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小田原城の総構を歩く|小峯御鐘ノ台大堀切・新堀土塁・八幡山古郭・早川口遺構

小峯御鐘ノ台大堀切東堀の堀底から見た、両側に急斜面が迫るV字の空堀
神奈川県小田原市|城址公園の外に残る遺構

小田原城の総構を歩く|小峯御鐘ノ台大堀切・新堀土塁・八幡山古郭・早川口遺構

天守のある城址公園の外には、北条氏が築いた土の城がいまも残っています。土塁の上から深さ約12mに及ぶ空堀、城下を見下ろす土塁、戦国期の中心部とされる丘。2026年9月に実際に歩いた順路で、丘陵部と低地部の遺構を紹介します。

見学料無料(屋外の史跡、2026年9月23日公式サイトで確認)
新堀土塁の公開10:00〜16:00(2026年9月23日確認)
総構の長さ周囲約9km
大堀切東堀延長約280m・堀底を歩ける
✅2026年9月22日に、八幡山古郭東曲輪・小峯御鐘ノ台大堀切・三の丸外郭新堀土塁・早川口遺構などを実際に歩いて取材しました。城の東方にある徳川家康陣地跡の碑(寿町の東照宮)は、2025年11月16日に訪ねています。公開時間は2026年9月23日に小田原市の公式情報で確認しています。訪問前に最新の情報もご確認ください。

公園の外で見られるものと歩く範囲

小田原城址公園で見られる天守や門は、江戸時代の城を戦後に復興・復元したものです。一方、1590年に豊臣秀吉の大軍を迎え撃った北条氏の城は、石垣ではなく土を掘り、盛り上げて造られていました。その姿を伝える空堀(水のない堀)や土塁(土を盛った壁)は、公園の外の丘や住宅街の中に残っています。このページでは、公園の外に残る遺構を三つのまとまりに分けて紹介します。

天守や3つの門など、公園内に復元された建物を中心に巡るなら、姉妹記事「小田原城の見どころと所要時間|天守閣・3つの門から清閑亭ランチまで」をご覧ください。

1

戦国期の中心部

八幡山古郭東曲輪

天守の西にある八幡山の丘。戦国期の小田原城の遺構が集中する場所とされ、東曲輪は芝生の広場と土塁が残る高台です。

2

城の外郭

三の丸外郭新堀土塁

高台に残る土塁と堀の跡。総構の内側にあたる外郭の防御線で、一部は総構と重なります。土塁の上からは相模湾を見渡せます。

3

城下を囲む外周

小峯御鐘ノ台大堀切・早川口遺構

城下町を丸ごと囲んだ総構の遺構。丘陵の尾根を断ち切る巨大な空堀と、低地に土塁と堀を二重に巡らせた出入口の跡です。

丘陵部と低地部で歩き方が大きく違います。八幡山から大堀切、新堀土塁までは坂道が続く丘の上のコースです。早川口遺構は、海に近い平地の住宅街の中にあります。今回は小田原駅から歩き始め、午前に丘陵部を、午後に清閑亭で昼食をとってから低地部を歩きました。

丘陵部だけ歩く八幡山古郭東曲輪 → 小峯御鐘ノ台大堀切 → 三の丸外郭新堀土塁。坂道が中心です。新堀土塁は10〜16時しか入れないので、到着がその時間帯に収まるように出発時刻を決めてください。
低地部だけ歩く清閑亭の三の丸土塁 → 早川口遺構 → 大手門跡。平地の住宅街を歩くルートで、城址公園の南側から回れます。
両方歩く2026年9月22日の取材では、丘陵部と低地部を1日で回りました。城址公園の天守閣や清閑亭の昼食と組み合わせると、一日がかりの行程になります。
歩く前に。三の丸外郭新堀土塁の公開は10:00〜16:00で(時間が前後する場合あり)、時間外は施錠されます。年末年始(12月29日〜1月3日)は休園です。自転車やバイクの乗り入れはできません。丘陵部は坂道が中心で、2026年9月22日の訪問時は日中30度近い暑さでした。飲み物を持って、涼しい時間帯に歩いてください。

