
岐阜駅から行ける「信長ゆかりスポット」を、徒歩・バスの目安つきでまとめました。
結論:初見は「駅前の黄金像 →(バス)岐阜公園・岐阜城」+時間があれば「円徳寺(楽市楽座の制札)」が鉄板。
御朱印の有無・拝観の可否は、現地掲示/公式案内で確認できた範囲だけ記載しています。
岐阜駅に着いた瞬間から、信長の気配はもう始まっています。駅前の黄金像で“岐阜=信長の町”を掴んだら、あとは気分と体力に合わせて、街なかの寺社や岐阜公園(岐阜城)へ。ここでは「名所を網羅して走る」よりも、気になるテーマをつまみ食いするくらいがちょうどいい——そんな前提で、信長ゆかりのスポットをまとめました。
このページは、モデルコースを押しつけません。かわりに、岐阜駅からどう近づくか(徒歩・バスの考え方/迷いやすい所)に加えて、“岐阜公園方面は駅前バス→公園口から散策”のように、移動の組み立てが分かるようにしています。現地で実際に目にできるもの(制札、廟、像、城跡など)を軸に、「ここは何を見に行く場所か」が一瞬で分かるように整理しています。御朱印や拝観の可否・時間など、行く前に気になる点は確認できた範囲だけ触れ、曖昧なものは無理に断定しません。
※拝観時間や授与所の対応、行事の実施は変更されることがあります。出発前は最新の案内もあわせて確認しておくと安心です。
徒歩・バスの組み立て(ミニガイド)
岐阜駅周辺の「信長ゆかりスポット」は、駅前(徒歩)→岐阜公園方面(バス)の順に組むと、迷いにくく効率も良いです。ここではモデルコースを押しつけず、現地で組み替えやすい“移動の考え方”だけをまとめます。
バスで迷いやすいポイント:岐阜公園方面は便によって停留所名が違うことがあるので、乗るときに行先表示で「岐阜公園方面」を確認すると安心です。崇福寺など長良方面は、同じく行先表示に「長良」が入る便を目印にすると迷いにくいです。
所要時間の目安:
半日:黄金像 → 岐阜公園(余力で円徳寺)
1日:+善光寺/建勲神社/崇福寺をテーマで追加
1)結論:徒歩ゾーン/バスゾーンを分けるだけで失敗しにくい
基本は「徒歩で中心部 → バスで岐阜公園(+余力で長良方面)」。これだけで移動が散らばらず、旅の満足度が上がります。
徒歩で回しやすい(駅前〜中心部)
- 黄金の織田信長公像(岐阜駅前)
- 円徳寺(中心部)
- 橿森神社・建勲神社(岐阜信長神社の授与所)
バス併用が現実的(岐阜公園/長良方面)
- 岐阜公園(岐阜城・金華山)
- 崇福寺(長良方面)
別枠:電車+徒歩で切り分けやすい(各務原)
- 手力雄神社(各務原)
2)現地で迷わない「組み立てテンプレ」
時間が読めない旅でも、この順にすると崩れにくいです。
テンプレA:初見の鉄板(半日〜)
- 黄金の織田信長公像(駅前で1枚)
- (徒歩で1点)円徳寺 or 橿森神社
- (バス)岐阜公園(山麓→余力でロープウェー)
テンプレB:雨・強風の日(短距離で満足度を作る)
- 駅前(黄金像)→中心部(円徳寺/橿森神社)で完結
- 岐阜城は「景色の日」に回すと満足度が上がる(霧狙いはアリ)
テンプレC:体力ある日(+長良方面を足す)
- 岐阜公園のあと、余力があれば崇福寺(長良方面)
- 徒歩で無理につなげず、バス前提で“目的地”として行くのが快適
テンプレD:手力雄神社(各務原)を入れる日
- 岐阜駅周辺の街歩きとは導線が分かれるので、別日に切り分けてもOK
- 名鉄+徒歩のほうが時間が読みやすい
3)現地で効く“小ワザ”だけ
移動が散るのを防ぐ
- 徒歩ゾーン(駅前〜中心部)とバスゾーン(岐阜公園/長良)を混ぜすぎない
- 「1ブロック(エリア)=最大2〜3スポット」くらいが体験密度が上がる
岐阜城は「山頂」だけが正解じゃない
- 天候や混雑で登れない日は、山麓散策(居館跡・地形)を主役にすると満足度が落ちにくい
スポット紹介
黄金の織田信長公像
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

岐阜の旅のはじまりに、まず“金色の覇気”を浴びてください。JR岐阜駅前に立つ「黄金の織田信長公像」は、岐阜が信長にとって“天下布武”へ踏み出した重要な拠点であることを、現代の街角で一瞬にして思い出させてくれます。甲冑の稜線が光をはじき、見る角度で表情が変わるのがこの像の面白さ。マントを羽織り、右手に火縄銃、左手に西洋兜を持つ姿が、駅前で強烈に目に入ります。史跡そのものではないけれど、岐阜へ入った信長が見せた“新しい城下の空気”――楽市・楽座のような改革の気配を、駅前という最も人が交わる場所に重ねた演出だと感じられます。
| 築造年 | 2009年9月 |
|---|---|
