姉川古戦場の現地看板めぐり全記録|番号1〜15、史跡データ・パノラマ写真を完全収録
このページは、姉川古戦場(滋賀県長浜市)に設置されている番号付き看板15か所を全て現地で確認し、まとめた唯一のガイドです。インターネットで調べても、この15か所の看板が整理されたページが存在しなかったため、実際に現地を歩いて全スポットを記録しました。
各看板の史跡データ・見どころ・トリビア・アクセス・地図・360度パノラマ写真をアコーディオン形式で収録しています。是非、各スポットの「史跡データ・見どころ・地図を開く」のバナーをクリックして現場の雰囲気を確認してください。姉川古戦場の概要・アクセス・主要スポットの解説については、姉川古戦場の見どころと歩き方ガイドをあわせてご覧ください。
全15の看板マップ
全看板紹介
看板番号1:信長本陣と家康本陣
姉川合戦の布陣を読み解く、古戦場めぐりの出発点

北郷里まちづくりセンター駐車場に設けられた「信長本陣と家康本陣」の案内看板は、姉川合戦の布陣を読み解く出発点となるスポットです。元亀元年(1570)6月28日、織田信長は姉川南岸の「陣杭の柳」に、徳川家康はそこから北西に位置する「岡山」に本陣を置いたことが確認されています。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 北郷里まちづくりセンター駐車場に設置された姉川合戦の案内看板。織田信長本陣「陣杭の柳」と徳川家康本陣「岡山」の位置関係を示す。 |
|---|---|
| 文化財指定 | 情報なし |
| 備考 | 姉川合戦当日の織田信長本陣は「陣杭の柳」、徳川家康本陣は「岡山」と確認されている。 |
👀 見どころ
- 信長本陣「陣杭の柳」:姉川南岸に置かれた織田信長本陣として確認される地点で、合戦当日の織田軍の動きを考える手がかりになる。
- 家康本陣「岡山」:陣杭の柳から北西へ約800メートルの小丘で、徳川家康が本陣を置いた場所として確認されている。
- 古戦場めぐりの起点:駐車場が整備されており、全体の布陣を把握してから各史跡を歩き始めるのに最適。
📌 トリビア
- 岡山から「勝山」へ:徳川家康の本陣とされる「岡山」は、家康が合戦に勝利したことから、江戸時代に「勝山」と呼ばれるようになった。
🗺 住所
滋賀県長浜市東上坂町976番地7
🚶 アクセス
JR長浜駅から車で約15〜20分。北郷里まちづくりセンター駐車場が古戦場めぐりの起点として利用されている。
🚗 駐車場
北郷里まちづくりセンター駐車場を利用可(無料・※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約15分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:信長本陣と家康本陣
看板番号2:遠藤直経の墓
信長本陣へ迫った浅井軍重臣の最期を伝える、静かな田園の墓所

田園の一角に立つ遠藤直経の墓は、姉川合戦で浅井長政に仕えた重臣の最期を伝える小さな史跡です。元亀元年(1570)の合戦で、遠藤直経は浅井軍の敗色が濃くなるなか、織田軍を装って信長本陣へ迫った人物として伝わります。現在の墓前には墓標と案内板が整えられています。
📜 史跡データ
| 築造年 | 昭和54年(1979)に墓標建立 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 平成9年(1997)、圃場整備事業により現在地へ移転 |
| 文化財指定 | 未指定 |
| 備考 | かつて現在地の約40メートル北に「遠藤塚」と呼ばれる塚があり、直経の墓と伝えられていた。 |
👀 見どころ
- 遠藤直経の墓標:浅井長政の重臣として姉川合戦に臨んだ遠藤直経をしのぶ墓標。
- 季節行事:毎年7月に追悼法要が営まれている。
📌 トリビア
- 信長本陣への決死の接近:遠藤直経は、味方の首級を掲げて織田軍を装い、信長本陣への接近を試みたと伝えられている。
- 移転された墓所:現在の墓所は、圃場整備のため、かつての「遠藤塚」から移された場所にある。
🗺 住所
滋賀県長浜市垣籠町565
🚶 アクセス
北郷里まちづくりセンター(看板番号1)から徒歩圏内。
🚗 駐車場
専用駐車場なし。北郷里まちづくりセンター駐車場を起点に徒歩で訪問。
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約15分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:遠藤直経の墓
看板番号3:龍ヶ鼻の曲輪群
古墳と戦国の軍事拠点が重なる、横山丘陵北端の高台

