
金華山の山頂から山麓の岐阜公園まで、岐阜城周辺には門跡・石垣・井戸・居館跡などの見どころが点在しています。ロープウェーで天守を目指すだけでも楽しめますが、遺構や山麓側の史跡もあわせて歩くと、岐阜城と信長期の城まわりの構造をより理解しやすくなります。
歩き方は大きく2通りあります。時間が限られているなら山頂だけに絞って「山頂駅→門跡・石垣→井戸→天守まわり」で回るのが充実しやすく、半日使えるなら「岐阜公園→居館跡・庭園→御手洗池→三重塔→ロープウェー→山頂」と山麓から攻める流れが歩きやすいです。
岐阜城天守閣は、耐震改修に伴い2026年5月19日から2027年10月下旬まで休館予定です。工期や再開時期は変更される可能性があるため、訪問前に岐阜市公式サイトで最新情報をご確認ください。
山上は終盤に石段と坂が続き、雨の日は岩盤や石が滑ります。歩きやすい靴で、時間に余裕を持って臨むのが基本です。逆に冬は下草が落ちて石垣の輪郭が読みやすくなる、遺構観察には向いた季節です。
この記事でわかること
- 発掘成果を先に押さえてから遺構を見ると何が変わるか(案内所の活用法)
- ロープウェー山頂駅・岐阜公園のどちら側からでも迷いにくい歩き順と寄り道の入れ方
- 伝一ノ門跡・石垣・井戸跡など、「いま見えるもの」と「当時の役割」の対応
- 雨天・冬に足をすくわれやすいポイントと、そのときの回り方の切り替え
- 短時間(山頂中心)とじっくり(山麓+山頂)、2つのモデルコースの考え方
アクセス
JR岐阜駅から岐阜バスを利用し、「岐阜公園・岐阜城」停留所で下車、徒歩すぐです(所要約20分)。※乗り場番号や運行系統は変更される場合があるため、当日の案内をご確認ください。
御城印
岐阜城の御城印や御城印帳は、ロープウェイ山麓駅1Fで買うことができます。
※金の御城印は、毎月最終金曜日にだけ販売されます。(2026/2時点)




金華山山頂エリア
岐阜城 天下第一の門
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

金華山ロープウェー山頂駅から天守へ向かう途中にあるのが「天下第一の門」です。戦国当時の門跡を復元したものではなく、岐阜城と織田信長のイメージを伝えるために設置された冠木門として見るのが適切です。信長が美濃平定後に井ノ口を「岐阜」と改めた時期の象徴として語られることがありますが、門自体は近現代の整備物です。史実上の遺構ではない点を押さえたうえで通ると、山頂散策路の入口として位置づけを理解しやすくなります。
| 築造年 | 不明(戦国期の遺構ではなく、近現代に設置) |
|---|---|
| 築造者 | 岐阜市(記念的に建立・復元された冠木門) |
| 構造・特徴 | 冠木門(かぶきもん)/大手道・旧三の丸付近の“入口”を象徴する門/「天下」にちなんで命名 |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(門自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | ロープウェー山頂駅から天守へ向かう道で、最初にくぐる門です |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分(周辺の導線確認・撮影込み)
📍 見どころ
- 「城へ入る」気分を作る門:天守へ急ぐ足を一度止め、歴史散策にスイッチを入れてくれる“区切り”のポイントです。
- 木組みのシンプルな造形:過剰に飾らず、山上の自然に馴染む設計。写真は正面から撮ると「道の奥行き」が出ます。
- 季節限定の楽しみ方:新緑と紅葉の季節は木の門が風景に溶け込みやすく、門越しの散策路が特に絵になります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:現地は「戦国当時ここに門があった」場所ではなく、信長の大志を称える趣旨で岐阜市が設けた“記念的な冠木門”として紹介されています。
- 知る人ぞ知る情報:「大手道旧三の丸付近」に置かれ、山頂駅から天守へ向かう導線の“最初の門”になっています。
- 著名人との関係:命名の背景は、信長が好んで用いた「天下」という言葉。岐阜城が天下統一へ踏み出す城であったことを象徴する意図が込められています。
岐阜城 伝一ノ門跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