| 築造者 | 「信長公の銅像を贈る会」により設置(市制120周年記念)/像高:信長像約3m、台座含め約11m |
| 構造・特徴 | 金色仕上げの信長立像(駅前広場のランドマーク) |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | なし |
| 備考 | JR岐阜駅北口側に設置 |
🗺 住所:岐阜県岐阜市橋本町1丁目100
🚶 アクセス
最寄り駅:JR岐阜駅から徒歩1分(約0.1km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 駅前で“信長の目線”に立つ:行き交う人波の中心で、岐阜を“新しい都”として見渡す感覚が味わえます。
- 写真映えする金色の陰影:晴天・夕景・夜の照明で印象が激変。旅の1枚が確実に強くなります。
- 季節限定の楽しみ方:冬の澄んだ空気の日は金色が冴え、写真のコントラストが最も美しく出ます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:信長が岐阜へ入った“城下づくりの熱”を、現代の玄関口(駅前)に置き換えた象徴的モニュメントです。
- 知る人ぞ知る情報:像を少し見上げる位置に立つと、甲冑の立体感が強調され、写真の迫力が増します。
- 著名人との関係:織田信長を題材にした岐阜の“表玄関”の定番撮影スポットとして定着しています。
円徳寺
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜で信長の足跡を追うなら、派手な城や像だけでは見えてこない“城下の仕組み”に触れたくなります。岐阜市中心部、駅から歩ける距離にある円徳寺は、まさにその扉。信長が岐阜へ入り城下町復興のために発給した「楽市場・定」(永禄10年・11年など)の制札が伝わり、のちに国の重要文化財として評価されています。戦うだけでは天下は取れない——人を呼び、商いを動かし、街を蘇らせる。信長の“統治者としての顔”が、境内の静けさの奥に透けて見えるのです。
さらにこの寺は、信長の父・織田信秀が美濃へ攻め入って大敗した天文16年(1547)の戦死者を弔うために築かれた「織田塚」を伝え、戦国の勝敗の陰にある無数の命も語り継ぎます。関ヶ原前哨戦の「岐阜城の戦い」で敗れた孫・織田秀信の逸話(剃髪にまつわる塚)まで重なり、織田家三代の“栄光と後退”が、街なかの一寺に折り畳まれている——それが円徳寺の深み。短い滞在でも、岐阜の戦国史が一段立体的になります。
| 築造年 | 不明(前身は「浄泉坊」とされる) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 浄土真宗本願寺派の寺院/「楽市楽座」制札が伝わる/織田塚(戦死者供養)を伝える |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存(拝観可) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 楽市楽座制札附織田信長百姓帰住制札:国指定重要文化財/梵鐘ほか:岐阜市指定重要文化財 |
| 備考 | 拝観時間 9:00~17:00/拝観無料/駐車場なし(周辺の駐車場利用を推奨) |
🗺 住所:〒500-8833 岐阜県岐阜市神田町6丁目24
🚶 アクセス
岐阜駅からバスと徒歩で約10分(バスのタイミングに次第)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約45分
📍 見どころ
- 「楽市楽座」を伝える制札:信長が城下の商いを動かすために掲げたとされる“街づくりの証拠”。戦国史が経済史に切り替わる瞬間です。
- 信長寄進と伝わる梵鐘:武将の寄進が、寺の時間を何百年も支えてきたことを実感できる寺宝(指定文化財)。
- 季節限定の楽しみ方:夏の夕方は境内が比較的涼しく、街歩きの小休止に最適。柳ヶ瀬~岐阜駅方面の散策ルートに組み込みやすいです。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:ここに残る制札は、合戦の武功ではなく「城下復興と商業政策」を示す資料として評価され、国の重要文化財に指定されています。
- 知る人ぞ知る情報:駅近の“街なか寺院”ながら、境内には戦死者供養の「織田塚」を伝え、戦国の生々しい裏面にも触れられます。
- 著名人との関係:信長・信秀・秀信——織田家三代にまつわる痕跡が重なり、家の盛衰を一地点で辿れるのが円徳寺のユニークさです。
