
小谷城跡は、河毛駅から歩いて向かう人、資料館で予習してから登りたい人、麓から本丸までの時間配分を先に知っておきたい人に向く山城です。麓の戦国ガイドステーションから番所跡まで約40分、番所跡から本丸まで約30分、本丸から山王丸まで約20分が片道の目安です。山上に売店やトイレはなく、滑りにくい靴底の靴が前提になります。冬は積雪や林道凍結に注意が必要で、観光シーズンにはシャトルバス運行に合わせて林道規制が行われる年もあります。
この記事でわかること:河毛駅から資料館・戦国ガイドステーションへ向かう目安 / 本丸までの所要時間と山王丸まで伸ばす場合の時間感覚 / 黒金門跡・大広間跡・本丸跡・京極丸跡・山王丸跡の見どころ / 雨の日・冬場・体力に不安がある日の回り方
小谷城の歴史年表
- 浅井亮政が小谷山に築城
- 大永5年(1525)、六角氏と対立・朝倉援軍
- 天文2年(1533)、今井秀信粛清
- 浅井長政が城主に
- 織田信長との同盟・妹お市の方を迎える
- 主郭部・清水谷居館群の整備進む
- 信長・秀吉の総攻撃
- 浅井久政(小丸)・長政(赤尾屋敷)自刃
- 落城後に廃城・国史跡指定
見学コースを選ぶ
麓+主郭コース(約2〜3時間)
全域縦走コース(約4〜5時間)
スポット紹介
小谷城戦国歴史資料館
登城前の予習拠点。浅井氏三代と城の構造を頭に入れる。
登城前の予習に使いやすい資料館です。展示は『浅井氏三代』と『小谷城』が中心で、出土遺物や絵図、復元イラストがそろっています。ここで曲輪の位置関係を頭に入れておくと、大広間・本丸・京極丸がどこにあるかを山で迷わず把握できます。館内は写真・映像撮影ができません。
開館は9:00〜17:00、入館受付は16:30まで。休館は毎週火曜日と年末年始で、展示替えや警報発令時は臨時休館になることがあります。料金は高校生以上350円、小中学生150円です。河毛駅からは徒歩約30分(2.2km)。資料館前には駐車場があります。
- 浅井氏三代の展示:浅井長政、お市の方、浅井久政らを軸に、小谷城の人物関係が整理されています。
- 小谷城の構造展示:絵図や復元イラストがあり、山へ入る前後で城の構成が頭に入りやすくなります。
- 季節限定の楽しみ方:春や秋は資料館見学のあとに小谷山を歩く流れが組みやすく、展示と現地をつなぎ合わせやすい時期です。

短時間:約10分 / じっくり:約40分
🗺 住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139
🚶 アクセス:最寄り駅「河毛駅」から徒歩約30分(2.1km)。車なら小谷城スマートIC方面から向かいやすく、資料館前に駐車場があります。
| 開館時間 | 9:00〜17:00(入館受付16:30まで) |
|---|---|
| 休館日 | 毎週火曜日・年末年始(展示替え・警報時は臨時休館あり) |
| 料金 | 高校生以上350円、小中学生150円 |
| 撮影 | 館内写真・映像撮影不可 |
| 駐車場 | 資料館前に駐車場あり |
| 文化財指定 | ―(小谷城跡関連施設) |
- 山城の遺構だけでなく、城内の生活や攻防戦の具体的なようすまで追えるため、登城前の予習にも使えます。
- 館内は写真・映像撮影が不可で、展示に集中して見学する形式です。
戦国ガイドステーション(浅井三代の里)
大兜モニュメントが目印。登城口の情報確認はここで。
小谷城跡の麓にある案内拠点です。大兜モニュメントが目印で、登城前にルートや当日の状況を確認したいときに使いやすい場所です。観光シーズンはシャトルバス利用の起点になることもあります。
所在地は長浜市湖北町伊部757-1。JR河毛駅から徒歩約30分、小谷城スマートICから車で約3分、駐車場は乗用車20台です。開館はイベント時のみの扱いなので、公式ホームページの事前確認がおすすめです。
- 大兜モニュメント:登城口の目印としてわかりやすく、写真を撮りやすい場所です。
- 登城前の情報整理:曲輪の順番や見学ルートをここで確認しておくと、山上の遺構を順に追いやすくなります。
- 季節限定の楽しみ方:春と秋の登城シーズンは周辺の案内企画やシャトルバス情報とあわせて活用しやすくなります。

短時間:約10分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部757-1
🚶 アクセス:JR河毛駅から徒歩約30分。車なら小谷城スマートICから近く、駐車場があります。
| 開館 | イベント時のみ(公式HP要確認) |
|---|---|
| 駐車場 | 乗用車20台 |
| アクセス | 小谷城スマートICから車で約3分 |
| 別称 | 浅井三代の里 |
- 現在は「戦国ガイドステーション」として案内されていますが、市の計画資料では既存施設「浅井三代の里」として位置づけられています。
- 公式観光情報では常時開館の展示施設ではなく、イベント時のみ開館と案内されています。
出丸
主郭尾根の最先端。城下への見張りと独立砦の役割を担った前衛。
出丸は、小谷城主郭尾根の最先端に置かれた独立砦です。上下二段の曲輪と土塁、空堀で構成され、城下と街道、清水谷の居館群への動きを見張る最前線にあたります。織田信長と浅井家が同盟していた時期は落ち着いた見張り場でしたが、両者が対立してからは、この小さな曲輪でも戦時の警戒が続いたはずです。
- 二段構えの曲輪:上段と下段に分かれた構成がはっきり残り、独立砦としての役割を地形で読み取れます。
- 尾根先端の防御線:城下や登城路を見渡せる位置にあり、小谷城の守りがどこから始まっていたかがわかります。
- 季節限定の楽しみ方:春は山裾の桜と新緑、秋は紅葉の時期に山城らしい起伏が見やすくなります。





短時間:約10分 / じっくり:約20分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部(小谷城跡・出丸跡)
🚶 アクセス:戦国ガイドステーション(浅井三代の里)側から車道を上ると右手に入口が現れます。2台ほど車が止められる駐車場もあります。
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 主郭尾根最先端の独立砦。上下2段の曲輪、土塁、空堀で構成される。 |
