見るだけの庭から、体験する庭へ。
高低差22mの立体庭園「玉泉院丸庭園」、抹茶を楽しめる玉泉庵、黒い海鼠壁が映える鼠多門・鼠多門橋、そして石工技が冴える鯉喉櫓台や城の表玄関だった大手門跡・黒門。本ページでは、これら西郭の名所を360度パノラマで一気に巡り、光・水・石が織りなす“金沢城の奥行き”を没入的に味わえます。
西郭・外郭
玉泉院丸庭園(ぎょくせんいんまるていえん)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

玉泉院丸庭園は、かつて金沢城の西側郭「玉泉院丸」に存在していた大名庭園を、平成期の発掘調査と史料をもとに 2015年(平成27年)3月 に再整備・公開された庭園です。庭園は加賀藩主・前田家の藩主たちが寛永期以降愛でた場所で、城郭・庭園・石垣が融合する立体的な造形が特徴です。
この庭園は、金沢城内に引かれた辰巳用水を水源とする 池泉回遊式 の構成。池の底から上部の石垣最上段までの高低差は 約22メートル にも及び、滝・流れを取り入れた色紙短冊積み石垣(しきし たんざくづみ)が庭の造形要素として組み込まれています。庭園内には散策路が巡り、庭園の中をゆったり歩きながら各所の景観変化を楽しめます。
また庭園には、庭を眺めながらくつろげる休憩施設「玉泉庵(ぎょくせんあん)」が設けられており、抹茶+和菓子のセット(約¥730)が提供されています。呈茶時間は午前9時〜午後4時半で、庭園との調和を意識した設計空間となっています。
パノラマ写真
| 開園年(再整備) | 平成27年(2015年)3月 |
|---|---|
| 庭園様式 | 池泉回遊式庭園 |
| 高低差 | 池底〜石垣最上段まで 約22 m |
| 主な特徴 | 滝+流れ、色紙短冊積み石垣、景石・築山・池島・散策路 |
| 休憩施設 | 玉泉庵(抹茶+和菓子提供) |
| 入園料 | 無料(庭園エリア) |
| 営業時間 | 3月1日~10月15日:7:00~18:00 10月16日~2月末:8:00~17:00 |
| 文化財指定 | 金沢城跡の国指定史跡の一部 |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1−1(金沢城公園内)
🚶 アクセス
鶴の丸休憩館から徒歩7分(約500m)程度です。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約 5分
じっくり観光するなら:約30分(庭園構成・石垣意匠・庭木見どころ・休憩込)
📍 見どころ
- 色紙短冊積み石垣:直線・曲線を交えた石垣積みで、まるで庭の装飾要素となっている。
- 滝と流れの演出:水源からの流れを取り込んだ構成で、景観変化を時間と共に楽しめる。
- 池と島・散策路:池越しに築山や島が見え、回遊することで異なる視点の眺めが現れる。
- 借景との調和:庭園背後の石垣や三十間長屋などを借景に取り込み、構図を引き締める。
- ライトアップ演出:夜間には「幻想空間」として灯りの演出があり、7分間ごとに照明が移ろう演出があります。
📌 トリビア
- 名称の由来:庭名の「玉泉院丸」は、前田家2代藩主・利長の正室であった永姫(織田信長の四女)が剃髪後「玉泉院」と号し、この地に邸宅を持ったことにならう説があります。
- 庭園の歴史断絶と復活:明治以降庭園は姿を消し、長らく失われていましたが、埋蔵遺構や絵図をもとに再整備され、庭園遺構を現代に蘇らせた例です。
- 「石垣の博物館」構想:庭園内には立体的石垣群が配置され、石垣美術館としても称されるほどの凝んだ意匠性があります。
- ライトアップ演出の移ろい:夕景 → 宵 → 月夜の三段階の灯り演出が展開され、訪問時間帯によって異なる表情を見せます。
- 兼六園よりも早く作庭:庭の起源は寛永11年(1634年)頃とされ、兼六園成立よりも歴史が古いという見方もあります。
玉泉庵(ぎょくせんあん)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