ぎふ金華山ロープウェーを降り、天守へ向かって歩き出してすぐ——そこで旅人を迎えるのが「伝一ノ門跡」です。いま目に見えるのは、倒れた巨石や石垣の一部、そして岩盤の起伏。けれど、ここは“山上部(内城)の入り口”にあたる場所で、城内へ入る最初の関門でした。岐阜市の発掘調査では、通路が折れ曲がる構造や、巨石石垣・岩盤の加工痕が確認されたと説明されています。
さらに注目したいのは、ここが信長の岐阜と直結している点です。調査では、門柱を据えた可能性のある加工痕や、焼けた壁土・瓦が確認され、信長が岐阜へ入った1567年(永禄10、一説に永禄7年)以後に“瓦葺の門へ改修された可能性”が示されています。そして1600年(慶長5)、関ヶ原の前哨戦となった岐阜城の戦いで火災に遭い、崩れた可能性が高い——天下布武へ加速した信長の時代と、織田家が大きく転じた関ヶ原前夜の気配が、同じ「門」に折り重なるのです。天守へ急ぐ前に、ここで少し足を止めてみてください。石と岩盤だけの遺構が、思いのほか城の”意図”を語ってくれます。
| 築造年 | 16世紀前半(岐阜市の発掘調査成果により、斎藤道三期の築造と整理) |
|---|---|
| 築造者 | 斎藤道三(岐阜市の調査成果による) |
| 構造・特徴 | 岩盤の高まりの周りに石垣+巨石石垣を組み合わせ、折れ曲がる通路で入城者を制御/巨石で権威を誇示する構え |
| 改修・復元歴 | 1567年(永禄10)信長入場後に瓦葺の門へ改修された可能性(出土遺物等から)/令和2年度(2020)に発掘調査で構造確認 |
| 現存状況 | 遺構として一部現存(石垣・巨石など) |
| 消滅・損壊 | 1600年(慶長5)関ヶ原前哨戦の火災で焼け崩れた可能性が高い(調査成果による) |
| 文化財指定 | 国指定史跡 |
| 備考 | 現地案内板では江戸時代の絵図・記録に「一ノ門」とある場所として紹介される/出典:岐阜市の発掘調査成果(岐阜城跡山上部) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分(周辺の門跡・堀切まで含めて)
📍 見どころ
- 岩盤を掘り抜いた“折れ”の通路:まっすぐ進ませないことで、侵入者の速度と視界を奪う。山城らしい防御の知恵が体感できます。
- 巨石石垣の迫力:門の脇に巨石を立て並べ、入城者に威圧感を与える構え。石のサイズが、当時の権威の示し方をそのまま伝えています。
- 季節限定の楽しみ方:冬は葉が落ち、岩肌や石組みが見やすい“遺構観察向き”の季節。夏は木陰が濃く、涼しく歩けます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:発掘成果により、一ノ門は斎藤道三が大桑城(山県市)の技術と同系統の方法で築いた可能性が高いとされます。
- 知る人ぞ知る情報:岩盤に残る直線状の加工痕が複数確認され、門柱を据えた“痕跡”の可能性が指摘されています。
- 著名人との関係:信長が岐阜へ入った1567年以後(一説に永禄7年)、瓦葺の門へ改修された可能性が高いとされ、信長の「城の格上げ」が門跡にも刻まれています。
岐阜城 二の丸門
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆☆

金華山の山頂で、天守へ向かう人の流れがいったん整列する場所——それが「二の丸門」です。織田信長が稲葉山城を奪取して岐阜の拠点化を進めた時代、城の強さは天守の高さだけでなく、曲輪(郭)を重ね、門と通路で動線を絞る“入り口の設計”に宿っていました。二の丸は本丸(天守台)を支える一段下の要所。その入口に「門」があるというだけで、岐阜城が“見晴らしの名所”ではなく“制御された城”だったことが、身体感覚で理解できます。
岐阜市の資料では、山上部の二の丸門はコンクリート製で、近代以降に観光施設として整備されたものとされています。設置にあたり、戦国期の門の位置や構造を復元したものではない点には注意が必要です。そのため、現地では「当時の遺構」ではなく、散策動線上の目印や雰囲気づくりの施設として見ると理解しやすいでしょう。
| 築造年 | 不明(岐阜市資料では、昭和48年〔1973年〕放映の大河ドラマ以降に観光施設として整備された旨が整理されている) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(岐阜城山上部の観光施設として整備) |
| 構造・特徴 | コンクリート製の門(山上部)/二の丸への通過点として設置 |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(門自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 史跡整備施設としての門で、設置にあたり歴史的な調査・検証を経ていない旨が資料に記載される |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分(二の丸周辺散策込み)
📍 見どころ
- 「門」をくぐって曲輪へ入る感覚:天守へ急ぐ足を一度整え、“城の中に入っていく”気分を作ってくれます。
- 二の丸の位置関係がわかる:本丸(天守台)の一段下を支える曲輪として、城の立体構造をイメージしやすい通過点です。
- 季節限定の楽しみ方:冬は下草が落ち、道沿いの遺構や石垣が観察しやすい“城歩き向き”の季節になります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:岐阜市の資料では、二の丸門はコンクリート製で、近代以降に観光施設として造られたものと整理されています。
- 知る人ぞ知る情報:同資料では、門や塀などの城郭整備施設は、設置にあたり歴史的な調査・検証を経ていない点もあわせて示されています。
- 著名人との関係:信長が岐阜で目指したのは、山上を“ただの要害”ではなく、人を招き、見せ、動かす拠点にすること。門をくぐるだけで、城の構造を意識しながら歩けるようになります。
岐阜城 井戸跡(金銘水)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆☆


岐阜城の山頂部を歩いていると、天守の華やかさとは真逆の“生々しい現実”に出会います。それが、軍用井戸と伝わる「金銘水(きんめいすい)」。金華山は岩塊そのものの山で、湧水がほとんど望めず、籠城戦の最大の弱点は「飲み水」でした。だからこそ、雨水や岩の隙間からわずかに沁み出す水をためるために、岩を掘り下げて“水を生かす装置”をつくった——岐阜市の案内では、金華山は岩塊の山で湧水が得にくく、雨水や岩の間からしみ出す水を溜める井戸として掘削したという説明があります。
織田信長が岐阜へ入り、この要害を天下への拠点に据えたとき、城は「強さ」だけでなく「持久力」も問われました。戦は、勝つだけでは終わらない。攻める側にも守る側にも、兵の喉を潤す水が要る。天守へ向かう道から少し外れた場所にありますが、城の実用的な側面を知るうえで立ち寄る価値があります。石垣や門よりも先に水の話が出てくる。それだけで、山城の現実の厳しさが少しわかる気がします。
| 築造年 | 不明(戦国期に籠城用として掘削されたとされる) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 湧水ではなく、雨水や岩の間からの沁み出し水を溜めるための井戸(貯水施設的性格)/二の丸西側に位置するとされる |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 遺構として現存(見学可) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 国指定史跡(岐阜城跡の指定範囲内) |
| 備考 | 金華山山上部には、二の丸を挟んで西側に複数・東側に1か所、計4か所の井戸があると案内板等で紹介される(位置関係の詳細は要確認) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分(周辺の郭・門跡散策込み)
📍 見どころ
- “湧かない井戸”という戦国のリアル:地下水ではなく、雨水と岩の隙間水を集める発想そのものが、山城の厳しさを物語ります。
- 天守の陰にある「兵站」視点:天守の眺めだけでなく、城の実用的な側面に目が向くきっかけになります。信長の拠点運用の想像が一気に立ち上がります。
- 季節限定の楽しみ方:雨の後は“水を溜める施設”としての説得力が増し、乾いた季節とは違う表情になります(足元注意)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:金華山は岩塊の山で湧水が期待できず、籠城の飲料水確保が「非常に困難」だったと岐阜市が解説しています。
- 知る人ぞ知る情報:案内板等では、二の丸を挟んで西側に複数、東側に1か所の井戸があるとされ、金銘水はその一つとして紹介されます。
- 著名人との関係:信長が岐阜城を天下取りの拠点へ引き上げたとき、見栄えだけでなく籠城の“持久力”が不可欠でした。金銘水は、その弱点を補おうとした城の知恵を伝えます。
岐阜城 天守閣
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆☆

岐阜の信長巡礼で、必ず訪れてほしいのが岐阜城天守閣です。永禄10年(1567、一説に永禄7年)、信長が稲葉山城を奪取し、ここを「岐阜」と改めたと伝わる瞬間から、山頂は単なる要害ではなく「天下へ向けて見せる舞台」になりました。眼下に長良川、遠く濃尾平野。視界が開けるほど、信長がこの場所から政治と軍事を動かしていたという実感が、景色を見ているだけで自然とわかってきます。
いま私たちが上る天守は、戦国当時の遺構そのものではなく、1956年(昭和31年)に再建された復興天守です。けれど、だからこそ面白い。信長が金華山に刻んだ「城の機能」と、現代の岐阜が守り育てた「岐阜の象徴」が、同じ場所で重なり合っているからです。天守へ続く山上の道を歩くと、門跡や石垣、井戸跡など“城が生きるための仕組み”が点々と現れ、最後に天守の展望がすべてを回収してくれる——展望台から濃尾平野を見渡すと、なぜ信長がこの山を選んだのか、説明を読まなくても納得できます。なお、耐震改修工事に伴い、一定期間の休館予定があります(備考参照)。
🏯 天守閣内の展示:信長の「野望と美意識」を体感する
復興天守の内部は、景色だけが目的ではありません。各フロアの展示が、信長という人物の多面性を次々と突きつけてきます。
まず目を引くのが、2017年に復元された2領の甲冑。緑と金で彩られた戦国甲冑と、西洋鎧にビロードのマントをまとった「南蛮具足」。どちらも、信長がいかに時代の常識の外にいたかを、理屈抜きで見せつけます。
展示の中でとくに印象深いのが、楽市楽座の制札(複製)です。現代でいう「規制緩和」をこの男は、木の板一枚に書いて市場に掲げた。その直筆(複製)が目の前に置かれている——政治の決断が肉眼で見える、という体験は、教科書の活字とはまるで違う重さがあります。
1569年にポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが岐阜城を訪れた記録展示では、8日間の滞在が日ごとに紹介されています。信長がいかに手厚くもてなしたか、その具体的な様子を読んでいると、居館のCG復元映像の規模感と重なって、「地上の楽園」という表現がにわかにリアルになってきます。
「岐阜」という地名の由来を解説するコーナーも見逃せません。中国の故事に登場する「岐山」(周の文王が天下を定めた地)と、孔子の生誕地「曲阜」——その二字を組み合わせたのが「岐阜」です。地名ひとつに、これだけの思想を込める。信長が単なる武将ではなかったことが、ここで静かに腑に落ちます。
少し毛色が違うのが、NHK大河ドラマ「信長 KING OF ZIPANGU」(1992年)で濃姫役の菊池桃子さんが実際に着用した打掛の展示。歴史の重みが続くなかで、こういう脱力した一角があるのも悪くありません。
| 築造年 | 伝:建仁年間(1201~1204)/信長の岐阜城時代:1567年(永禄10年)~/現天守:1956年(昭和31年)再建 |
|---|---|
| 築造者 | 伝:二階堂行政(諸説あり)/戦国期の整備:斎藤氏→織田信長 |
| 構造・特徴 | 金華山山頂の山城の中核となる復興天守/展望が最大の見どころ(長良川・濃尾平野を一望) |
| 改修・復元歴 | 1910年(明治43年)模擬天守→1943年(昭和18年)焼失→1956年(昭和31年)復興天守再建 |
| 現存状況 | 現存(公開施設として運営) |
| 消滅・損壊 | 模擬天守が1943年に焼失(現天守は1956年再建) |
| 文化財指定 | 国史跡「岐阜城跡」(範囲内) |
| 備考 | 工事に伴う休館予定:2026年5月19日~2027年10月下旬(予定)/リニューアルオープン:2027年11月(予定) ※最新情報は岐阜市公式サイトでご確認ください |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約40分
📍 見どころ
- 天守からの360度展望:長良川と濃尾平野が一望。信長が“地形を味方にした理由”が視界そのもので理解できます。
- 山城の導線(門跡・石垣と合わせて):山頂駅から天守へ至る道に遺構が点在し、岐阜城が「眺め」だけでなく「仕組み」で守られていたことがわかります。
- 季節限定の楽しみ方:期間限定の夜間営業「岐阜城パノラマ夜景」では、夕暮れから夜へ変わる“天下の光”を体験できます(開催日程は公式情報を確認しておくと安心です)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:現在の天守は1956年(昭和31年)の復興天守で、戦国当時の天守がそのまま残っているわけではありません。
- 知る人ぞ知る情報:山頂駅から天守まで「徒歩8分」。閉館間際は間に合わないことがあるので、山頂駅到着の時刻に余裕を持つのがコツです。
- 著名人との関係:信長が天下を目指した起点として語られる場所です。
岐阜城資料館
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