| 改修・復元歴 | 小谷城全体として複数回の改修が加えられたとされる。出丸単独の改修・復元歴は不明。 |
| 現存状況 | 曲輪・土塁・空堀が現存する。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の小谷城落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「小谷城跡」の構成遺構 |
| 備考 | 出丸の北から金吾丸跡、番所跡を経て本丸跡へ続く追手道がある。 |
- 出丸は単純な見張り台ではなく、本丸尾根の郭群と清水谷の居館群を守る独立砦と考えられています。内部に建物があったかどうかは不明です。
- 江戸時代中期の小谷城絵図には、出丸の北から金吾丸・番所・本丸へ向かう「追手道」が描かれています。
金吾丸
朝倉金吾教景の名を刻む曲輪。尾根先端を押さえる防御拠点。
金吾丸は、小谷城主郭部の南西尾根に張り出す曲輪です。名の由来は、大永5年(1525)に六角氏が小谷城を攻めた際、朝倉金吾教景がここに陣を置いたという伝承にあります。目立った建物遺構は残っていませんが、尾根の先端を押さえる地形の使い方に、戦国山城らしい防御の発想が読み取れます。
- 尾根先端の立地:主郭の手前で尾根を押さえる位置にあり、山城の防御線がここから始まっていたことがわかります。
- 金吾丸の由来:朝倉金吾教景の陣所という伝承が、そのまま曲輪名として残っています。
- 季節限定の楽しみ方:新緑の時期は尾根筋の起伏が見やすく、秋は落葉で地形の輪郭を追いやすくなります。




短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(金吾丸付近)
🚶 アクセス:出丸からさらに車を進めると駐車場があり、そこから奥に進むと案内地図が現れ、看板を正面に見て左後ろを振り返ると入口の階段があります。
| 築造年 | 不明(大永5年〔1525〕には存在) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 番所の南西尾根ピークに置かれた曲輪。尾根先端を押さえる防御拠点。 |
| 改修・復元歴 | 小谷城全体は浅井氏三代の時代に改修が加えられた。金吾丸単独の改修時期は不明。 |
| 現存状況 | 曲輪地形が残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 朝倉金吾教景の名を伝える、小谷城でも古い軍事記憶を残す地点。 |
- 金吾丸の名前は浅井氏ではなく、援軍として関わった朝倉方の武将名にちなみます。
- 本丸を急ぐと通り過ぎがちですが、ここを見ると小谷城が尾根ごとに段階的に守られていた構造がよくわかります。
番所
追手道と虎ヶ谷道の合流点。主郭部への入口にして最初の防衛線。
番所は、追手道と虎ヶ谷道が合流する位置にある、小谷城主郭部の入口です。平時は登城者を確認する場所として機能し、戦時には最初の防衛線になります。小谷城が単なる居館でなく実戦を想定した山城だったことは、こうした造りを見るとよくわかります。
- 主郭部の入口:ここから上に主要曲輪が連続し、小谷城の本格的な防御構造が始まります。
- 弓状の土塁:谷筋を押さえる土塁の曲線が、番所の軍事的な役割をよく示しています。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は土塁や曲輪の輪郭が見やすく、地形観察に向いています。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(番所付近)
🚶 アクセス:前のスポット「金吾丸」から道なりに徒歩2分程度
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 登山道と虎ヶ谷道の終点に置かれた重要郭。西側に弓状の土塁、登城道側に礫を盛った土塁がある。 |
| 改修・復元歴 | 小谷城全体の改修の一環として機能強化されたとみられる。昭和45年の環境整備事業時に銅製五輪塔が出土。 |
| 現存状況 | 曲輪・土塁が現存。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 現在の林道終点付近にあたり、ここから上が主郭部の連続地帯となる。 |
- 検問所のような役目だけでなく、籠城戦では最前面の警備拠点として機能したと考えられます。
- 昭和45年の整備事業で、高さ2cmの銅製五輪塔が出土しています。
御茶屋
名は穏やかだが実態は主郭最前面の軍事区画。中央に土塁、奥に庭石。
御茶屋は、番所のすぐ上にある一段の曲輪です。名前から休憩や接客の場を想像しがちですが、実際には主郭最前面を支える軍事性の高い区画です。中央の低い土塁と奥の庭石が、この場所が軍事と格式の両方を兼ねていたことを示しています。
- 低い土塁:広い一段の曲輪をゆるく二分する土塁が、単純な広場ではないことを示しています。
- 庭石の痕跡:軍事施設の顔つきが強い一方で、奥に庭園的な要素も残るのがこの場所の面白さです。
- 季節限定の楽しみ方:初夏は木漏れ日が入りやすく、秋は林床が明るくなって曲輪の広さをつかみやすくなります。




短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(御茶屋付近)
🚶 アクセス:前のスポット「番所」から徒歩約2分
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 番所のすぐ上にある一段の曲輪。中央を二分する低い土塁があり、奥には庭石が据えられる。 |
| 改修・復元歴 | 小谷城全体の改修に伴って整備されたとみられる。個別の復元建物はない。 |
| 現存状況 | 曲輪・土塁・庭石状遺構が残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 現地の道標では番所から160m、本丸まで240mの位置関係が示される。 |
- 「御茶屋」という穏やかな名称ですが、実際には主郭最前面に置かれた軍事拠点です。
