『豊臣兄弟!』長浜・聖地巡礼ガイド|大河ドラマ館+必見3スポット

2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が放送スタート。天下人・豊臣秀吉と、その“天下一の補佐役”として名高い弟・豊臣秀長――ふたりの視点で戦国を駆け上がる物語が動き出しました。そして今年の長浜には、ドラマの世界を現地で追体験できる「豊臣兄弟! 北近江長浜 大河ドラマ館」も登場します(2026年2月1日〜12月20日、長浜別院大通寺 総会所)。

長浜は、秀吉が北近江を託されて城と城下町づくりに挑み、“今浜”を「長浜」と名づけた出世の起点。兄が戦場へ打って出るほど、町の足元を固める実務が必要になり、その役回りを担ったのが秀長でした――派手さと堅実さ、ふたりの歯車がかみ合ってこそ「豊臣」は加速していく。大河ドラマでも、長浜城の築城や城下の整備、そして兄弟の役割分担が、きっと物語の転機として描かれるはず……そんな予感が、この町にはあります。

このページでは、まず押さえたい「長浜城(長浜城歴史博物館/豊公園)」「長浜豊国神社」「竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)」の3スポットを厳選して紹介。ドラマ館とあわせて歩けば、長浜が“太閤さんの町”と呼ばれる理由が、旅の実感として立ち上がってきます。

スポット紹介

長浜城(長浜城歴史博物館/豊公園)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:[☆☆☆]
 視覚的魅力:[☆☆]
 体験的価値:[☆☆]

琵琶湖の水面がきらりと光る岸辺に、白壁の天守がすっと立ち上がります。ここは「長浜城跡」。浅井氏滅亡後、織田信長から北近江を託された羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、今浜の地を「長浜」と改め、新しい城下町とともに築いた“出世の舞台”でした。天正3年(1574)秋頃に城が整うと、秀吉は小谷城から移り住み、この水城(みずじろ)から北陸・中国方面へと軍を進めていきます。湖水を取り込み、船の出入りまで想定した造りは、戦国の物流と軍事を一体で捉えた秀吉らしい発想そのもの。

そして、この城と城下の“日々の営み”を支えたのが弟・豊臣秀長でした。兄が出陣で不在がちだった時期、秀長は築城の進行や領地統治など実務を担い、北近江の支配を下支えしたとみられます。華やかな武功の陰で、地に足のついた政務が積み上がっていく——長浜は、秀吉と秀長という兄弟の役割分担がくっきり見える場所でもあります。

豊臣氏滅亡後、長浜城は解体され、石垣など多くの部材が彦根城の築城に転用されたと伝わります。いま城跡に立つ天守は、昭和56年(1981)からの再興事業を経て、昭和58年(1983)に市民の寄附と熱意で完成した“城郭型の歴史博物館”。往時の政治・経済の中枢だった城下町の記憶を、展示と眺望で追体験できるのが最大の魅力です。

築造年天正元年(1573)頃着工、天正3年(1574)秋頃完成
築造者羽柴秀吉(豊臣秀吉)
構造・特徴琵琶湖岸の平城/水城(湖水を活かした城郭)
改修・復元歴明治42年(1909)豊公園開園/昭和56年(1981)再興開始→昭和58年(1983)城郭型博物館として開館
現存状況当時の天守は現存せず(城跡)。現在は模擬天守(歴史博物館)として公開
消滅・損壊豊臣氏滅亡後に解体され、資材の多くが彦根城建設に転用されたと伝わる
文化財指定長浜城跡:長浜市指定史跡
備考弟・秀長が築城の進行や領地統治など実務面で兄・秀吉を支えたとされる

🗺 住所:滋賀県長浜市公園町10-10
🚶 アクセス
最寄り駅:JR北陸本線 長浜駅から徒歩5分(約350m)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約40分
じっくり観光するなら:約1.5時間

📍 見どころ

  • “水城”の立地と湖畔の景色:琵琶湖を背にした城の配置こそ長浜の真骨頂。湖風を感じながら、戦国の水運拠点だった発想を体感できます。
  • 城郭型博物館の展示:城跡に建つ歴史博物館として、長浜と秀吉ゆかりの歴史を軸に学べるのが強み。再興の経緯そのものも“現代の歴史”です。
  • 季節限定の楽しみ方:春は城の周囲で桜が咲き誇り、花見散歩が格別(約600本の桜が目安)。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:城が整うと、秀吉は地名を「今浜」から「長浜」へ改め、城下町経営の拠点にしました——“町の名前”そのものが戦国政策の名残です。
  • 知る人ぞ知る情報:豊臣氏滅亡後の解体で、石垣などが彦根城の建設に活かされたと伝わり、城の部材が地域の名城へ“転生”したと語られます。
  • 著名人との関係:兄・秀吉が外へ打って出る一方、弟・秀長は築城の進行や領地統治などの実務を担ったとされ、兄弟の連携が長浜の推進力でした。