玉泉庵は、金沢城の玉泉院丸庭園に設けられた茶室・休憩所で、庭園を見渡す絶好のロケーションにあります。元々この地には江戸時代、「露地役所」と呼ばれる庭園の整備管理を担う役所がありましたが、現在の施設はその跡地に整備された休憩施設です。 室内からは、庭園を借景とした石垣群、特に色紙短冊積みの意匠性高い石垣が見渡せ、静かなひとときを過ごせます。
| 構造 | 木造平屋建て、柿葺屋根、建築面積 約226㎡ |
|---|---|
| 部屋構成 | 休憩室、案内所、和室(茶室)12畳・8畳、水屋、縁廊下、玄関、寄付 |
| 呈茶時間 | 9:00~16:30(受付は16:00まで)※正午~13:00は清掃時間で入室不可の場合あり |
| 呈茶料金 | 抹茶+オリジナル上生菓子セット:730円 |
| 休館日 | 年末年始(12月29日~1月3日) |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1-1(玉泉院丸庭園内)
🚶 アクセス
玉泉院丸庭園の散策ルート中、徒歩2分程度です。
⏳ 利用の目安
抹茶をいただきながらのんびり過ごすなら:約15分
📍 見どころ・ポイント
- 借景としての庭園との調和:茶室の窓から庭園の滝・石垣・池などを眺める設計で、景観との一体感が楽しめる。
- 上生菓子と抹茶のセット:地元和菓子と抹茶の組み合わせで、庭を見ながら味わう“庭と茶”の体験。
- 貸亭利用可:茶会などの専用利用(貸亭)も可能。予約制です。
- 夜間ライトアップ:週末夜には庭園および石垣がライトアップされ、幻想的な景色を楽しめます。
- 元管理施設跡地の意味性:かつて庭園整備を行った露地役所の跡地を生かし、歴史と現代をつなぐ施設として再整備されています。
鼠多門(ねずみたもん)・鼠多門橋(ねずみたもんばし)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆☆



鼠多門は、金沢城の西側郭(=玉泉院丸側)におかれた櫓門形式の城門で、かつては **金谷出丸(現在の尾山神社付近)から玉泉院丸へ通じる橋(鼠多門橋)** によってつながる出入口として機能していました。江戸時代前期には既に存在していたと伝えられ、宝暦9年(1759年)の火災を経ても焼失を免れたものの、明治期になって焼失・橋の撤去が相次ぎ、長らく姿を消していました。
平成26年(2014年)以降の調査・復元計画に基づき、鼠多門・鼠多門橋は令和2年(2020年)7月に約140年ぶりに復元されました。櫓門には特徴的な「黒い海鼠漆喰(なまこしっくい)」の外壁が施され、他の城門には見られない独自の意匠性を備えています。鼠多門橋は城内最大規模の木橋として設計されつつも、耐震性を考慮し内部に鋼材を併設する構造が採られています。
パノラマ写真
| 復元完成年 | 令和2年(2020年)7月18日 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 櫓門形式・二階建/屋根は鉛瓦、外壁は白漆喰+海鼠壁、目地は黒漆喰 |
| 橋の規模・構造 | 城内最大規模木橋様式・外観木造、内部鋼材併用構造 |
| 用途・役割 | 尾山神社(出丸)と玉泉院丸を結ぶ導線・郭間入口機能 |
| 復元方針 | 発掘遺構・絵図・文献に基づき精密復元/外観は伝統木造建築、内部に耐震構造併用 |
| 現存状況 | 復元建築として公開・内部見学可(無料) |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1-1(金沢城公園内)
🚶 アクセス
玉泉庵から徒歩約2分(約120m)。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約 5(門・橋の外観観賞)
じっくり観光するなら:約 15分(内部見学・橋を含む撮影等含む)
📍 見どころ
- 黒い海鼠漆喰の意匠:目地を黒漆喰で仕上げた海鼠壁が門の特徴。他門との差別化を図る意匠です。
- 木橋としてのスケール感:当時城内最大規模とされる橋の復元。長さと幅の迫力を感じられます。
- 内部見学と展示:櫓内部には復元過程・金沢城の歴史展示があり、城側からの視点変化が楽しめます。
- ライトアップの演出:夜にはライトアップが行われ、橋と門の陰影が幻想的な風景を作り出します。
- 城下町導線の復活:尾山神社~鼠多門~玉泉院丸~金沢城と続く徒歩回遊ルートの新たな軸となります。
📌 トリビア
- 「鼠」の名の由来:外壁の色味から「鼠色」の漆喰仕上げを持つ建築という意味合いで命名された可能性があります。
- 失われていた約140年ぶりの復活:明治期に焼失・撤去後、多くの城郭構造が消失していた中で、鼠多門復元は城の「西側入口」を再現する意味合いも強い整備です。
- 構造技術の併用:外観は伝統木造で仕上げつつ、耐震性を持たせるため内部に鋼材を併用するハイブリッド設計が採られています。
- 門と橋の新たな観光軸:鼠多門の復元により、尾山神社と金沢城を結ぶ観光導線が整えられ、城下町巡りが魅力的になりました。
鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