- 現地案内では番所から160m、本丸まで240mという距離表示があり、主郭部での位置関係をつかむのに役立ちます。
御馬屋
三方を高土塁で囲む本丸前衛。北西平野部への見通しが開く。
御馬屋は、御茶屋の上に置かれた、三方を高い土塁で囲む曲輪です。名のとおり馬に関係する場所を思わせますが、現地に立つとまず目につくのは土塁の高さです。本丸前面を守る区画で、籠城戦では兵・馬・物資の動きを支える前衛に近い位置にあたります。
- 三方の高土塁:周囲より一段しっかりした造りで、本丸前面の防御を担ったことが実感できます。
- 二つの虎口:北西・北東のコーナーに出入口を置くことで、山城らしい動線の工夫が見られます。
- 季節限定の楽しみ方:晴れた冬場は視界が開けやすく、北西平野の見通しがよくなります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(御馬屋付近)
🚶 アクセス:前のスポット「御茶屋」から徒歩約3分(約0.05km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 三方を高さ約2mの高い土塁で囲む曲輪。北西・北東のコーナーに虎口を持つ。 |
| 改修・復元歴 | 浅井氏による小谷城の改修過程で整備されたとみられる。建物復元はない。 |
| 現存状況 | 曲輪・高土塁・虎口が残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 土塁上部から北西平野部の見通しが良い。 |
- 「御馬屋」の名が残る一方で、遺構としては防御性の高い曲輪で、単純な厩ではなかったとみられます。
- 御馬屋の近くには馬洗池跡があり、水の確保と防御を考えた一帯として見ると理解しやすくなります。
馬洗場(馬洗池跡)
岩盤を掘った石積みの貯水池。山城の命綱・水の確保を担った施設。
馬洗場は、現地では馬洗池跡として知られる石積みの貯水池です。御馬屋の北東虎口に面して造られており、山城での水の確保という実務的な役割を担っていました。籠城をしのぐには、こうした水場の存在が不可欠でした。
- 石積みの池跡:山中にこれだけ整った貯水施設があることで、小谷城の備えの厚さがわかります。
- 中央の仕切り:池の内部に石垣の仕切りがあるため、単純な水たまりではないことが見て取れます。
- 季節限定の楽しみ方:雨の多い時期は水面が残りやすく、池としての形がわかりやすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(馬洗場付近)
🚶 アクセス:前のスポット「御馬屋」から徒歩約3分(約0.04km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 御馬屋の北東虎口に面する堀状の貯水池。南北9m、東西6.6mで、四方は小礫の石積み、中央東寄りに石垣の仕切りがある。 |
| 改修・復元歴 | 小谷城の整備過程で築かれたとみられる。個別の改修時期は不明。 |
| 現存状況 | 池跡・石積みが残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 現地名称は「馬洗池跡」。馬のためだけでなく、城内用水の役割も考えられている。 |
- 名称は「馬洗場」ですが、実際には籠城時の生活用水・防御用水の性格も考えられています。
- 規模は南北9m、東西6.6mで、山城の池としてはかなり具体的に測定・記録されています。
桜馬場
大広間前面の二段曲輪。湖北平野と琵琶湖を見渡す眺望地点。
桜馬場は、御馬屋の上方、大広間の前面に控える二段の曲輪です。西側の曲輪では礎石が確認されており、主郭部に近い格式と機能をもつ区画でした。先端からは湖北平野と琵琶湖が見渡せます。供養塔が立つ静かな一角で、眺めが良い分、ここで立ち止まる人が多いのも納得です。
- 二段の曲輪構成:手前と奥で高さを変える造りが、主郭部に近づく城の密度を感じさせます。
- 湖北平野の眺望:小谷城内でも景色が開ける場所で、城が押さえた地理条件を実感しやすいです。
- 季節限定の楽しみ方:春は名前どおり桜の印象が映え、秋は紅葉越しに湖北の広がりが見えます。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(桜馬場付近)
🚶 アクセス:前のスポット「馬洗場」から徒歩約5分
| 築造年 | 不明(戦国時代前期には成立) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(浅井氏が整備) |
| 構造・特徴 | 東西二段に区切られた曲輪。西側で建物礎石が確認され、先端部から平野と琵琶湖の眺望が良い。 |
| 改修・復元歴 | 浅井氏による改修の中で整えられたとみられる。建物復元はなく、保存整備のみ。 |
| 現存状況 | 二段の曲輪、礎石痕跡、供養塔が残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 浅井氏と家臣の供養塔が建ち、小谷城内でも眺望の良い地点として知られる。 |
- 風流な地名ですが、西側の曲輪からは建物礎石が確認されており、主郭前面の重要区画でした。
- 浅井氏と家臣の供養塔があり、景色を楽しむだけでなく、落城後の追悼の場としても意識されています。
首据石
天文2年(1533)、浅井亮政が今井秀信の首をさらした伝承地の巨石。
首据石は、黒金門の手前に残る大きな石です。伝承では、天文2年(1533)1月、浅井亮政が敵方に内通した今井秀信の首をここにさらしたとされます。長政以前の時代の出来事で、小谷城がもともと厳しい軍事秩序のうえに成り立っていたことを示す場所でもあります。
- 巨石そのもの:自然石の存在感が強く、説明板を読む前から足が止まる場所です。
- 黒金門手前の位置:主郭入口の直前にあり、処罰の見せ場まで含めて城の秩序が意識されていたことがわかります。
- 季節限定の楽しみ方:葉が落ちる季節は周辺の地形が見やすく、黒金門との位置関係をつかみやすくなります。


短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(首据石付近)
