が隣接していて、続けて訪ねやすい場所です。
ここで見ておきたいもの
- 立て柱の説明で示される建物跡の位置
- 本丸跡に祀られた神社の拝殿
- 門の基台跡を示す立札
- 本丸から見下ろす二の丸との高低差と、本丸から見た天守台
- 隣接する西曲輪跡の石標






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所要時間の目安
案内板を読みながら回ると30分前後かかります。城内で最も時間を使った場所でした。
| 現況 | 曲輪の平坦面と石垣の痕跡 |
|---|---|
| 建物 | 現存しない(天守・櫓の存在は出土した瓦から推定) |
| 現地の表示 | 立て柱による説明あり |
| 眺望 | 相模湾・小田原市街を望む |
本丸周辺の石垣について、現地パンフレットは、小田原城から見える面にあたり、高さ20mを超える規模で築かれたと説明しています。石垣を築いた穴太衆の技術の高さがうかがえる、北条氏を驚かせた石垣の一つだろう、というのがパンフレットの見立てです。
二の丸(馬屋曲輪)
城内で最も広く、休憩しやすい曲輪

馬屋曲輪とも呼ばれる、城内で最も広い曲輪です。現在は芝生広場として整備されていて、腰を下ろして休める数少ない場所でもあります。周囲の樹林に視界を遮られるため、ここが山上であることを忘れそうになります。
二の丸の東側にも石垣が積まれています。この付近の石垣には比較的小さな石が使われている、と現地パンフレットは説明しています。井戸曲輪や本丸周辺の大きな石と見比べると、同じ城のなかでも積み方や石材の選び方に差があることが分かります。
ここで見ておきたいもの
- 馬屋曲輪石垣の解説板(構造と保存対策の説明)
- 二の丸東側の、比較的小さな石を使った石垣
- 芝生広場の広さと、周囲を囲む曲輪の高低差






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所要時間の目安
石垣を見ながら15分から20分ほど。休憩を取るならここが向いています。
| 別名 | 馬屋曲輪 |
|---|---|
| 現況 | 芝生広場として整備。周囲に石垣 |
| 足元 | 広場部分は平坦で歩きやすい |
| 設備 | 自動販売機はなし |
小田原城を望む展望地点
攻める側の視点から、守る側の城を見る

この城が山上に築かれた理由が、いちばん腑に落ちる場所です。木製の展望デッキから小田原市街と相模湾が広がり、その市街地のなかに小田原城が見えます。肉眼でも小さいながら見分けられますが、スマートフォンやカメラのズーム機能を使うとはっきり分かります。上の写真も望遠で撮ったものです。
秀吉はここに本陣を置き、この方角にある城を眺めていたことになります。逆に北条方から見れば、対岸の山の上に突然、石垣の城が現れたわけです。小田原城の天守閣を先に見てからここへ来ると、同じ1590年を反対側から見直すことになります。なお、見え方は天候と樹木の状態に左右されます。
ここで見ておきたいもの
- 市街地のなかの小田原城(ズームを使うとはっきり見えます)
- 相模湾の広がりと、その先の半島の山並み
- 城下町がどの範囲に広がっているか






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所要時間の目安
眺めて写真を撮って10分ほど。ズームで小田原城を探す時間を少し見ておいてください。
| 見えるもの | 小田原城、小田原市街、相模湾 |
|---|---|
| 肉眼での見え方 | 小さいながら見分けられる。ズームを使うとはっきり分かる |
| 条件 | 天候と樹木の状態に左右される |
| 設備 | 木製の展望デッキあり |
小田原城側の見どころと所要時間は、小田原城の見どころと所要時間でまとめています。北条氏が築いた総構の規模を歩いて確かめたい場合は、小田原城の総構を歩くもあわせてどうぞ。
井戸曲輪
谷をまるごと石垣で囲った、規模の分かる場所

立派な石垣が残っていて、この城で一番見ごたえがある場所です。谷の地形を石垣と石塁で囲い込み、湧水を溜めて水源としていた区画で、上から覗き込むだけでは規模が分かりません。底まで降りて周囲を見上げたときに、初めて高さと囲い込みの大きさが実感できます。写真では伝わりにくいのは、まさにこの規模感です。
現地の案内板には平面図が添えられていて、谷をどう囲んだのかが図で理解できます。「さざえの井戸」とも呼ばれ、らせん状に底へ降りていく構造になっています。左回りに歩いてきた場合、ここが最後の見どころになるので、時間を残しておくことをおすすめします。
ここで見ておきたいもの
- 底まで降りて見上げたときの石垣の高さ
- 谷を囲い込む石垣と石塁の回り方
- 案内板の平面図(構造が図で分かります)
- 自然石をほとんど加工せずに積む野面積みの表情









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所要時間の目安
降りて、見上げて、案内板を読んで30分前後。時間が足りなくなったら、ほかを削ってでもここに使う価値があります。
| 別名 | さざえの井戸 |
|---|---|
| 構造 | 谷地形を石垣と石塁で囲い、湧水を溜めた水源 |
| 現況 | 遺構。小田原市は保存状態の良さを評価しています |
| 足元 | 底部へ降りる区間あり。歩き慣れた靴を推奨 |
現地パンフレットは、井戸曲輪の石垣について、谷を石塁で塞いで井戸とした構造で「井戸曲輪の石垣は圧巻」と表現しています。城の水源をどう確保するかは陣城にとって死活問題で、その解決策がそのまま最大の見どころになっているのは、この城ならではだと思います。
東曲輪・東口の石垣
入口と出口、どちらでも見られる大きな石垣

