安土城の正面玄関・大手道は、幅約6メートル×全長約180メートルの直線石段で、他の城郭にはない圧倒的なスケールが特徴です。石段の両側には羽柴秀吉・前田利家ら重臣の邸跡が並び、さらに奥には他サイトではほとんど取り上げられない徳富蘇峰詩碑やお化け燈籠といった隠れた史跡も。このページでは入場口から歩き順に7スポットを360°パノラマ写真・詳細データ付きで案内します。
大手道と重臣屋敷
大手道
安土城の“顔”── 幅6mの直線石段が圧倒する表玄関
安土城の「大手道」は、城の正面玄関として設計された石段道です。幅約6メートル、全長約180メートルの直線的な石段が特徴で、当時の城郭としては珍しい規模と構造を持っています。天皇の行幸を迎えるために設計されたとも言われており、城の格式を示す道でした。現在も石段や石垣が良好な状態で残っています。
- 石段の直線美:幅約6メートル、全長約180メートルにわたる直線的な石段は、他の城郭にはあまり見られない構造です。
- 武将屋敷跡:大手道の両側には羽柴秀吉や前田利家など重臣たちの屋敷跡が点在し、当時の配置がわかります。
- 転用石:石段には墓石などを再利用した「転用石」が使われており、築城時の工夫が見てとれます。
- 季節限定の楽しみ方:春には桜、秋には紅葉が大手道を彩ります。

短時間:約10分 / じっくり:約30分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:入場料を払ったら正面に現れる
| 築造年 | 天正4〜7年(1576〜1579年) |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長(総普請奉行:丹羽長秀) |
| 構造・特徴 | 幅約6m×全長約180mの直線石段、両側に重臣屋敷 |
| 現存状況 | 石段・石垣が良好に現存 |
| 文化財指定 | 国指定特別史跡「安土城跡」 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 直線的な石段・石垣・転用石 | 天皇行幸を想定した設計の可能性、墓石等の転用が確認 |
『信長公記』太田牛一 / 安土城跡発掘調査報告書
- 天皇の行幸:天皇の行幸を迎えるために設計されたとも言われ、信長の権威を示す場でもありました。
- 転用石の秘密:石段には近隣の墓石などが再利用された「転用石」が混じっています。
- 重臣の配置:大手道沿いには羽柴秀吉や前田利家など、信長の側近たちの屋敷が並んでいました。
伝 前田利家邸跡
加賀百万石の礎を築いた武将の安土時代の居所
入場してすぐ右手に見える「伝 前田利家邸跡」は、後に加賀百万石の礎を築いた前田利家が居住していたとされる場所です。建物は残っておらず、石垣や礎石から当時の構造をうかがう形になります。急な傾斜地を造成して作られた屋敷で、数段の郭に分かれた複雑な構成でした。門を入った先は枡形と呼ばれる小広場になっており、東と北をL字型に多聞櫓が囲んでいました。16世紀末の武家屋敷の様子を知る上で貴重な遺構です。
- 虎口(こぐち)跡:屋敷の入口にあたる部分で、大手道に沿った石塁を切って入口を設け、内側に枡形の空間を設けた「内枡形」構造になっています。
- 三段の石垣:虎口を入って左手に高さ約6メートルの三段の石垣があり、最上段から正面にかけて多聞櫓が敵を見下ろす構造でした。
- 木樋(もくひ)跡:多聞櫓の床下から見つかった木製の排水設備で、洗い場の水を流すためのものとされています。
- 季節限定の楽しみ方:春には周辺の桜が、秋には紅葉が見られます。

