戦国-江戸-明治へと連なる金沢城の時間軸を、360度パノラマで“体感”。
六角形の亀甲石が残る土橋門跡、通行手形に由来する私的な門切手門、そして近代の軍事拠点旧第六旅団司令部まで—石垣の技と近代建築が交錯する重層の歴史を、没入的に巡れます。
北ノ丸・二の丸西
土橋門跡(どばしもんあと)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

金沢城の北ノ丸と三ノ丸を結ぶ「土橋(どばし)」の先端部分に設けられていた門跡がこの「土橋門跡」です。門そのものは残っておらず、現在は石垣と地形の痕跡としてその位置を知ることができます。城郭の構造を深く理解するための“重層防衛ライン”として、その遺構に触れる価値があります。
この門跡の特徴として、門の台座をなしていた切石積みの石垣が確認されており、石垣の一部には六角形の「亀甲石」が組み込まれていることが知られています。これは城郭の火災防止や魔除けの意味を込めた意匠とされており、石垣そのものが “石垣の博物館” と称される金沢城のなかでも見どころの一つです。
パノラマ写真
| 築造年・門建立時期 | 寛永8年(1631年)頃に台座石垣整備。 |
|---|---|
| 構造・特徴 | 切石積み石垣による門台/六角形「亀甲石」組込の意匠石あり |
| 改修・整備履歴 | 西側石垣:寛文5年(1665年)改修、東側石垣:享和年間(1801‐1804年)改修。 |
| 現存状況 | 建物は消失、石垣構造および門跡地として公開 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「金沢城跡」の一部として保護対象 |
| 備考 | 「北ノ丸‐三ノ丸を繋ぐ土橋」の先端に位置する裏口的な門で、城内防御構造の読み取りポイント。 |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1−1(金沢城公園 内)
🚶 アクセス
橋爪門からお濠の外側に沿って約300m 4分歩くと右側に現れます。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約 5分
じっくり観光するなら:約 10分(石垣細部・亀甲石探し含む)
📍 見どころ
- 切石積み石垣の技術:石のサイズ・加工・配置が統一された造りで、城郭建築の高度な石垣技術を感じられます。
- 亀甲石(きっこういし):六角形に加工された石が石垣内に点在し、「防火」「魔除け」などの意味が込められた意匠として注目。:contentReference[oaicite:5]{index=5}
- 土橋と門の痕跡:門があった位置と土橋が繋がっていた流路の地形を想像しながら歩くと、城の構造を身体で感じられます。
- 石垣の重厚感:門跡部の石垣は人の背丈を超える高さがあり、門を抜けた先に控える北ノ丸の要を象徴する構えです。
📌 トリビア
- 築造背景:城の北西~北側侵入を警戒する意味で、北ノ丸と三ノ丸を結ぶ土橋を設け、門を配置することで防御ラインを二重に形成していました。
- 亀甲石の意味:「亀甲(きっこう)」=亀の甲羅を模した六角形の石。亀は長寿・不変を象徴し、それを石垣に用いることで「火災に強い城」を意図したとされます。
- 現存の希少性:建造物としての門は失われていますが、石垣遺構として詳細な状態で残っている門跡は金沢城内でも貴重な部類です。
切手門(きってもん)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

