弘前城 城郭散策ガイド|下乗橋・橋・堀・石垣・本丸遺構を歩く

🏯 青森県弘前市 / 史跡津軽氏城跡
🌉 下乗橋・8本の橋 🌊 三重の堀構造 🏯 本丸内遺構 🎥 360°パノラマ

弘前城 城郭散策ガイド|下乗橋・橋・堀・石垣・本丸遺構を歩く

下乗橋・8本の橋・三重の堀・石垣・土塁・本丸内遺構。360°パノラマで弘前城の城郭空間をすみずみまで体感します。

2026年5月 現地訪問・取材済み。工事状況・見学可否は訪問時点のものです。変動する場合がありますので、訪問前に公式情報をご確認ください。

城郭全体構造 ─ 堀・石垣・土塁・橋

弘前城は内堀・中堀・外堀の三重の堀構造を持つ城です。現在も内堀と中堀が良好な状態で残っており、水面を囲む石垣や橋の景観を楽しめます。このページでは、下乗橋・橋・堀・石垣・本丸内遺構を中心に紹介します。天守・現存建築(天守・隅櫓・現存門)のガイドはこちら

弘前城の内堀の景観
弘前城の内堀(2026年5月撮影)
弘前城の石垣
弘前城の石垣(城内各所に残る)(2026年5月撮影)
弘前城の波祢橋
波祢橋(はねばし)(2026年5月撮影)
弘前城の春陽橋
春陽橋(しゅんようばし)(2026年5月撮影)
弘前城の一陽橋
一陽橋(いちようばし)(2026年5月撮影)
弘前公園内には8本の橋が架かっています。下乗橋、杉の大橋、波祢橋、春陽橋、一陽橋、鷹丘橋、亀甲橋、賀田橋。各橋のパノラマは下のアコーディオンでご覧いただけます。

詳細スポットガイド(アコーディオン)

📜 橋の詳細

下乗橋

架橋1611年(慶長16年)築城当初から存在。藩政時代は架け橋。
架け替え文化8年(1811年)橋の両側を石垣化。平成17年(2005年)に33年ぶりの架け替え。
位置内濠。本丸と二の丸を結ぶ正面橋。
📜 「下乗橋」の名の由来
かつてはこの橋の手前で馬から下りなければならなかったとされることから「下乗橋」の名がついたと伝わっています。城の正面を通る橋では、身分の高い武将であっても馬を降りて本丸に向かうのが作法でした。弘前城の景観を代表する橋です。
下乗橋(2026年5月撮影)
下乗橋(別カット)(2026年5月撮影)

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360° パノラマ — 現地体験 下乗橋周辺

下乗橋の位置(Google Map)

杉の大橋

架橋1611年(慶長16年)築城当初の五つの橋のひとつ。藩政時代は架け橋。
架け替え1821年(文政4年)ヒノキ材に架け替え。欄干と擬宝珠が付けられた。
位置中濠。二の丸と三の丸を結ぶ。
規模長さ25.97m・幅6.08m(園内最大の橋)
🏰 名前の由来と1821年の架け替え
築城当時はスギ材で作られた橋であったため「杉の大橋」という名が付いたとされます。戦時には敵の侵入を防ぐため壊される架け橋で、壊しやすく燃えやすいスギ材が使われたと考えられています。1821年(文政4年)、濠の両側が石垣となるとともにヒノキ材へ架け替えられ、欄干と擬宝珠が付けられました。
杉の大橋(2026年5月撮影)
杉の大橋(追手門から二の丸へ向かうルート上)(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 杉の大橋周辺

杉の大橋の位置(Google Map)