建勲神社(岐阜信長神社)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜の街に“信長の神気”が宿る場所がある――それが橿森神社の境内に鎮座する「建勲神社(通称:岐阜信長神社)」です。京都の建勲神社から分霊されたと伝わり、武将としての信長ではなく、功績を背負った“御祭神としての信長”に静かに向き合えるのが魅力。派手さはないのに、鳥居をくぐると空気が変わる。信長が岐阜で目指した“新しい秩序”は、こうした祈りの場にも確かに残っています。旅の途中で心を整えたいとき、ここはちょうどいい深呼吸の場所になります。

御朱印
私が参拝した日は、通常の御朱印は、橿森神社の授与所で書置きとして拝受できました(状況により直書き/書置きは変わる場合あり)。
金の御朱印は「毎月最終金曜日」に直接、御朱印帳に記載してもらえました。(以下、画像)
実施有無は当日の掲示/公式SNS/社務所案内で確認してください。

| 築造年 | 明治時代(年不明) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(京都・建勲神社から分霊) |
| 構造・特徴 | 橿森神社境内の社(信長を主祭神とする) |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明 |
| 備考 | 通称「岐阜信長神社」 |
🗺 住所:岐阜県岐阜市若宮町1-8
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバスと徒歩で16分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約25分
📍 見どころ
- “信長を祀る”という視点:城や合戦ではなく、功績を背負った存在としての信長に向き合えます。
- 境内の空気の切り替わり:橿森神社の中にありながら、参道の先で気配が静まる感覚が印象的。
- 季節限定の楽しみ方:夏は木陰が深く、参拝後の涼しさが心地よい時間になります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:京都の建勲神社から分霊されたとされ、岐阜でも信長信仰が形になっています。
- 知る人ぞ知る情報:橿森神社は「岐阜三社参り」の一社としても知られ、巡礼的な歩き方ができます。
- 著名人との関係:祀られているのは“織田信長公”その人。岐阜の信長巡りの精神的な拠点です。
岐阜善光寺(善光寺安乗院)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜の城下に、信長の「勝ち筋」を静かに語る寺があります。伊奈波神社のほど近くに佇む岐阜善光寺(善光寺安乗院)は、戦国の権力者たちの思惑に翻弄されながらも、祈りの中心であり続けた“善光寺如来”の記憶を受け止める場所。寺の由緒によれば、武田信玄が信濃善光寺から如来を甲府へ移したのち、信玄没後に織田信長によって岐阜へ迎えられたとされます。さらに本能寺の変後に本尊が移されたのち、信長の嫡孫・織田秀信がこの地に善光寺堂を建立し、如来の御分身を祀った——ここには、戦国の激流のなかでも「信仰だけは絶やさない」という、岐阜の芯の強さが宿ります。

明治24年(1891)の濃尾大震災で全焼し、大正初年に再建された本堂は、豪壮さで圧倒するというより、城下町の暮らしに溶け込みながら“日常の救い”を受け止める佇まい。堂内には平安時代作とされる釈迦如来坐像(岐阜市指定重要文化財)も伝わり、信長という「動」の物語と、仏たちが守る「静」の時間が、同じ空間で交差します。信長ゆかりの史跡巡りの合間に立ち寄れば、天下布武の鋭さとは別の角度から、岐阜という土地の精神風土が見えてきます。
御朱印
私は参拝後に授与所で御朱印を拝受しました。行事日(節分/胡瓜封じ周辺)は混みやすく、受付時間が変わることもあるので、余裕をもって立ち寄るのがおすすめです。

| 築造年 | 不明(現在の本堂は大正初年に再建) |
|---|---|
| 築造者 | 開基:織田秀信(信長の嫡孫) |
| 構造・特徴 | 真言宗(醍醐派)の寺院/本尊:善光寺如来(御分身)/美濃新四国八十八ヶ所 第1番札所 |
| 改修・復元歴 | 1891年(明治24年)濃尾大震災で全焼→大正初年に本堂再建 |
| 現存状況 | 現存(参拝可) |
| 消滅・損壊 | 1891年(明治24年)濃尾大震災により全焼 |
| 文化財指定 | 釈迦如来坐像:岐阜市指定重要文化財(寺院案内に記載) |
| 備考 | 節分頃の「節分星祭り」、夏(7月頃)に「胡瓜封じ」が行われることがあります。年によって日程・受付方法が変わるため、参拝前に寺の案内(掲示/公式発信/電話)で開催日・受付時間を確認してください。 |
