本能寺・本能寺跡・南蛮寺跡|3地点の違いと歩き方ガイド

京都・戦国史跡
織田信長 本能寺の変 京都中心部 再建地・旧地・推定地 御朱印

本能寺・本能寺跡・南蛮寺跡|3地点の違いと歩き方ガイド

現在の本能寺は1592年に移転・再建されたもの。本能寺の変の舞台となった旧地「本能寺跡」とは別の場所にあります。信長ゆかりの3地点を地図と写真であわせて確認しましょう。

現地確認済み情報をもとに作成。現本能寺・本能寺跡・南蛮寺跡の3地点の状況を反映しています。大寶殿宝物館の展示内容・料金は変動の可能性があります。

現在の本能寺は、本能寺の変の現場ではない

「本能寺の変の舞台となった本能寺へ行きたい」と思って京都を訪れる方は多いはずです。ただ、現在の本能寺は1592年に現在地へ移転・再建されたもので、信長が明智光秀に討たれた1582年当時の本能寺は、現在地から離れた堀川四条付近にありました。その旧地は「本能寺跡」として今も確認できます。さらに、信長の時代の京都に根付いた南蛮文化を伝える「南蛮寺跡」も、この周辺に点在しています。

この3地点を地図と写真であわせて確認しながら、信長時代の京都を歩いてみましょう。

現在の本能寺境内。1592年に現在地へ移転・再建された法華宗大本山
現在の本能寺(寺町通御池)。1592年に現在地へ移転・再建された再建地です。1582年の本能寺の変の舞台となった旧地は別の場所(本能寺跡)にあります。

3地点の位置関係マップ

この記事で分かること

  • 現在の本能寺(寺町御池)は1592年に移転・再建されたもので、本能寺の変の現場そのものではない
  • 本能寺の変当時の旧地「本能寺跡」は堀川四条近く、本能小学校付近にある
  • 現本能寺では、本堂・信長公御廟・大寶殿宝物館・御朱印で信長ゆかりを体験できる
  • 本能寺跡と南蛮寺跡は、主に石碑・表示のみが残る場所
  • 3地点をあわせて回ると、京都中心部における信長時代の歴史的な地理が理解できる
  • 信長に縁のある御朱印を求める人にも、現本能寺は貴重な訪問先
地点 何の場所か 今見られるもの 訪問優先度
現本能寺 現在の再建地 本堂、信長公御廟、大寶殿宝物館、御朱印
本能寺跡 本能寺の変当時の旧地 石碑・跡地表示
南蛮寺跡 南蛮寺の推定地 石碑・表示 低〜中

本能寺は行く価値がある?

現在の本能寺は、本能寺の変の現場そのものではありませんが、信長の存在を近くに感じられる代表的な場所のひとつです。本堂への参拝はもちろん、信長公御廟では信長を祀った場所を実際に確認でき、大寶殿宝物館では信長関連の展示を見ることができます。信長ゆかりの御朱印もここで授かることができます。

三英傑の中でも、豊臣秀吉・徳川家康に比べて信長ゆかりの場所は少なく、その意味でも本能寺は貴重な訪問先といえます。

信長公御廟は境内の奥にあるため、初めて訪れる方は見逃さないよう注意してください。大寶殿宝物館は入館料がかかりますが、信長関連の展示を見たい方には、せっかく現地まで来たなら立ち寄ってみる価値があります。

本能寺跡と南蛮寺跡は、歴史に関心のある方向けの確認スポットです。現地に行っても石碑のみで、当時の本能寺の規模や雰囲気をイメージさせる展示はありません。大きな遺構や復元建物はなく、「旧地を石碑で確かめる場所」として足を運ぶスポットです。本ページの写真で現状を確認してから、訪問を判断するのがおすすめです。

本能寺境内にある信長公御廟。信長の三男・織田信孝によって建立されたとされる
信長公御廟。本堂から奥へ進んだところにあります。境内に来たら見逃さずに足を運んでみてください。
本能寺の大寶殿宝物館外観。信長関連の展示を見ることができる
大寶殿宝物館。信長関連の展示があります。料金・休館日・展示内容は変動する可能性があるため、訪問前に公式サイトをご確認ください。
所要時間の目安
現本能寺(境内参拝のみ):約20分 / 大寶殿宝物館も見る場合:さらに20〜30分 / 本能寺跡・南蛮寺跡:各地点とも短時間の確認
こんな方に特におすすめ
織田信長ゆかりの場所を訪ねたい方 / 歴史の現場を歩きながら確認したい方 / 本能寺の変の「本当の舞台」を自分の目で確かめたい方 / 信長関連の御朱印を集めている方