鷹丘橋

架橋4代藩主・津軽信政が架橋(寛文年間頃)。藩政時代は架け橋。
位置内濠(本丸北側)。北の郭と本丸を結ぶ。
名称の由来弘前城の旧称「鷹丘城(高岡城)」に由来するとされる。
🏰 4代藩主が母のために架けた橋
鷹丘橋は1670年(寛文10年)、4代藩主・津軽信政が母の屋敷のある北の郭を行き来するために架けたとされます。橋の名「鷹丘(たかおか)」は、弘前城が1628年(寛永5年)に改称される以前の旧名「鷹丘城(高岡城)」にちなんだものと考えられています。藩政時代は戦時に壊される架け橋でした。
鷹丘橋(2026年5月撮影)
鷹丘橋(別カット)(2026年5月撮影)

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360° パノラマ — 現地体験 鷹丘橋周辺

鷹丘橋の位置(Google Map)

亀甲橋

架橋藩政時代から存在(詳細年代不明)。藩政時代は架け橋。
位置外濠。亀甲町と四の丸を結ぶ。
名称の由来四神相応の地思想にならい城外北方を「亀甲町」・北門を「亀甲門」と定めたことによる。
🏰 四神相応の地思想に由来する名前
風水思想「四神相応の地」にならい、城外北方の土地を亀甲町、北門を亀甲門と定めたことから、この橋もまた亀甲橋となったと考えられています。北方を守護する玄武(亀と蛇が合わさった霊獣)に由来する命名です。藩政時代は戦時に敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。
亀甲橋(2026年5月撮影)
亀甲橋(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 亀甲橋周辺

亀甲橋の位置(Google Map)

賀田橋

架橋藩政時代から存在(詳細年代不明)。藩政時代は架け橋。
位置二階堰。三の丸と四の丸を結ぶ。
名称の由来大浦城(賀田城)から移築された賀田門(三の丸北門)に由来する。
🏰 大浦城(賀田城)に由来する橋の名
藩政初期、賀田橋から三の丸方向には大浦城(賀田城)から移築された賀田門がありました。「賀田橋」の名はこの門に由来すると考えられています。藩政時代は戦時に敵の侵入を防ぐため壊される架け橋でした。
賀田橋(2026年5月撮影)
賀田橋(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 賀田橋周辺

賀田橋の位置(Google Map)

波祢橋

架橋1671年(寛文11年)4代藩主・津軽信政が架橋したとされる。
位置内濠北側。
備考古地図にも描かれていない謎の橋。藩主のお忍びや隠密の出入り口と伝わる。
📜 古地図にも描かれていない「謎の橋」
波祢橋は藩主がお忍びで城を出るときに使われた橋ともいわれています。古地図によれば橋の周辺には「御作事場」や津軽塗職人たちの「御塗師場」があったことが記録されています。しかし、この橋自体は古地図にも描かれておらず、秘密の出口として省かれたのか、もともと存在していなかったのか、謎が残る橋です。
波祢橋(2026年5月撮影)
波祢橋(内濠北側)(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 波祢橋周辺

波祢橋の位置(Google Map)

春陽橋

架橋1932年(昭和7年)。市民の通行の利便性のために架橋。藩政時代には存在しない。
位置西濠。五十石町と西の郭を結ぶ。
備考城内最長の橋。
🔍 堀沿いの散策路をつなぐ橋
春陽橋は弘前公園の西濠に架かる橋で、五十石町側と西の郭側をつなぐ散策スポットです。「春陽」という名には春の陽光を連想させる詩的な趣があり、桜の季節に特によく知られるスポットです。弘前公園には52品種・約2600本の桜が植えられており、西濠沿いの桜並木は「花筏(はないかだ)」として知られる絶景を生み出します。
春陽橋(2026年5月撮影)
春陽橋(堀沿いの散策路にある橋)(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 春陽橋周辺

春陽橋の位置(Google Map)

