本丸・山王丸・大石垣|小谷城跡 主郭エリア14か所ガイド
小谷城跡の主郭〜山王丸エリアを歩き順で解説します。首据石・黒金門跡・大広間・赤尾屋敷・本丸・帯曲輪・御局屋敷・大堀切・中丸・刀洗池・京極丸・小丸・大石垣・山王丸まで14か所を写真つきで紹介します。麓〜主郭前衛エリア(資料館〜桜馬場)はこちらのガイドページへ。基本情報・アクセスはこちら。

首据石
天文2年(1533)、浅井亮政が今井秀信の首をさらした伝承地の巨石。
首据石は、黒金門の手前に残る大きな石です。伝承では、天文2年(1533)1月、浅井亮政が敵方に内通した今井秀信の首をここにさらしたとされます。長政以前の時代の出来事で、小谷城がもともと厳しい軍事秩序のうえに成り立っていたことを示す場所でもあります。
- 巨石そのもの:自然石の存在感が強く、説明板を読む前から足が止まる場所です。
- 黒金門手前の位置:主郭入口の直前にあり、処罰の見せ場まで含めて城の秩序が意識されていたことがわかります。
- 季節限定の楽しみ方:葉が落ちる季節は周辺の地形が見やすく、黒金門との位置関係をつかみやすくなります。


短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(首据石付近)
🚶 アクセス:桜馬場から馬洗場を経て徒歩約2分
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 黒金門手前に残る巨石。処罰の象徴として伝承が残る。 |
| 現存状況 | 巨石・石標・説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 今井秀信の首をさらしたという伝承地として現地案内が整備されている。 |
- 首据石の伝承は浅井長政の代ではなく、初代亮政の時代の出来事として伝わります。
- ここから右手へ入ると赤尾屋敷跡方面へ分かれ、小谷城終盤の史跡群へつながります。
黒金門跡
高さ3.5mの石垣と石段。小谷城主郭部の正面玄関。
小谷城主郭部の正面玄関にあたる門跡です。登城道の終点に置かれ、ここを抜けると大広間へ入ります。石段と石垣が残っており、左右の石垣は高さ約3.5mで、山城の入口としてはかなり存在感のある造りです。
- 石段と門跡:山道の先に石段が現れ、ここから先が主郭部だとはっきりわかります。
- 両側の石垣:左右に高く立つ石垣が、門の防御性と格式をよく伝えます。
- 季節限定の楽しみ方:落葉期は石段と石垣の輪郭が見やすく、門の構えを確認しやすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(黒金門跡付近)
🚶 アクセス:前のスポット「首据石」から徒歩1分
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 大広間の東、登城道の終点に設けられた門跡。左右に高さ約3.5mの石垣があり、大広間虎口へ約7段の石段が続く。 |
| 改修・復元歴 | 昭和45年度(1970)に史跡整備の対象となった。復元建物はない。 |
| 現存状況 | 石垣・石段・門跡地形が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 資料では「黒金門跡」、観光案内では「黒金御門跡」と表記されることがある。 |
- ここは単なる通用門ではなく、大広間と本丸へ入る主郭部の入口でした。
- 資料では「黒金門跡」、観光案内では「黒金御門跡」と表記されることがあります。
大広間(千畳敷)
東西35m×南北85m。浅井長政が政務・軍議を行った主郭の中心。
大広間は、小谷城主郭部の中心をなす広大な曲輪で、別名を千畳敷といいます。浅井長政の政務や軍議、家臣の登城や儀礼の場として使われたと考えられており、発掘では多数の建物跡と遺物が確認されています。
- 千畳敷の広さ:山上にこれだけ大きな平坦地があることで、小谷城の政治機能が実感できます。
- 石組み遺構:井戸跡や石組溝、蔵跡など、生活と政務を支えた設備が確認されています。
- 季節限定の楽しみ方:春から初夏は曲輪面が明るく、広さと石垣の連なりをつかみやすい時期です。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大広間付近)
🚶 アクセス:前のスポット「黒金門跡」から徒歩約2分
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明(浅井氏が整備) |
| 構造・特徴 | 別名「千畳敷」。東西約35m、南北約85m、約3,000㎡の平坦地。建物跡、石組みの井戸跡、石組溝、蔵跡、敷石遺構が確認されている。 |
| 改修・復元歴 | 昭和46年度(1971)に整備、昭和47年度(1972)に芝生植栽。 |