歩いた順路と公開時間

実際に歩いた順に並べると次のとおりです。大堀切までの道は整備されていました。2026年9月22日の訪問で大変だったのは暑さでした。

城址公園の北側から八幡山古郭東曲輪へ

天守の西にある八幡山の丘に上ります。東曲輪は芝生の広場になっていて、市街地越しに天守が見えます。

坂道を上って城山の丘陵へ

住宅街の坂道を上り、大久保神社のそばを通って丘陵の上の公園へ。道沿いに「小峯御鐘ノ台大堀切」の道標が立っています。

小峯御鐘ノ台大堀切東堀を歩く

堀底が散策路になっていて、両側に急斜面が迫る空堀の中を歩けます。

三の丸外郭新堀土塁へ(10〜16時)

丘の上の土塁から相模湾を見渡せます。公開時間内に着くように計画してください。

午後は低地部へ:清閑亭の土塁と早川口遺構

城址公園の南側の丘に建つ清閑亭は、三の丸の土塁の上にあります。そこから海側へ下り、住宅街の中の早川口遺構へ。帰りは旧東海道沿いの大手門跡を通りました。

現地までのアクセス

このページで紹介する遺構は、いずれも小田原駅を起点に徒歩で回れます。丘陵部(八幡山古郭・大堀切・新堀土塁)と低地部(早川口遺構・大手門跡など)でルートが分かれるため、事前にどちらを歩くか決めておくと計画しやすくなります。

城外遺構へのアクセス

最寄り駅小田原駅(JR東海道線 JT16/小田急小田原線 OH47)
東京方面から品川駅から東海道新幹線で小田原駅まで約30分
丘陵部(八幡山古郭・大堀切・新堀土塁)小田原駅から徒歩。小田原市観光協会の案内では、小峯御鐘ノ台大堀切まで駅から徒歩約25分。坂道が続きます
低地部(早川口遺構・大手門跡など)城址公園の南側から、平地の住宅街を歩いて回れます
徳川家康陣地跡の碑(城の東方)JR鴨宮駅から徒歩約23分(約1.8km)。小田原駅からは徒歩約27分(約1.9km)で、駅の反対側にあたります
推奨の移動手段徒歩。丘陵部・低地部とも路線バスの定期便は前提にせず、駅または城址公園からの徒歩を基本に計画してください
駐車場各遺構に一般駐車場はありません。周辺の有料駐車場を利用します
注意丘陵部は坂道が中心で、夏場は特に暑さへの備えが必要です。三の丸外郭新堀土塁は公開時間(10:00〜16:00、2026年9月23日確認)が限られています

城下を囲んだ総構と北条氏の城

小田原城は、大森氏が15世紀中ごろに築いた城郭を前身とすると考えられています。15世紀末ごろには伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原へ進出し、大森氏から小田原城を奪ったとされますが、その時期には諸説があります。2代氏綱以降、小田原城は北条氏の本拠として関東支配の中心拠点へ発展しました。

戦国期の城の中心部は、現在の城址公園よりも西側の八幡山の丘陵にあったと推定されています。そして北条氏は、豊臣秀吉との戦いに備えて、城と城下町をまるごと堀と土塁で囲みました。この外周の防御線が総構(そうがまえ)で、全長は約9kmに及びます。現地の解説板は、小田原が戦国時代最大の城郭であったことを示す遺構だと説明しています。

総構は、地形を巧みに利用して築かれました。丘陵部では尾根を深く断ち切る堀切を設け、低地部では川や海沿いの地形を利用しながら土塁と堀を巡らせています。1590年、秀吉の大軍に包囲された北条氏はおよそ3か月の籠城の末に開城しました。その後、城は徳川家康の家臣・大久保氏らによって近世の城へ改修され、現在の城址公園の天守や門は、この江戸時代の城の姿を再現しています。