アクセス

現本能寺

住所 京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522

最寄り駅 京都市営地下鉄東西線「京都市役所前駅」(T12)すぐ

その他アクセス 京阪「三条駅」から西へ徒歩約5分 / 阪急「京都河原町駅」から北へ徒歩約10分

境内参拝時間 6:00〜17:00(無料)

大寶殿宝物館 9:00〜17:00(最終入館16:30)一般700円・中高生500円・小学生300円。年末年始・展示替え日休館(変動あり)

現本能寺は京都の中心部、寺町通沿いにあります。商店街からも行くことができ、地下鉄「京都市役所前駅」からはすぐの距離です。Google Mapを使えばスムーズに到着できます。

本能寺跡

住所 京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町

アクセス 市バス「堀川蛸薬師」下車が最寄り。「四条西洞院」からも徒歩でアクセス可能です。本能小学校付近の石碑・跡地表示が確認できます。

南蛮寺跡

所在地 京都市中京区蛸薬師通室町西入北側(タキカ株式会社前)

アクセス 市バス「四条烏丸」 / 阪急「烏丸駅」(HK85) / 地下鉄「四条駅」(K09)

3地点へのアクセスマップ

歴史ストーリー

本能寺の変と織田信長

天正10年(1582年)6月2日早朝、本能寺に滞在していた織田信長は、家臣の明智光秀が率いる軍勢の急襲を受けました。信長は抵抗したものの脱出の余地なく、本能寺の変として知られるこの事件により、天下統一を目前にしていた信長の命は絶たれました。その際、本能寺は焼失しています。

当時の本能寺があった場所は、現在の寺町御池とは異なり、堀川四条近くにありました。現在の「本能寺跡」がその旧地です。その後、本能寺は1592年に現在地へ移転・再建されました。現在の本堂は1928年に再建されたものです。

本能寺の変と信忠・二条殿

信長の変が起きた同日、嫡男の織田信忠は妙覚寺から二条御新造(二条殿)へ移り、明智軍と交戦して落命しました。二条殿址も京都中心部に所在しますが、本能寺とは別地点です。

南蛮寺と信長の時代

信長が活躍した時代の京都は、南蛮文化が流入した時代でもありました。信長はキリスト教の布教に寛容な態度を示し、宣教師たちに保護と活動の場を与えたことで知られています。仏教勢力への対抗という政治的な意図もあったとされますが、南蛮の文物や文化そのものへの関心も深かったと伝わります。イエズス会の宣教師オルガンティーノらによって建てられた南蛮寺(サンタ・マリア教会)は、信長の庇護のもと1576年ごろに完成したとされ、当時の京都における南蛮文化・キリスト教の拠点となりました。

現在の南蛮寺跡は、この南蛮寺があったと推定される場所を示す表示です。南蛮寺そのものは残っておらず、豊臣秀吉の禁教政策・宣教師追放後に破却されました。

現地に残るもの

現本能寺(再建地)
法華宗大本山 境内無料

現本能寺

1592年移転・再建。現在も信仰の場として機能する法華宗大本山

現在の本能寺は、法華宗大本山として現在も信仰の場として機能しています。境内では本堂への参拝、信長公御廟の訪問、大寶殿宝物館の見学ができます。

現在の本能寺境内。1592年に移転・再建された法華宗大本山
現在の本能寺境内。再建地のため、1582年当時の本能寺とは場所が異なります。

現本能寺 境内 360°パノラマ

本堂(再建)
1928年再建

本堂

境内の中心に位置する参拝の中心建物

現在の本堂は1928年に再建されたものです。境内の中心に位置し、参拝の中心となる建物です。

現在の本能寺本堂。1928年に再建
現在の本堂(1928年再建)。境内中心に位置します。
信長公御廟(信長ゆかりの場所)
信長ゆかり

信長公御廟

境内の奥にある、信長ゆかりの核心的な場所

本能寺の変後、信長の三男・織田信孝によって建立されたとされる御廟です。境内の奥にあるため、初めて訪れる方は見逃さないよう境内をしっかり確認してください。信長を祀るこの場所は、本能寺を訪れる多くの人が足を運ぶ、信長ゆかりの核心的な見どころです。