| 現存状況 | 広大な曲輪面、石垣、遺構表示が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。イノシシによる撹乱が確認されている。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 礎石は約191cm間隔で並ぶ。 |
- 発掘では多数の建物跡と大量の遺物が見つかっており、広い平地として使われていたわけではありません。
- 礎石は約191cm間隔で並んでおり、建物配置に一定の規則性があったことがうかがえます。
赤尾屋敷
本丸東下の三段の曲輪。浅井長政自刃の伝承地。
赤尾屋敷は、本丸の東下に置かれた三段の曲輪で、浅井家重臣の赤尾氏の屋敷跡と伝わります。小谷城落城の最終局面で、浅井長政がこの一帯で最期を迎えたと伝わる場所です。
- 三段の曲輪:屋敷地でありながら、防御を意識した段構成がよく残っています。
- 自刃伝承地の空気:石碑と説明板があり、小谷城の終焉の場として意識しながら歩ける場所です。
- 季節限定の楽しみ方:晩秋から冬は視界が開きやすく、曲輪の段差と谷への落ち込みが見やすくなります。






短時間:約5分 / じっくり:約15分
📷 360°パノラマ写真で見る|赤尾屋敷・浅井長政公自刃之地
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(赤尾屋敷跡付近)
🚶 アクセス:大広間から徒歩5分(約0.23km)。黒金門手前から右へ入る支路の先にあります。
| 築造年 | 不明(戦国時代前期までに成立) |
|---|---|
| 構造・特徴 | 本丸東下、黒金門手前から右にそれて約180mの位置にある三段の曲輪。 |
| 改修・復元歴 | 昭和45〜50年度の環境整備事業で整備済み。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石標、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 浅井長政自刃伝承地として知られる。 |
- 本丸から離れた場所ではなく、主郭直下の重臣屋敷として極めて近い位置に置かれていました。
- 保存管理計画では、黒金門手前から右にそれて約180mと記されています。
本丸
浅井長政ゆかりの主郭。石垣・土塁・大堀切に囲まれた城の中枢。
本丸は、小谷城の政治と軍事の中心です。大広間の北東上に置かれ、急な斜面と土塁、石垣、大堀切に囲まれています。江戸時代の古絵図には「天守共 鐘丸共」と記される主郭で、浅井長政ゆかりの場所として語られることが多い地点です。
- 主郭の立地:大広間の上に一段高く据えられ、主君の居所としての格が地形に表れています。
- 石垣と土塁:山城では珍しく、主郭周辺に石垣と土塁が組み合わされている点が見どころです。
- 季節限定の楽しみ方:冬場は木々の葉が落ち、周囲の大堀切や隣接曲輪との位置関係がつかみやすくなります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(本丸付近)
🚶 アクセス:赤尾屋敷から徒歩7分(約0.25km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 大広間の北東上部にある主郭。不定形で東西約25m、南北約40m、上下二段からなる。裾の一部に石垣、東部斜面に大土塁、北西斜面に石垣を用いた土塁がある。 |
| 改修・復元歴 | 昭和48年度(1973)に本丸跡と本丸下の景観整備。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石垣、土塁、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 古絵図では「鐘丸」とも記される。 |
- 本丸は広大というより、周辺防御を含めて守る構造で成り立っています。
- 古絵図の「鐘丸」という呼称は、本丸の本来の機能を示す可能性があると考えられています。
帯曲輪
御馬屋から清水谷側へ延びる帯状の曲輪。本丸を斜面から守る防御線。
帯曲輪は、御馬屋から本丸の下を通って清水谷側へ長くのびる細い曲輪です。小谷城の主郭部は尾根筋だけでなく斜面側にも防御を重ねており、その構成がよく見えるのがこの一帯です。
- 帯状の長い構造:尾根ではなく斜面をなぞるように続くため、小谷城の防御思想がよくわかります。
- 本丸下の防御線:本丸や大広間を側面から守る役目を、地形そのもので体感できます。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は斜面の起伏が見やすく、帯曲輪の長さを追いやすくなります。