切手門は、金沢城の二の丸西側に位置し、かつて「数寄屋敷(すきやしき)」と呼ばれた大奥関連の居所への出入口として設けられた門です。江戸時代には、この門を通る際に「切手(通行手形)」の提示が必要であったことから「切手門」と呼ばれるようになりました。門の脇には番所が置かれ、通行の管理が厳重に行われていたと伝えられています。
切手門は棟門形式の屋根付き門で、格式ある造りながらも落ち着いた外観が特徴です。江戸期には藩主家族や女中が通る私的な門であったため、他の大手門や橋爪門などに比べてやや小規模に設計されていました。 明治以降、金沢城が陸軍用地として転用されると、この門も軍の施設出入口として利用され、のちに旧第六旅団司令部の前へと移築されました。現在見られる切手門はその再移築されたもので、往時の姿を今に伝える貴重な建築です。
パノラマ写真
| 築造年 | 江戸中期(詳細年代不明) |
|---|---|
| 築造者 | 加賀藩 前田家 |
| 構造・特徴 | 棟門形式(屋根付き門)、木造、瓦葺 |
| 用途 | 数寄屋敷(奥向き)への通用門。通行手形「切手」により通行制御 |
| 移築・変遷 | 明治期に移築 → 旧第六旅団司令部前に再配置(現存) |
| 現存状況 | 再移築門として保存・公開中(外観見学可) |
| 文化財指定 | 金沢城跡の一部として国指定史跡に含まれる |
| 備考 | 通行手形制度の名残を今に伝える数少ない遺構 |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1−1(金沢城公園内)
🚶 アクセス
前のスポット「土橋門跡」から徒歩約1分(約50m)。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 通行手形制度の痕跡:門の名の由来となった「切手(通行許可証)」が発行されていた歴史的背景を感じられる。
- 棟門様式の美:城内でも数少ない屋根付き門構造で、質実な木造建築の技が光る。
- 軍用転用の歴史:明治期に旧第六旅団司令部の出入口として再利用された経緯が興味深い。
- 周辺遺構との一体性:門前の石垣や道筋が当時の導線を示し、往時の二の丸構造を想起させる。
📌 トリビア
- 「切手」の語源:「通行を切り手渡す許可証」から転じたとされ、のちに郵便切手の語源にも通じるといわれる。
- 女性専用の門だった:数寄屋敷や奥向きへの出入口で、藩主の正室・側室や女中が主に利用していた。
- 移築の多い門:江戸期から明治・戦後にかけて複数回移築を経て現存する、金沢城内でも特異な存在。
- 撮影スポット:再移築後の現在は整備された通路脇にあり、旧司令部建物と共に写真映えのスポットとなっている。
旧第六旅団司令部(きゅうだいろくりょだんしれいぶ)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

「旧第六旅団司令部」は、明治時代に金沢城跡内に建てられた陸軍の司令部建築です。建設は明治31年(1898年)。木造平屋建てで、寄棟屋根に桟瓦葺きを用いた質実な構造を持ちます。 この建物は、当時の陸軍省が旅団規模の指令拠点として全国に設計・建設した標準的な様式の一つで、全国的にも現存例の少ない貴重な近代軍事遺構です。
金沢城は明治期に入ると軍の拠点として転用され、陸軍第九師団や第六旅団などの司令部が置かれました。 戦国から江戸、そして近代へと時代が移る中で、城郭が軍事拠点として再利用された歴史を今に伝える建物であり、城内で唯一、明治期の軍用建築が残る貴重な文化資産です。
パノラマ写真
| 築造年 | 明治31年(1898年) |
|---|---|
| 築造者 | 大日本帝国陸軍 第六旅団 |
| 構造・特徴 | 木造平屋建て、寄棟屋根・桟瓦葺き、床面積 約196㎡ |
| 用途・変遷 | 旅団司令部 → 金沢大学教育開放センター → 公園管理施設 |
| 改修・復元歴 | 戦後に改修、外観修復・保存措置を実施(内部非公開) |
| 現存状況 | 現存(外観見学可/内部非公開) |
| 文化財指定 | 金沢城跡の一部として国指定史跡(個別建造物指定なし) |
| 備考 | 内部は旅団長室・会議室など複数区画に分かれる構成 |
🗺 住所:石川県金沢市丸の内1−1(金沢城公園内)
🚶 アクセス
前のスポット「切手門」から徒歩約1分(約40m)。
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約20分
📍 見どころ
- 近代化の象徴:和風建築の城内に残る洋風意匠の明治建築。時代の転換を物語る存在。
- 意匠の特徴:縦長窓やシンメトリーな立面構成など、洋風を取り入れた近代和風様式。
- 歴史の重層性:戦国の城郭と明治の軍事施設が共存する稀有な空間。
- 写真映えする佇まい:白壁と黒瓦が織りなす対比が美しく、城郭の緑に映える。
📌 トリビア
- 旅団とは?:明治期の陸軍編成単位で、師団の下に置かれた中規模部隊。金沢は第九師団・第六旅団の拠点だった。
- 建築の標準化:全国の旅団司令部が同規格で建てられたが、現存例はごく少ない。
- 大学時代の利用:戦後は金沢大学の施設として転用され、教育資料室などに利用された。
- 保存への転換:公園整備時に外観修復が行われ、現在は近代建築遺産として保全されている。


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