🗺 住所:〒500-8043 岐阜県岐阜市伊奈波通1-8
🚶 アクセス
最寄り駅:JR岐阜駅からバスと徒歩で約20分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 戦国を渡り歩いた「善光寺如来」の記憶:信長が岐阜へ迎えたとされる由緒が、寺の物語の核。史跡巡りに“信仰史”の視点が加わります。
- 再建本堂の落ち着いた佇まい:濃尾大震災の全焼を経て大正初年に再建。城下町の時間に寄り添う、生活の中の祈りが感じられます。
- 季節限定の楽しみ方:節分の「節分星祭り」、夏の「胡瓜封じ」。参拝が“行事体験”に変わる。行事日は混雑や受付時間の変更も起きやすいので、訪問前に最新日程を確認した上で狙うのもおすすめです。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:本尊にまつわる伝承では、武田・織田・豊臣・徳川へと“時代の手”を渡ったのち本所へ帰ったとされ、戦国の勢力図が信仰にも影を落とします。
- 知る人ぞ知る情報:美濃新四国八十八ヶ所の第1番札所。巡礼のスタート地点として歩くと、岐阜の街の見え方が変わります。
- 著名人との関係:信長本人の関与が語られるだけでなく、堂を建立したのは信長の嫡孫・織田秀信とされ、織田家の“次の世代”の痕跡としても興味深い存在です。
岐阜公園(岐阜城)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆☆

岐阜で信長を語るなら、最後に必ず戻ってくるのが金華山——そして岐阜公園(岐阜城)です。永禄10年(1567)、信長は稲葉山城を攻略し、城と地名を「岐阜」へと改めたと伝わります。ここから「天下布武」の歩みが加速した、いわば“天下への発射台”。山頂の城だけでなく、山麓の居館跡を含む金華山一帯が国史跡「岐阜城跡」に指定されているのも、この城が「山全体で機能した城」であり、信長が政治と外交の舞台として使いこなしたことを物語ります。
岐阜公園の心地よさは、戦国の緊張感と、現代の休日のやわらかさが同居しているところ。山麓では散策が気持ちよく、少し足を伸ばせば、信長の居館跡や庭園の遺構が“城下のリアル”を伝えてくれます。そしてロープウェーで山頂へ上がれば、天守から長良川と濃尾平野が一望。信長が「この景色で国を動かした」と想像するだけで、歴史が一気に現在形になります。なお現在の天守は復興天守で、明治期の模擬天守(1910年)→焼失(1943年)を経て、1956年に再建されたもの。史実の遺構に、近代以降の“岐阜の象徴づくり”が重なった場所だからこそ、信長の時代と今が一本の道でつながって見えるのです。
御城印
岐阜城の御城印や御城印帳は、ロープウェイ山麓駅1Fで買うことができます。



| 築造年 | 建仁年間(1201~1204)築城と伝承/信長の岐阜城改名:1567年(永禄10年)/現天守:1956年(昭和31年)再建 |
|---|---|
| 築造者 | 伝承:二階堂行政(諸説あり)/戦国期の整備:斎藤氏→織田信長 |
| 構造・特徴 | 金華山(標高約329m)山頂の山城+山麓居館を含む城郭システム/現天守は鉄筋コンクリート造の復興天守(3層4階相当の構成) |
| 改修・復元歴 | 1910年(明治43年)模擬天守建設→1943年(昭和18年)焼失→1956年(昭和31年)2代目復興天守再建 |
| 現存状況 | 岐阜公園として整備・現存/岐阜城(復興天守)として公開 |
| 消滅・損壊 | 模擬天守が1943年に焼失(現天守は1956年再建)/江戸初期以降、天守は失われた期間があった |
| 文化財指定 | 平成23年2月7日(2011年2月7日) 国史跡指定 |
| 備考 | 山頂へは「ぎふ金華山ロープウェー」または登山道/岐阜公園内に飲食・物販施設「岐阜城楽市」(令和7年4月26日(2025年4月26日)オープン) |
🗺 住所:岐阜県岐阜市大宮町1丁目(岐阜公園)/岐阜城:岐阜県岐阜市天主閣18番地
🚶 アクセス
岐阜駅からバスと徒歩で約20分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約60分(公園散策+ロープウェー往復の目安)
じっくり観光するなら:約3時間(天守・資料館・居館跡周辺まで)
📍 見どころ
- 岐阜城・復興天守の展望:長良川と濃尾平野を一望する“天下の視界”。信長がここを本拠に選んだ理由が、体感で腑に落ちます。
- 岐阜公園の山麓散策:城へ向かう前の助走区間。信長の居館跡(発掘整備エリア)周辺も含め、山麓の“政治の舞台”を歩けます。
