卯辰山・小立野・宝町エリア
加賀藩主の祈りと家族の物語が息づく、卯辰山・小立野・宝町の“追悼と静謐の回廊”。
珠姫を偲ぶ天徳院、利家の名を負う桃雲寺、前田家歴代が眠る野田山墓所、そして利家創建の宝円寺——ここでは、武家の精神性(禅)×菩提の風景(墓所・庭園)×女性史が一枚の地形の上で重なります。
本ページでは、各寺院・史跡を360°写真でたどり、山門や枯山水、位牌・肖像・五輪塔といった見どころを、成立背景・拝観ポイント・所要時間とともにわかりやすく解説。丘陵地ならではの光と陰影、風と鐘の音まで、画面越しに感じられる“静かな格式”へご案内します。
卯辰山・小立野・宝町エリアマップ
珠姫の寺 天徳院(てんとくいん)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆☆

天徳院は、加賀藩三代藩主・前田利常の正室である珠姫を弔う菩提寺で、「珠姫の寺」として地元金沢でも親しまれています。徳川秀忠の娘として江戸から加賀に嫁ぎ、加賀藩の礎を支えた珠姫は、24歳という若さで没します。その死を悼んだ利常が、珠姫の法名「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」にちなんで創建したのがこの寺です。歴史の裏舞台にあった一女性の物語が、静かな台地の寺で静かに語り継がれています。
パノラマ写真
| 創建年 | 元和9年(1623年) |
|---|---|
| 宗派 | 曹洞宗(山号:金龍山) |
| 開山/開基 | 開山:巨山泉滴大和尚/開基:前田利常 |
| 構造・特徴 | 山門(二重門)、本堂、庭園(黙照禅庭)、茶室、からくり人形劇舞台など |
| 文化財指定・遺構 | 山門:石川県指定有形文化財の二重門(1694)。本堂などは後世再建で拝観可 |
| 改修・変遷 | 度重なる火災で伽藍が焼失、山門のみが元禄7年(1694年)建立のものが現存 |
| 現存状況 | 良好。庭園・施設共に観光拝観可能 |
| 備考 | からくり人形劇「珠姫・天徳院物語」、金箔御朱印、抹茶席など体験型要素あり |
🗺 住所:石川県金沢市小立野4-4-4
🚶 アクセス
金沢駅から路線バスで約20分、「天徳院前」バス停下車 徒歩3分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約30分
じっくり観光・体験するなら:約60分
🌎ホームページ

📍 見どころ
- 山門(二重門):元禄7年(1694年)建立。入母屋造り、平入・本瓦葺の構法で、石川県の有形文化財。
- 庭園(黙照禅庭):曹洞宗の思想を表す枯山水庭園。静寂の中で庭を巡り眺め、心を鎮める時間が持てます。
- からくり人形劇「珠姫・天徳院物語」:珠姫の生涯を六体の人形で再現。約15分の演目。
- 金箔御朱印体験:開山400年の記念で始まった、金箔を貼って仕上げる御朱印。観光者にも人気。
- 抹茶席・茶室:庭園に面した茶室で抹茶をいただきながら眺めを楽しむことができます。
- 写経体験:静かな環境で写経に挑戦することも可能。心を整える時間に。
- おとり石・金龍稲荷:縁結び・家庭円満を願う信仰要素。おとり石は願掛けに用いられます。
📌 トリビア
- 名前の由来:寺号「天徳院」は珠姫の法号「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」に由来します。
- 創建経緯:珠姫没後、利常が妻を偲んで建立(1623年)したと伝わります。
- 火災と遺構:多くの堂宇は火災で焼失。現存する山門のみが1694年建立の構造を留めています。
- 格式の高さ:珠姫ゆかりの寺院として、金沢近郊の寺院群の中でも格式が高く、地元に愛される存在。
高徳山 桃雲寺(こうとくざん とううんじ)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

