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黒島(大分・臼杵)|三浦按針ゆかりの島へ渡る方法と見どころ

黒島の樹林と海岸線
大分県臼杵市 / 三浦按針ゆかりの地

黒島(大分・臼杵)|三浦按針ゆかりの島へ渡る方法と見どころ

リーフデ号が1600年に着いた臼杵市の小島です。本土の佐志生から渡船で3〜5分ほど。船は連絡して呼ぶ形で、筆者は2025年12月に実際に渡りました。

所在地大分県臼杵市 佐志生沖
最寄り駅JR日豊本線 佐志生駅
渡船事前に連絡して呼ぶ
公式掲載の渡船料往復 大人500円
島での滞在約50分(筆者・2025年12月)

黒島はどんな島か

黒島は、大分県臼杵市の佐志生(さしう)海岸から約300m沖にある、周囲約3kmの小さな島です。臼杵湾内に浮かぶ島で、本土側の入口は佐志生です。大分駅からはJR日豊本線で佐志生駅をめざします。

臼杵市の案内では、オランダ船リーフデ号は1600年(慶長5年)4月19日に豊後の佐志生の浦、現在の黒島にたどり着いたとされています。航海長だったイギリス人ウィリアム・アダムスが、のちに徳川家康の外交顧問となる三浦按針です。生涯は三浦按針とは、各地のゆかりの地は三浦按針ゆかりの地 完全ガイドにまとめています。

島にあるのは当時の遺構ではなく、後世に整備された記念施設です。見どころはデ・リーフデ資料館、像と碑が並ぶ記念公園、殿様の井戸、砂浜で、正確な上陸地点を特定するものではありません。

筆者は2025年12月12日に渡り、島には11:50ごろから12:40ごろまでいました。そのうち資料館が25分ほどです。三浦按針に少しでも触れたい人に向く場所で、この日は船長のほかにほとんど人がおらず、自然のなかを静かに歩けました。船は電話で呼ぶ形なので、帰りの列車のように時刻が決まっている予定は、余裕を持たせて組んでください。

✓訪問は2025年12月12日です。渡船と料金は臼杵市観光協会の公開情報(2026年10月10日確認)によります。運航日と資料館の開館は、行く日に黒島荘へ確認してください。

黒島への行き方と渡船の手配

佐志生駅から渡船場まで

最寄りは日豊本線の佐志生駅です。大分県の観光案内には「佐志生駅から徒歩20分、渡船で3分」とあり、同じ案内の紹介文には佐志生港から渡し舟で約5分とも書かれています。船に乗る時間は3〜5分ほどです。カーナビには「黒島行渡船所」と入力します(臼杵市観光協会の案内)。筆者は大分空港でレンタカーを借り、そのまま港へ向かいました。

佐志生駅から渡船場までの地図

地図の終点は、渡船の案内所がある佐志生側の海岸(筆者が撮影した場所)に置いています。Googleマップで開く

船を呼ぶ手順(2025年12月12日の筆者の場合)

筆者が渡ったときは、時刻表どおりに出る船ではなく、連絡して来てもらう形でした。定期船はないと聞いたうえで、次の順で手配しました。

約1週間前に電話で伝える

臼杵市観光協会の黒島のページに載っている黒島荘の電話番号にかけ、行く日を伝えました。

当日、港に着いたところでもう一度電話する

到着のタイミングで同じ番号にかけ直すと、船が迎えに来ました。

船で島へ渡る

下船するときに船長から、島で木の剪定をしているので帰るときに声をかけてほしい、と言われました。

帰りは島で船長に声をかける

見学を終えて声をかけ、問題なく本土へ戻れました。

黒島行き渡船の案内所
渡船乗り場へ下りる階段
佐志生の「ようこそ黒島へ」案内板
黒島の桟橋と渡船
黒島の島内案内図
帰りの渡船から見た黒島

写真をタップすると拡大します

360°で見る乗船場所と船の上

佐志生側の乗船場所と、渡船で島へ向かう途中の景色を360°で見られます。ドラッグすると向きを変えられます。

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360°パノラマ佐志生側の乗船場所
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360°パノラマ渡船での移動中
運航は日によって変わります。臼杵市観光協会は、2025年は7月1日から渡船を始めたと案内しています。2026年の開始時期や、冬に船を出してもらえる条件は確認できていません。行く日が決まったら、黒島荘(0972-68-3939)へ電話で確認してください。公式の案内は臼杵市観光協会の黒島のページと黒島荘のページにあります。
黒島へのアクセス情報
最寄り駅JR日豊本線 佐志生駅
駅から渡船場徒歩約20分(大分県の観光案内)
渡船の所要時間3〜5分ほど(県の案内に「3分」と「約5分」の両方の記載があります)
渡船料(公式掲載)往復 大人500円/小学生以下(3歳以上)250円。希望日や人数での追加条件は確認できていません。
連絡先黒島荘 0972-68-3939
カーナビの入力「黒島行渡船所」
筆者の移動手段大分空港でレンタカーを借りて港へ(2025年12月12日)