茶臼山古墳の前に立つ「龍ヶ鼻の曲輪群」の看板は、姉川合戦直前の織田・徳川連合軍の動きをたどる重要な手がかりです。横山丘陵の北端にあたる龍ヶ鼻は、姉川古戦場を望む地形にあり、織田信長と徳川家康が横山城攻めの際に陣を置いた場所として伝えられています。足元には、自然の山を利用した前方後円墳である茶臼山古墳が残ります。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 横山丘陵北端の龍ヶ鼻に残る曲輪跡。付近の茶臼山古墳は自然の山を利用した前方後円墳。 |
|---|---|
| 消滅・損壊 | 茶臼山古墳の後円部頂部は、昭和初期の軍事演習により削られたと確認されている。 |
| 文化財指定 | 茶臼山古墳は滋賀県指定史跡 |
| 備考 | 元亀元年(1570)6月、織田信長と徳川家康が横山城攻めの際に陣を置いた場所として説明されている。 |
👀 見どころ
- 龍ヶ鼻の曲輪跡:姉川合戦直前、信長と家康が陣を置いたと説明される丘陵上の軍事拠点。
- 茶臼山古墳:姉川古戦場を望む自然地形を利用した前方後円墳。
- 眺望:横山丘陵の北端に位置し、姉川流域の戦場となったエリアを見渡せる。
📌 トリビア
- 埴輪の出土:茶臼山古墳の後円部登り口からは、多数の円筒埴輪の破片が出土したことが確認されている。
🗺 住所
滋賀県長浜市東上坂町
🚶 アクセス
北郷里まちづくりセンターから徒歩または車で移動。横山丘陵北端に位置し、丘を登る経路あり。
🚗 駐車場
専用駐車場なし(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約10分 / じっくり:約30分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:龍ヶ鼻の曲輪群
看板番号4:織田信長と陣杭の柳
信長が陣太鼓をかけた柳のそばに立つ、本陣跡の象徴

陣杭の柳は、姉川合戦における織田信長の本陣跡として伝わる場所です。信長が柳に陣太鼓をかけて指揮をしたという伝承が残されています。現在の柳は平成元年(1989)に3代目の枝から取られた4代目で、田園の中に立つ一本の柳を前にすると、戦場全体を見据えた信長本陣の位置を静かに感じ取ることができます。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 姉川合戦における織田信長本陣跡とされる柳。信長が陣太鼓をかけて指揮したという伝承がある。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 現在の柳は平成元年(1989)に3代目の枝から取られた4代目。 |
| 文化財指定 | 情報なし |
👀 見どころ
- 陣杭の柳:織田信長が陣太鼓をかけて指揮したという伝承が残る柳。
- 4代目の柳:現在立つ柳は代を重ねて受け継がれており、伝承の継承という観点からも興味深い。
📌 トリビア
- 4代目の由来:現在の柳は平成元年(1989)に3代目の枝から取られた4代目にあたる。
🗺 住所
滋賀県長浜市東上坂町
🚶 アクセス
北郷里まちづくりセンターから徒歩圏内。田園の中に一本の柳が立つため、案内看板を参照しながら進む。
🚗 駐車場
専用駐車場なし(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約15分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:織田信長と陣杭の柳
看板番号5:徳川家康と岡山
勝利の丘「岡山」——家康本陣跡と流岡神社が重なる静かな史跡