① 八幡山古郭——戦国期の中心部とされる丘

国指定史跡見学無料天守の眺望

八幡山古郭東曲輪

市民の保存運動で守られた、天守を見渡す戦国期の曲輪

芝生の広がる八幡山古郭東曲輪と解説板
八幡山古郭東曲輪。芝生の曲輪の奥に土塁が残る

八幡山古郭は、八幡山丘陵の尾根の上、標高60m付近の平らな部分を中心に、戦国期の小田原城の遺構が集中する場所です。当時の城の中心部がここにあったと推定されています。丘の上の高校の敷地で行われた発掘調査では、城の出入口の一部や、堀の中に仕切りを設けた障子堀、大規模な井戸の跡が見つかっています。

そのうち東曲輪は、2005年の発掘調査で16世紀の遺構が確認された場所です。現地の解説板によると、マンションの建設計画をきっかけに調査が行われ、市民の保存運動を受けて公有地となり、2006年に国の史跡に指定されました。2026年9月22日の訪問時には、芝生の曲輪の縁から市街地越しに天守を見ることができました。解説板の写真には、石垣山一夜城の方角も示されています。

見どころ

  • 曲輪を囲む土塁の斜面
  • 市街地越しに見る天守
  • 八幡山古郭と総構の範囲を示す解説板

現地の写真

芝生に覆われた八幡山古郭東曲輪の土塁の斜面
八幡山古郭東曲輪から市街地越しに見た小田原城天守
八幡山古郭と総構の範囲を地図で示す解説板

タップすると拡大できます

地図

☕ このサイトは実地取材で制作しています。記事が参考になった方は、サポートいただけると励みになります。

② 三の丸外郭——新堀土塁と城下を見下ろす土の壁

国指定史跡見学無料公開10〜16時

三の丸外郭新堀土塁

丘の上に残る土塁から、城下と相模湾を見下ろす

杭の並ぶ園路が延びる三の丸外郭新堀土塁の上
新堀土塁の上。土塁に沿って園路が続く

「新堀」と呼ばれた堀と土塁の名残が色濃く残る場所です。総構の内側にあたる三の丸の外郭の防御線で、一部は総構と重なっています。丘の上の土塁に沿って園路が続き、土塁と堀の高低差を歩きながら確かめられます。

土塁の上は眺めが開けています。2026年9月22日の訪問時には、片側に城下の街並み、反対側には相模湾を望むことができました。天守はここからは見えませんが、本丸より高い場所に城下を囲む防御線が置かれていたことが、この眺めから分かります。

見どころ

  • 堀と土塁の高低差
  • 土塁の上から見下ろす城下の街並み
  • 丘の上から見る相模湾

現地の写真

新堀土塁の開園時間を午前10時から午後4時と示す看板
窪んだ堀の跡と両側の土塁の高まり
草に覆われた新堀土塁の高まりと園路
新堀土塁の上から見た市街地と相模湾

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見学データ

公開時間10:00〜16:00(時間が前後する場合あり)。時間外は施錠
休園日年末年始(12月29日〜1月3日)
注意自転車・バイクの乗り入れ不可。台風被害の復旧を経て2025年6月2日に公開を再開

三の丸の土塁は、城址公園の南側にも残っています。黒田長成の別邸だった清閑亭は三の丸土塁の一角に建ち、敷地は2006年に国の史跡に指定されました。前に立つ解説板が、土塁と別邸の両方を紹介しています。

三の丸土塁(清閑亭土塁)と清閑亭を紹介する解説板
清閑亭の前に立つ「三の丸土塁(清閑亭土塁)」の解説板

③ 総構——小峯御鐘ノ台大堀切と早川口遺構

国指定史跡見学無料堀底を歩ける

小峯御鐘ノ台大堀切(東堀)

丘陵の尾根を断ち切った、長さ約280mの巨大な空堀

木々に覆われた急斜面が両側に迫る大堀切東堀の堀底
大堀切東堀の堀底。両側の斜面は50〜60度の急勾配

戦国時代の小田原城は、標高123.8mの小峯御鐘ノ台を頂点に、周囲約9kmにわたって堀と土塁を巡らせていました。ここは尾根伝いに箱根の山へつながっているため、尾根の上の往来を断ち切る大規模な堀切(尾根を掘り切った空堀)が造られました。現在は東から「東堀」「中堀」「西堀」と呼ばれる3本があります。