短時間:約5分 / じっくり:約20分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:入場料を払ってすぐに右手に見える
| 築造年 | 天正4〜7年(1576〜1579年) |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長(配下に前田利家が居住) |
| 構造・特徴 | 数段の郭、内枡形虎口、多聞櫓、厩 |
| 現存状況 | 石垣・礎石が現存 |
| 文化財指定 | 国指定特別史跡「安土城跡」 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 石垣・虎口の構造・礎石 | 内枡形虎口は近世城郭の先駆、最下段に三間厩の遺構 |
安土城跡発掘調査報告書 / 『匠明』(江戸時代の大工技術書)
- 近世城郭の先駆:この邸跡の虎口は近世城郭を思わせる防御構造で、安土城築城時にすでに取り入れられていたことがわかります。
- 三間厩之図:最下段の郭には馬三頭分の厩があり、江戸時代の大工技術書『匠明』に載る「三間厩之図」と平面が一致する貴重な遺構です。
- 芳春院(まつ):前田利家の正室・芳春院(まつ)は、利家の死後に出家して京都の大徳寺に芳春院を建立し、前田家の繁栄を支えました。
伝 羽柴秀吉邸跡
天下人への出発点── 二段構えの屋敷跡
大手道沿いにある「伝 羽柴秀吉邸跡」は、織田信長の家臣だった羽柴(豊臣)秀吉が居住していたとされる場所です。建物は残っていませんが、石垣や礎石から当時の屋敷構造がわかります。上下2段の郭で構成され、下段には櫓門、上段には主殿があったとされています。この櫓門は1階が門・2階が渡櫓となる形式で、後の近世城郭に見られる構造の最古例の一つとも言われています。
- 櫓門跡:下段郭の入口にあり、1階が門・2階が渡櫓となる構造で、近世城郭の櫓門の最古例とされています。
- 厩跡:櫓門を入った先にあり、馬6頭を収容できる規模の厩がありました。
- 主殿跡:上段郭に位置し、式台や遠侍の間、主殿、内台所などが配置されていました。
- 季節限定の楽しみ方:春には桜、秋には紅葉が楽しめます。

短時間:約5分 / じっくり:約20分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:伝 前田利家邸跡から大手道を挟んで反対側
| 築造年 | 天正4〜7年(1576〜1579年) |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長(配下に羽柴秀吉が居住) |
| 構造・特徴 | 上下2段の郭、櫓門(最古例)、主殿、厩 |
| 現存状況 | 石垣・礎石が現存 |
| 文化財指定 | 国指定特別史跡「安土城跡」 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 石垣・礎石・門跡の構造 | 櫓門は近世城郭の同形式で最古例、馬6頭分の厩の規模が判明 |
安土城跡発掘調査報告書
- 櫓門の最古例:この邸跡の櫓門は、近世城郭における同形式の最古例として知られています。
- 広場としての下段:下段郭の広場には厩が1棟あるだけで、あとは広場として使われていたようです。
- 出世前の一時代:秀吉がここに居住していたとされることから、出世前の一時代を刻む場所でもあります。
摠見寺と大手道上部
遠景山摠見寺
信長が自ら建立した菩提寺── 重文2棟が現存
遠景山摠見寺(そうけんじ)は、安土城跡に位置する臨済宗妙心寺派の寺院です。天正年間(1573年〜1592年)に織田信長が安土城の築城と合わせて建立し、自らの菩提寺としました。創建当初は近隣の社寺から22棟もの建物を移築して構成されていたとされています。1854年(嘉永7年)の火災で本堂など主要な建物を失い、現在は仮本堂が徳川家康邸跡に建てられています。境内には国の重要文化財に指定された三重塔と二王門が現存しています。
- 三重塔:室町時代の享徳3年(1454年)に建立された三間三重塔で、国の重要文化財に指定されています。
- 二王門:元亀2年(1571年)に建立された楼門で、信長が甲賀から移築したと伝えられています。国の重要文化財で、門内には金剛力士像があります。
- 仮本堂:昭和7年に徳川家康邸跡に建てられたもので、不定期に特別拝観が行われ、信長公の尊像や本堂襖絵を見ることができます。
- 季節限定の楽しみ方:春には桜、秋には紅葉が見られます。