- 季節限定の楽しみ方:春は桜、秋は紅葉で金華山が色づき、天守の白壁が際立ちます。夜はライトアップも人気です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:国史跡「岐阜城跡」は、山頂の城郭だけでなく、山麓の居館跡や自然地形を含めた“山全体”が指定範囲になっています。
- 知る人ぞ知る情報:今見ている天守は「史跡の遺構」ではなく、1956年に再建された復興天守。史跡(城跡)とシンボル建築(天守)を分けて見ると理解が深まります。
- 著名人との関係:宣教師ルイス・フロイスが信長を訪ねた記録が残るなど、岐阜城は“世界史の窓”にもなった場所として注目されます。
「若き日の織田信長」北村西望
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

岐阜公園の正門前に立つのは、馬上で弓を引き、今まさに駆け抜けていく“若き信長”の瞬間を切り取ったブロンズ像。作者は、長崎の平和祈念像でも知られる彫刻家・北村西望です。信長が岐阜へ入った永禄10年(1567)から四百年以上を経た昭和63年(1988)、岐阜市制100周年を記念して寄贈され、のちに平成21年(2009)に岐阜公園正門前へ移されました。史跡そのものではありませんが、ここに立つと、金華山の稜線の向こうに岐阜城を仰ぎ、信長がこの地で「天下」へ視線を定めた空気を、写真と体感でつかめます。旅の最初に“信長の速度”を身体に入れる——そんな導入にぴったりの撮影スポットです。
| 築造年 | 1988年(昭和63年) |
|---|---|
| 築造者 | 作者:北村西望/(岐阜市制100周年記念として岐阜市に寄贈) |
| 構造・特徴 | ブロンズ像/馬上で弓を引く「若き日の信長」を表現/撮影ポイントとして人気 |
| 改修・復元歴 | 2009年(平成21年)に岐阜公園正門前へ移設 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(彫像自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 同じ作者名・題名で類似の馬上像が各地で紹介されることがあります。ただし設置経緯や同一原型かは資料により差があるため、ここでは「岐阜公園正門前に設置されている像」として案内します。 |
🗺 住所:〒500-8003 岐阜県岐阜市大宮町1丁目(岐阜公園 正門前)
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバス・徒歩で約17分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 躍動する馬上像の造形:弓を引く上体と、疾走する馬体の流れが一体になり、信長の“攻めの速度”が視覚化されています。
- 岐阜城を背景にした撮影:立ち位置を少し調整すると、金華山と岐阜城を背に「天下へ駆ける」構図が決まります。
- 季節限定の楽しみ方:春は岐阜公園周辺の桜、秋は紅葉の色が像のシルエットを引き立て、写真映えが増します。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:建立は戦国期ではなく、岐阜市制100周年(1988年)の記念事業として生まれた“現代の信長レガシー”です。
- 知る人ぞ知る情報:2009年に岐阜公園正門前へ移設され、現在の「岐阜城をバックに撮れる」配置になりました。
- 著名人との関係:作者の北村西望は、日本を代表する彫刻家として知られ、平和祈念像の作者としても広く認知されています。
崇福寺
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆


岐阜に「岐阜」という名が刻まれ、信長が天下へ向けて歩み出した永禄10年(1567)。そのとき信長が美濃で“拠りどころ”に選んだ寺の一つが崇福寺です。やがて本能寺の変で信長と信忠が倒れると、側室・お鍋の方が遺品を寺に送り、父子を弔う廟所が守られてきました。境内の静けさは、戦国の轟きが遠ざかった後に残る「祈りの余韻」そのもの。さらに本堂には、関ヶ原前夜の岐阜城落城にまつわる“血天井”が伝わり、勝者と敗者の境界がいかに脆いかを、言葉より強く語ります。手入れの行き届いた庭と、秋のドウダンツツジの紅葉がやわらげる空気の中で、信長の栄光と断絶を、ひとつの場所で受け止められる稀有なスポットです。
御朱印

| 築造年 | 不明(創建:伝・1469年〔文明元年〕など諸説) |