一陽橋

架橋昭和初期〜中期(資料により昭和8年・昭和18年の記録がありいずれかと推定)。市民の通行の利便性のために架橋。藩政時代には存在しない。
位置外濠北側。
名称の由来橋を架けた頃に近くにあった「一洋」という酒造店の一字をもじったという説がある。
🏰 藩政時代には存在しなかった橋
一陽橋は藩政時代には存在せず、昭和初期〜中期に市民の通行の利便性のために架橋されました(資料により昭和8年・昭和18年の記録があります)。橋の名称は、橋を架けた頃に近くにあった「一洋」という酒造店の一字をもじり「一陽」としたという説があります。昔ながらの趣を伝える素朴な木製の橋で、北側エリアへのアクセスを担っています。
一陽橋(2026年5月撮影)
一陽橋(北側の堀沿いに位置する橋)(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 一陽橋周辺

一陽橋の位置(Google Map)

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📜 城郭構造 詳細

内堀

弘前城の内堀(2026年5月撮影)
弘前城の内堀(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 内堀のパノラマ

内堀の位置(Google Map)

石垣の詳細

⚙ 算木積みで築かれた江戸期石垣の見どころ
弘前城の石垣には「算木積み(さんぎづみ)」が使われています。隅部(角の部分)に長方形の石を交互に積み上げる技法で、崩れにくい安定した角を作ることができます。江戸時代前期から中期にかけて多く用いられた技法で、追手門から本丸へ向かう道沿いでじっくり観察できます。
修理中の天守台石垣(2026年5月撮影)
弘前城の石垣(城内各所)(2026年5月撮影)
弘前城の石垣(別カット)(2026年5月撮影)

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弘前城の石垣は城内各所に残っており、積み方によって時代や用途の違いが見られます。天守台石垣は現在修理中ですが、二の丸・三の丸の石垣は通常通り見学できます。

土塁の詳細

弘前城跡には土塁も残っており、石垣と組みあわせた城郭防御構造の一端を見ることができます。土塁は城内各所に帯状に残っており、散策しながら自然と目に入ります。

弘前城の郭構造

弘前城は本丸を中心に、北の郭・二の丸・三の丸・西の郭が取り囲む梯郭式の縄張りを持ちます。各郭は堀と土塁・石垣で区切られており、弘前公園を歩くと自然にその構造を体感することができます。

📜 本丸内遺構 詳細

現存建築(天守・隅櫓・現存門)は建築ガイドに掲載しています。このセクションでは、本丸内に残る跡地・石碑・遺構を紹介します。

本丸戌亥(いぬい)櫓跡

種別跡地(石垣残存)
位置本丸北西側(戌亥方向)
現在の状態石垣が残っており、本丸内を歩く際に確認できる
🏰 方角で管理された防御施設跡
本丸の北西(戌亥の方向)に設けられた隅部の遺構です。方角に基づく命名は弘前城の特徴のひとつで、城内の構造を方位で把握できるようになっています。二の丸の現存3基の隅櫓(辰巳・未申・丑寅)も同じ命名法を持っています。
本丸戌亥櫓跡の状態(2026年5月撮影)
本丸戌亥(いぬい)櫓跡(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 本丸戌亥櫓跡からの眺め

本丸戌亥櫓跡の位置(Google Map)

子の(ね)櫓跡

種別跡地
位置本丸北側(子の方向)
現在の状態本丸内のルートを歩きながら見ることができる
🏰 消えた北面の守りと残る石垣
日本の城郭において「北」は「鬼門」の方角として特別に意識されます。石垣は残っており、かつてここに防御施設が立っていた痕跡を確認できます。
子の櫓跡の状態(2026年5月撮影)
子の櫓跡(別カット)(2026年5月撮影)

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360° パノラマ — 現地体験 子の櫓跡周辺

子の(ね)櫓跡の位置(Google Map)

館神(たちがみ)跡

種別跡地(城郭鎮守)
現在の状態北の郭(有料区域内)の跡地として、鳥居跡・本殿柱跡などの表示を確認できる
🏰 城の守護神は「豊臣秀吉の木像」だった
館神は、2代藩主・津軽信牧が太閤豊臣秀吉の木像を御神体として安置した場所と伝わります。藩主や城内の安全に関わる加持祈祷が行われた場所とされ、平成11〜12年度の発掘調査では鳥居の礎石や本殿の柱穴、柵列跡などが確認されています。江戸幕府の目をはばかりながら秀吉を密かに祀り続けた津軽家の姿勢は、関ヶ原後の東北の大名の複雑な立場を物語っています。
館神跡の石碑と遺構状態(2026年5月撮影)
館神跡の補足写真
館神跡周辺のマップ