電車で行く場合

電車で行く場合は、島を出る時刻から逆算して帰りの列車を決めます。佐志生駅から渡船場までは、徒歩で20分ほどかかります。列車の時刻と運賃は日によって違うので、JR九州の時刻表で行く日の分を確認してください。筆者は車で行ったため、電車で往復した体験は書けません。

島で見られるもの

筆者が歩いた順に、資料館、記念公園、殿様の井戸、砂浜をまとめます。

デ・リーフデ資料館

デ・リーフデ資料館の外観
資料館の外観。入口に「デ・リーフデ資料館」の看板が掲げられている。

島に着いて最初に入ったのが、デ・リーフデ資料館です。展示の記事を読んでいると船長が入ってきて、いろいろな話を聞くことができました。館内にいたのは25分ほどです。

展示ケースにはリーフデ号の模型があり、壁面のパネルが按針とヤン・ヨーステンを紹介しています。現在の開館時間と休館日は確認できていないため、行く前に黒島荘へ問い合わせてください。

展示で目に留まったものです。名称は展示札の表記によります。

  • リーフデ号の模型:船首、船尾、帆柱と索具まで作り込まれています。添えられた説明札に、船名と出航から日本到着までの経緯が書かれています。
  • ヤン・ヨーステン像(館内の胸像):台座の説明板は日本語と英語です。
  • 家康との関係のパネル:「三浦按針のここがすごい①」の見出しで、徳川家康との関係を中心に按針を紹介しています。
  • 時代背景のパネル:ヨーロッパ諸国の対立や宗教との関係を説明しています。
  • 臼杵と按針のパネル:海辺の写真を背景に、臼杵と按針のつながりを紹介しています。
  • 按針ゆかりの地の古写真:展示札に「東京 日本橋に近い按針町」「平戸 オランダ商館跡」などと書かれた写真が並びます。
  • 三浦按針クイズと人物相関図:按針の生涯と、日本やヨーロッパの人々との関係を図とクイズで紹介しています。
資料館内のヤン・ヨーステン像
展示ケース内のリーフデ号模型
リーフデ号模型の説明札
リーフデ号模型の船尾側
リーフデ号を描いた青白の記念皿
デ・リーフデ資料館の展示室
東京日本橋付近の按針町の古写真
平戸のオランダ坂の古写真
平戸のオランダ商館跡の古写真
三浦按針クイズの展示パネル
徳川家康からの信頼を紹介するパネル
臼杵を按針到着の地として紹介するパネル

写真をタップすると拡大します

記念公園の像と碑 🎥 360°

記念公園の像と絵画碑
記念公園の像と絵画碑。リーフデ号の到着を伝える広場。

資料館を出て、島内の記念公園を歩きました。ウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンの胸像、銘板に「リーフデ号船尾の守り神」と書かれたエラスムス像、船や上陸した人々を描いた絵画碑が並び、広場の地面には世界地図が描かれています。

「リーフデ号到着」「リーフデ号出発」「日蘭友好の幕開け」の解説板もあり、航海の困難や佐志生への到着が書かれています。観光協会の案内によると、島内の公園には昭和41年(1966年)に建てられた三浦按針上陸記念碑があります。

記念公園で見たものです。名称は銘板や解説板の表記によります。

記念公園のエラスムス像
エラスムス像の名称銘板
ウィリアム・アダムスの胸像
ヤン・ヨーステンの胸像
リーフデ号到着の解説板
リーフデ号出発の解説板
リーフデ号到着の場面を描く絵画碑
世界地図の舗装がある記念広場
ペーター・ファンデルフリートの名がある植樹標柱
按針上陸記念碑の建立を伝える説明板
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360°パノラマ記念碑や像の前の広場

黒い標柱には、日蘭交流に関わる人の名前が記されています。

殿様の井戸 🎥 360°

殿様の井戸
「殿様の井戸」の標柱が立つ井戸。

園路の分岐に「殿様の井戸」の道標があり、木立のなかに標柱の立つ井戸があります。四角い開口部のまわりを石材が囲んでいます。現地に由来の説明はありませんでした。

島の紹介サイトによると、黒島公園の北側、ほぼ島の中央にある古い井戸で、深さは約2m。小さな島なのに真水が湧いていると言われています(臼杵・黒島探訪、SHIMAOMOI)。「殿様」が誰を指すのかは、調べた範囲の資料にも書かれていませんでした。

殿様の井戸への道標
記念公園から木立へ続く園路
世界地図の舗装と園路
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360°パノラマ島内の小道

黒島の砂浜 🎥 360°

弧を描く砂浜と海
弧を描く黒島の砂浜。対岸の山並みが見える。

最後に砂浜へ出て、見学を終えました。砂浜は湾に沿って弧を描き、対岸の山並みまで見渡せます。大分県の観光案内では、島は環境省の「海水浴場百選」に選ばれ、6月上旬から8月末までは海水浴やキャンプができるとされています。筆者が行った12月は、砂浜を歩いて景色を見る見学でした。