上坂神社前に立つ「徳川家康と岡山」の看板は、姉川合戦における徳川家康の本陣跡を示す入口です。元亀元年(1570)6月28日、家康は「陣杭の柳」から約800メートル北西にある小丘「岡山」に本陣を置きました。合戦後、この地は家康の勝利にちなみ、江戸時代には「勝山」と呼ばれるようになります。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 東上坂町にある小丘で、姉川合戦時の徳川家康本陣跡とされる。江戸時代には「勝山」と呼ばれた。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 明治41年(1908)に東上坂集落内の上坂神社へ流岡神社が移された。 |
| 文化財指定 | 未指定 |
| 備考 | 上坂神社には、元亀元年(1570)に織田信長が姉川合戦の勝利に感謝して奉献した金灯籠がある。 |
👀 見どころ
- 岡山(勝山):徳川家康が姉川合戦で本陣を置いた小丘で、陣杭の柳との距離感を現地で確かめると布陣が見えてくる。
- 上坂神社の金灯籠:織田信長が姉川合戦の勝利に感謝して奉献したとされる金灯籠が残る。
📌 トリビア
- 岡山から「勝山」へ:岡山は、家康がこの地で指揮をとり勝利したことから、江戸時代に「勝山」と呼ばれるようになった。
- 近江国絵図に残る名:江戸時代の近江国絵図には、勝山や流岡神社の名が記された例が確認されている。
🗺 住所
滋賀県長浜市東上坂町1302
🚶 アクセス
上坂神社前が目印。看板番号4(陣杭の柳)から北西へ約800メートル。
🚗 駐車場
上坂神社付近に駐車スペースあり(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約10分 / じっくり:約20分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:徳川家康と岡山
看板番号6・15:石田三成屋敷と横山丘陵
豊臣の知将・石田三成が生まれた地と、合戦を見渡す横山丘陵

石田治部少輔三成屋敷跡前に立つ「石田三成屋敷と横山丘陵」の看板は、姉川合戦の戦場を東西に見渡す横山丘陵と、後に豊臣政権を支えた石田三成の原点を結びつける場所です。石田会館は、三成が生まれた屋敷跡に建ち、会館外には「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成像があります。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 石田三成の生家跡に建つ石田会館。会館外に出生地の石碑と三成像があり、館内に三成関連資料室がある。 |
|---|---|
| 文化財指定 | 情報なし |
| 備考 | 石田三成は永禄3年(1560)、近江国坂田郡石田村(現・滋賀県長浜市石田町)に生まれた。石田会館建物裏手には石田家屋敷に関わる堀の跡が残ると確認されている。 |
👀 見どころ
- 石田治部少輔出生地の石碑:石田三成の生誕地であることを示す石碑で、三成ゆかりの地めぐりの中心となる。
- 横山丘陵へのつながり:屋敷跡周辺から横山へ向かうハイキングコースが設けられ、三成の故郷と横山城跡を結ぶ地形を体感できる。
- 石田三成祭:石田会館周辺では石田三成祭に合わせて三成ゆかりの展示や地域行事が行われる。
📌 トリビア
- 横山城と信長の拠点:横山城は姉川合戦後、織田信長軍の拠点となり、小谷城攻めにも関わる重要な城跡である。
- 三成と豊臣政権:石田三成はこの石田村に生まれ、後に豊臣秀吉に仕え、豊臣政権の五奉行の一人となった。
🗺 住所
滋賀県長浜市石田町治部576
🚶 アクセス
JR長浜駅から車で約15〜20分。横山丘陵ハイキングコースの入口としても利用可能。
🚗 駐車場
石田会館付近に駐車スペースあり(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約45分(資料館見学含む)
💴 入場料
無料。ただし石田会館は常時開館ではないため、開館日・利用可否は事前確認をおすすめします。
パノラマ写真:石田三成屋敷と横山丘陵
看板番号7:血原と三田村氏館
激戦地「血原」と中世城館の遺構が隣り合う、姉川北岸の史跡ゾーン

血原公園内に立つ「血原と三田村氏館」の看板は、姉川合戦の北岸側を読み解く案内役です。元亀元年(1570)6月28日の激戦でこの周辺には「血原」という地名が残りました。近くの三田村氏館跡は、合戦時に朝倉景健軍の本陣が置かれた場所です。現在も土塁や堀の名残が確認でき、静かな田園の中で、武将の布陣と中世平地城館の姿を重ねて歩ける史跡です。
📜 史跡データ
| 築造年 | 三田村氏館跡は15世紀後半〜16世紀初頭 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 血原公園は姉川合戦の激戦地とされる血原に整備された公園。三田村氏館跡はほぼ60メートル四方の土塁に囲まれた平地城館で、土塁・堀跡・虎口が残る。 |
| 文化財指定 | 三田村氏館跡は国指定史跡「北近江城館跡群 下坂氏館跡・三田村氏館跡」 |
| 備考 | 姉川合戦時には、朝倉景健軍の本陣が置かれた場所として知られる。 |
👀 見どころ
- 血原公園:姉川合戦の激戦地とされる血原の地に整備された公園で、静かな水辺と田園の中に戦場の記憶をたどれる。
- 三田村氏館跡:朝倉景健軍の本陣が置かれたとされる国指定史跡で、土塁や堀跡から中世の平地城館の守りを読み取れる。
- 春の景観:春には姉川周辺の桜や青麦畑を眺めながら、古戦場一帯を散策できる。
📌 トリビア
- 真柄十郎左衛門の奮戦:血原は、朝倉方の武将・真柄十郎左衛門直隆が大太刀をふるって奮戦した地として知られる。
- 朝倉景健の本陣:三田村氏館跡には朝倉景健軍の本陣が置かれ、徳川家康軍と対峙した場所として伝えられる。
パノラマ写真:血原と三田村氏館
看板番号8:姉川古戦場
野村橋のたもとに立つ慰霊碑——姉川合戦の中心地