東堀は、もともと三の丸の新堀の一部で、1587年から総構の堀とともに中堀・西堀が造られたことで、一連の大堀切になったと解説板は説明しています。現在の土塁の上から測った堀の幅は25〜30m、深さはおよそ8〜10m。発掘で確認された堀底まで含めると、深さは12〜15mあったことが分かっています。堀底には障子堀(堀の中に仕切りを設けた堀)の造りも確認されています。

東堀は延長約280mが残り、堀底が散策路になっています。堀の中に下りると両側の斜面が頭上まで迫り、写真では伝わりにくい高さがあります。途中2か所で、堀の線を折り曲げて横から攻撃できるようにした「横矢掛り」も確認できます。

見どころ

  • 堀底の散策路から見上げる両側の急斜面
  • 堀の線が折れ曲がる横矢掛り(2か所)
  • 3本の堀切の位置を示す解説板
  • 丘の上から見る箱根方面の山並み

現地の写真

柵の先から堀底へ下りていく大堀切東堀の入口
大堀切東堀の両側に迫る急な斜面
木立の中を続く大堀切東堀の途中の堀底
小田原を守った総構と三本の堀切を説明する解説板
小峯御鐘ノ台大堀切東堀の規模を説明する解説板
東堀と西堀、新堀土塁の方向を示す道標
園路脇に立つおかねのだいと刻まれた石柱
小峯御鐘ノ台付近から見た家並みと箱根方面の山並み

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地図(東堀)

堀の幅・深さ・勾配・延長は、現地の解説板(2018年3月 小田原城総合管理事務所)と小田原市の案内に記載された数値です。筆者が測ったものではありません。
国指定史跡見学無料低地部に残る土塁

早川口遺構

土塁と堀を二重に巡らせた、総構の出入口の跡

住宅に囲まれた早川口遺構の窪んだ堀跡と木の茂る土塁
早川口遺構。窪んだ堀の跡と土塁が住宅街の中に残る

海に近い平地の住宅街に、芝生の窪みと土塁の高まりが突然現れます。早川口は「二重外張(ふたえそとばり)」と呼ばれる、土塁と堀を二重にして守りを固めた場所で、北条氏の時代には総構の虎口(城の出入口)であったと考えられています。

江戸時代になると、東海道沿いの上方口(板橋口)に虎口が移ったため、ここには戦国時代の遺構がよく残りました。明治時代以降に別荘地などとして使われ、地形が変わった部分もありますが、低地部で見られる数少ない戦国時代の土塁の一つです。発掘調査では、人の頭ほどから一抱えもある玉石を2m以上積み上げて土塁を築いていたことが分かっています。

二重外張と呼ばれる早川口遺構を説明する解説板
芝生に覆われた早川口遺構の堀の窪みと土塁

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低地部の帰り道では、江戸時代の城の門の跡も通りました。旧東海道沿いの大手門跡には、門の櫓台の石垣の上に大正時代に建てられた鐘楼が残ります。駅に近い幸田口門跡は、三の丸の出入口の一つだった場所で、広場に石碑と解説板が立っています。どちらも戦国期の総構ではなく、江戸時代の城の門の跡です。

江戸時代の大手門と鐘楼の由来を説明する大手門跡の解説板
幸田口門跡の広場に立つ解説板

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公園と城外の遺構を両方歩いてみて感じたのは、今の住宅街からは想像しにくいほど広い範囲に、手間をかけて戦への備えを施していたということです。堀切や堀は、実際にその場に立つと写真では伝わらない高さがあり、規模の大きさを体で実感できました。