🚶 アクセス:前のスポット「馬洗場」から徒歩約2分(約0.03km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 黒金門手前に残る巨石。処罰の象徴として伝承が残る。 |
| 改修・復元歴 | 個別の改修・復元歴は不明。現地は保存整備と説明板設置のみ。 |
| 現存状況 | 巨石・石標・説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 天正元年(1573)の落城後も遺構として伝承地が残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 今井秀信の首をさらしたという伝承地として現地案内が整備されている。 |
- 首据石の伝承は浅井長政の代ではなく、初代亮政の時代の出来事として伝わります。
- ここから右手へ入ると赤尾屋敷跡方面へ分かれ、小谷城終盤の史跡群へつながります。
黒金門跡
高さ3.5mの石垣と石段。小谷城主郭部の正面玄関。
現地や資料では「黒金門跡」「黒金御門跡」と案内される場所で、小谷城主郭部の正面玄関にあたる門跡です。登城道の終点に置かれ、ここを抜けると大広間へ入ります。石段と石垣が残っており、左右の石垣は高さ約3.5mで、山城の入口としてはかなり存在感のある造りです。
- 石段と門跡:山道の先に石段が現れ、ここから先が主郭部だとはっきりわかります。
- 両側の石垣:左右に高く立つ石垣が、門の防御性と格式をよく伝えます。
- 季節限定の楽しみ方:落葉期は石段と石垣の輪郭が見やすく、門の構えを確認しやすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(黒金門跡付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「首据石」から徒歩1分(約0.03km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 大広間の東、登城道の終点に設けられた門跡。左右に高さ約3.5mの石垣があり、大広間虎口へ約7段の石段が続く。 |
| 改修・復元歴 | 昭和45年度(1970)に史跡整備の対象となった。復元建物はない。 |
| 現存状況 | 石垣・石段・門跡地形が残る。 |
| 消滅・損壊 | 門そのものは現存しない。天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 資料では「黒金門跡」、観光案内では「黒金御門跡」と表記されることがある。 |
- ここは単なる通用門ではなく、大広間と本丸へ入る主郭部の入口でした。
- 資料では「黒金門跡」、観光案内では「黒金御門跡」と表記されることがあります。
大広間(千畳敷)
東西35m×南北85m。浅井長政が政務・軍議を行った主郭の中心。
大広間は、小谷城主郭部の中心をなす広大な曲輪で、別名を千畳敷といいます。浅井長政の政務や軍議、家臣の登城や儀礼の場として使われたと考えられており、発掘では多数の建物跡と遺物が確認されています。
- 千畳敷の広さ:山上にこれだけ大きな平坦地があることで、小谷城の政治機能が実感できます。
- 石組み遺構:井戸跡や石組溝、蔵跡など、生活と政務を支えた設備が確認されています。
- 季節限定の楽しみ方:春から初夏は曲輪面が明るく、広さと石垣の連なりをつかみやすい時期です。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大広間付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「黒金門跡」から徒歩約2分
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明(浅井氏が整備) |
| 構造・特徴 | 別名「千畳敷」。東西約35m、南北約85m、約3,000㎡の平坦地。建物跡、石組みの井戸跡、石組溝、蔵跡、敷石遺構が確認されている。 |
| 改修・復元歴 | 昭和46年度(1971)に整備、昭和47年度(1972)に芝生植栽。近年は獣害への対応が課題となっている。 |
| 現存状況 | 広大な曲輪面、石垣、遺構表示が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。イノシシによる撹乱が確認されている。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 小谷城主郭部で最大級の平坦地として知られる。礎石は約191cm間隔で並ぶ。 |
- 発掘では多数の建物跡と大量の遺物が見つかっており、広い平地として使われていたわけではありません。
- 礎石は約191cm間隔で並んでおり、建物配置に一定の規則性があったことがうかがえます。
赤尾屋敷
本丸東下の三段の曲輪。浅井長政自刃の伝承地。
赤尾屋敷は、本丸の東下に置かれた三段の曲輪で、浅井家重臣の赤尾氏の屋敷跡と伝わります。小谷城落城の最終局面で、浅井長政がこの一帯で最期を迎えたと伝わる場所です。お市の方は落城前に城外へ出され、長政はこの場で信長の総攻撃を受け止めることになりました。
- 三段の曲輪:屋敷地でありながら、防御を意識した段構成がよく残っています。
- 自刃伝承地の空気:石碑と説明板があり、小谷城の終焉の場として意識しながら歩ける場所です。
- 季節限定の楽しみ方:晩秋から冬は視界が開きやすく、曲輪の段差と谷への落ち込みが見やすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(赤尾屋敷跡付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「大広間」から徒歩5分(約0.23km)
| 築造年 | 不明(戦国時代前期までに成立) |
|---|---|
| 築造者 | 不明(浅井氏家臣団の屋敷区画として整備) |
| 構造・特徴 | 本丸東下、黒金門手前から右にそれて約180mの位置にある三段の曲輪。 |