姉川古戦場跡の石碑の隣に立つ「姉川古戦場」の看板は、野村橋付近で繰り広げられた合戦の中心部を伝える案内です。現在、野村橋のたもとには戦死者を弔う慰霊碑が立ち、周辺には陣杭の柳、三田村氏館跡、血原など、合戦の記憶を伝える史跡が点在しています。川音と田園の広がりのなかで石碑を眺めると、戦国の勢力図を大きく動かした一戦の重みが静かに迫ってきます。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 姉川野村橋付近に残る古戦場跡。戦死者慰霊碑、古戦場碑、案内看板が設置されている。 |
|---|---|
| 文化財指定 | 長浜市指定史跡「姉川古戦場跡」。昭和54年(1979)5月1日指定。 |
| 備考 | 所在地は滋賀県長浜市野村町・三田町。 |
👀 見どころ
- 戦死者慰霊碑:姉川合戦で命を落とした人々を弔う碑で、古戦場跡の中心的な目印となっている。
- 野村橋付近の古戦場景観:姉川を挟んで両軍が対峙した地形を現地で確認でき、信長・家康側と浅井・朝倉側の布陣を想像しやすい。
📌 トリビア
- 同盟破棄と衝突:姉川合戦は、浅井長政と織田信長の同盟関係が崩れ、浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が衝突した戦いである。
🗺 住所
滋賀県長浜市野村町・三田町
🚶 アクセス
JR長浜駅から車で約20分。野村橋付近が目印。
🚗 駐車場
野村橋付近に駐車スペースあり(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約10分 / じっくり:約30分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:姉川古戦場
看板番号9:血川と野村の史跡
圃場整備で消えた血川の記憶——地名が伝える浅井軍の敗退

「血川と野村の史跡」の看板は、姉川合戦で浅井長政軍が布陣した野村集落の南側に立つ案内です。看板付近には、戦いで流れた血に染まったと伝えられる「血川」がかつて流れていましたが、昭和60年(1985)に完成した野村町の圃場整備により流路はなくなっています。現在は川そのものを見ることはできませんが、地名と案内板が、野村一帯に刻まれた合戦の記憶を静かに伝えています。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 浅井長政軍が陣を置いた野村集落南側の史跡案内看板。かつて付近を流れていた血川の説明を含む。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和60年(1985)に完成した野村町の圃場整備により、血川の流路はなくなった。 |
| 文化財指定 | 情報なし |
| 備考 | 説明板では、かつての血川の川幅が看板の幅と同じであったことが紹介されている。 |
👀 見どころ
- 看板と同じ川幅:説明板では、かつての血川の川幅が看板の幅と同じであったことが紹介されており、サイズ感を体感できる。
- 浅井軍の布陣地:浅井長政軍が野村集落の南に布陣した場所に近く、姉川対岸の織田軍との距離感を感じられる。
📌 トリビア
- 圃場整備で消えた血川:血川は、かつて看板付近を流れていたが、昭和60年(1985)の圃場整備で流路がなくなった。
パノラマ写真:血川と野村の史跡
看板番号10:浅井長政と陣殿
圃場整備で失われた陣田の丘——浅井本陣の伝承地を読む