短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(帯曲輪付近)
🚶 アクセス:本丸から徒歩3分(約0.08km)
| 構造・特徴 | 御馬屋跡から清水谷側斜面に本丸裏の中丸近くまで続く幅3〜5mの帯状曲輪。大広間付近には高さ約5mの石垣が築かれている。 |
|---|---|
| 現存状況 | 帯状の曲輪地形、石垣の痕跡が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
- 小谷城では主尾根だけでなく、清水谷側斜面にも防御施設が多く配置されていました。
- 御馬屋から本丸へ直接向かうと見落としやすく、意識して歩かないと通り過ぎやすい遺構です。
御局屋敷
お市の方・女房衆の居所と伝わる清水谷側の小屋敷跡。
御局屋敷は、中丸の西側、清水谷に面した小さな屋敷跡です。現地ではお市の方や女房衆の居所と伝えられることがあります。軍事施設とは少し性格の違う場所として、城内の生活空間を考えるきっかけになります。
- 本丸西下の立地:本丸と中丸の間から少し外れた位置にあり、城内居住区の雰囲気を想像しやすい場所です。
- 帯曲輪とのつながり:御馬屋跡から続く帯曲輪と一体で見ると、主郭西側の動線がわかります。
- 季節限定の楽しみ方:秋は落葉で地形の輪郭が見やすく、屋敷跡の広さを追いやすくなります。


短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(御局屋敷付近)
🚶 アクセス:帯曲輪から徒歩5分(約0.12km)
| 構造・特徴 | 中丸の清水谷側にある小屋敷跡。南北約35m、東西約10mで、御馬屋跡から続く帯曲輪につながる。 |
|---|---|
| 現存状況 | 曲輪地形、石材散布、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | お市の方や女房衆の居所と伝える現地伝承がある。 |
- 山城の一角ですが、軍事施設だけではなく、生活空間の性格をもつ場所と考えられています。
- 本丸から中丸へ向かう主線から少し外れるため、意識して歩かないと見落としやすい遺構です。
大堀切跡
本丸の北で尾根を断つ大空堀。秀吉の突破口・城内分断の境界線。
大堀切跡は、本丸の北側で尾根を大きく断ち切る空堀です。ここに立つと、小谷城が前半部と後半部に明確に分けられていたことがよくわかります。天正元年(1573)の総攻撃では、羽柴秀吉が京極丸側から攻勢を強め、本丸と北側郭群の連携が断たれたと伝えられます。この大堀切がちょうどその境界にあたります。
- 尾根を断つ規模感:本丸のすぐ北で地形が大きく切れており、防御線としての意図がひと目で伝わります。
- 本丸と京極丸の分断:浅井長政の本丸と北側郭群との関係を考えるうえで、外せない場所です。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は堀切の落差と両側の斜面が見やすく、地形観察に向いています。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大堀切跡付近)
🚶 アクセス:御局屋敷から徒歩3分(約0.05km)
| 構造・特徴 | 本丸跡の北にある大規模な空堀。本丸跡より南の郭群と中丸・京極丸・小丸・山王丸へ続く北側郭群を区切る。 |
|---|---|
| 現存状況 | 空堀地形が明瞭に残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
- 大堀切は本丸の「裏」にありますが、城の中核部を二分する防衛線として機能していました。
- 大広間跡からほぼ横ばいでこの堀切へつながるため、主郭部の構成を歩きながら理解しやすい遺構です。
中丸
大堀切の北、三段の曲輪。横矢と石垣が残る主郭背後の防御区画。
中丸は、本丸の北を深い大堀切で隔てた先に続く三段の曲輪です。主郭の背後にありながら、本丸側からの侵入も意識した構えをとっており、小谷城の防御が一方向だけを想定していなかったことがわかります。
- 三段構成:段ごとに視線と動きが変わり、後半部の防御施設らしい密度があります。
- 中段の横矢:敵の進路を横から攻撃する工夫が読み取りやすい遺構です。
- 季節限定の楽しみ方:秋から冬は石垣と切岸の輪郭が浮かび、段構成が見やすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(中丸付近)
🚶 アクセス:大堀切跡から徒歩5分(約0.10km)