|---|---|
| 築造者 | 伝:土岐成頼・斎藤長弘 |
| 構造・特徴 | 臨済宗妙心寺派の寺院/織田信長父子廟、位牌堂、血天井(伝承) |
| 改修・復元歴 | 不明(中興:伝・1511年〔永正8年〕など諸説) |
| 現存状況 | 現存(拝観可) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 織田信長父子廟:岐阜市指定史跡 |
| 備考 | 「ぎふ信長まつり」前後に追悼行事が案内されることがあります。実施日・参列可否は年によって異なるため、当日の掲示や案内で確認してください。 |
🗺 住所:〒502-0817 岐阜県岐阜市長良福光2403-1
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバス・徒歩で約27分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約40分
📍 見どころ
- 織田信長父子廟:華やかな武名の裏側にある“弔い”の場所。静かな一角で手を合わせると、岐阜の時間が深く沈みます。
- 血天井(本堂):岐阜城落城の記憶を伝えるとされる天井。由来を知って見上げると、寺の空気が一段と引き締まります。
- 季節限定の楽しみ方:秋はドウダンツツジの紅葉が庭に彩りを添え、重厚な歴史散策をやさしく包みます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:信長の時代だけでなく、関ヶ原前後の“岐阜城の記憶”も境内に折り重なっています。
- 知る人ぞ知る情報:信長まつりの時期に追悼式が営まれ、寺が“追慕の舞台”としても息づきます。行事は年ごとに実施形態が変わるため、訪問前に寺の案内で確認してください。
- 著名人との関係:信長の側室・お鍋の方が遺品を送り弔わせたと伝わり、父子廟の成立に関わったとされます。
伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜の信長史跡を巡っていると、ふいに“物語の余白”へ踏み込む瞬間があります。路地が入り組む住宅街の一角、西野不動尊前。そこに立つ石碑が、伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)です。濃姫(帰蝶)は斎藤道三の娘で、織田信長の正室として語られる存在ですが、婚姻後の確かな史料は少なく、その生涯は霧の中にあります。だからこそ、この場所に伝わる「本能寺の変で信長と共に亡くなり、逃れた家臣が遺髪を持ち帰って埋葬した」という伝承は、史実の断片というより、岐阜の人々が“信長の時代”を心に留めるために紡いだ祈りの形として響きます。
岐阜市の案内によれば、遺髪塚は1945年(昭和20年)の岐阜空襲で焼失し、のちに有志の尽力で1976年(昭和51年)に再建されたとされます。戦国の大火ではなく、近代の戦火によって失われ、再び戻ってきた慰霊のしるし——その事実が、ここを“伝承スポット”以上の場所へ引き上げます。大きな石碑の前に供えられる花は、歴史上の人物というより、街の記憶に寄り添う人への手向け。信長の岐阜が「天下布武」の出発点なら、ここはその陰にある静かな喪失と再生の地点です。
| 築造年 | 不明(石碑の年代は不明/遺髪塚は1945年焼失後、1976年に再建とされる) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(再建:有志の尽力によるとされる) |
| 構造・特徴 | 遺髪塚(石碑)/「お濃之墓」として伝承される/西野不動尊前の路地に所在 |
| 改修・復元歴 | 1945年(昭和20年)岐阜空襲で焼失→1976年(昭和51年)に再建(伝承・案内による) |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 1945年(昭和20年)岐阜空襲で焼失(その後再建) |
| 文化財指定 | 不明(岐阜市の案内では「史跡ではない」と明記) |
| 備考 | 濃姫(帰蝶)に関する伝承地。史料が少ない人物のため、内容は「伝」として受け止めたい |
🗺 住所:〒500-8802 岐阜県岐阜市不動町 西野不動尊前
🚶 アクセス
岐阜駅からバス・徒歩で約24分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 巨木と石碑の対比:路地の中で突然現れる大木と石碑。城や寺とは違う“生活の中の歴史”が迫ってきます。
- 「伝承」と向き合う体験:濃姫は史料が少ない人物。ここでは史実の断定より、土地が残した記憶の温度を味わうのが醍醐味です。