長浜豊国神社

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

長浜の町に足を踏み入れると、ここが“太閤さんの町”だとすぐに気づきます。天正2年(1574)春、羽柴秀吉は長浜城の築城と町並みづくりに着手し、約10年にわたり善政を敷きました。町民とのつながりは深く、税免除の朱印状が幕末まで恩典となったほど。そんな記憶が、秀吉没後に「京都の豊国廟にならって」町民が社を建てた原動力でした。いったんは徳川政権下で“秀吉を神として祀ること”が許されず取り壊されますが、町衆は十人衆の家々で御神像を守り、寛政5年(1793)に“えびす宮”を表に立てて奥殿で密かに祀り続けます。こうして四百年、長浜の人々が抱きしめてきた憧れが、いまの境内に息づいています。ここで手を合わせると、豪胆な秀吉の背後で政権運営を支えた弟・豊臣秀長の存在にも自然と想いが及ぶはず。兄弟の二重奏があってこそ、長浜で芽吹いた“天下”への道は現実味を帯びた――そんな物語が、社殿の静けさの中で立ち上がってきます。建築的にも見どころが濃く、本社は向拝が檜皮葺きの唐破風、拝殿は千鳥破風の桟瓦葺き、神殿は神明造で千木・鰹木をいただく銅板葺き(江戸時代中期の建造物)。稲荷社の格天井に描かれた四季の花鳥図や、瓢箪池など、“太閤さん”の気配を辿る仕掛けが点在します。

築造年慶長5年(1600)創建
築造者長浜の町衆(町民)
構造・特徴本社:向拝は檜皮葺き唐破風、拝殿は千鳥破風桟瓦葺き/神殿は神明造で千木・鰹木を置く銅板葺き(神殿は江戸時代中期の建造物)
改修・復元歴徳川政権下で取り壊し→寛政5年(1793)「えびす宮」を建立し奥殿で秀吉を奉斎→弘化3年(1846)「豊神社(みのり神社)」と称す→明治31年(1898)秀吉300回忌に社殿造営→大正9年(1920)「豊國神社」を名乗れるように
現存状況社殿が現存(神殿=江戸時代中期、拝殿は近代様式など)
消滅・損壊徳川幕府の政権下で、秀吉を神格化することが許されず取り壊し
文化財指定指定文化財としての掲載は確認できず(長浜市所在指定文化財一覧〔令和7年8月6日現在〕に「豊国神社」の記載が見当たらず)
備考十日戎は、1793年に“えびす宮”を建立したことに始まるとされる/祭神:豊臣秀吉・加藤清正・八重事代主命(えびす宮)・木村長門守重成

🗺 住所:滋賀県長浜市南呉服町6-37
🚶 アクセス
最寄り駅:JR北陸本線 長浜駅から徒歩3分(約240m)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約1時間

📍 見どころ

  • 本社の社殿意匠:檜皮葺きの唐破風向拝、千鳥破風の拝殿、神明造の神殿(千木・鰹木)まで、様式の“いいとこ取り”を一度に味わえます。
  • 稲荷社の格天井と回廊:拝殿の格天井に描かれた四季の花鳥図は、見上げるほどに華やか。敷石の回廊は「お百度めぐり祈願」の様式を備え、歩く体験そのものが参拝になります。
  • 季節限定の楽しみ方:1月「十日戎」、10月「豊公まつり」(武者行列)で、普段は静かな境内が“出世運”と熱気に包まれます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:秀吉を祀ることが許されなかった江戸時代、町衆は“えびす宮”を表に立て、奥殿で密かに秀吉を祀り続けました。
  • 知る人ぞ知る情報:瓢箪池のそばにある「霊石虎石」は、長浜城廃城(1615)の移築時に移されたのち、夜ごと鳴くので豊国神社へ戻したところ静まった――という伝承を持つ石。
  • 著名人との関係:加藤清正は“太閤さん子飼いの腹心”として合祀され、境内には清正公の銅像も。主祭神の秀吉とともに、豊臣の記憶を立体的に辿れます。