| 構造・特徴 | 大堀切の北にある三段の曲輪。中段には横矢を設け、斜面には石垣が見られる。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和49年度(1974)に景観整備の対象となった。 |
| 現存状況 | 三段の曲輪地形、石垣、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
- 本丸の背後にあるにもかかわらず、独立した虎口構成と防御を持つ点が特徴です。
- 中丸を越えると刀洗池、京極丸、小丸、山王丸へと続き、小谷城後半部の防御の厚みが見えてきます。
刀洗池(刀洗い池跡)
岩盤を掘った城内用水池。『信長公記』の「水の手まで追上げ」の舞台。
刀洗池は、中丸から京極丸へ向かう途中の左手に残る小さな池跡です。保存管理計画では城内の用水池、いわゆる「水の手」とみられています。籠城中の水の確保は切実な問題で、『信長公記』には「水の手まで追上げ」とある記述も残ります。
- 湯舟型の池構造:自然の窪みではなく、岩盤を加工して水を受ける工夫が施されています。
- 石積の痕跡:池の側面に残る石積が、城内用水施設としての性格をよく伝えます。
- 季節限定の楽しみ方:雨の後や湿り気のある時期は池の形がつかみやすく、水場としての実感が増します。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(刀洗池付近)
🚶 アクセス:中丸から京極丸へ向かう途中の左手
| 構造・特徴 | 中丸から京極丸へ向かう左手にある用水池跡。岩盤を湯舟型に掘り、側面に高さ約50cmの石積を設けて浸透水を受けた構造。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・京極丸跡・小丸跡とあわせて景観整備。 |
| 現存状況 | 池跡と石積の一部が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
- 「刀洗池」という印象的な名に対して、実際には生活と籠城を支える用水池と考えられています。
- 保存管理計画では「水の手」とみられており、城の水管理を知るうえで重要な遺構です。
京極丸・京極丸虎口
大広間に次ぐ広大な曲輪群。秀吉の突破・長政と久政の連携断絶の焦点。
京極丸は、刀洗池の先にある大きな曲輪群で、小谷城後半部の要にあたります。名前は、浅井氏のかつての主家である京極氏にちなむとされます。天正元年(1573)の最終局面では、羽柴秀吉がこの方面から攻め上がり、京極丸を押さえたことで本丸の浅井長政と小丸の浅井久政の連携が断たれたと伝えられます。
京極丸虎口は、京極丸の清水谷側斜面南西部に残る出入口遺構です。石垣の痕跡と切岸が残り、攻防の要点が地形に表れている場所です。
- 大きな曲輪の広がり:後半部の郭としては規模が大きく、戦闘と駐屯の両面を想像しやすい場所です。
- 東側の土塁:長く続く土塁が残っており、京極丸の防御性の高さをよく示しています。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は土塁や虎口の輪郭が見やすく、地形観察に向いています。





短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(京極丸付近)
🚶 アクセス:刀洗池から徒歩8分(約0.20km)
| 構造・特徴 | 大広間に次ぐ広大な曲輪群。東側に高さ約3m前後の土塁、清水谷側に広い曲輪、南西部に石垣で固めた虎口と3段の切岸をもつ。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・小丸跡とあわせて整備。 |
| 現存状況 | 曲輪、土塁、虎口、石垣痕跡、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 名称は京極高清父子を迎え住まわせたことに由来するとされる。 |
- 小谷城の中でも名前の由来が比較的はっきりしており、浅井氏と京極氏の関係を伝える曲輪です。
- 清水谷側斜面の南西部には石垣で固めた虎口が残っており、ここが攻防の焦点だったことがわかります。
小丸
浅井久政の隠居所・自刃の地。親子で守った城の構図を示す曲輪。
小丸は、京極丸の上に置かれた曲輪で、浅井久政の隠居所と伝わります。浅井長政が本丸を守るかたわら、父の久政がこの小丸で城の北側を支えていたという構図があります。羽柴秀吉の攻撃はやがてここにも及び、久政は長政に先んじてこの場で自刃したと伝えられます。
- 京極丸上の配置:一段高い位置に置かれ、背後から城を支える役目がわかります。
- 親子で守る城の構図:本丸の長政と小丸の久政という配置を意識すると、小谷城の防御の考え方が見えてきます。
- 季節限定の楽しみ方:晩秋から冬は木々の葉が落ち、周辺曲輪との高低差がつかみやすくなります。


