浦賀 三浦按針のゆかりの地

ドラマ『SHŌGUN』で描かれた青い目の侍・Anjin。そのモデルとなったウィリアム・アダムス、すなわち三浦按針が一時期深く関わったのが、神奈川県横須賀市にある港町・浦賀です。現在では幕末の黒船来航の地として知られる浦賀ですが、実は江戸幕府初期、按針と徳川家康によって“国際貿易港”としての未来が託されていた地でもありました。

なぜ浦賀だったのか?——家康の国際戦略と按針の任務

1600年、ウィリアム・アダムスが豊後に漂着してから数年後、徳川家康の信任を得た按針は、外交・航海・造船の顧問として江戸に招かれます。彼に与えられた采地は三浦半島の逸見村(現在の横須賀市西逸見町)でしたが、按針が実務上活動したのは、それよりも東に位置する浦賀だったと考えられています。

浦賀は江戸湾の出入口にあたり、静かで水深もあり、造船や停泊に最適な天然の良港です。加えて、江戸からの距離が近く、軍事・経済の両面で戦略的価値が高い場所でした。

家康は、オランダやスペイン、ポルトガルとの交易ルート確立を目指しており、按針にはその交渉・技術指導が期待されました。その中でも浦賀を拠点とした外洋船の修理・建造や、西洋式の貿易港整備は、家康が按針に託した大きな役割のひとつでした。

浦賀における按針の活動——交易・造船・外交の拠点

現地の伝承や史料から、按針は浦賀の東岸(現在の東浦賀町付近)に作業・居住の拠点を構えていたとされています。特に注目すべきは、按針が造船・修理を行ったとされる**鍛冶屋町(現・法幢寺周辺)**や、**按針屋敷跡の伝承地(東林寺南側の裏手一帯)**の存在です。

また、スペインのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶガレオン貿易船「サン・フランシスコ号」が日本沖で座礁した際、浦賀港での修理を按針が指揮したとも言われており、浦賀は一時的に太平洋横断航路の中継地となった可能性もあります。

按針の外交交渉の成果により、家康はフィリピン・メキシコ側と通商を目指す政策を展開しましたが、家康の死後、幕府の政策は鎖国方向へ転じ、この“浦賀貿易港構想”は実現には至りませんでした。

現地に残る痕跡——消えた屋敷、語り継がれる地名と石碑

浦賀において、按針の存在を直接示す建築物や屋敷跡の遺構は現存していません。しかし、地名や伝承、近年整備された記念碑などに、その痕跡が残されています。

  • 按針屋敷跡の伝承地(東林寺裏手一帯):現在は住宅街ですが、かつては“按針屋敷”と呼ばれていました。江戸時代からその名が残っており、一部では按針が信仰した祠があったとの言い伝えもあります。
  • 鍛冶屋町(法幢寺付近):按針が修理を担当した難破船に携わった鍛冶職人が集まった場所とされ、地名として残されました。
  • 日西墨比貿易港之碑(東叶神社境内):2019年に建立された記念碑で、按針が関与した浦賀国際港構想を後世に伝えています。日本・スペイン・メキシコ・フィリピンの頭文字を刻んだこの碑は、浦賀が一時“開国”していた証とも言える存在です。

観光案内:浦賀を歩いてAnjinの足跡をたどる

浦賀は、現代においては静かな港町ですが、以下のような場所をめぐることで、按針の足跡を感じることができます。

スポット解説
東叶神社「日西墨比貿易港之碑」があり、境内からは浦賀湾を望める。願いが“叶う”で知られる神社。
東林寺裏手按針屋敷跡の伝承地。石碑などはないが、町の裏通りに残る地名と地形が当時を偲ばせる。
法幢寺周辺鍛冶屋町の名残を感じるエリア。
浦賀の渡し現存する江戸時代からの渡し船。西浦賀から東浦賀へ、按針も使ったかもしれないルート。

日西墨比貿易港之碑(にっせい ぼくひ ぼうえきこう の ひ)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

「日西墨比貿易港之碑」は、横須賀・東浦賀の東叶神社境内に2019年建立された荘厳な石碑で、慶長期における浦賀湊の国際港としての歴史を今に伝えています。三浦按針(ウィリアム・アダムス)は徳川家康の信任を得て、スペイン・メキシコ(新スペイン)・フィリピンとの貿易交渉を円滑に進め、浦賀を東国唯一の国際貿易港へと押し上げました。そして按針の働きにより最初の太平洋横断航路が実現し、一時は長崎・平戸と肩を並べる重要港となったことが刻まれています。

建立年2019年(4月25日除幕)
建立者浦賀湊を世界文化遺産にする会+東叶神社氏子
構造・特徴赤御影石の石碑。日西墨比(スペイン・メキシコ・フィリピン)貿易港としての沿革が詳述
改修・復元歴建立以降の改修記録なし
現存状況良好。東叶神社参道脇に位置
文化財指定地域の歴史碑として注目(国指定ではない)
備考碑文は英語併記。神社の桜と共に観光資源

🗺 住所:神奈川県横須賀市東浦賀2‑21‑25(東叶神社境内)
🚶 アクセス
京急線「浦賀駅」から徒歩約20分(1.5km)、または浦賀駅から京急バス「新町」下車徒歩約7分
浦賀湾を渡る渡し船(西→東渡船場)利用も可能で、東叶神社近くに上陸します。

⏳ 見学の目安
短時間の立ち寄り:約10分(碑写真撮影+碑文閲読)
じっくり歴史散策:約30分(東叶神社境内散策含む)

📍 見どころ

  • 貿易港碑文:慶長期のスペイン経由マニラ・メキシコとの交流、太平洋航路、バテレン追放・鎖国への過程が要約されており、当時の世界観が浮かび上がります。
  • 碑の配置:東叶神社の参道脇にあり、石段や鳥居、手水舎との調和が美しい。
  • 季節の見どころ:春は桜、秋は紅葉と共に碑が彩られ、渡し船の航路と合わせた訪問がおすすめ。

📌 トリビア

  • 碑名の意味:「墨」はメキシコの旧称、「比」はフィリピンの略称。日西墨比は“日本‐スペイン‐メキシコ-フィリピン”の交易ルートを示します。
  • 貿易港の盛衰:1616年の幕府の鎖国政策で、浦賀港はその地位を手放し、貿易は長崎・平戸に限定されました。按針は平戸へ移住を余儀なくされました。
  • 東叶神社との歴史的つながり:碑建立グループは“浦賀湊を世界文化遺産にする会”。神社内には「勝海舟断食井戸」など江戸期から近代へつながるスポットが並びます。

三浦按針ゆかりの地巡りでは、按針塚や鹿島神社、浄土寺とあわせて訪れることで、彼が果たした国際交流の歴史と江戸湾・浦賀湊の重要性をより深く実感できるスポットです。

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