竹生島(宝厳寺・都久夫須麻神社)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

長浜の湖岸から沖へ約6km。琵琶湖の青に小さく浮かぶ竹生島は、「渡る」こと自体が参詣のはじまりになる湖上の聖地です。神亀元年(724)、聖武天皇の勅命を受けて僧・行基が宝厳寺を開基したと伝わり、弁才天と観音信仰、そして都久夫須麻神社の社頭が同じ島に息づく神仏習合の空気が、いまも参道の石段に濃く残ります。

この島が、長浜と「豊臣」を強く結びつけるのは、建築そのものが“時代の記憶”だから。宝厳寺の国宝「唐門」は、慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、観音堂などとともに移建したものとされ、黒漆と金具、彫刻の極彩色が桃山の美意識を凝縮します。さらにさかのぼると、この唐門は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を移したものとも伝わり、その「極楽門」自体が、大坂城で北の丸と二の丸をつないだ豪奢な廊下橋「極楽橋」に据えられていた唐破風部分(いわば“入口の顔”)を転用した、という系譜が語られてきました。近年は、豊臣期の大坂城を描いた屏風図の調査からも、極楽橋正面の意匠と宝厳寺唐門の姿がよく似ることが指摘され、伝承が単なるロマンでは終わらない手触りを帯びています。都久夫須麻神社の国宝「本殿」もまた、慶長7年(1602)に秀頼が寄進・移築した建物を核に、戦国期に再建された部分と組み合わさった複雑な成り立ちが魅力。秀吉の没後も、豊臣家が竹生島を“守り神”として重視したことが、社殿の格式にそのまま刻まれています。

秀吉にとって長浜は、城主として初めて本格的に根を張った土地。長浜城の築城準備では、竹生島に預けられていた材木を運ぶなど、島が現実の政(まつりごと)にも組み込まれていたことが史料からうかがえます。そして、その秀吉を支えた弟・豊臣秀長(秀長)は、長浜期の領国経営で要となった存在ですが、竹生島との直接の関与を裏付ける同時代史料は乏しいとされます。だからこそこの島では、秀吉の“祈りと寄進の痕跡”がくっきり残る一方、秀長は兄の背後で地域を回した「不在の実務家」として想像力を刺激してくれる――そんな余韻が、船を降りた瞬間から静かに立ち上がります。

築造年神亀元年(724)開基(宝厳寺)/慶長7〜8年(1602〜1603)主要建造物整備(秀頼による移築・寄進)
築造者行基(勅命:聖武天皇)/(桃山期整備)豊臣秀頼(遺命:豊臣秀吉と伝承)
構造・特徴琵琶湖の島嶼(周囲約2km)に寺社が集まる信仰の島。国宝(宝厳寺唐門・都久夫須麻神社本殿)など桃山建築が密集
改修・復元歴2000年に三重塔が約350年ぶりに復元
現存状況主要伽藍・社殿が現存(参拝可能)
消滅・損壊都久夫須麻神社本殿は1558年に焼失し、戦国期に再建された部分を含む
文化財指定国宝:宝厳寺唐門/都久夫須麻神社本殿、重要文化財:舟廊下、国の名勝・史跡:竹生島(日本遺産登録あり)
備考長浜港からクルーズ約30分。“渡る参詣”が旅の核心

🗺 住所:滋賀県長浜市早崎町1664-1(竹生島)
🚶 アクセス
最寄り駅:JR北陸本線 長浜駅から徒歩9分(約700m)そこからフェリーで約35分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約150分
じっくり観光するなら:約4時間

📍 見どころ

  • 宝厳寺「唐門」(国宝):黒漆に金具、極彩色の彫刻。桃山の“見せる権威”が、門の一間に凝縮されています。
  • 都久夫須麻神社「本殿」(国宝)と かわらけ投げ:豪華絢爛な桃山装飾の余韻を背に、湖へ向けて素焼き皿を放つと、祈りが風景に溶けます。
  • 季節限定の楽しみ方:6月10日〜15日の「竹生島祭」は、島全体が最も活気づく時期。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:長浜城の築城準備では、竹生島に預けられていた材木を運ぶなど、島が城づくりの現場とも接続していました。
  • 知る人ぞ知る情報:宝厳寺と神社を結ぶ「舟廊下」は重要文化財。秀吉の御座船「日本丸」の用材を使ったという伝承が名の由来です。
  • 著名人との関係:豊臣家との縁を象徴するのが、唐門(国宝)と本殿(国宝)。秀吉没後、秀頼による移築・寄進で島の桃山建築が形づくられました。

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