| 改修・復元歴 | 昭和45〜50年度の環境整備事業で整備済み。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石標、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 浅井長政自刃伝承地として知られる。 |
- 本丸から離れた場所ではなく、主郭直下の重臣屋敷として極めて近い位置に置かれていました。
- 保存管理計画では、黒金門手前から右にそれて約180mと記されています。
浅井長政公自刃之地札
赤尾屋敷跡に立つ現地説明札。長政・お市・信長・秀吉、それぞれの分岐点。
赤尾屋敷跡に残る伝承を伝える案内板で、浅井長政終焉の地として語られることの多い場所です。人通りが少ない分、静かに読める場所でもあります。お市の方は落城直前に城外へ出され、攻囲戦では羽柴秀吉が城の西側から圧力を強め、小谷城の均衡が崩れていきました。石碑だけ見て通り過ぎてしまいがちですが、説明板を読むと、この場所が長政・お市の方・信長・秀吉、それぞれのその後にとっても分岐点になった場所だとわかります。
- 説明札と石碑:目に入るのは石碑ですが、札を読むと赤尾屋敷跡での位置づけがつかみやすくなります。
- 赤尾屋敷跡の静けさ:主郭のすぐそばにありながら人が少なく、落城までの経緯を落ち着いて考えられる場所です。
- 季節限定の楽しみ方:落葉期は曲輪の輪郭が見やすく、赤尾屋敷跡全体の広がりを追いやすくなります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡・赤尾屋敷跡付近
🚶 アクセス:赤尾屋敷跡の石碑の少し奥にあります。石碑から見えます。
| 築造年 | 不明(説明札の設置年は不明) |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 赤尾屋敷跡に立つ現地説明札。周辺に石碑があり、浅井長政の自刃伝承地を案内する。 |
| 現存状況 | 説明札・石碑ともに現存。 |
| 文化財指定 | 説明札自体の文化財指定は不明 |
| 備考 | 現地案内では「浅井長政自刃の地説明板」の表記が確認できる。 |
- 現地で印象に残るのは石碑ですが、長浜市の保存管理計画では説明板も個別に確認されています。
- 黒金門跡の手前から右へ入る支路の先にあり、本道だけを歩くと通り過ぎやすい場所です。
本丸
浅井長政ゆかりの主郭。石垣・土塁・大堀切に囲まれた城の中枢。
本丸は、小谷城の政治と軍事の中心です。大広間の北東上に置かれ、急な斜面と土塁、石垣、大堀切に囲まれています。江戸時代の古絵図には「天守共 鐘丸共」と記される主郭で、浅井長政ゆかりの場所として語られることが多い地点です。主郭の規模と周辺防御を一体で見られるのが、ここを歩く面白さです。
- 主郭の立地:大広間の上に一段高く据えられ、主君の居所としての格が地形に表れています。
- 石垣と土塁:山城では珍しく、主郭周辺に石垣と土塁が組み合わされている点が見どころです。
- 季節限定の楽しみ方:冬場は木々の葉が落ち、周囲の大堀切や隣接曲輪との位置関係がつかみやすくなります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(本丸付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「赤尾屋敷」から徒歩7分(約0.25km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 大広間の北東上部にある主郭。不定形で東西約25m、南北約40m、上下二段からなる。裾の一部に石垣、東部斜面に大土塁、北西斜面に石垣を用いた土塁がある。 |
| 改修・復元歴 | 昭和48年度(1973)に本丸跡と本丸下の景観整備。近年は台風による倒木で一部破損が報告されている。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石垣、土塁、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 古絵図では「鐘丸」とも記される。 |
- 本丸は広大というより、周辺防御を含めて守る構造で成り立っています。
- 古絵図の「鐘丸」という呼称は、本丸の本来の機能を示す可能性があると考えられています。
帯曲輪
御馬屋から清水谷側へ延びる帯状の曲輪。本丸を斜面から守る防御線。
帯曲輪は、御馬屋から本丸の下を通って清水谷側へ長くのびる細い曲輪です。小谷城の主郭部は尾根筋だけでなく斜面側にも防御を重ねており、その構成がよく見えるのがこの一帯です。目立つ建物跡はありませんが、小谷城がどういう考え方で守られていたかを確認するには外せない場所です。
- 帯状の長い構造:尾根ではなく斜面をなぞるように続くため、小谷城の防御思想がよくわかります。
- 本丸下の防御線:本丸や大広間を側面から守る役目を、地形そのもので体感できます。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は斜面の起伏が見やすく、帯曲輪の長さを追いやすくなります。




短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(帯曲輪付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「本丸」から徒歩3分(約0.08km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 御馬屋跡から清水谷側斜面に本丸裏の中丸近くまで続く幅3〜5mの帯状曲輪。大広間付近には高さ約5mの石垣が築かれている。 |
| 改修・復元歴 | 旧整備事業で遺構露出整備の対象となった。 |
| 現存状況 | 帯状の曲輪地形、石垣の痕跡が残る。 |
| 消滅・損壊 | 切岸が軟弱とされ、保存上の注意が必要。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 御局屋敷へ続く防御線の一部とみられる。 |
- 小谷城では主尾根だけでなく、清水谷側斜面にも防御施設が多く配置されていました。
- 御馬屋から本丸へ直接向かうと見落としやすく、意識して歩かないと通り過ぎやすい遺構です。