「浅井長政と陣殿」の看板は、浅井軍の本陣伝承を伝える案内です。かつてこの周辺には「陣田」と呼ばれる小高い丘があり、浅井長政の本陣跡と伝えられてきました。現在は圃場整備によって往時の地形は失われていますが、石碑と案内板のある一帯から姉川の流れを眺めると、浅井・織田両軍が向かい合った戦場の距離感を確かめることができます。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 浅井長政本陣跡と伝わる陣殿・陣田に関する案内看板。かつて「陣田」と呼ばれる小高い丘があったとされる。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和60年(1985)に完成した野村町の圃場整備により、陣田と呼ばれた小高い丘は失われた。 |
| 文化財指定 | 姉川古戦場跡は長浜市指定史跡。陣殿・陣田の個別指定は情報なし。 |
| 備考 | 野村集落内には、浅井氏家臣の屋敷跡に関係すると考えられる土塁が複数残ると確認されている。 |
👀 見どころ
- 浅井長政本陣跡の伝承地:姉川合戦で浅井長政が本陣を置いたと伝わる場所で、野村側から織田軍の陣地方面を見渡す視点が得られる。
- 野村集落の土塁:集落内には浅井氏家臣の屋敷跡に関係すると考えられる土塁が複数残ると確認されている。
📌 トリビア
- 前夜の大依山から進軍:浅井長政は合戦前日まで大依山に布陣し、合戦当日の未明に野村方面へ軍を進めたと伝えられている。
- 昭和60年の圃場整備:昭和60年(1985)の圃場整備以前、この地には「陣田」と呼ばれる小高い丘が存在した。
🗺 住所
滋賀県長浜市野村町
🚶 アクセス
姉川古戦場跡(看板番号8)の石碑隣に位置する。野村橋付近から徒歩でアクセス可能。
🚗 駐車場
野村橋付近に小規模な駐車スペースがありますが、野村橋周辺は車両通行規制が行われている場合があります。車で訪れる際は、現地の規制情報・迂回ルートを事前に確認してください。
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約15分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:浅井長政と陣殿
看板番号11:国指定史跡 三田村氏館跡
朝倉景健の本陣が置かれた中世城館——土塁と堀が現存する姉川北岸の国指定史跡


三田村氏館跡は、姉川北岸の三田町に残る中世平地城館の遺構です。京極氏、のちに浅井氏に仕えた三田村氏の居城で、元亀元年(1570)の姉川合戦では、朝倉軍の主将・朝倉景健の本陣が置かれた場所として知られています。現在の館跡は伝正寺境内を中心に土塁や堀跡が残り、約60メートル四方の主郭を囲む厚い土塁が、戦国期の在地領主の防御空間を今に伝えています。
📜 史跡データ
| 築造年 | 15世紀後半〜16世紀初頭 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 約60メートル四方の主郭を土塁が囲む平地城館。土塁は高さ約2〜3メートル、幅約5メートルで、虎口や堀跡も残る。 |
| 改修・復元歴 | 16世紀前半に土塁などが改築された。 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「北近江城館跡群 下坂氏館跡・三田村氏館跡」。平成19年(2007)7月26日追加指定。 |
| 備考 | 姉川合戦時には、朝倉景健軍の本陣が置かれた場所として知られる。 |
👀 見どころ
- 主郭を囲む土塁:約60メートル四方の館跡を囲む土塁が残り、戦国期の平地城館が持つ防御性を現地で読み取れる。
- 虎口と堀跡:館の入口にあたる虎口や周囲の堀跡が残り、単なる屋敷ではなく軍事的な備えを持つ館であったことがわかる。
- 伝正寺境内の散策:館跡の中心部は現在の伝正寺境内にあたり、寺院の周囲を歩きながら土塁の立ち上がりを確認できる。
📌 トリビア
- 三田村氏の勢力:三田村氏は京極氏、浅井氏に仕えた在地領主で、姉川北岸で大きな勢力を持った一族である。
- 朝倉景健の本陣:越前から浅井長政を支援した朝倉景健軍の本陣が置かれた場所として伝えられる。
🗺 住所
滋賀県長浜市三田町
🚶 アクセス
血原公園(看板番号7)から西へ移動。伝正寺が目印。
🚗 駐車場
伝正寺付近に駐車スペースあり(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約40分
💴 入場料
無料(境内見学)
パノラマ写真:三田村氏館跡(伝正寺周辺)
看板番号12:七十士の墓
五輪塔が並ぶ静かな墓所——姉川合戦の戦死者を弔う石塔群