- 季節限定の楽しみ方:夏は木陰が濃く、静かな路地歩きが心地よい。花の供えが増える時期もあり、地元の祈りが感じられます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:戦国の火災ではなく、1945年(昭和20年)の岐阜空襲で焼失し、1976年(昭和51年)に再建されたと案内されています。
- 知る人ぞ知る情報:大通りの観光導線から少し外れた住宅街にあり、地図アプリがないと見落としやすい“街の奥の史跡風景”です。
- 著名人との関係:織田信長の正室として語られる濃姫(帰蝶)に結びつく伝承地で、信長史跡巡りに「濃姫」という視点を加えられます。
手力雄神社
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

「信長ゆかり」と聞いて思い浮かぶのは、城や合戦の舞台かもしれません。でも各務原の手力雄神社は、武名の陰で“勝ち運を祈る心”が積もってきた場所です。ご祭神は天岩戸神話で岩戸をこじ開けた力の神・手力雄神(たぢからおのかみ)。古くは磐座(いわくら)祭祀にさかのぼる起源が語られ、那加地区の総社として、人々の暮らしの節目を受け止めてきました。戦国期には、織田信長が稲葉山城攻略の折に戦勝祈願をしたと伝わり、以後「勝運・開運厄除け」の社として崇敬が厚くなったとされます。
この神社の“主役”は、境内の空気よりもむしろ社殿の細部に宿ります。延宝2年(1674)に再建された本殿は、各務原市の指定文化財。とりわけ見逃せないのが、本殿の海老虹梁(えびこうりょう)に巻きつくように配された一対の龍の彫刻です。勢いよくうねる胴体、鋭い表情、彩色の名残——近づくほどに「生き物の気配」が立ち上がり、祈りの場が一瞬で“美術館級の彫刻空間”に変わります。信長の物語に浸りたい旅人にも、建築・意匠好きにも刺さる、岐阜の隠れた強打者です。※注意:当社(各務原市)は“火祭を行う神社ではない”旨を公式に案内しています。『手力の火祭』は岐阜市の手力雄神社です。
御朱印、御朱印帳紹介
木製の御朱印帳は、一般的な布表紙とは質感が違い、旅の記念性が強いタイプでした。授与品は時期で変わることがあるため、気になる方は授与所で在庫・頒布状況を確認すると確実です。



| 築造年 | 創建:不詳(社伝では古い起源が語られる)/本殿再建:1674年(延宝2年) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 那加地区の総社/主祭神:手力雄神(天手力雄命)/本殿に一対の龍彫刻(市指定文化財) |
| 改修・復元歴 | 社殿は1674年以降、修復・葺替を重ね現代へ継承 |
| 現存状況 | 現存(参拝可) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 手力雄神社御本殿:各務原市指定文化財(昭和52年4月21日指定)/竜の雌雄:各務原市指定文化財(昭和32年7月13日指定) |
| 備考 | 織田信長が戦勝祈願をしたと伝わる/当社は「火祭」を行う神社ではない |
🗺 住所:〒504-0043 岐阜県各務原市那加手力町4
🚶 アクセス
名鉄岐阜駅 →(電車)新加納駅 →(徒歩)約13分(全体目安:約40分)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約40分
📍 見どころ
- 本殿の龍彫刻「竜の雌雄」:海老虹梁に巻きつくように配された一対の龍。間近で見るほど、彫りの勢いと迫力に引き込まれます。
- 延宝2年(1674)再建の本殿:各務原市内でも古い木造建築として知られ、社殿鑑賞そのものが“旅の目的”になります。
- 季節限定の楽しみ方:例大祭・御神幸祭は4月下旬〜4月29日前後に案内されることがあります。年によって日程・内容が変わる場合があるため、訪問前に公式案内で実施日を確認してください。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:社伝では磐座祭祀から始まったとされ、神社になる以前の「祈りの場」の記憶を背負っています。
- 知る人ぞ知る情報:公式に「当社は火祭りを行う神社ではありません」と案内されています。同名の祭礼(岐阜市の手力の火祭)と混同しやすいので要注意です。
- 著名人との関係:織田信長が稲葉山城攻略の際に戦勝祈願をしたと伝わり、勝運祈願の信仰につながっています(史料の詳細は不明だが、神社・神社庁の由緒として紹介)。
よくある質問(FAQ)
Q1. 岐阜駅から岐阜城(岐阜公園)まではどれくらいかかりますか?