御局屋敷
お市の方・女房衆の居所と伝わる清水谷側の小屋敷跡。
御局屋敷は、中丸の西側、清水谷に面した小さな屋敷跡です。本丸を少し外れた静かな場所にあり、現地ではお市の方や女房衆の居所と伝えられることがあります。派手な遺構は少ないですが、主郭部の軍事施設とは少し性格の違う場所として、城内の生活空間を考えるきっかけになります。
- 本丸西下の立地:本丸と中丸の間から少し外れた位置にあり、城内居住区の雰囲気を想像しやすい場所です。
- 帯曲輪とのつながり:御馬屋跡から続く帯曲輪と一体で見ると、主郭西側の動線がわかります。
- 季節限定の楽しみ方:秋は落葉で地形の輪郭が見やすく、屋敷跡の広さを追いやすくなります。


短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(御局屋敷付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「帯曲輪」から徒歩5分(約0.12km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 中丸の清水谷側にある小屋敷跡。南北約35m、東西約10mで、御馬屋跡から続く帯曲輪につながる。 |
| 改修・復元歴 | 個別の改修時期は不明。現地案内板が設置されている。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石材散布、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。天正元年(1573)の落城後に廃城。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | お市の方や女房衆の居所と伝える現地伝承がある。 |
- 山城の一角ですが、軍事施設だけではなく、生活空間の性格をもつ場所と考えられています。
- 本丸から中丸へ向かう主線から少し外れるため、意識して歩かないと見落としやすい遺構です。
大堀切跡
本丸の北で尾根を断つ大空堀。秀吉の突破口・城内分断の境界線。
大堀切跡は、本丸の北側で尾根を大きく断ち切る空堀です。ここに立つと、小谷城が前半部と後半部に明確に分けられていたことがよくわかります。天正元年(1573)の総攻撃では、羽柴秀吉が京極丸側から攻勢を強め、本丸と北側郭群の連携が断たれたと伝えられます。この大堀切がちょうどその境界にあたります。
- 尾根を断つ規模感:本丸のすぐ北で地形が大きく切れており、防御線としての意図がひと目で伝わります。
- 本丸と京極丸の分断:浅井長政の本丸と北側郭群との関係を考えるうえで、外せない場所です。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は堀切の落差と両側の斜面が見やすく、地形観察に向いています。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大堀切跡付近)
🚶 アクセス:前のスポット「御局屋敷」から徒歩3分(約0.05km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 本丸跡の北にある大規模な空堀。大広間跡からほぼ横ばいでつながり、本丸跡より南の郭群と中丸・京極丸・小丸・山王丸へ続く北側郭群を区切る。 |
| 改修・復元歴 | 個別の整備年は不明。周辺では昭和48〜49年度に本丸跡・中丸跡などの景観整備が行われた。 |
| 現存状況 | 空堀地形が明瞭に残る。 |
| 消滅・損壊 | 建造物は現存しない。堀切そのものは遺構として残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 秀吉による攻略の焦点として語られることが多いが、秀長との直接関係は不明。 |
- 大堀切は本丸の「裏」にありますが、城の中核部を二分する防衛線として機能していました。
- 大広間跡からほぼ横ばいでこの堀切へつながるため、主郭部の構成を歩きながら理解しやすい遺構です。
中丸
大堀切の北、三段の曲輪。横矢と石垣が残る主郭背後の防御区画。
中丸は、本丸の北を深い大堀切で隔てた先に続く三段の曲輪です。主郭の背後にありながら、本丸側からの侵入も意識した構えをとっており、小谷城の防御が一方向だけを想定していなかったことがわかります。信長の総攻撃で城内の均衡が崩れていく場面を考えるうえでも、位置関係が見えやすい曲輪です。
- 三段構成:段ごとに視線と動きが変わり、後半部の防御施設らしい密度があります。
- 中段の横矢:敵の進路を横から攻撃する工夫が読み取りやすい遺構です。
- 季節限定の楽しみ方:秋から冬は石垣と切岸の輪郭が浮かび、段構成が見やすくなります。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(中丸付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「大堀切跡」から徒歩5分(約0.10km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 大堀切の北にある三段の曲輪。中段には横矢を設け、斜面には石垣が見られる。 |
| 改修・復元歴 | 昭和49年度(1974)に景観整備の対象となった。 |
| 現存状況 | 三段の曲輪地形、石垣、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。一部にイノシシの撹乱が報告されている。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 北へ進むと刀洗池・京極丸方面へ続く。 |
- 本丸の背後にあるにもかかわらず、独立した虎口構成と防御を持つ点が特徴です。
- 中丸を越えると刀洗池、京極丸、小丸、山王丸へと続き、小谷城後半部の防御の厚みが見えてきます。
刀洗池(刀洗い池跡)
岩盤を掘った城内用水池。『信長公記』の「水の手まで追上げ」の舞台。