七十士の墓は、姉川合戦で亡くなった人々を弔う石塔群として伝わる史跡です。静かな三田町の一角に、五輪塔や宝篋印塔を含む石塔がまとめられ、名も残らぬ戦死者への供養の記憶を伝えています。もとは現在地の西北にあった「西三昧」と呼ばれる場所にあり、三田町の圃場整備にともなって現在地へ移されました。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 五輪塔や宝篋印塔を含む石塔群。姉川合戦の戦死者を弔う墓として伝わる。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和55年(1980)に完成した三田町の圃場整備に際し、現在地へまとめられた。 |
| 文化財指定 | 情報なし |
| 備考 | 三田村城の城主であった三田村左衛門一族の墓とする説もある。もとの所在地「西三昧」は、三田村氏館跡に移転した伝正寺の旧地とされている。 |
👀 見どころ
- 七十士の石塔群:五輪塔や宝篋印塔が並び、姉川合戦で失われた命を弔う場として静かな重みを感じられる。
- 三田村氏館跡との近接:まとめて歩くと中世城館と慰霊の場が重なる景観を味わえる。
📌 トリビア
- 伝正寺の旧地:もとの所在地「西三昧」は、三田村氏館跡に移転した伝正寺の旧地とされている。
パノラマ写真:七十士の墓
看板番号13:大依山
浅井・朝倉軍が一時布陣した山——合戦前夜の軍議の舞台を資料館から望む

浅井歴史民俗資料館付近から望む大依山は、姉川合戦の直前、浅井長政・朝倉景健の連合軍が一時陣を置いた山として知られます。元亀元年(1570)6月、織田信長が横山城を攻めるなか、浅井・朝倉軍はこの山に一時布陣し、現地看板では、姉川方面へ進むか小谷城へ退くかをめぐる判断の場として紹介されています。山麓には浅井氏の歴史を学べる資料館があり、展示で背景を確かめてから山の稜線を眺めると、合戦前夜の緊迫した判断の場がより立体的に見えてきます。
📜 史跡データ
| 構造・特徴 | 浅井歴史民俗資料館の背後に見える山。姉川合戦前に浅井・朝倉軍が一時陣を置いた場所。 |
|---|---|
| 文化財指定 | 情報なし |
| 備考 | 合戦前、浅井・朝倉軍がこの大依山から姉川方面へ進軍したことが確認されている。 |
👀 見どころ
- 大依山の稜線:浅井・朝倉軍が姉川合戦前に一時陣を置いた山で、資料館付近から眺めると戦場へ向かう前の位置関係をつかみやすい。
- 浅井歴史民俗資料館:浅井氏や小谷城、地域の歴史を学べる施設で、大依山と姉川合戦を歩く前の理解を深められる。
- 4施設構成:郷土学習館、糸姫の館、鍛冶部屋、七りん館の4施設で構成され、浅井地域の歴史や暮らしを紹介している。
📌 トリビア
- 大依山から姉川への進軍:浅井・朝倉軍は、姉川合戦の前に大依山へ一時布陣し、その後姉川北岸の野村・三田方面へ進んだ。
- 軍議の場:姉川方面へ進むか小谷城へ退くかをめぐる浅井・朝倉軍の軍議の舞台となった。
🗺 住所
滋賀県長浜市大依町528付近
🚶 アクセス
JR河毛駅から車で数分。浅井歴史民俗資料館が目印。
🚗 駐車場
浅井歴史民俗資料館の駐車場を利用(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約15分 / じっくり:約60分(資料館見学含む)
💴 入場料
浅井歴史民俗資料館は別途入館料あり(※要確認)。山の見学は無料。
パノラマ写真:大依山
看板番号14:上坂氏館跡
丸ノ内に残る京極・浅井の重臣、上坂氏の中世城館跡

