東京 三浦按針完全ガイド

東京駅の徒歩圏内にも三浦按針に関係のあるゆかりの地、記念のスポットなどが残っています。本ページではその内容について掘り下げていきます。

三浦按針屋敷跡 & 按針通り(東京・日本橋)

三浦按針屋敷跡
Site of William Adam’s Residence
按針通り
Anjin Street
按針通り
Anjin Street

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆
 体験的価値:☆

江戸時代初期、徳川家康は英国人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)に旗本として日本橋室町に屋敷を与えました。屋敷跡には碑がひっそりと建ち、通りの名前「按針通り」がその歴史を伝えています。メインプロフィールで紹介した按針の生涯を踏まえ、ここでは彼が幕政に影響を及ぼした痕跡が街中に残る史跡として楽しめます。

建立年1930年(東京都により史跡指定)
再建年1951年(戦災後、有志により碑が再建立)
構造・特徴石碑:和英併記の説明文
現存状況良好(ビルの谷間にひっそり建つ)
文化財指定東京都旧跡
備考周辺の街並みと一緒に江戸初期の面影を感じられる

🗺 住所:東京都中央区日本橋室町1-10-8
🚶 アクセス
東京駅 八重洲口から徒歩15分(約1Km)

⏳ 見学の目安
約2分〜10分

📍 見どころ

  • 史蹟碑「三浦按針屋敷跡」:和英併記の碑文があり、按針の功績を静かに伝える。戦後に有志により再建もされた歴史的モニュメント。
  • 按針通り:電柱にも「按針通り」と表記され、かつての「安針町」の町名を彷彿とさせる散歩道。江戸時代の面影が通り名に息づく。
  • 都市の中の歴史空間:近代ビルが立ち並ぶ街中に、小さく歴史が息づく空間。石碑と通りを見つけたときの驚きは格別です。

📌 トリビア

  • 旧町名「安針町」:昭和7年(1932)まで町名として使用され、「按針通り」の由来となりました。
  • 碑の移り変わり:戦災で破壊後、1951年に英語併記で再建。1955年には東京都旧跡へ指定されています。
  • Shōgun とのつながり:主人公ジョン・ブラックソーン(演:真田広之)は按針がモデルの一人。屋敷跡はドラマ人気の背景としても注目されています。

江戸の国際性を象徴する按針の足跡は、現代の東京の街並みにひっそりと残る。新旧混在の歴史散策にぜひ組み込みたいスポットです。

デ・リーフデ号像(丸の内ビルディング)

デ・リーフデ号像(丸の内ビルディング)
デ・リーフデ号像(丸の内ビルディング)
デ・リーフデ号像(丸の内ビルディング)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆

デ・リーフデ号像は、江戸時代初期に日本に漂着したオランダ商船「リーフデ号」をモチーフにした青銅彫刻で、三浦按針(ウィリアム・アダムス)やヤン・ヨーステンらが乗船して来航した歴史を象徴します。東京都政令指定都市である千代田区、丸の内ビルディング隣、住所は千代田区丸の内2‑4‑1に位置し、東京駅丸の内南口から徒歩1分の好立地です。

この像は、1980年(昭和55年)4月22日、オランダ王国のファン・アフト首相の来日時にオランダ政府から日本政府へ寄贈されたものです。リーフデ号が日本へ漂着した1600年にちなみ、徳川家康との関係を象徴する記念碑として設置されています。

築造年1980年(昭和55年)
築造者オランダ王国政府(寄贈)
構造・特徴ブロンズによる帆船模型彫刻
改修・復元歴特になし
現存状況良好に現存
消滅・損壊なし
文化財指定未指定(記念碑)
備考丸ビル南東側、自転車置場の背後に設置されていることもある

🗺 住所:東京都千代田区丸の内2‑4‑1
🚶 アクセス
最寄り駅:JR・東京メトロ丸の内線「東京駅」丸の内南口から徒歩1分(約0.1km)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分

📍 見どころ

  • 帆船彫刻:精巧なリーフデ号のブロンズ像は、帆や船体の躍動感があり、近代的な都市景観に映える。
  • 歴史解説銘板:オランダ語および日本語で漂着や寄贈の経緯が記され、歴史的背景をその場で理解できる。
  • 季節限定の楽しみ方:春は桜、紅葉時期は皇居周辺の緑とともに見ると、都市と自然が織りなすコントラストが楽しめます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:デ・リーフデ号は日本に漂着した初のオランダ船で、その乗組員ヤン・ヨーステンは八重洲の地名の由来となりました。三浦按針も徳川家康に外交・砲術・航海顧問として重用されました。
  • 知る人ぞ知る情報:像は丸ビルの自転車置場の背後などやや目立たない位置にあり、通り過ぎやすい場所にこっそり立っています。
  • 著名人との関係:ウィリアム・アダムス(三浦按針)は、英国出身ながら徳川家康に仕え指導者となり、“青い目の侍”として知られています。またヤン・ヨーステンは外交顧問となり、八重洲地名の由来にもなりました。

ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街)

ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街)
ヤン・ヨーステン記念像(八重洲地下街)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆
 体験的価値:☆