短時間:約10分 / じっくり:約30分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6367
🚶 アクセス:伝 羽柴秀吉邸跡から大手道を上り右手に現れる
| 創建年 | 天正年間(1573〜1592年) |
|---|---|
| 創建者 | 織田信長 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 現存状況 | 仮本堂、三重塔(重文)、二王門(重文)が現存 |
| 文化財指定 | 三重塔・二王門:国指定重要文化財 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 仮本堂・三重塔・二王門 | 22棟の移築構成、1854年の火災で本堂焼失、特別拝観で信長公尊像を公開 |
安土城跡発掘調査報告書 / 摠見寺公式サイト
- 移築された寺院:摠見寺は近隣の社寺から多くの建物を移築して建立されており、各地の歴史的建築が集まった場所でもあります。
- 特別拝観:仮本堂では不定期に特別拝観があり、信長公の尊像や襖絵が見られるほか、茶室で呈茶も行われています。
- 信長の菩提寺:信長が自らの菩提寺として建立した寺で、織田家の菩提寺として続きました。
武井夕庵邸跡
信長に直言できた唯一の家臣── 外交官の邸宅跡
大手道を進んだ先にある「武井夕庵(たけい せきあん)邸跡」は、信長の側近として外交交渉や重要な儀式で活躍した右筆・武井夕庵の邸宅跡とされています。建物は現存しませんが、敷地内に池跡や井戸跡が残っており、当時の生活の様子をわずかながら伝えています。
- 池跡:邸宅跡に池の痕跡が残っており、当時の庭園の一部をうかがえます。
- 井戸跡:生活用水を確保していたとされる井戸の跡も確認できます。
- 季節限定の楽しみ方:春には周辺の桜が見られます。

短時間:約5分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
🚶 アクセス:遠景山摠見寺から大手道を上り左手に現れる
| 築造年 | 天正4〜7年(1576〜1579年) |
|---|---|
| 居住者 | 武井夕庵(信長の右筆・外交官) |
| 構造・特徴 | 池跡・井戸跡が残る邸宅跡 |
| 現存状況 | 池跡・井戸跡が確認可能 |
| 文化財指定 | 国指定特別史跡「安土城跡」 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 池跡・井戸跡の痕跡 | 右筆として外交交渉に従事した人物の邸宅、庭園の存在を示唆 |
安土城跡発掘調査報告書
- 美濃から信長へ:武井夕庵はもともと美濃国の斎藤氏に仕えていましたが、信長に仕えた後は右筆として外交交渉などで重要な役割を担いました。
- 重臣たちの近接:この邸跡の近くには前田利家や羽柴秀吉など、他の重臣たちの屋敷跡も点在しています。
- 唯一の直言者:夕庵は信長から特に信頼され、家臣の中で唯一、信長に直接進言できたともいわれています。
大手道の隠れた史跡
徳富蘇峰詩碑
近代の歴史家が安土城に託した漢詩── 城の「二次史跡」
この石碑は、明治・大正・昭和期の文筆家・歴史家・評論家である徳富蘇峰(1863–1957)が、1918年以降の安土城跡整備に尽力した記念として建立された漢詩碑です。大正15年(1926年)に城跡が国の特別史跡に指定された後、摠見寺住職・松岡範宗らが整備事業を進め、蘇峰に石碑設置を依頼。詩碑には蘇峰自身による詩が刻まれ、背面には整備の経緯が蘇峰と案内役・中川泉三によって記されています。
- 詩碑正面:蘇峰の揮毫による漢詩が刻まれており、石の質感と相まって落ち着いた雰囲気があります。
- 詩碑背面:建立の経緯や協力者(泉三ら)の名が記されており、近代における整備の背景がわかります。
- 周辺景観:木漏れ日と石垣が調和した、静かな散策道の一角にあります。