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360° パノラマ — 現地体験 館神跡周辺

館神跡の位置(Google Map)

本丸未申(ひつじさる)櫓跡

種別跡地(石垣残存)
位置本丸南西側(未申方向)
現在の状態石垣が残る。訪問時は眺望が印象的なスポット。
🏰 方角で管理された防御網と印象的な眺望
本丸の南西(未申の方向)の隅部にある跡地です。石垣の上に立つと、弘前公園の広がりと周囲の山並みを見渡せます。2026年5月の訪問でも特に印象に残ったスポットです。
本丸未申櫓跡からの眺望(2026年5月撮影)
本丸未申櫓跡からの眺望(2026年5月撮影)
本丸未申櫓跡(別カット)(2026年5月撮影)
本丸未申櫓跡からの眺望(別カット)(2026年5月撮影)
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360° パノラマ — 現地体験 本丸未申櫓跡からの眺望

本丸未申櫓跡の位置(Google Map)

📜 施設詳細

弘前城情報館

弘前城情報館の外観(2026年5月撮影)
弘前城情報館(通年開館・入場無料)(2026年5月撮影)
開館通年(9:00〜17:00)
入場料無料
展示内容津軽家の歴史 / 弘前城の変遷 / 天守の曳家・曳戻しの仕組み / 津軽家と南部藩の関係 / 豊臣秀吉との関わり
御城印・スタンプ御城印販売 / 100名城スタンプ設置(販売場所・設置状況は変動する場合があります)

弘前城情報館の位置(Google Map)

武徳殿休憩所

武徳殿休憩所の外観(2026年5月撮影)
武徳殿休憩所でいただいた蕎麦(2026年5月撮影)
武徳殿休憩所の内部から外の眺め(2026年5月撮影)

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武徳殿休憩所は、本丸・北の郭エリア(有料区域内)にある休憩スペースです。軽食や蕎麦を楽しめます。弘前城見学の途中で立ち寄るのに便利です。

武徳殿休憩所の位置(Google Map)

📜 入口周辺スポット

弘前城入口の石碑(2026年5月撮影)
弘前城の説明看板(現地設置)
弘前公園南口券売所(2026年5月撮影)
弘前城入場料の看板(2026年5月撮影)
天守台への入口チケット(2026年5月撮影)
弘前公園市民広場の景観(2026年5月撮影)

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🌸 弘前公園の桜と自然

弘前公園は日本有数の桜の名所として知られています。城郭内には日本一太いソメイヨシノ(幹周5.82m)と日本最古級のソメイヨシノ(明治15年植栽・青森県天然記念物)が残っており、52品種・約2600本の桜が城郭とともに歴史と自然の両面を楽しませてくれます。

🔍 日本一太い桜・日本最古級の桜が弘前公園にある
弘前公園には、環境省の「全国巨樹巨木林調査」で日本一太いソメイヨシノと認定された木があります。三の丸「緑の相談所」の中庭にあり、2023年10月の計測で幹周5.82メートル、樹高10メートルを記録。推定樹齢125年以上です。

また、日本最古級のソメイヨシノも弘前公園にあります。1882年(明治15年)に旧弘前藩士・菊池楯衛が植えたソメイヨシノで、推定樹齢140年以上、幹周4.43メートル、樹高8.5メートル。青森県天然記念物に指定されています。
日本一太いソメイヨシノ(幹周5.82m)(2026年5月撮影)
日本最古級のソメイヨシノ(明治15年植栽・青森県天然記念物)(2026年5月撮影)
弘前城の中濠(2026年5月撮影)

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