刀洗池は、中丸から京極丸へ向かう途中の左手に残る小さな池跡です。名前から合戦の逸話を思わせますが、保存管理計画では城内の用水池、いわゆる「水の手」とみられています。籠城中の水の確保は切実な問題で、『信長公記』には「水の手まで追上げ」とある記述も残ります。
- 湯舟型の池構造:自然の窪みではなく、岩盤を加工して水を受ける工夫が施されています。
- 石積の痕跡:池の側面に残る石積が、城内用水施設としての性格をよく伝えます。
- 季節限定の楽しみ方:雨の後や湿り気のある時期は池の形がつかみやすく、水場としての実感が増します。



短時間:約3分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(刀洗池付近)
🚶 アクセス:前のスポット「中丸」から京極丸へ向かう途中の左手にあります。
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 中丸から京極丸へ向かう左手にある用水池跡。岩盤を湯舟型に掘り、側面に高さ約50cmの石積を設けて浸透水を受けた構造。 |
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・京極丸跡・小丸跡とあわせて景観整備。 |
| 現存状況 | 池跡と石積の一部が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建造物は現存しない。池は遺構として残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 保存管理計画では「水の手」とみられており、城の水管理を知るうえで重要な遺構。 |
- 「刀洗池」という印象的な名に対して、実際には生活と籠城を支える用水池と考えられています。
- 保存管理計画では「水の手」とみられており、城の水管理を知るうえで重要な遺構です。
京極丸・京極丸虎口
大広間に次ぐ広大な曲輪群。秀吉の突破・長政と久政の連携断絶の焦点。
京極丸は、刀洗池の先にある大きな曲輪群で、小谷城後半部の要にあたります。大広間に次ぐ広さをもち、東側に高い土塁、清水谷側に広い曲輪と石垣で固めた虎口を備えていました。名前は、浅井氏のかつての主家である京極氏にちなむとされます。天正元年(1573)の最終局面では、羽柴秀吉がこの方面から攻め上がり、京極丸を押さえたことで本丸の浅井長政と小丸の浅井久政の連携が断たれたと伝えられます。
京極丸虎口は、京極丸の清水谷側斜面南西部に残る出入口遺構です。石垣の痕跡と切岸が残り、攻防の要点が地形に表れている場所です。浅井長政側と小丸の浅井久政側の連携が崩れる転機としても重く見られています。
- 大きな曲輪の広がり:後半部の郭としては規模が大きく、戦闘と駐屯の両面を想像しやすい場所です。
- 東側の土塁:長く続く土塁が残っており、京極丸の防御性の高さをよく示しています。
- 季節限定の楽しみ方:冬枯れの時期は土塁や虎口の輪郭が見やすく、地形観察に向いています。





短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(京極丸付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「刀洗池」から徒歩8分(約0.20km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 大広間に次ぐ広大な曲輪群。東側に高さ約3m前後の土塁、清水谷側に広い曲輪、南西部に石垣で固めた虎口と3段の切岸をもつ。 |
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・小丸跡とあわせて整備。近年は間伐・整枝の必要性が指摘されている。 |
| 現存状況 | 曲輪、土塁、虎口、石垣痕跡、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。礎石の散乱や撹乱が確認されている。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 名称は京極高清父子を迎え住まわせたことに由来するとされる。 |
- 小谷城の中でも名前の由来が比較的はっきりしており、浅井氏と京極氏の関係を伝える曲輪です。
- 清水谷側斜面の南西部には石垣で固めた虎口が残っており、ここが攻防の焦点だったことがわかります。
小丸
浅井久政の隠居所・自刃の地。親子で守った城の構図を示す曲輪。
小丸は、京極丸の上に置かれた曲輪で、浅井久政の隠居所と伝わります。浅井長政が本丸を守るかたわら、父の久政がこの小丸で城の北側を支えていたという構図は、小谷城の守り方を考えるうえで参考になります。羽柴秀吉の攻撃はやがてここにも及び、久政は長政に先んじてこの場で自刃したと伝えられます。小さな曲輪ですが、それだけ詰め込まれた経緯がある場所です。
- 京極丸上の配置:一段高い位置に置かれ、背後から城を支える役目がわかります。
- 親子で守る城の構図:本丸の長政と小丸の久政という配置を意識すると、小谷城の防御の考え方が見えてきます。
- 季節限定の楽しみ方:晩秋から冬は木々の葉が落ち、周辺曲輪との高低差がつかみやすくなります。


短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(小丸付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「京極丸」から徒歩3分(約0.08km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 京極丸の上部にある曲輪。南北約25m、東西約30mほどの3段の曲輪とされる。 |
| 改修・復元歴 | 昭和49年度に中丸跡・京極丸跡とあわせて整備。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石標、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 建物は現存しない。礎石らしい河原石の散乱が報告されている。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 浅井久政の隠居所・自刃の地として伝わる。 |