短時間:約5分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦・安土城跡内
🚶 アクセス:伝 織田信忠邸跡から大手道を上り右側の小道の奥に現れる
| 建立年 | 昭和13年(1938年頃) |
|---|---|
| 建立者 | 徳富蘇峰(詩文・筆跡)、中川泉三ほか地域有志 |
| 構造・特徴 | 石碑に蘇峰の漢詩・裏面に建立経緯を刻記 |
| 現存状況 | 現存 |
| 文化財指定 | 特別史跡「安土城跡」内の関連史跡 |
| 備考 | 蘇峰が揮毫した他の標石(大手口・百々橋口など)とも関連 |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 漢詩碑・裏面の刻記 | 蘇峰は信長350回忌で講演、史跡整備に関与。大手口等にも「安土城址」碑あり |
徳富蘇峰関連文献 / 中川泉三の地誌編纂記録
- 信長350回忌:蘇峰は信長350回忌(昭和8年)で講演し、安土への関心を深めて史跡整備に関わるようになりました。
- 4つの安土城址碑:本碑のほか、大手口・百々橋口・東裏門口にも蘇峰の字による「安土城址」碑が存在します。
- 中川泉三:案内役の中川泉三は県内の地誌編纂を手がけた人物で、本碑の建立にも深く関わっています。
- 生没年:1863年(文久3年)〜1957年(昭和32年)
- 出身地:熊本藩(現在の熊本県)
- 職業:『国民新聞』創刊者、歴史評論家・ジャーナリスト、貴族院議員
- 思想変遷:青年期は自由民権運動に共感 → 日清・日露戦争を機に国権主義へ → 晩年は戦争協力的言論も
蘇峰は昭和3年(1928年)に大手口「安土城址」の石標建立に携わるなど、早くから安土城跡の顕彰に関わっていました。昭和7年(1932年)の織田信長公三五〇年忌法要を契機に史跡整備への関心をさらに深め、摠見寺住職・松岡範宗や滋賀県の有志とともに、大手口・百々橋口の石標や本碑の建立に協力しました。
- 二条城(京都)…保存運動に賛意
- 熊本城(郷土の誇りとして執筆)
- 会津・白虎隊墓所(史跡顕彰)
- 東郷平八郎の記念碑
大正期から昭和初期にかけて全国の城郭保存運動を後押しする講演や寄稿も多く行いました。
お化け燈籠
江戸時代の巨大石燈籠── 大手道の隠れた名物
大手道の終点付近にある「お化け燈籠」は、織田信長の時代のものではなく、江戸時代初期の寛永年間(1631年ごろ)に設置されたとされています。高さ約3メートルに達する石造燈籠で、火袋以外はほぼ加工していない自然石を組み上げて作られています。名前のとおり大きく、ちょっと異様な存在感があります。
- お化け燈籠本体:自然石を積み上げた造りで、笠の上には来訪者が置いた小石が並んでいます。自分の石を置いてみるのも一興です。
- 分岐点の石標:かつての登城ルートの合流・分岐点にあたり、往時の道の構造がわかります。
- 積み石:笠石の上に昭和以降の来訪者が置いた小石が並んでいます。

短時間:約5分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県近江八幡市安土町(安土城跡)
🚶 アクセス:伝 織田信忠邸跡から大手道を上り右側の小道の奥に現れる
| 築造年 | 江戸時代初期(寛永8年/1631年頃) |
|---|---|
| 築造者 | 不詳(江戸時代の設置者による) |
| 構造・特徴 | 火袋以外を自然石の積み上げで構成した大型石燈籠 |
| 現存状況 | 現地に現存、登城道脇に設置 |
| 文化財指定 | 特定文化財指定なし;城跡特別史跡内に位置 |
| 備考 | 笠の上に訪問者の積み石あり(登城者の記憶) |
| 目に見えるもの | 発掘・記録でわかったこと |
|---|---|
| 高さ約3mの自然石積み燈籠 | 信長時代のものではなく江戸初期に設置。七曲り終点付近で見落としやすい |
安土城跡案内資料
- 信長時代のものではない:信長時代のものではなく、江戸初期に登城者のために設けられた燈籠です。
- 見過ごしやすいスポット:大手道のジグザグ道「七曲り」終点付近にあるため、通常のルートでは見過ごしやすい場所にあります。
- 積み石の風習:特定の著名人との関係は不明ですが、江戸時代から参拝者・登城者に親しまれてきた歴史があります。
よくある質問(FAQ)
短時間で回ると約30分、じっくり見学すると約60分です。大手道の石段を登りながら、両側の武将屋敷跡を見学できます。
はい、大手道は直線的ですが石段が続きます。運動靴の着用を推奨します。受付横で簡易の杖を無料で借りられます。
「伝」(伝承)と付くとおり、発掘調査で確定した居住者名ではなく、伝承に基づく名称です。ただし屋敷跡の構造や規模から、高い身分の武将が居住していたことは確認されています。
特別拝観は不定期開催で、別途500円(抹茶・菓子付き)が必要です。開催日は摠見寺公式サイト(azuchi-nobunaga.com)でご確認ください。
はい、当サイトでは大手道の各地点や前田利家邸跡・秀吉邸跡の360°パノラマ写真を公開しています。専用ページでご覧いただけます。
当サイトの情報は2026年3月時点のものです。最新の開城時間・料金は摠見寺公式サイトでご確認ください。掲載写真の無断転載はご遠慮ください。


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