A. 目安は バス+徒歩で約20分 です。岐阜公園に着いてからは、山麓散策だけなら1時間前後、ロープウェー往復+天守まで含めるなら 3時間 を見ておくと安心です。
Q2. 徒歩だけで信長ゆかりスポットを回れますか?バスは必要ですか?
A. 駅前の黄金像 と、中心部の 円徳寺 周辺は徒歩でも回しやすいです。一方で 岐阜公園(岐阜城) や 崇福寺 は距離があるため、時間を節約したいなら バス併用 が現実的です。
Q3. 半日しかない場合、どこを優先するのがおすすめですか?
A. 迷ったらこの順が鉄板です。
- 黄金の織田信長公像(岐阜駅前)
- 岐阜公園(岐阜城)(展望と城下の舞台)
- 時間が余れば 円徳寺(楽市楽座の制札で“統治者の信長”が見える)
「まず岐阜らしさを掴む→核心に触れる→テーマを足す」の流れが失敗しにくいです。
Q4. 御朱印がある(可能性が高い)のはどこですか?
A. 御朱印はスポットごとに授与窓口が異なります。
・建勲神社(岐阜信長神社):橿森神社で授与(境内社のため)
・岐阜善光寺:善光寺で授与(受付時間は変動あり)
・手力雄神社(各務原):手力雄神社で授与(受付時間は変動あり)
※当日の受付(書置き/直書き/時間)は変更されることがあるため、現地掲示・公式案内で確認してください。
Q5. 雨の日でも楽しめますか?おすすめの回り方は?
A. 雨の日は、移動距離が短い順に組むのがおすすめです。
- 黄金の織田信長公像(駅前) → 円徳寺(街なか) →(体力と天候次第で)建勲神社(橿森神社境内)
岐阜城は景色が主役なので、天気が良い日に回すと満足度が上がります(ただし「霧の岐阜城」狙いで行くのもアリ)。
Q6. 岐阜城の天守は当時のものですか?
A. 現在の天守は 復興天守 で、1956年に再建 されたものです。いっぽうで、国史跡「岐阜城跡」 は山頂だけでなく山麓の居館跡など 山全体 が指定範囲に含まれるため、史跡としての“本体”は 遺構や地形 のほうにあります。
Q7. 行事(節分・胡瓜封じ・追悼式など)はいつ行けば体験できますか?
A. 行事は 年によって日程・受付が変わる ことがあるため、本記事では「行われることがある」までに留めています。狙って行くなら、出発前に 寺社の掲示/公式発信/電話案内 などで最新日程を確認するのが確実です。
Q8. 手力雄神社は「手力の火祭」と同じ場所ですか?
A. 混同されやすいですが、記事で紹介しているのは 各務原市の手力雄神社 です。本文でも触れている通り、当社は 火祭を行う神社ではない 旨の案内があります。「手力の火祭」 は別地点(岐阜市側)なので、目的が祭りの場合は行き先を必ず確認してください。
御朱印(御城印)窓口まとめ
御朱印は、同じスポット名でも授与窓口が別の場合があります(境内社など)。また、御朱印は直書き/書置きが日によって変わるため、ここでは“窓口の場所”を中心にまとめています。参拝当日は現地掲示・公式案内で確認してください。
| スポット | 御朱印(御城印) | 授与窓口(どこで?) | メモ(注意点) |
|---|---|---|---|
| 建勲神社(岐阜信長神社) | あり(私の参拝時) | 橿森神社 授与所 | 境内社のため橿森神社で対応。金の御朱印は実施日が案内されることがあるので当日確認。 |
| 岐阜善光寺(善光寺安乗院) | あり(私の参拝時) | 岐阜善光寺 授与所 | 行事日(節分/胡瓜封じ周辺)は混みやすく、受付時間が変わることも。 |
| 崇福寺 | あり(私の参拝時) | 崇福寺(受付・授与所) | 拝観可否や受付は時期で変動あり。静かな寺なのでマナーも意識。 |
| 円徳寺 | 未確認(本記事では断定なし) | — | 拝観は可能。御朱印対応は現地掲示や寺の案内で確認推奨。 |
| 手力雄神社(各務原) | あり(私の参拝時) | 手力雄神社 授与所 | 木製の御朱印帳など授与品は時期で変わる場合あり。 |
| 岐阜公園(岐阜城) | 御城印あり | ロープウェイ山麓駅1F | 販売されている種類は季節により変わる可能性あり |
| 黄金像/若き日の信長像/濃姫遺髪塚 | なし | — | — |
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