- 広さ自体は大きくありませんが、小谷城の終盤史では重要な場所です。
- 保存管理計画では段数の記述に揺れがあり、本文では3段、整備報告の要約では上下2段とされています。
大石垣
山王丸周辺の巨石石垣。小谷城の技術水準を物語る圧巻の遺構。
大石垣は、山王丸周辺で見られる巨石の石垣です。観光案内図では「大石垣」の名で紹介されることがありますが、保存管理計画では山王丸跡の石垣として整理されています。山王丸とあわせて見ると、この一帯の防御の強さがつかみやすくなります。
- 巨石の積み方:山城でここまで石を見せる遺構は少なく、小谷城の技術水準を実感できます。
- 山王丸との一体感:詰めの丸の防御として見ると、石垣の意味がよりはっきりします。
- 季節限定の楽しみ方:新緑や紅葉の時期は石垣の輪郭が際立ち、写真に残しやすい場所です。



短時間:約5分 / じっくり:約15分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(大石垣付近)
🚶 アクセス:小丸から山王丸に向かう途中に右奥にあります。
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 山王丸跡の石垣群のうち、巨石を用いた石垣。山王丸は南北4段の曲輪からなり、その中心曲輪の東・南・北の三面に石垣が残る。 |
| 改修・復元歴 | 昭和50年度に山王丸跡の景観整備が実施された。復元石垣ではなく遺構の保存整備が中心。 |
| 現存状況 | 石垣が現存する。 |
| 消滅・損壊 | 一部に崩落・風化がみられるが、巨石石垣のまとまりは残る。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 観光案内では「大石垣」として紹介されるが、保存管理計画では山王丸跡の巨石石垣として扱われる。 |
- 小谷城は土塁や切岸だけでなく、要所に石垣を組み合わせた山城でした。
- 保存管理計画では、山王丸跡は4段からなり、巨石を用いた石垣が築かれていたことが明記されています。
山王丸
小谷城の詰めの丸。山王権現を祀り、南北4段の曲輪と巨石石垣が残る。
山王丸は、小谷城の詰めの丸です。山王権現を祀っていたことからこの名が残り、主郭群のさらに奥で城の最後を支える位置にあります。南北4段の曲輪からなり、巨石を使った石垣が残っています。本丸や赤尾屋敷で語られることの多い小谷城ですが、城の防御力を確かめるなら山王丸まで歩く価値はあります。
- 巨石の石垣:主郭部とはまた違う迫力があり、小谷城でも印象に残りやすい遺構です。
- 4段の曲輪構成:詰めの丸らしく、奥へ行くほど守りが重なるつくりをたどれます。
- 季節限定の楽しみ方:新緑と紅葉の時期は石垣の表情が見やすく、山上の郭らしい景色になります。



短時間:約5分 / じっくり:約10分
🗺 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部 小谷城跡(山王丸付近・詳細番地不明)
🚶 アクセス:前のスポット「大石垣」から徒歩3分(約0.04km)
| 築造年 | 不明 |
|---|---|
| 築造者 | 不明 |
| 構造・特徴 | 小谷城の詰めの丸。東西約35m、南北約70m、南北4段の曲輪からなり、中心曲輪の東・南・北の三面に石垣が残る。 |
| 改修・復元歴 | 昭和50年度に整備対象となった。虎口は崩れ、破城の痕跡をとどめるとされる。 |
| 現存状況 | 曲輪地形、石垣、虎口、説明板が残る。 |
| 消滅・損壊 | 石垣の崩落がみられる。建物は現存しない。 |
| 文化財指定 | 国史跡「小谷城跡」の構成遺構。 |
| 備考 | 山王権現を祀っていたことから山王丸と呼ばれる。 |
- 本丸より奥にあり、標高の高い詰めの丸として小谷城の終盤防御を担っていました。
- 南側虎口の左右には大岩を使った石垣があり、小丸側を意識した構えになっています。
よくある質問
河毛駅から麓の資料館・戦国ガイドステーションまで徒歩約30〜40分(約2.1〜2.2km)が目安です。まず資料館か戦国ガイドステーション(浅井三代の里)を目標にするとわかりやすくなります。車の場合は小谷城スマートICが便利で、各施設に駐車場があります。
戦国ガイドステーションから番所跡まで約40分、番所跡から本丸まで約30分、本丸から山王丸まで約20分(いずれも片道)が目安です。本丸往復だけなら2〜3時間、山王丸まで含めると4〜5時間を見ておくと安心です。
城跡(山上の遺構)の見学は無料です。小谷城戦国歴史資料館のみ入館料がかかります(高校生以上350円、小中学生150円)。資料館は登城前の予習に有効で、開館は9:00〜17:00、毎週火曜日・年末年始休館です。
小谷城跡は国指定史跡で、本丸・大広間・中丸・京極丸・山王丸・赤尾屋敷などの遺構が現存します。石垣、土塁、堀切、曲輪の地形を実際に歩いて見る城跡です。建物の復元はなく、整備は保存・景観整備が中心です。
赤尾屋敷跡が浅井長政自刃の伝承地とされています。本丸東下、黒金門手前から右へ約180m入った三段の曲輪で、現地に石碑と説明板があります。父の浅井久政は小丸で先に自刃したと伝えられます。
小雨でも歩ける日がありますが、山道のため滑りにくい靴底の靴が前提です。荒天時は資料館見学に切り替えるのがおすすめです。体力に不安がある場合は、戦国ガイドステーション起点で番所跡・大広間・本丸のみに絞り、無理に山王丸まで伸ばさない構成が安全です。
小谷城跡の御城印は小谷城戦国歴史資料館(滋賀県長浜市小谷郡上町139)で販売されています。開館時間内(9:00〜16:30受付)に訪問してください。
※ 本記事の情報は現地調査・長浜市保存管理計画等の資料をもとに作成しています。開館日・料金・シャトルバス運行情報は変更になる場合があります。訪問前に長浜市観光交流局または小谷城戦国歴史資料館の公式情報をご確認ください。山上には売店・トイレがありません。滑りにくい靴・雨具・飲料水を準備のうえお出かけください。
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