いもり堀の東端にせり出す巨大な石垣が「鯉喉櫓台」。名に“櫓”とありますが、上部に櫓が建っていた確実な記録はなく、堀へL字状に張り出す出丸的な石垣台として機能したと考えられます。寛永8年(1631)の大火後に整備が進み、寛文4年(1664)の修築で整然とした粗加工石積(戸室石)へと磨き上げられました。堀底からの高さは約八間(約14.4m)。射撃の死角を消し、車橋門・玉泉院丸方面の防備を固める“のど元(喉)”として、前田家の城を守る要の石垣でした。
明治40年(1907)に上部が削られ、いもり堀も埋め立てられますが、平成期の調査で良好な遺存が判明。平成20~22年(2008–2010)の復元で、発掘石約250個を含む約900個の石材により往時の姿がよみがえりました。水を湛えた復元堀と白い石肌のコントラストは圧巻。利家・まつの時代に始まる加賀藩の築城技術が、子孫の治世を経て洗練されていった過程を、石の仕事が雄弁に物語ります。
パノラマ写真
| 築造年 | 江戸初期(寛永期以降)整備/寛文4年(1664)修築 |
|---|---|
| 築造者 | 加賀藩 前田氏(石垣修築:後藤権兵衛ほか石垣方) |
| 構造・特徴 | いもり堀にL字状に張り出す石垣台;粗加工石積・布積(戸室石);堀底から約14.4m |
| 改修・復元歴 | 明治40年に上部削平・堀埋立 → 平成10年代発掘 → 平成20–22年に石材約900個で復元(発掘石約250個再用) |
| 現存状況 | 復元石垣として現存・公開(いもり堀も復元通水) |
| 消滅・損壊 | 上部構造は明治期に消失(櫓建築の確証はなし) |
| 文化財指定 | 個別指定なし(城跡全体は国指定史跡「金沢城跡」) |
| 備考 | 「城内随一の石垣」と称された精緻な隅角部加工(江戸切り等) |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1−1(金沢城公園 いもり堀東端)
🚶 アクセス
前のスポット「鼠多門橋」から徒歩約9分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約15分(いもり堀の水面や石積の細部まで)
📍 見どころ
- 圧巻の張り出し石垣:堀へ鋭く突き出すL字形が死角を消し去る、機能美の極み。
- 石工の技:隅角の切石、均整のとれた目地—加賀藩の高度な石垣技術を間近で。
- 水鏡の風景:復元堀の静水に映る石肌。夕景やライトアップ期は特にフォトジェニック。
- 季節限定の楽しみ方:新緑〜紅葉の彩り、冬の雪化粧と石の陰影のコントラスト。
📌 トリビア
- “鯉の喉”の由来:張り出し形状を鯉の喉に見立てたとも。正式な命名由来は不詳。
- 復元のリアリティ:発掘石を約250個再用。不足分は同質の戸室石を新調して積み増し。
- 利家から子孫へ:利家入城後に発展した城づくりは、江戸期の子孫代で石垣技術が最盛期に。
大手門跡(おおてもんあと)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