桃雲寺は、石川県金沢市野田町に位置する曹洞宗の寺院で、山号を高徳山と称します。通称「九万坊大権現」としても知られ、加賀藩祖・前田利家の菩提寺(墓守寺)として、加賀藩主家から厚い保護を受けてきました。寺名の由来は、利家の戒名「高徳院殿桃雲浄見大居士」にちなんでいます。開山は宝円寺二世の象山徐芸で、創建当初は「宝円寺(小庵)」と呼ばれていましたが、後に桃雲寺の名を与えられました。
パノラマ写真
| 創建年 | 慶長5年(1600年) |
|---|---|
| 開山 | 象山徐芸(宝円寺二世) |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 釈迦牟尼仏 |
| 構造・特徴 | 本堂、利家遥拝墓(高さ約3mの五輪塔)、九万坊大権現の祠など。 |
| 移転・焼失歴 | 元和2年(1616年)伽藍焼失→芳春院再建/明治6年再び焼失 → 復興 |
| 現存状況 | 現存する寺院として維持・管理(かつてより規模は縮小) |
| 文化財・宝物 | 前田利家の肖像画および芳春院の画像(市指定文化財)など |
| 備考 | 利家遥拝墓、加賀八家の菩提寺、九万坊大権現の信仰所 |
🗺 住所:石川県金沢市野田町チ386
🚶 アクセス
金沢駅からバスで約30分 → 北陸鉄道路線バスで「野田」バス停下車 徒歩約3分
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光・体験するなら:約20分
📍 見どころ
- 利家遥拝墓(ようはいぼ):高さ約3mの五輪塔。利家の墓がある野田山まで赴くのが困難な芳春院(利家正室)が、当寺から拝むための塔として建立されたと伝えられます。
- 前田家の肖像画・芳春院像:寺内に、市指定文化財として利家夫妻の画像が伝わっています。
- 九万坊大権現:三柱の権現(九万坊・八万坊・照若坊)を祀る信仰が昔より存在し、かつて金沢城にも祠があったと伝えられています。後に桃雲寺に祀られ、寺と深い結びつきを持つ信仰対象です。
- 加賀藩主家との縁:利家の戒名を寺号とし、歴代の加賀藩主から寺領や保護を受け、加賀藩主家の菩提寺・墓守寺としての重責を担いました。
- 島田一良らの墓:明治期の事件、紀尾井坂の変に関わった元金沢藩士・島田一良などの墓が境内にあるという記録があります。
- 冬・春の季節風景:境内の植栽や石造物・墓所の配置と相まって、雪化粧の時期などに歴史の風情が強まります。
📌 トリビア
- 寺号の由来:利家の法号「高徳院殿桃雲浄見大居士」にちなみ、高徳山桃雲寺と命名された。
- 芳春院の情熱:利家没後、寺が焼失して再建が困難だった際、利家の正室・芳春院(まつ)が自ら寺領を寄進し、寺の存続を支えたという逸話があります。
- 寺の二重火災:元和2年の火災と、明治6年の火災という大きな消失を経験。再建と縮小を経て現在に至る。
- 通称「九万坊」:桃雲寺はかつて「九万坊大権現」の名称と結びついて呼ばれており、信仰寺院としての側面も強調されます。
- 管理寺としての役割:利家公の葬儀を執り行い、その後も利家公墓所を遥拝する寺として、加賀藩主家にとって特別な菩提寺・拠点として機能しました。
- アクセスの変遷:かつては参詣路が整備され、墓参者が多かったが、現代では静かな参拝地として知られ、観光ルートには必ずしも含まれない穴場としても親しまれています。
前田利家公墓所(加賀藩主前田家墓所)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