④ 城の東方——今井の東照宮と徳川家康陣地跡の碑

ここまでは城を守った北条氏の側の遺構ですが、小田原城の東方、寿町の住宅街には、城を囲んだ側が陣を張ったと伝えられる場所が残っています。1590年の小田原戦役で徳川家康が本陣を置いたとされる地で、江戸時代に建てられた石碑が、いまは東照宮の境内に立っています。2025年11月16日に、JR鴨宮駅から歩いて訪ねました。

小田原市指定重要文化財見学無料東照宮の境内

小田原戦役 徳川家康陣地跡の碑🎥 360°

城を囲んだ側の本陣跡に、天保七年に建てられた石碑

東照宮の境内に立つ、自然石を用いた徳川家康陣地跡の碑
徳川家康陣地跡の碑。碑石の高さは約2.2m、台座を含めた総高は約3.3m

現地の解説板によると、この記念碑は天正18年(1590)の小田原戦役の際に徳川家康が陣を張った跡に建てられたものです。碑文は小田原城主・大久保忠真の作で、藩士の岡田左太夫光雅に書かせ、天保7年(1836)9月17日に建立されました。北条氏の城を攻めた側の陣跡が、二百数十年後に小田原藩の手で記念されたことになります。

陣所は、当時今井(現在の寿町)に住んでいた柳川和泉守泰久の宅地だったと伝えられます。家康はここを本陣とし、北条氏が降伏して開城するまで、およそ110日間滞留していたといわれます。碑は1961年(昭和36年)3月30日に小田原市指定重要文化財に指定されました。石碑のかたわらには東照宮の小さな社殿が建ち、道路沿いには「東照宮 家康公小田原役 今井陣場跡」と記した標柱が立っています。

見どころ

  • 天保七年に建てられた石碑(総高約3.3m)
  • 由来と家康の進路を伝える小田原市教育委員会の解説板
  • 碑のかたわらに建つ東照宮の社殿と棟飾り
  • 道路沿いの「今井陣場跡」の標柱

現地の写真

道路から見た東照宮の境内。左に徳川家康陣地跡の碑、中央に社殿、右に鳥居が並ぶ
「小田原市指定重要文化財 徳川家康陣地跡の碑」と記された赤い標柱と、奥に立つ石碑
徳川家康陣地跡の碑の由来を記した小田原市教育委員会の解説板
木立に囲まれて建つ東照宮の小さな社殿
東照宮の社殿の軒先に取り付けられた青銅色の飾り金具
見上げた東照宮の屋根と、青銅色の棟飾り
「東照宮 家康公小田原役 今井陣場跡」と書かれた道路沿いの標柱
道路の向かいから見た東照宮への入口と標柱
夕方の住宅街を通り境内へ続く細い道

タップすると拡大できます

360°パノラマ

🎥
360° パノラマ 今井の東照宮・徳川家康陣地跡の碑

碑が伝える家康の進路

解説板は、家康の軍がたどった道筋も伝えています。家康は豊臣方の先鋒として約3万の兵を率いて出陣し、兵を三方に分けて箱根を越えました。三島から宮城野を経て明星岳を越え久野諏訪原に出た軍、鷹ノ巣城(箱根町)を陥れて湯坂を越えた軍、そして足柄城(南足柄市)と新荘城(山北町)を陥れて足柄越えをした別の軍。この三隊が合流して、小田原城の東方にあたるこの地に布陣したと説明されています。

見学データ

所在地神奈川県小田原市寿町四丁目14・15
指定小田原市指定重要文化財(1961年〈昭和36年〉3月30日指定)
建立天保7年(1836)9月17日。碑文は小田原城主・大久保忠真の作
碑の大きさ総高335cm/碑石の高さ223cm/幅130cm・厚さ18cm(解説板による)
アクセスJR鴨宮駅から徒歩約23分(約1.8km)、小田原駅から徒歩約27分(約1.9km)。2025年11月16日の訪問では鴨宮駅から歩いて向かい、帰りは小田原駅まで歩きました
見学料無料。屋外の史跡で、境内は住宅街に面しています
注意専用の駐車場はありません。周囲は生活道路のため、見学は道をふさがないようご配慮ください