本能寺境内の信長公御廟。信長の三男・織田信孝によって建立されたとされる
信長公御廟。本堂から奥へ進んだところにあります。
大寶殿宝物館(展示施設)
有料

大寶殿宝物館

信長関連の展示を見ることができる宝物館

信長関連の展示を見ることができる宝物館です。せっかく現地まで来たなら、立ち寄ってみることをおすすめします。

  • 開館時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
  • 料金:一般700円・中高生500円・小学生300円
  • 休館:年末年始・展示替え日(変動あり)

展示内容は時期によって変わる可能性があります。訪問前に公式サイトでご確認ください。

本能寺の大寶殿宝物館外観
大寶殿宝物館。料金・休館日・展示内容は変動の可能性があります。
現本能寺の現地案内看板
現本能寺の境内案内表示(現地看板)。
本能寺跡・本能寺跡石碑(旧地・跡地)
旧地

本能寺跡

1582年当時の本能寺があった場所。現在は石碑・跡地表示のみ

本能寺の変当時、1582年の本能寺があった場所です。現在の寺町御池にある現本能寺とは別の地点で、堀川四条近く、現在の本能小学校付近が旧地の中心とされています。

現地で見られるものは主に石碑・跡地表示です。大きな遺構や復元建物はありません。歴史的に重要な場所であることは間違いありませんが、「旧地を石碑で確認する場所」として訪問するのがよいでしょう。

本能寺跡の石碑。本能寺の変当時の旧地に立つ
本能寺跡 主石碑。石碑のみが残る旧地です。遺構・復元建物はありません。

本能寺跡 周辺の現在の様子 360°パノラマ


本能寺跡のコーナーにあるサブ石碑
本能寺跡 付近のサブ石碑。
本能寺跡の現地表示看板
本能寺跡の現地表示(現地看板)。
南蛮寺跡(推定地)
推定地

南蛮寺跡

南蛮寺(サンタ・マリア教会)があったと推定される場所

京都市中京区蛸薬師通室町西入北側(タキカ株式会社前)に、「此付近南蛮寺跡」と記された石碑・表示があります。南蛮寺がこの北側の姥柳町にあったと推定されていることを示す、推定地の表示です。南蛮寺の建物が現存しているわけではありません。

ビルの前にひっそりと設置されており、現地に行っても石碑・表示のみです。地図で正確な場所を確認してから向かうのがおすすめです。見つけたときには、信長時代の京都の地理を自分の足で確かめた実感が得られます。

南蛮寺跡の石碑・表示。「此付近南蛮寺跡」と記されている。推定地の表示
南蛮寺跡の表示(推定地)。南蛮寺の建物が現存しているわけではありません。
南蛮寺跡の現地看板
南蛮寺跡の現地表示(現地看板)。

詳細スポットガイド

現本能寺で見逃さないポイント

信長公御廟は境内のやや奥まった場所にあります。本堂だけを参拝して帰ってしまうと見逃すことがあります。境内マップや案内表示を確認しながら、必ず御廟まで足を運んでみてください。

御朱印は授与所で授かることができます。信長ゆかりの御朱印を求める方にとって、本能寺は数少ない選択肢のひとつです。

大寶殿宝物館は有料ですが、信長関連の展示に関心がある方であれば訪問する価値があります。展示内容は変動することがあるため、事前に公式サイトで確認することをおすすめします。

現本能寺の門・入口
現本能寺の入口・門。寺町通沿いにあります。

本能寺跡を訪ねる前に

本能寺跡は「旧地を確認する場所」です。当時の本能寺の規模は現在の本能小学校周辺一帯とされていましたが、現在その場所には石碑のみが残ります。歴史的な場所が時代と共に変わり、石碑の形で残っていること自体に意味があります。石碑中心のスポットであることを事前に知ったうえで訪れると、現地での体験がより充実します。