天守へ向かう道の途中に、もうひとつの城の顔がある。岐阜城資料館です。昔の武器庫・食糧庫を隅櫓城郭造りに再現した建物で、1975年(昭和50年)に整備されました。天守が「見せる城」なら、こちらは城の裏側を想像させる場所です。
入口では、赤いマントをまとった信長の等身大像が出迎えます。傍らには「美濃へは何度でも訪れよ」という言葉——フロイスとの別れ際に信長が言ったとされる一言です。
館内でとくに見応えがあるのは、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」関連の展示です。本木雅弘さんが斎藤道三役で実際に着用した黒糸縅筋兜、長谷川博己さんの明智光秀衣装、染谷将太さんの信長衣装が並んでいます。歴史上の人物が俳優を通して一度リアルになり、それがまたこの城に戻ってきた——という妙な感慨がある展示です。
壁には、ゲーム「信長の野望」シリーズのイラストで知られる長野剛氏による信長・道三の肖像画も。岐阜城を念頭に描き下ろされた信長像は、南蛮甲冑に火縄銃を構えた姿。歴史画とも漫画とも違う、独特の迫力があります。
天守と資料館、どちらか一方では物足りない。両方合わせてはじめて、岐阜城を見たと言える気がします。
| 築造年 | 1975年(昭和50年)4月(再現・整備) |
|---|---|
| 築造者 | 岐阜市(整備・運営) |
| 構造・特徴 | 昔の武器庫・食糧庫を「隅櫓城郭造り」に再現/岐阜城関係の資料展示/館内はフォトスポットとして案内 |
| 改修・復元歴 | 不明(耐震改修工事に伴う休館予定あり:下記参照) |
| 現存状況 | 現存(公開施設として運営) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(建物自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 入場料は岐阜城天守閣と共通/資料館の入場券は天守閣で購入(資料館では販売なし)/工事に伴う休館予定:2026年4月1日~2027年10月下旬(予定) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約15分
じっくり観光するなら:約25分
📍 見どころ
- 隅櫓城郭造りの外観:山上の景色に映える白壁と瓦屋根。天守とは違う“城郭らしさ”を楽しめます。
- 岐阜城を理解する展示:天守の眺めが「感動」なら、資料館は「納得」。城の見方を一段深めてくれます。
- 季節限定の楽しみ方:晴れた日は外観撮影が映え、紅葉期は白壁に色が乗って写真が締まります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:岐阜市の案内では、昔の武器庫・食糧庫をモデルに、1975年(昭和50年)4月に隅櫓城郭造りとして再現した建物とされています。
- 知る人ぞ知る情報:資料館の入場券は天守閣で購入する運用で、資料館では販売していません(行き違い防止に覚えておくと便利)。
- 著名人との関係:信長の岐阜城は“天下への拠点”。資料館は、武名のドラマだけでなく、城が機能するための蓄えや軍事面にも目が向くきっかけになります。
石垣・井戸跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆


岐阜城の山上部で、天守の“映え”をいったん脇へ置いて歩きたくなる場所があります。それが「石垣・井戸跡」。ここは本来、山の起伏がつくる大きな谷地形でしたが、両側を石垣で護岸して、城内の動線として使える“立派な通路”へ作り替えたと説明されています。つまり見どころは「石」そのものというより、地形を読んで削り、積んで通路にする。そのひと手間が、山城を実際に使える拠点へ変えていきます。
織田信長が稲葉山城を奪い取り「岐阜城」として天下への拠点に格上げしたとき、城は景色の良い要害から、政(まつりごと)と軍事の両輪を回す拠点へ変貌しました。その変化は、門や曲輪だけでなく、こうした石垣の積み方にも刻まれています。岐阜市の調査では、石材の形状や積み方の特徴から「信長入城後の石垣」に分類される例が確認され、信長期の瓦が出土する可能性も示されています。石垣の先に残る井戸跡もまた、山上で水が得にくい現実に対する“兵站の知恵”。湧水の井戸というより、雨水などを貯める用途を想定した貯水施設として語られ、籠城の生存ラインを支えた裏方の存在です。
| 築造年 | 不明(石垣は戦国期/一部は信長入城後に構築された可能性が高い) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(戦国期の岐阜城の造成の一環) |
| 構造・特徴 | 谷地形を石垣で護岸して通路化/岐阜城で石垣が比較的良く残る地点とされる/貯水用の井戸跡(雨水などの貯留を想定) |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 遺構として現存(見学可) |
| 消滅・損壊 | 不明(破城や風化により崩落した箇所が多いとされる) |
| 文化財指定 | 国指定史跡 |
| 備考 | 現地の説明板で「地形(谷)→護岸石垣→通路化」「貯水用井戸」の趣旨が紹介される |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約15分(天守往復+周辺遺構あわせて)
📍 見どころ
- 護岸石垣がつくる“谷の通路”:自然地形をそのままにせず、石垣で両側を固めて動線へ変えた発想が、山城の実務を伝えます。
- 井戸跡=兵站の核心:華やかな天守のすぐ近くにある“水の確保”の遺構。城の強さが、景色ではなく生活基盤で決まることを実感できます。
- 季節限定の楽しみ方:冬は下草が落ちて石組みが見やすく、遺構観察向き。雨上がりは「貯水」という説明に納得感が増します(足元注意)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:岐阜市の調査では、石材の形状や積み方の特徴から「信長入城後の石垣」に分類される例が報告され、信長期の改修を裏づける材料になっています。
- 知る人ぞ知る情報:この地点は“石垣がよく残る”とされ、井戸跡から見上げる石垣と天守の構図が密かな人気です。
- 著名人との関係:信長が岐阜を天下取りの拠点に据えた時代、城は見せる場であると同時に、持久戦に耐える生活装置でもありました。石垣・井戸跡はその「裏側の信長」を語ります。
岐阜公園エリア
御手洗池
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜公園の北東側、木立の影が水面に落ちる静かな一角に「御手洗池(みたらしいけ)」があります。ここは、信長が稲葉山城を落として「岐阜」を名乗らせた“天下布武の出発点”の足元で、信長の勝利とは少し違う角度から、この土地の歴史を感じられる場所です。名の由来は、かつて金華山・丸山に伊奈波神社があった頃、参拝の前にこの池で手を洗い清めたことから――つまり、城ができる以前から続く、祈りの場としての記憶が地名に残っています。
そしてこの池には、戦国の終盤を刻む伝承が重なります。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いへ連なる岐阜城攻防で、信長の孫・織田秀信が城主として敗れた際、城内の人々がこの池に身を投じたという伝承が語り継がれてきました(※現地案内などで紹介される説)。信長が築いた岐阜の“上り坂”と、織田家が迎えた“下り坂”が、同じ山麓で交差する——信長が岐阜を拠点にした時代から始まり、孫の代に織田家がここで敗れるまでの流れが、同じ山麓の場所で重なっているというのは、改めて考えると感慨深いものがあります。近年は周辺園路のバリアフリー化や景観整備も進み、岩場から落ちる滝や金華山の岩盤を眺めながら、歴史の余韻に浸れる散策スポットとして整えられています。
| 築造年 | 不明(池の成立時期は不明) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 岐阜公園内の池/伊奈波神社参拝の「手水」に由来する名称/岩盤と滝を伴う景観 |
| 改修・復元歴 | 1987年(昭和62年)に池底の発掘調査(城に関わる遺物は確認されなかったとされる)/2021年(令和3年)に池改修・園路バリアフリー化などの修景整備が完成 |
| 現存状況 | 現存(散策可) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(池自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 岐阜城落城時の投身については伝承(現地案内板等で紹介)。 |
🗺 住所:〒500-8002 岐阜県岐阜市御手洗385-4
🚶 アクセス
最寄り駅:ぎふ金華山ロープウェー「山麓駅」から徒歩3分(約0.2km)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 岩盤を背にした水辺の景観:金華山の迫力ある岩肌と水面の取り合わせが印象的。城下の自然地形を“肌で理解”できます。
- 滝の落ちるポイント:岩場から池へ落ちる水の音が、園内の喧騒を切り離してくれる癒やしの区間。
- 季節限定の楽しみ方:秋は紅葉が水面に映り込み、写真がぐっと深くなります。夏は木陰が濃く、休憩に最適です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:池名は、かつて丸山にあった伊奈波神社へ参拝する際に「ここで手を洗った」ことに由来します。
- 知る人ぞ知る情報:1987年(昭和62年)に池底の発掘調査が行われたものの、城に関わる遺物は残っていなかったと紹介されています。
- 著名人との関係:信長の孫・織田秀信が岐阜城主として敗れた1600年の落城時、城内の者がこの池に投身したという伝承が語られ、織田家の栄枯盛衰を水辺で感じられます。
冠木門(信長公居館跡入口)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜公園を歩いていると、居館跡エリアへの入口になる冠木門が目に入ります。それが、信長公居館跡へ向かう石段の手前に据えられた冠木門(かぶきもん)。豪壮な城門というより、自然の中に溶ける素朴な構えで、木の質感そのものが「ここから先は、かつて人の営みが濃かった場所だ」と静かに告げます。永禄10年(1567、一説に永禄7年)に信長が美濃へ本拠を移し、フロイスが「宮殿」と記したほどの華麗さがあったと伝わる居館——その舞台へ入っていく“入口の演出”として、いまの冠木門は旅人の気持ちを整えてくれます。
もちろん、この門自体は戦国当時の遺構ではなく、現代に「雰囲気をしのばせる」ために設置されたものです。それでも、門をくぐって石段を上がるだけで、自然と気持ちが切り替わります。夜にはイベントで光に彩られることもあり、信長の岐阜が持っていた“見せる力”を、今の岐阜が受け継いでいることまで感じさせます。居館跡を歩く前に、入口として立ち寄るのにちょうどいい場所です。
| 築造年 | 不明(現代に設置された冠木門) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 岐阜公園内、信長公居館跡へ続く石段前の入口門/「館が建てられていた頃の雰囲気をしのばせる」門として設置 |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(門自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 同じ「冠木門」として、岐阜城山頂側に「天下第一の門」と呼ばれる門が設けられている(別地点) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分(居館跡・周辺散策込み)
📍 見どころ
- 門をくぐる“切り替え”の瞬間:公園散策の空気から、居館跡へ向かう「史跡モード」へ一気にスイッチが入ります。
- 石段と門の構図:正面から撮ると、門越しに伸びる石段が奥行きをつくり、写真が締まります。
- 季節限定の楽しみ方:冬〜初春のライトアップイベント等では、冠木門前が演出の起点になることがあり、昼とは違う表情を楽しめます(開催は年により異なる)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:この冠木門は戦国当時の遺構ではなく、居館跡入口に「雰囲気をしのばせる」ために設置されたものとして紹介されています。
- 知る人ぞ知る情報:岐阜城山頂側にも、信長の偉業を讃える趣旨で設けられた「天下第一の門」と呼ばれる冠木門があり、同名スポットが2系統あるのが混同ポイントです。
- 著名人との関係:門の先に広がるのは、信長が岐阜に築いた居館のエリア。発掘調査では庭園遺構などが確認され、信長の「城下のもてなし」の輪郭が見えてきました。
織田信長居館跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆


金華山のふもと、千畳敷の谷筋に、信長の居館跡が広がっています。もともとは斎藤氏の頃に形づくられ、信長が岐阜へ入ると大規模に造成・改修したとされます。発掘調査から、入口に巨石を立て並べる演出、金箔瓦を用いた建物、岩盤を背景にした庭園の存在が示され、単なる居住空間ではなく“客を迎え、威を示すための空間”だったことが見えてきます。信長が岐阜で磨いた「見せ方」は、のちの安土へつながる感性。建物はなくても、地面の起伏と石の並びだけで当時の空間の意図がかなり読めます。安土の前にここがあった、という実感が得られる場所です。
| 築造年 | 斎藤氏時代:不明/信長による大改修:1567年以降 |
|---|---|
| 築造者 | 斎藤氏(造成)/織田信長(大規模改修) |
| 構造・特徴 | 巨石列の入口・建物跡・庭園痕跡など(発掘成果に基づく) |
| 改修・復元歴 | 発掘調査に基づき見学環境を整備(年不明) |
| 現存状況 | 遺構(跡)として現地見学可 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存せず(遺構のみ) |
| 文化財指定 | 国指定史跡 |
| 備考 | 岐阜公園内(千畳敷・槻谷周辺) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 巨石列という“演出”:自然石を並べるだけで、権力の気配が立ち上がる——信長の見せ方が読み取れます。
- 遺構の起伏から想像する館のスケール:平面図ではなく地形で感じると、当時の空間設計が急にリアルになります。
- 季節限定の楽しみ方:秋は紅葉が遺構の輪郭を際立たせ、写真も“戦国の深さ”が出ます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:信長時代の館では金箔瓦の使用が確認され、“豪奢=政治”の発想が岐阜で既に動いていました。
- 知る人ぞ知る情報:見どころは“建物がないこと”。石と地形だけで語る戦国の空間は、逆に想像力を刺激します。
- 著名人との関係:もちろん主役は織田信長。岐阜での居館整備は、安土へ向かう美意識の助走です。
信長公居館庭園
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

信長公居館周辺の発掘成果からは、巨大な岩盤や地形を取り込んだ庭園的な空間があった可能性が示されています。現地では、整った庭園をそのまま見るというより、地形・石組み・段差から空間構成を読み取る場所として歩くと理解しやすいです。来客を意識した設計であった可能性も指摘されていますが、現地で見えるのは主に遺構であり、当時の景観をそのまま復元したものではありません。
| 築造年 | 1567年以降(推定)/復元整備:不明 |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長(居館整備の一環として) |
| 構造・特徴 | 岩盤・石組み・地形を取り込む庭園構想(発掘成果に基づく) |
| 改修・復元歴 | 発掘成果を踏まえた見学整備(年不明) |
| 現存状況 | 庭園の遺構(跡)として現地で確認可 |
| 消滅・損壊 | 当時の作庭は現存せず(遺構のみ) |
| 文化財指定 | 不明 |
| 備考 | 「織田信長居館跡」周辺の庭園関連遺構として扱われる |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 岩盤を“借景”にする発想:自然を従えるのではなく、自然を舞台装置に変える——信長らしい美学です。
- 石と段差がつくる動線:歩いて初めてわかる高低差が、当時の“見せるルート”を想像させます。
- 季節限定の楽しみ方:雨上がりは石が濡れて黒く締まり、地形の陰影が読み取りやすくなります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:庭は単なる鑑賞ではなく、客人を迎える政治空間として機能していた可能性があります。
- 知る人ぞ知る情報:写真は“引き”で撮ると地形の意図が出ます。近寄りすぎると遺構の全体像が掴みにくいです。
- 著名人との関係:織田信長が岐阜で築いた居館文化の“核”を想像できる場所です。
三重塔
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

岐阜公園の散策で、ふと視線を奪われる朱の塔——それが「岐阜公園 三重塔」です。信長が稲葉山城を奪取し「岐阜」を天下への拠点に据えた頃、ここ金華山一帯は、城と居館が連動して機能する“政治の舞台”でした。三重塔そのものは戦国の遺構ではありませんが、塔の立つ敷地を含む金華山一帯は国史跡「岐阜城跡」の指定範囲。つまり、信長の城下の空気を受け継ぐ場所に、近代の岐阜が「祝祭」と「美」を重ねたランドマークなのです。
建立は大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として、大正6年(1917)に岐阜市が市民の寄付を募って建てたもの。考案は、明治神宮や築地本願寺なども手掛けた建築家・伊東忠太。装飾を抑えた古風な意匠に、木造三重塔の端正なプロポーションが際立ち、季節の緑や紅葉の中で朱色がいっそう鮮やかに浮かび上がります。信長ゆかりのスポットが多い岐阜公園の中で、この塔は近代の岐阜市民が建てたものとして少し毛色が違います。立ち止まって見上げると、歴史を守りながら景観を育ててきた岐阜の時間が少し見えてきます。
| 築造年 | 1917年(大正6年) |
|---|---|
| 築造者 | 岐阜市(市民の寄付による御大典記念事業として建立) |
| 構造・特徴 | 木造・三間三重塔婆、瓦葺き/総高22m/櫓構法・懸垂式心柱 |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 国登録有形文化財(建造物) |
| 備考 | 金華山一帯(塔の敷地を含む)は国史跡「岐阜城跡」指定範囲 |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 朱と緑のコントラスト:金華山山麓の木々に朱色が映え、晴天・曇天どちらでも“絵になる”ランドマークです。
- 伊東忠太の「古風な意匠」:過度な装飾を抑えた端正さが魅力。近代の設計でありながら、古建築の品格を感じられます。
- 季節限定の楽しみ方:秋の紅葉シーズンは塔の朱がいっそう深く見え、写真の満足度が跳ね上がります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:寺院の塔ではなく、御大典記念事業として「市が建立した三重塔」という点が珍しい存在です。
- 知る人ぞ知る情報:総高は22.168m。山の斜面に建つため、見上げると数値以上に大きく感じます。
- 著名人との関係:信長の時代そのものではありませんが、国史跡「岐阜城跡」指定範囲に建ち、信長の拠点の“景観の一部”として楽しめます。
信長の庭
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