この「大手門跡」は、かつての 金沢城 の正門ともいえる門があった場所で、城内最大級の枡形構えを備えた登城ルートの起点でした。 初期には佐久間盛政が築いた西丁口付近に大手門が設けられていましたが、入城した 前田利家 の時代に現在の「尾坂口」へと改められています。 現状、建物そのものは残っておらず、石垣・櫓台の遺構と「門跡」としての空間のみが公開されています。
パノラマ写真
| 築造年・成立時期 | 西丁口時代(天正時代)→ 尾坂口へ改められたのは前田利家入封直後(16世紀末) |
|---|---|
| 構造・特徴 | 大規模な枡形虎口+櫓台石垣。現存は石垣のみ。 |
| 改修・変遷 | 城郭の整備/焼失・撤去の時代を経て建物なし。石垣は補修・保存整備中。 |
| 現存状況 | 櫓・門建築なし。石垣・櫓台の遺構が観察可能。 |
| 文化財指定 | 「金沢城跡」の国指定史跡の一部として保護対象。 |
| 備考 | かつて正門としての役割を担った場所であり、石川門・橋爪門とともに主要な城門構成を成していた。 |
🗺 住所:石川県金沢市大手町2-26(概算)
🚶 アクセス
城外「大手堀」沿いを北上、城郭ウォークのルート中に位置しています。バス停「兼六園下」から徒歩10分程です。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約 20分
📍 見どころ
- 枡形虎口の構造:入口が直線でない「折れ」を持つ枡形形式で、防御設計として巧妙だったことが石垣から読み取れます。
- 巨大な櫓台石垣:大手門跡には城内でも有数の大規模な石垣が残り、その積み方・石材の大きさが築城技術の高さを示しています。
- かつての侵入路を想像:現在は静かな遺構ですが、かつてこの門を通って城内に入城するという動線を思い描くことで、戦国・江戸期の城観光に深みが増します。
📌 トリビア
- 大手門=「正面入口」だった時代:現在「正門」として使われることが多い石川門・橋爪門とは位置づけが異なり、元はこの大手門が城の顔でした。
- 石材の刻印:石垣には刻印の入った石材が多く使われており、複数の石工集団が動員された記録を示す手がかりとなっています。
- 堀の変化:旧大手門前の「大手堀」は現在では埋め立てられており、水堀としての当時の姿を想像することができます。
黒門(くろもん)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆

金沢城の「黒門(くろもん)」は、城の北西側、かつての大手口にあたる「西丁口門(にしていぐちもん)」としての役割を果たしていた門跡です。城の起源となる寺院「金沢御堂」時代にはその入口であり、後の城主たちはこの門から入城・出城していました。
江戸時代には「西丁口門」と呼ばれていたこの門は、明治以降いつしか「黒門」と呼ばれるようになったとされています。現在門の建物自体は残っておらず、「黒門口」として記憶される入り口の跡地と通路が整備されており、散策の際の象徴的スポットとなっています。
パノラマ写真
| 位置・成立時期 | 金沢御堂時代の大手口(16世紀半ば〜) → 加賀藩時代には大手の役割が移動し、この門は副次的な出入口に。 |
|---|---|
| 名称変遷 | 「西丁口門」 → 明治以降「黒門」へ。 : |
| 構造・特徴 | 門建築は現存せず。門跡および通路・石垣・大手堀に接する地形が見られる。 |
| 現存状況 | 門建物なし。敷地と通路が整備され、「黒門口」として一般利用可。 |
| 文化財指定 | 金沢城跡の国指定史跡の一部として保護される。 |
| 備考 | 近くには「黒門前緑地」があり、桜の名所や幕末以降の近代建築が点在。 |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内 (大手堀西側)
🚶 アクセス
城内「大手堀」沿いの通路からアクセス可能。バス停「兼六園下」あるいは「南町」から徒歩10分ほど。近くには「黒門前緑地」もあります。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約 3分
ゆっくり観察するなら:約 10分
📍 見どころ
- 初期城郭の大手口跡:寺院から城へ転換された初期段階の主要出入口として、城の成立期を感じさせる地点です。
- 大手堀に面する通路:門跡から大手堀側を眺めると、城の防衛軸の一つであった水堀構造を実感できます。
- 城下町との導線:近江町市場・武蔵ヶ辻方面から城内へ向かう導線として便利で、観光の起点に適しています。
- 桜の名所にも隣接:春は黒門前緑地の桜並木とともに訪れると、歴史と風情を併せて楽しめます。
📌 トリビア
- 「黒門」という名称の由来:「西丁口門」が明治期以降「黒門」と呼ばれたのは、門の色や壁の色合いに由来するという説もあります。
- 豪姫ゆかりの地:門近くの黒門前緑地には、藩祖 前田利家 の四女、豪姫 の住居跡とされる屋敷跡があり、歴史散策としても興味深いです。
- ガイドルートの起点に:観光ガイドでは「黒門口」から城内南側へ進むルートが紹介されており、城散策の入り口として便利な場所です。



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