南蛮寺跡を訪ねる前に

南蛮寺跡は、一般的な観光スポットと同じ感覚で見に行くと見逃しやすい場所です。ビルの前に表示がある形であるため、地図で正確な位置を確認してから向かうことをおすすめします。

伝承・深掘り

「本能寺」という名前の由来

本能寺の「能」の字には「ヒ」のような形が含まれているため、火を連想させるとして、縁起を担いで「去」という字を使った表記が用いられることがあると伝わります。これは配布資料で紹介されている話です。寺の由緒にまつわる伝承のひとつとして興味深い情報です。

南蛮寺の歴史

南蛮寺(サンタ・マリア教会)は、信長の保護のもとでイエズス会の宣教師オルガンティーノらによって1576年ごろ建立されたと伝わります。信長はキリスト教を禁じることなく宣教師の活動を認め、南蛮寺は当時の京都でキリスト教文化が広がる中心地のひとつとなりました。信長亡き後、豊臣秀吉の禁教政策・宣教師追放によって南蛮寺は破却されました。現在残るのは推定地を示す石碑のみです。

本能寺の変と信忠

本能寺の変当日、信長の嫡男・織田信忠は妙覚寺に宿泊していましたが、変の知らせを受けて二条御新造(二条殿)へ移り、そこで明智軍と戦い命を落としました。二条殿址は京都市内の別地点に所在しており、本能寺・本能寺跡とは異なる場所です。

📜 本能寺の変 関連年表

1576年ごろ南蛮寺(サンタ・マリア教会)がイエズス会によって建立されたとされる
1582年6月2日本能寺の変。織田信長、本能寺にて明智光秀の急襲を受け命を絶つ
1582年本能寺、本能寺の変により焼失
1592年本能寺、現在地(寺町通御池)へ移転・再建
1587〜1588年ごろ豊臣秀吉の禁教政策・宣教師追放令。南蛮寺、この後破却
1928年現在の本能寺本堂が再建される

🏯 二条殿址・妙覚寺旧地について

本能寺の変と同日、嫡男・織田信忠は妙覚寺から二条御新造(二条殿)へ移り、明智軍と交戦して命を落としました。二条殿址は現在の京都市内に所在します。これらの地点は、いずれも現本能寺・本能寺跡とは異なる場所にあります。詳細は別記事でご紹介する予定です。

3地点おすすめルート

現本能寺は閉門時間(17:00)がありますが、本能寺跡・南蛮寺跡の石碑は時間を問わず確認できます。

閉門時間に余裕がある場合
本能寺跡 → 南蛮寺跡 → 現本能寺 の順がおすすめです。先に石碑2地点を見て「旧地・推定地」の理解を深めてから、見どころが多い現本能寺を最後に訪れることで、歴史的なつながりをより感じやすくなります。
閉門時間が迫っている場合
先に現本能寺へ行き、その後に本能寺跡・南蛮寺跡を回る順番にしてください。石碑2地点は夕方以降でも確認できます。

よくある質問

いいえ。現在の本能寺は1592年に現在地へ移転・再建されたもので、本能寺の変当時の旧地は堀川四条近くの「本能寺跡」です。本能寺の変が実際に起きた場所を訪ねたい場合は、本能寺跡(本能小学校付近)を目指してください。
主に石碑・跡地表示のみです。大きな遺構や復元建物はなく、「旧地を確認する場所」として訪れるのが適切です。
南蛮寺がこの付近にあったと推定されることを示す石碑・表示があります。南蛮寺の建物が現存しているわけではなく、推定地の表示です。ビルの前にひっそりと設置されています。
本堂、信長公御廟、大寶殿宝物館が主な見どころです。信長公御廟は境内の奥にあるため、見逃さないようにしてください。御朱印も授かることができます。
歴史に関心のある方にはあります。ただし本能寺跡と南蛮寺跡は石碑中心ですので、現本能寺を主目的にしつつ、旧地・推定地を補足として見て回ると満足度が高くなります。
現本能寺は境内参拝のみで約20分。大寶殿宝物館も見る場合はさらに20〜30分追加してください。本能寺跡・南蛮寺跡は各地点とも短時間の確認になります。

関連記事

二条殿址・妙覚寺旧地については、別記事で紹介する予定です。京都中心部の信長ゆかりの地として、健勲神社・大徳寺と組み合わせた散策もご検討ください。

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