入口から入ってすぐの東口周辺にも、大規模な野面積みの石垣が残っています。往路では気づきにくい面もあるので、左回りで一周して戻ってきたときに、もう一度見ておくことをおすすめします。
午後に戻ると逆光になり、石と石の隙間に影が入って、積み方の輪郭がはっきりします。同じ石垣でも時間帯で見え方が変わるので、往路と復路の両方で撮っておくと違いが分かります。
ここで見ておきたいもの
- 城郭入口を構成する野面積みの石垣
- 午後の逆光で浮かび上がる石の輪郭
- 井戸曲輪から二の丸へ戻る園路沿いの石垣









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所要時間の目安
往路と復路を合わせて15分ほどです。
| 現況 | 遺構(野面積みの石垣) |
|---|---|
| 位置 | 駐車場のある入口から入ってすぐ |
| 撮影のコツ | 午後は逆光で石の輪郭が際立つ |
2025年11月16日の訪問にもとづく、筆者個人の優先順位です。小田原市や現地公式の推奨順ではありません。
谷を石垣で囲い込んだ構造がそのまま残り、底に降りると規模が一番よく分かります。ここを削ると、この城に来た意味が半分になります。
攻める側の視点から守る側の城を見る、という体験はここでしかできません。ズームを使えば小田原城がはっきり見えます。
建物は残っていませんが、立て柱の説明で建物跡の位置が読み取れます。出土した瓦から天守や櫓が推定されている場所でもあります。
広く歩きやすい曲輪ですが、芝生広場として整備されているぶん、石垣の見ごたえでは井戸曲輪や本丸周辺に譲ります。通り道にあるので、移動のついでで十分です。
よくある質問
いいえ。小田原市の説明では、天正18年(1590)の4月から6月までの約80日間が費やされ、のべ4万人が動員されました。「一夜城」という呼び名は、完成後に周囲の樹木を一気に伐り払い、小田原城から城が突然現れたように見せたと伝わる逸話に由来します。さらに天守台跡などから出土した瓦には「天正十九年」とへら書きされたものがあり、合戦後も造営が続いていた可能性が指摘されています。
残っていません。天守台跡などから多量の瓦が出土しており、小田原市はそこから天守や櫓があったと推定していますが、建物は再建もされていません。見られるのは石垣と曲輪の平坦面、そして崩れた石材です。本丸などには立て柱の説明が設けられ、建物跡の位置を現地で読み取れるようになっています。
別の場所にある別の城です。小田原城は北条氏の本拠で、市街地に再建された天守閣が建っています。石垣山城はそれを攻めた豊臣秀吉が、小田原城から見える山上に築いた陣城です。石垣山城の展望地点からは小田原城を望むことができ、両方を訪ねると1590年の包囲戦を攻守それぞれの視点から見ることができます。
城の直近まで行く観光回遊バス「うめまる号」は、土日祝(年末年始等を除く)の運行です。小田原市は「石垣山一夜城に停車する公共交通機関はうめまる号だけ」と案内しています。平日に公共交通で行く場合は、JR早川駅から徒歩約50分(市の目安)で登ることになります。臨時運休もあるため、当日の運行情報は小田原市の公式ページで確認してください。
2025年11月16日の訪問では、城内を細かく隅々まで見て回って2時間30分かかりました。これは駅からの往復と飲食の時間を含まない、城内だけの時間です。井戸曲輪・本丸・展望地点を中心に主要な見どころだけを押さえるなら、より短く回ることもできます。徒歩で登る場合は、これに片道約50分の移動を加えて計画してください。
トイレは公園内にありますが、城内に自動販売機はありません。飲み物は登る前に用意しておいてください。公園のすぐ前にある一夜城ヨロイヅカ・ファームではパンや菓子、食事を買えますが、定休日は火曜・水曜です(2026年9月24日確認)。この2日に訪ねる場合は、補給をすべて持参する前提で計画するのが安全です。
石垣が崩れた状態のまま残る城跡なので、スニーカーか登山靴など歩き慣れた靴をおすすめします。さらに、早川駅から城へ向かうルートのひとつは、雨のあとに水が川のように流れていたことがありました。雨の翌日に徒歩で登るなら、濡れても困らない靴を選んでおくと安心です。
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Following the Shogunは現地取材をもとに制作しています。
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参考情報
Official sources
- 小田原市|史跡 石垣山(文化財解説) ― 指定区分、曲輪の構成、野面積み、出土した瓦と記銘瓦、駅からの徒歩時間
- 小田原市|石垣山一夜城歴史公園 ― 築城に要した約80日間とのべ4万人、公園の面積
- 小田原市|観光回遊バス「うめまる号」 ― 運行日、1日フリー乗車券の料金、のりば、定点ガイドの実施条件、運休情報
- 小田原市|石垣山一夜城歴史公園のご案内 ― 所在地、有料・要予約のガイド、現地に管理事務所がないこと
- 小田原市|史跡 江戸城石垣石丁場跡(早川石丁場群関白沢支群) ― 江戸城改修用の石丁場であること、慶長8年から寛永13年という時期
- 神奈川県|一夜城 Yoroizuka Farm ― 営業時間と定休日(2026年9月24日確認)
- 現地配布パンフレット「石垣山一夜城」(小田原城総合管理事務所)― 本城曲輪・南曲輪・井戸曲輪・二の丸東側の石垣の説明、城割り、一夜城伝説、園内図
- 現地案内板 ― 「東国最初の総石垣の城 石垣山城」「小田原合戦と一夜城伝説」「石垣山の縄張は誰が?」「井戸曲輪」「馬屋曲輪石垣」ほか
運賃・運行日・営業時間などは変わることがあります。本記事は2026年9月24日時点の公式情報にもとづいています。訪問前に各公式ページで最新の情報を確認してください。

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