八重洲地下街(通称ヤエチカ)の「外堀地下1番通り」の東壁面にひっそりと設置された、オランダ人航海士ヤン・ヨーステン(Jan Joosten van Lodensteijn)の胸像です。三浦按針(ウィリアム・アダムス)とともにリーフデ号で来日し、徳川家康の信任を受けた外交顧問として活躍した人物をしのぶ象徴的なスポットで、八重洲の地名の由来にもなっています。地下街のキャラクターとしても活用され、地域の歴史を身近に感じられるモニュメントです。

築造年2009年(設置)
築造者オランダ人彫刻家 L.P.J. ブラート作
構造・特徴ブロンズ製胸像(壁面取り付け型)
改修・復元歴特に報告なし
現存状況良好
消滅・損壊なし
文化財指定未指定(記念像)
備考キャラクターパネル「EDO‑TOKYO・YAESU HISTORY」とともに展示

🗺 住所:東京都中央区八重洲地下街 外堀地下1番通り付近
🚶 アクセス
最寄り駅:東京駅 八重洲中央口から直結。八重洲地下街「外堀地下1番通り」沿い、ラーメン店「游亀亭」と「俺のイタリアン&Bakery」の間に位置します。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約15分

📍 見どころ

  • 胸像と歴史解説パネル:ヤン・ヨーステンの肖像とともに、来日や八重洲の地名の由来を紹介する「EDO‑TOKYO・YAESU HISTORY」パネルが並ぶ。
  • 地下街キャラクター:八重洲地下街では彼のイラストや案内キャラクターとしても展開され、散策の中で姿を探す楽しみがある。
  • 季節限定の楽しみ方:冬季やイベント時には周辺ショップの装飾にもキャラクターが登場し、地下街全体で楽しめる。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:ヤン・ヨーステンの日本名「耶楊子」が変化して「八代洲」「八重洲」と地名になり、東京駅東側がその名に由来している。
  • 知る人ぞ知る情報:地下街の一番街の壁面にひっそり設置されており、探しながら見つける楽しさがある。店舗の照明によりライトアップされることも。
  • 著名人との関係:ヤン・ヨーステンは徳川家康の外交顧問として重用され、土木技術や貿易にも貢献した、初期の西洋人侍の一人ともされる歴史的人物です。

ヤン・ヨーステン記念碑(八重洲通・中央通り交差点 中央分離帯)

ヤン・ヨーステン記念碑(八重洲通・中央通り交差点 中央分離帯)
ヤン・ヨーステン記念碑(八重洲通・中央通り交差点 中央分離帯)
ヤン・ヨーステン記念碑(八重洲通・中央通り交差点 中央分離帯)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆

ヤン・ヨーステン記念碑は、東京駅前を通る八重洲通りと中央通りが交差する日本橋三丁目交差点の中央分離帯にひっそりと設置されたレリーフ型の記念碑です。日蘭修好380周年を記念し、1989年(平成元年)に東京都中央区により設置されました。記念碑には、ヤン・ヨーステンの胸像と、彼が乗船して来日したとされるオランダ船「リーフデ号」が並ぶデザインで、中央には東インド会社のマークや古地図風の海・太陽・羅針盤のモチーフが配置されています。これらはオランダの航海技術と時間の象徴を表しています。

築造年1989年(平成元年)
築造者東京都中央区(日蘭修好380周年記念事業)
構造・特徴ブロンズ製レリーフ:左がヤン・ヨーステン、右がリーフデ号
改修・復元歴特になし
現存状況良好
消滅・損壊なし
文化財指定未指定(記念碑)
備考隣接して高さ7mの「平和の鐘」モニュメント有。目印になる。

🗺 住所:東京都中央区日本橋3丁目(八重洲通り中央分離帯内)
🚶 アクセス
最寄り駅:JR・東京メトロ「東京駅」八重洲口から徒歩数分。八重洲通りを進み、日本橋三丁目交差点の中央分離帯内。高さ約7 mの「平和の鐘」モニュメントが目印として目の前に立っています。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分

📍 見どころ

  • ヤン・ヨーステン胸像と帆船レリーフ:ヤン・ヨーステンの顔とリーフデ号が描かれた立体的なブロンズレリーフが見どころ。
  • 航海技術の象徴モチーフ:羅針盤、天球儀、古地図風デザインが巧みに組み込まれている。
  • 平和の鐘:記念碑のすぐ隣にある高さ約7mのモニュメント。毎正時に鐘の音が響き、訪問に彩りを添えます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:ヤン・ヨーステンは1600年にリーフデ号で来日し、徳川家康に外交顧問として仕えた後、江戸城内に居住。日本名「耶揚子(やようす)」が地名「八重洲」の由来となりました。
  • 知る人ぞ知る情報:中央分離帯に位置しているため、通り過ぎやすく見落とされがち。隣の「平和の鐘」が大きな目印として役立ちます。
  • 著名人との関係:ヤン・ヨーステンは三浦按針(ウィリアム・アダムス)と共に来日し、家康の信任を得て外交・貿易面で活躍した初期の外国人侍の一人です。

三浦按針完全マップ:東京編

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