総構の堀や土塁を歩いたあとにこの碑の前に立つと、同じ戦いを囲まれた側と囲んだ側の両方から見ることができます。城の東方およそ2kmという距離が、包囲の規模を静かに伝えていました。碑を見たあとは、そのまま小田原駅まで歩いて戻りました。

ほかに残る総構の遺構(今回は未訪問)

総構の遺構は、ほかにも市内の各所に残っています。今回の取材では歩いていませんが、位置の参考として地図と概要をまとめました。説明は小田原市の案内などにもとづきます。

城下張出

地形を利用して総構から外側へ張り出させた部分で、総構に取り付いた敵を横から攻撃できるようにしたと説明されています。

山ノ神堀切

谷津丘陵の上の通行を制限するために設けられた堀切です。北側は総構の堀とつながっています。

稲荷森

総構の中でも遺構が最も良好に残る場所の一つとされ、堀が地形に沿って弧を描く様子を確認できると案内されています。

江戸口見附

総構の東側、江戸方面からの東海道が城下に入る地点に置かれた見附(門)の跡とされます。

蓮上院土塁

1590年の秀吉の小田原攻めに備えて北条氏が築いた総構の一部です。

よくある質問

北条氏が城と城下町をまるごと囲んだ、堀と土塁による外周の防御線です。全長は約9kmに及び、1590年の豊臣秀吉との戦いに備えて築かれました。丘陵部の大堀切や低地部の早川口遺構などが、いまも市内に残っています。

このページで紹介した遺構は、いずれも屋外の史跡で入場料はかかりません(小田原市の公式情報を2026年9月23日に確認)。ただし、三の丸外郭新堀土塁は公開時間が10:00〜16:00(時間が前後する場合あり)で、時間外は施錠されます。年末年始(12月29日〜1月3日)は休園です。

小峯御鐘ノ台大堀切の東堀は、延長約280mの堀底が散策路になっていて、空堀の中を歩けます。取材時、東堀までの道は整備されていました。

八幡山から大堀切、新堀土塁までの丘陵部は坂道が中心です。取材した2026年9月22日は日中30度近い暑さで、道は整っていても暑さがこたえました。飲み物を用意して、涼しい時間帯に歩くことをおすすめします。早川口遺構のある低地部は平地の住宅街です。

城址公園の天守や門は、江戸時代の城の姿を戦後に復興・復元した建物です。このページの遺構は、北条氏の時代の城を形づくっていた土の堀や土塁で、建物は残っていません。石垣の城になる前の、戦国時代の城の規模を地形から読み取れるのが特徴です。

小田原市観光協会の案内では、小田原駅から小峯御鐘ノ台大堀切まで徒歩約25分です。途中は住宅街の坂道が続きます。取材では八幡山古郭東曲輪に寄ってから向かいましたが、大堀切までの道は整備されていました。

2026年9月22日の訪問時には、八幡山古郭東曲輪の芝生の縁から、市街地越しに天守を見ることができました。三の丸外郭新堀土塁からは天守は見えませんが、城下の街並みと相模湾を望めました。

小田原城の東方、寿町の住宅街に「小田原戦役 徳川家康陣地跡の碑」が立っています。天保7年(1836)に建てられた石碑で、現在は東照宮の境内にあり、小田原市指定重要文化財です。家康はここを本陣として、開城までおよそ110日間滞留したといわれます。JR鴨宮駅から徒歩約23分、小田原駅からは徒歩約27分で、見学は無料です。

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参考にした公式情報

総構の各遺構と新堀土塁の公開時間:小田原市「小田原城総構」/八幡山古郭:小田原市「八幡山古郭」/城の歴史:小田原城「小田原城の歴史」、小田原城「歴史年表」/大堀切への徒歩時間:小田原市観光協会「小峯御鐘ノ台大堀切」/駅ナンバリング:JR東日本「駅の情報(小田原駅)」/清閑亭と三の丸土塁:小田原市「清閑亭」/このほか、各遺構の現地解説板(小田原城総合管理事務所、小田原市教育委員会)を参照しました。

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