短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(小丸付近)
🚶 アクセス:京極丸から徒歩3分(約0.08km)
| 構造・特徴 | 京極丸の上部にある曲輪。南北約25m、東西約30mほどの3段の曲輪。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・京極丸跡とあわせて整備。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石標、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 浅井久政の隠居所・自刃の地として伝わる。 |
- 広さ自体は大きくありませんが、小谷城の終盤史では重要な場所です。
- 保存管理計画では段数の記述に揺れがあり、本文では3段、整備報告の要約では上下2段とされています。
大石垣
山王丸周辺の巨石石垣。小谷城の技術水準を物語る圧巻の遺構。
大石垣は、山王丸周辺で見られる巨石の石垣です。山王丸とあわせて見ると、この一帯の防御の強さがつかみやすくなります。
- 巨石の積み方:山城でここまで石を見せる遺構は少なく、小谷城の技術水準を実感できます。
- 山王丸との一体感:詰めの丸の防御として見ると、石垣の意味がよりはっきりします。
- 季節限定の楽しみ方:新緑や紅葉の時期は石垣の輪郭が際立ち、写真に残しやすい場所です。



短時間:約5分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大石垣付近)
🚶 アクセス:小丸から山王丸に向かう途中の右奥にあります。
| 構造・特徴 | 山王丸跡の石垣群のうち、巨石を用いた石垣。山王丸は南北4段の曲輪からなり、その中心曲輪の東・南・北の三面に石垣が残る。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和50年度に山王丸跡の景観整備が実施された。 |
| 現存状況 | 石垣が現存する。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 観光案内では「大石垣」として紹介されるが、保存管理計画では山王丸跡の巨石石垣として扱われる。 |
- 小谷城は土塁や切岸だけでなく、要所に石垣を組み合わせた山城でした。
- 保存管理計画では、山王丸跡は4段からなり、巨石を用いた石垣が築かれていたことが明記されています。
山王丸
小谷城の詰めの丸。山王権現を祀り、南北4段の曲輪と巨石石垣が残る。
山王丸は、小谷城の詰めの丸です。山王権現を祀っていたことからこの名が残り、主郭群のさらに奥で城の最後を支える位置にあります。南北4段の曲輪からなり、巨石を使った石垣が残っています。本丸や赤尾屋敷で語られることの多い小谷城ですが、城の防御力を確かめるなら山王丸まで歩く価値はあります。
- 巨石の石垣:主郭部とはまた違う迫力があり、小谷城でも印象に残りやすい遺構です。
- 4段の曲輪構成:詰めの丸らしく、奥へ行くほど守りが重なるつくりをたどれます。
- 季節限定の楽しみ方:新緑と紅葉の時期は石垣の表情が見やすく、山上の郭らしい景色になります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(山王丸付近)
🚶 アクセス:大石垣から徒歩3分(約0.04km)
| 構造・特徴 | 小谷城の詰めの丸。東西約35m、南北約70m、南北4段の曲輪からなり、中心曲輪の東・南・北の三面に石垣が残る。 |
|---|---|
| 改修・復元歴 | 昭和50年度に整備対象となった。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石垣、虎口、説明板が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 山王権現を祀っていたことから山王丸と呼ばれる。 |
- 本丸より奥にあり、標高の高い詰めの丸として小谷城の終盤防御を担っていました。
- 南側虎口の左右には大岩を使った石垣があり、小丸側を意識した構えになっています。
麓〜主郭前衛エリア(資料館〜桜馬場)はこちらのガイドページへ。360°パノラマ写真は前編・後編で公開しています。基本情報・アクセスはこちら。
※ 本記事の情報は現地調査・長浜市保存管理計画等の資料をもとに作成しています。開館日・料金は変更になる場合があります。山上には売店・トイレがありません。滑りにくい靴・雨具・飲料水を準備のうえお出かけください。
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