史跡の“過去”を追いかけたあとに、あえて“現代が描いた信長像”に会いに行く——それが岐阜公園の「信長の庭」です。戦国時代の荒々しさをイメージし、長良川流域の巨大な石(約1,000t)を使った石庭として、「剛」「静」「雅」の3つの滝と池で構成されると案内されています。つまりここは、歴史の復元ではなく、信長の生き方を景色に翻訳した庭。滝音と石の存在感が、ほかの庭園とは違う力強さを生んでいます。遺構のあとにここへ来ると、現代の岐阜が信長をどう解釈しているかがよくわかって、それはそれで面白いです。
| 築造年 | 2001年 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 「剛」「静」「雅」の3つの滝と池/巨大石を多用した石庭 |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | なし |
| 備考 | 岐阜公園内(ロープウェー乗り場付近) |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 3つの滝「剛・静・雅」:同じ水音でも表情が違い、信長の多面性を庭で感じられます。
- 石の量感がつくる“戦国の圧”:庭の主役が植物ではなく石。足元から迫る力強さが独特です。
- 季節限定の楽しみ方:新緑(初夏)は水面の反射が美しく、滝音と光で“涼の庭”になります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:史跡の復元ではなく、“信長の時代像”を現代庭園として表現した場所です。
- 知る人ぞ知る情報:遺構(居館跡)→現代庭園(信長の庭)と続けて歩くと、岐阜の信長観が立体的になります。
- 著名人との関係:テーマは織田信長。岐阜で天下を夢見た武将像を、景色で追体験できます。
天下布武印
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

「天下布武印」は、信長ゆかりの言葉である「天下布武」を岐阜公園内で視覚的に表現した意匠として楽しむスポットです。史料としての印章実物を展示する場所ではなく、散策中に信長と岐阜の関係を意識しやすくする景観要素として見るとわかりやすいでしょう。歴史資料そのものと誤認しないよう、モニュメント的な要素として案内するのが適切です。
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 「天下布武」をモチーフにした路面デザイン(モニュメント的要素) |
| 改修・復元歴 | 不明 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | なし |
| 備考 | 岐阜公園再整備により、現在は「信長の庭」周辺の路面や案内板付近にデザインされています。 |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 足元に“天下布武”を踏む:見上げる城ではなく、踏みしめる合言葉。身体に残る体験です。
- 写真のワンポイント:信長巡りの途中で、旅の記号として撮っておくと後で効いてきます。
- 季節限定の楽しみ方:夕方の斜光は模様の陰影が強まり、写真が締まります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:「天下布武」は信長の政治的スローガンとして知られ、岐阜という拠点性と結びつきます。
- 知る人ぞ知る情報:城への動線上で見つけると“宝探し感”があり、歩く楽しさが増します。
- 著名人との関係:織田信長の象徴語「天下布武」を、現代の景観デザインで感じられます。
「若き日の織田信長」北村西望
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆


岐阜公園の正門前に立つのは、馬上で弓を引き、今まさに駆け抜けていく“若き信長”の瞬間を切り取ったブロンズ像。作者は、長崎の平和祈念像でも知られる彫刻家・北村西望です。信長が岐阜へ入った永禄10年(1567)から四百年以上を経た昭和63年(1988)、岐阜市制100周年を記念して寄贈され、のちに平成21年(2009)に岐阜公園正門前へ移されました。史跡そのものではありませんが、ここに立つと、金華山の稜線の向こうに岐阜城を仰ぎ、信長がこの地で「天下」へ視線を定めた空気を、写真と体感でつかめます。旅のはじまりに立ち寄りやすい、定番の撮影スポットです。
| 築造年 | 1988年(昭和63年) |
|---|---|
| 築造者 | 作者:北村西望/(岐阜市制100周年記念として岐阜市に寄贈) |
| 構造・特徴 | ブロンズ像/馬上で弓を引く「若き日の信長」を表現/撮影ポイントとして人気 |
| 改修・復元歴 | 2009年(平成21年)に岐阜公園正門前へ移設 |
| 現存状況 | 現存 |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(彫像自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | 同じ作者名・題名で類似の馬上像が各地で紹介されることがあります。ただし設置経緯や同一原型かは資料により差があるため、ここでは「岐阜公園正門前に設置されている像」として案内します。 |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 躍動する馬上像の造形:弓を引く上体と、疾走する馬体の流れが一体になり、信長の“攻めの速度”が視覚化されています。
- 岐阜城を背景にした撮影:立ち位置を少し調整すると、金華山と岐阜城を背に「天下へ駆ける」構図が決まります。
- 季節限定の楽しみ方:春は岐阜公園周辺の桜、秋は紅葉の色が像のシルエットを引き立て、写真映えが増します。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:建立は戦国期ではなく、岐阜市制100周年(1988年)の記念事業として生まれた“現代の信長レガシー”です。
- 知る人ぞ知る情報:2009年に岐阜公園正門前へ移設され、現在の「岐阜城をバックに撮れる」配置になりました。
- 著名人との関係:作者の北村西望は、日本を代表する彫刻家として知られ、平和祈念像の作者としても広く認知されています。
信長居館発掘調査案内所
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆☆

岐阜公園を散策していると、石段や平場がただの公園の地形に見えてしまう。それを一変させてくれるのが、この案内所です。
岐阜公園再整備にともない来園者休憩所内へ移転した「日本遺産・信長居館発掘調査案内所」。館内に入ると、まず目を引くのが香川元太郎氏による信長の岐阜城イラスト。山頂から山麓まで城郭全体を鳥瞰した大判の絵で、発掘で明らかになった構造が一枚の絵に落とし込まれています。これを頭に入れてから現地を歩くのと、そうでないのとでは、見え方がまるで違います。
展示パネルで特に読み応えがあるのが、岐阜城山上部の発掘調査報告です。天守台北面・西面に戦国期の石垣が残っていること、通路脇から庭園を思わせる川原石や素焼きの皿が大量に出土したこと——信長が山上にも「もてなしの場」を設けていた可能性が、近年の調査で浮かび上がってきています。
山麓の館に関するパネルも見逃せません。金箔瓦を葺いた中心建物、巨大な岩石を背景にした庭園、3種類の石組みで造られた平場——フロイスが「地上の楽園」と記した居館の実像が、発掘成果として少しずつ姿を現しつつあります。
派手な展示ではありません。ただ、ここで20分過ごしてから居館跡の石段に立つと、同じ地面がまったく別の場所に見えます。
| 築造年 | 不明(案内所としての開設年は不明) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 岐阜公園来園者休憩所内の案内・展示スペース/信長居館の発掘成果紹介(パネル・映像等) |
| 改修・復元歴 | 岐阜公園再整備にともない「岐阜公園来園者休憩所内」に移転(移転時期:2023年(令和5年)4月) |
| 現存状況 | 現存(スタッフ対応あり) |
| 消滅・損壊 | 不明 |
| 文化財指定 | 不明(施設自体の文化財指定は確認できず) |
| 備考 | スタッフ対応:9時〜16時(火曜は祝日の場合は翌日、年末年始12/29〜1/3を除く)/観覧無料 |
🗺 場所

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 発掘成果の“予習”で史跡の見え方が変わる:居館跡・庭園遺構を歩く前に、何が見つかったのかを把握すると、現地の石や段差の意味が立ち上がります。
- 映像コンテンツで一気に理解:日本遺産の概要や発掘成果紹介など、短時間でも“岐阜=信長の拠点”が腑に落ちる導線。
- 季節限定の楽しみ方:真夏や雨天など屋外散策が厳しい日は、まずここで情報を入れてから短時間の外歩きに切り替えると満足度が落ちにくいです。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:案内所は岐阜公園再整備にともない、現在は「岐阜公園来園者休憩所内」へ移転して運営されています。
- 知る人ぞ知る情報:スタッフ対応時間は9:00~16:00で、火曜(祝日の場合は翌日)と年末年始は対応外。行くなら時間を合わせるのがコツです。
- 著名人との関係:信長が岐阜で築いた居館の実像は発掘成果で輪郭が濃くなりました。ここは“信長の館を史実に近づける”ための最短ルートです。
FAQ
Q. 岐阜城天守閣は今(2026年)入れますか?
A. 岐阜城天守閣は、耐震改修工事のため2026年5月19日から2027年10月下旬まで休館予定です。岐阜城資料館も2026年4月1日から同時期まで休館予定とされています。いずれも予定は変更される可能性があるため、訪問前に岐阜市公式サイトで最新情報をご確認ください。
Q. 山麓だけで楽しめますか?天守に登らなくても見どころはありますか?
A.十分楽しめます。居館跡・庭園遺構・御手洗池・三重塔・信長の庭・発掘調査案内所など、山麓エリアだけで半日程度は過ごせます。発掘調査案内所で予習してから居館跡を歩くと、遺構の見え方がかなり変わります。
Q. 岐阜公園と岐阜城を回るのに何時間かかりますか?
A.山頂中心なら1〜2時間、山麓も含めてじっくり回るなら半日(3〜4時間)が目安です。発掘調査案内所や居館跡・庭園まで含める場合は、時間に余裕を持って臨むのをおすすめします。
Q. 岐阜城の天守は信長の時代からあるものですか?
A.現在の天守は信長時代の遺構ではなく、1956年(昭和31年)に再建された復興天守です。戦国期の天守は江戸初期以降に失われ、明治期に模擬天守が建てられましたが、それも1943年に焼失しました。一方、山麓の居館跡や山上の門跡・石垣は、発掘調査に基づく遺構として見学できます。
Q. 山頂から回るのと山麓から回るのはどちらがおすすめですか?
A. 滞在時間が短い場合は山頂中心、半日以上確保できる場合は山麓から順に回るルートが組みやすいです。山麓から回るなら、「発掘調査案内所 → 居館跡・庭園関連遺構 → 御手洗池 → 三重塔 → ロープウェー → 山頂」の順にすると、発掘成果を先に理解してから現地を見学できます。雨天時や天守休館時は、山麓中心に切り替える回り方も選びやすいです。
Q. 発掘調査案内所は無料ですか?開館時間と休館日も教えてください。
A.観覧無料です。スタッフ対応は9:00〜16:00で、火曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12/29〜1/3)は対応外です。岐阜公園来園者休憩所内に移転しているため、場所を事前に確認してから向かうとスムーズです。

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