黒島の砂浜と桟橋方面
砂浜から岩場へ続く海岸
砂浜に露出した岩盤
黒島の岩場と海
岩場から見た砂浜
黒島の浜辺の全景
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360°パノラマ島内の海岸

島内の回り方と所要時間

筆者は桟橋から資料館、記念公園、殿様の井戸、砂浜の順に歩きました。島の周囲をまわる見学ではなく、この4か所を見て終えました。

島での滞在11:50ごろ〜12:40ごろ(約50分)。筆者、2025年12月12日
うち資料館約25分。筆者
渡船(片道)3〜5分ほど。大分県の観光案内
駅から渡船場まで歩く約20分。大分県の観光案内
船を呼ぶ連絡と待ち時刻表がないため決められません。出発前と港に着いたときの連絡が必要でした

資料館には展示パネルが多く、全部読むなら25分では足りないかもしれません。

歩く準備と持ち物

島内は砂浜と土の道が中心です。筆者の見学では特に困ることはありませんでしたが、汚れてもかまわない歩きやすい靴をおすすめします。

売店は7〜8月のみ営業(不定休)で、食事はかき氷とインスタント麺だけと公式に案内されています。それ以外の時期は、飲み物などを島に渡る前に用意しておくのが無難です。トイレ、シャワー、更衣室も公式案内に載っていますが、筆者は12月に利用していないため、冬の使用可否は黒島荘に確認してください。

リーフデ号の到着と三浦按針

三浦按針(ウィリアム・アダムス)は1564年にイギリスのケント州で生まれ、造船と航海術を学んで航海士になりました。オランダ東インド会社の船団に加わり、リーフデ号の航海長として東洋へ向かいます。

リーフデ号は何度も暴風雨に遭いながら進み、1600年4月19日に豊後の佐志生の浦、現在の黒島にたどり着きました。按針の日記には、このとき船内に病人を含めて24名ほどがいたと記されています。当時の臼杵城主・太田一吉は薬と食料を与え、大坂にいた徳川家康に知らせました。

家康は大坂で按針と会い、航海術や世界情勢の知識に関心を持ちました。リーフデ号を浦賀へ回すよう命じ、その後の按針は外交顧問として重用されて、日本名「三浦按針」と相模の三浦郡の領地を与えられます。

按針ゆかりの臼杵市、伊東市、横須賀市、平戸市は、2013年にANJINプロジェクトのパートナーシップ宣言を行い、顕彰と地域の魅力発信に取り組んでいます。市の整理では、臼杵はリーフデ号が着いた地、伊東は洋式帆船を造った地、横須賀は領地があった地、平戸は商館の設立に貢献し最期を迎えた地です。資料館には、平戸や日本橋近くの按針町の古写真も展示されていました。

島にあるものについて。像、碑、資料館は後世に整備されたものです。黒島は記念施設を見る場所で、当時の船や建物を見る場所ではありません。按針上陸記念碑は昭和41年(1966年)の建立です。

三浦按針のほかのゆかりの地

黒島は按針が日本に着いた場所で、その後の足跡は各地に残っています。黒島の次に訪ねるなら、次のページが参考になります。

按針を主人公のモデルにしたドラマ『SHŌGUN』と史実の違いは、『SHŌGUN』史実とフィクションと『SHŌGUN』の登場人物は実在?で解説しています。

同じ日に組み合わせる場所と宿泊

筆者は同じ日に、東照社のある櫻八幡神社と、豊後国一の宮の柞原八幡宮にも行きました。

臼杵城跡は、大友宗麟の居城に由来する城跡で、市街の公園に石垣などが残ります。黒島の按針の話とは別の歴史を見られる場所です。筆者は訪れていないため、所要時間や黒島との回り方は確認していません。

黒島へ行くために島に泊まる必要はありません。黒島荘は和室の素泊まりやキャンプも案内していますが、筆者は日帰りで、宿泊は確認していません。大分市街からも臼杵市街からも、日豊本線で佐志生駅に出られます。

よくある質問

筆者が訪ねたときは、定期船はないと聞き、事前に電話して当日も港から電話して船に来てもらいました。観光協会は2025年は7月1日から渡船を始めたと案内しており、時期や条件は年によって変わる可能性があります。問い合わせ先は黒島荘(0972-68-3939)です。

筆者は2025年12月12日に入館し、25分ほど滞在しました。現在の開館時間と休館日は確認できていないため、渡船を頼むときに黒島荘へ尋ねてください。

売店は7〜8月のみ営業(不定休)で、食事はかき氷とインスタント麺だけと公式に案内されています。それ以外の時期は、飲み物などを事前に用意してください。

黒島という名前の島は、長崎県佐世保市、沖縄県八重山、鹿児島県にもあります。リーフデ号が着いたのは大分県臼杵市の黒島です。地図や検索では「臼杵」「佐志生」を一緒に入力してください。

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