上坂城跡付近に立つ「上坂氏館跡」の看板は、姉川南岸の中世勢力を伝える案内です。上坂氏は、室町時代から北近江の守護であった京極氏の有力家臣として活動し、のちに浅井氏、羽柴氏にも仕えた湖北の土豪です。館跡は長浜市西上坂町にあり、平城形式の居館として「丸ノ内」と呼ばれた一角に城跡碑が立ちます。堀や土居を備えた中世武士の居館の名残を、集落の風景の中に読み取ることができる場所です。
📜 史跡データ
| 築造年 | 室町時代 |
|---|---|
| 築造者 | 上坂氏 |
| 構造・特徴 | 平城形式の館跡。丸ノ内と呼ばれる一角に城跡碑があり、堀と土居を備えた居館跡として知られる。 |
| 現存状況 | 城跡碑と土塁の一部が現存 |
| 備考 | 丸ノ内の周辺には、伊賀守屋敷、信濃守屋敷、三原屋敷と呼ばれる屋敷地の名が伝わる。 |
👀 見どころ
- 上坂城跡の石碑:上坂氏の居館跡であることを示す目印で、集落の中に残る中世城館の記憶を確認できる。
- 屋敷地の名の残存:丸ノ内の周辺には、伊賀守屋敷、信濃守屋敷、三原屋敷と呼ばれる屋敷地の名が伝わる。
📌 トリビア
- 京極氏の重臣:上坂氏は京極氏の有力家臣として北近江で力を持ち、浅井氏の台頭後は浅井氏の家臣団に組み込まれた。
- 上坂家信と浅井長政:上坂家信は京極高清のもとで重きをなし、浅井長政の時代には上坂氏が浅井氏に従った。
🗺 住所
滋賀県長浜市西上坂町
🚶 アクセス
北郷里まちづくりセンター(看板番号1)から南西方向に移動。西上坂町の集落内に位置する。
🚗 駐車場
専用駐車場なし(※要確認)
⏳ 見学目安
短時間:約5分 / じっくり:約20分
💴 入場料
無料
パノラマ写真:上坂氏館跡
よくある質問
姉川古戦場跡、陣杭の柳、遠藤直経の墓、三田村氏館跡、七十士の墓などの野外史跡はすべて無料で見学できます。浅井歴史民俗資料館は別途入館料が必要です。石田会館(石田三成屋敷跡)の資料室は無料で見学できます。ただし常時開館ではなく、不定休・地元利用等で入れない場合があるため、訪問前に開館日を確認してください。
徒歩で全スポットをまわる場合、移動込みで3〜4時間が目安です。自転車や車を利用すれば2時間程度で主要スポットを押さえることができます。三田村氏館跡や姉川古戦場碑付近はじっくり歩くと時間がかかるため、余裕をもったスケジュールをおすすめします。
元亀元年(1570)6月28日、織田信長・徳川家康の連合軍と、浅井長政・朝倉景健の連合軍が姉川流域で衝突した戦いです。浅井氏が織田信長との同盟を破棄したことが直接の原因で、最終的に織田・徳川連合軍が勝利しました。
三田村氏館跡は、姉川北岸の三田町に残る中世平地城館の遺構で、国指定史跡「北近江城館跡群」の一つです。約60メートル四方の主郭を囲む土塁が高さ約2〜3メートルで残り、虎口や堀跡も確認できます。姉川合戦では朝倉景健軍の本陣が置かれた場所としても知られています。伝正寺境内を中心に遺構が保存されています。
JR長浜駅から車で約15〜20分が目安です。公共交通機関のみの場合は、長浜駅から湖国バスを利用し最寄りのバス停で下車後、徒歩でまわる方法があります。複数の史跡が広い範囲に点在するため、自転車や車での移動が効率的です。北郷里まちづくりセンター駐車場が巡回の起点として利用されています。
はい、看板番号6・15のエリアに石田会館(石田治部少輔三成屋敷跡)があります。石田三成は永禄3年(1560)、この近江国坂田郡石田村(現・滋賀県長浜市石田町)に生まれました。会館外には出生地の石碑と三成像があり、館内には三成関連の資料室があります。
各スポットの詳細アコーディオンを開くと、パノラマ写真が表示されます。パソコンではマウスでドラッグ、スマートフォン・タブレットでは指でスワイプすることで左右に視点を動かすことができます。現地の雰囲気を事前に確認するのにご活用ください。
※ 本ページの史跡情報は、現地案内看板・長浜市教育委員会の公開資料・国指定史跡資料をもとに作成しています。訪問前に最新情報をご確認ください。
※ 見学目安時間・駐車場情報は目安であり、変更になる場合があります。各施設の公式情報を事前にご確認ください。
※ 浅井歴史民俗資料館の入館料・開館時間は 長浜市公式サイト にてご確認ください。
※ 姉川古戦場の概要・アクセス・主要スポットガイドは 姉川古戦場の見どころと歩き方 をご覧ください。
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