前田利家公墓所は、金沢市・野田山(のだやま)に位置する、加賀藩主・前田家歴代の藩主およびその正室・子女らを祀った墓所です。始まりは、利家の兄・前田利久がこの地に葬られたこととされ、その後、利家自身の意向もあってこの地が藩主家の墓地として定められていきました。金沢城から少し離れた山腹を利用した自然豊かな地形に、約80基もの墓が並び、藩祖・利家の墓はその中でも最も高所に築かれています。
パノラマ写真
| 指定種別 | 国指定史跡「加賀藩主前田家墓所」(利家公墓所はその中核) |
|---|---|
| 所在地 | 金沢市野田町野田山および高岡市(利長墓所) |
| 指定日 | 平成21年2月12日 |
| 面積・規模 | 金沢側:86,294.35 m²/高岡側(利長墓所):33,391.91 m² |
| 構造・特徴 | 土饅頭形式の墳墓、三段方形墳+周囲に溝を巡らせる形式、墓域上下に家臣・町人墓地あり |
| 主要墓所 | 利家・正室お松・利長ら藩主とその家族 |
| 改変・調査歴 | 平成16年以降、測量・発掘調査実施、築造時の堀構造が確認されるなど研究が進む |
| 現存状況 | 良好。ただし、令和6年(2024年)能登半島地震で灯籠・玉垣の倒壊・破損が確認されており、見学時の注意が必要。 |
🗺 住所:石川県金沢市野田町野田山
🚶 アクセス
金沢駅から北陸鉄道バスまたは路線バスで「野田山」バス停下車、徒歩で山腹を登ります。徒歩時間およそ20~30分程度。詳しい交通案内は金沢市観光案内を参照。
⏳ 見学の目安
お墓を見て回るだけ:約30~45分
全体をゆっくり散策し、碑文や周囲の風景を味わうなら:約60~90分
📍 見どころ
- 前田利家公の墓:墓域の最上部に位置する、三段方形墳+方形溝の構造を持つ墳墓。一辺約19メートルと規模も大きい。
- 正室・お松の墓:利家の隣に祀られており、並んだ姿が印象的。
- 利長の墓(高岡):墓地は加賀藩主墓所の一部として、金沢・高岡で対をなす構成。
- 家臣・加賀八家の墓:墓域の下段には加賀藩の重臣らの墓碑が並ぶ。
- 俯瞰と眺望:墓所の山腹に位置するため、見下ろす市街の眺めも魅力。
- 自然との共存:杉や松の古木が多く、季節に応じて木漏れ日・苔との共演が美しい。
📌 トリビア
- 利家の遺言と墓地選定:利家の遺言によって、野田山が墓地に選ばれたと伝わります。
- 築造の独自様式:墓は土を盛り上げた墳墓形式が主流で、周囲に溝を巡らせる構造は他藩には珍しい意匠。
- 高岡・利長墓との併記指定:金沢側と富山県・高岡市の利長墓所を含めて、加賀藩主前田家墓所として国指定史跡となっています。
- 調査と発掘成果:近年の発掘で、利家墓を囲む堀の構造や築造方法の実態が明らかにされています。
- 地震被害に注意:令和6年1月の能登半島地震では、灯籠や玉垣に倒壊・破損が見られ、史跡保全の観点から見学には注意の呼びかけあり。
宝円寺(ほうえんじ)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

宝円寺は、加賀藩祖・前田利家が創建した曹洞宗の寺院で、「利家と松の寺」とも呼ばれています。利家は越前府中(越前国)時代に帰依した禅僧・大透圭徐(だいとうけいじょ)に深く信奉し、金沢へ招いた上でこの寺を建立しました。金沢では兼六園近くの地に一度建立されましたが、後に小立野へ移転されました。藩主一族の位牌や前田家ゆかりの像・遺物を伝える菩提寺としての格式を有します。
パノラマ写真
| 創建年 | 天正11年(1583年) |
|---|---|
| 開基 | 前田利家 |
| 開山 | 大透圭徐大和尚 |
| 宗派 | 曹洞宗(山号:護法山 宝円寺) |
| 移転・火災 | 元和6年(1620年)、利常の時代に小立野に移築 / 宝暦期・明治初年に火災被害を受け再建 |
| 現存状況 | 本堂・山門・庫裏などが登録有形文化財として保存・公開 |
| 文化財指定 | 山門・本堂・庫裏:国登録有形文化財 |
| 備考 | 堂内には巨大な仁王像2体、利家公寄進の像/前田家の菩提寺・位牌安置 |
🗺 住所:石川県金沢市宝町6-14
🚶 アクセス
金沢駅から湯涌線バス「小立野経由」利用 → 小立野下車 徒歩8分
⏳ 見学の目安
境内散策:約20〜30分
建物内部拝観含めて:約45分
📍 見どころ
- 山門・本堂・庫裏:いずれも国登録有形文化財。明治元年再建の本堂など、建築様式の風格が感じられます。
- 仁王像(大仁王尊像):堂内に鎌倉時代作と昭和期再興の大きな仁王像が2体安置。
- 位牌殿・御影堂・御髪堂:前田家一族の位牌が安置され、利家の肖像や髪を納めた場所があるとの伝承。
- 庭園・境内風趣:移転前の地形を生かした庭配置や、緑との調和を意図した造りがうかがえる環境。
- 北陸三十三観音札所:第十三番札所として、観音信仰の巡礼対象となる一面があります。
📌 トリビア
- 移築の由来:兼六園近くの旧地に建立された後、利常の代に小立野に移築されました。
- 火災と復興:宝暦期、明治初年の火災で大きな損失を受けましたが、再建を重ねて現在に至ります。
- 利家の葬儀:利家の葬儀がこの寺で行われたと伝わっています。
- 兼六園との関係:旧地は兼六園近辺であったという説があり、かつては庭園構成と結びついた位置関係があったとされます。

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