
大河『豊臣兄弟!』で秀長に惹かれた人へ。――“答え合わせ”は、奈良の郡山城跡にあります。
近鉄の踏切を越えて坂を上ると、城下の生活音がすっと薄れ、鉄御門跡の巨大石垣が行く手を“折らせる”ように立ちはだかります。門は残っていないのに、枡形の折れと石の圧だけで「正面突破は通さない」という城の意思が伝わってくる。ここで一気に、郡山城は“史跡”から“体験”に変わります。
このページは、実際に私が現地を歩き、撮影した写真(通常写真に加えて360度パノラマも)を載せながらまとめた実地レポートです。追手口の復元建築、極楽橋を渡った先の本丸の空気、天守台の展望——秀長が整えた「大和の拠点」を、順路どおりに辿って“身体で理解できる”ように案内します。
スポット紹介
鉄御門跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆

近鉄線の踏切を越え、城下の生活音がふっと遠のく坂道を上ると、行く手を“折らせる”ように立ちはだかる巨大な石垣が現れます。ここが郡山城の「鉄御門(くろがねもん)跡」。いま門そのものは残りませんが、石垣がつくる枡形(ますがた)の空間には、敵を正面から通さない近世城郭の知恵が色濃く漂っています。

この城が畿内統治の拠点として大きく整えられたのは、天正13年(1585)に豊臣秀吉の弟・秀長が入城してから。秀長の手によって「城下町ごと包み込む」惣堀の骨格が形づくられました。
その後、元和5年(1619)に松平忠明が城主となった際、廃城となった伏見城から「鉄門」などの城門が移築、あるいはその部材を再利用してこの門が整備されたと伝えられています。豊臣政権の中枢だった伏見城の記憶を宿す門が、秀長ゆかりの郡山城へと継承される——。江戸時代を通じて「大和の要」であり続けたこの城の威容を、今も残る精巧な石垣が静かに語り続けています。

| 築造年 | (原位置)文禄〜慶長期の伏見城築城期(1590年代)/(郡山城へ)元和5年(1619)に移築・設置 |
|---|---|
| 築造者 | 豊臣秀長(基礎)・松平忠明(移築・整備) |
| 構造・特徴 | 門の左右に高い櫓台を設けた「枡形虎口」。石垣は江戸期の精巧な積み方が見られる。 |
| 改修・復元歴 | 城跡全体では、追手門が昭和58年(1983)に復元、追手向櫓・追手東隅櫓なども昭和62年(1987)頃までに復元。天守台は2013〜2016年度に石垣修復と展望施設整備を実施し、2017年3月に完成。 |
| 現存状況 | 門建物は現存せず、鉄御門跡として石垣(櫓台)などの遺構が残る。 |
| 消滅・損壊 | 明治6年(1873)頃の廃城に伴い、城門・櫓などの建物群は失われた(売却・転用を含む)。 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「大和郡山城跡」(2022年指定) |
| 備考 | 城跡は公園として整備され、週末・祝日には「石垣の語り部」による無料案内も行われる。 |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町255(郡山城跡公園内)
🚶 アクセス
最寄り駅:近鉄郡山駅から徒歩7分(約0.62km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分
📍 見どころ
- 櫓台石垣の迫力:近くで見上げると、石の量感がそのまま“城の体温”になります。写真は少し引きで撮ると石垣の稜線がきれいに出ます。
- 枡形の道の折れ:坂道が折れ曲がる配置が、門前の緊張感を演出。ここを歩くと、攻め手の視界や足運びまで想像できます。
- 季節限定の楽しみ方:春は約600本の桜が堀を彩り、「お城まつり」も開催される桜名所に。鉄御門跡からの“城へ入る導入”が特に映えます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:鉄御門は、松平忠明の入城期に伏見城から移された城門群の一つとして語られます。豊臣から徳川へ、権力の移ろいが“門の引っ越し”に刻まれました。
- 知る人ぞ知る情報:郡山城の石垣には転用石が多く、天守台北面には「逆さ地蔵」も。石垣好きなら、鉄御門跡→天守台へ“転用石ハント”で歩くのが楽しい。
- 著名人との関係:天正13年(1585)に入城した豊臣秀長が、郡山城を畿内統治の拠点として大規模に整備。鉄御門跡に立つと、秀長が築いた「拠点の骨格」に、のちに伏見城の記憶が重ねられたことが実感できます。
追手東隅櫓
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

鉄御門跡から城内へ――石垣のカーブに導かれて歩みを進めると、城の“正面玄関”である追手の要が見えてきます。その角を、凛とした姿で押さえているのが「追手東隅櫓」です。
かつて豊臣秀長が郡山城を大規模に整備した際、城は「見せる威容」だけでなく「守り切る理屈」を手に入れました。この櫓は、その理屈が最も分かりやすく形になった場所です。門へ正面から迫る相手を、横から射抜く「横矢(よこや)」の視線で制する――まさに城が“生き物”のように防御を組み立てる緊張感が、今もこの場所に漂っています。
この櫓は、柳沢吉里が入封した江戸中期以降に「追手東隅櫓」と呼ばれるようになりましたが、それ以前は筒井順慶ゆかりの「法印段(ほういんだん)」という曲輪に位置していたことから、古くは「法印段巽角櫓」などと呼ばれていました。
明治の廃城令で一度は失われましたが、現在の姿は「城のシンボルを取り戻したい」という市民の熱意と寄付を背景に、昭和59年(1984)に伝統的な木造工法で復元されたものです。秀長の時代から積み重なった防御の知恵と、現代の「残したい」という意思が、同じ屋根の下で重なって見える、郡山城復興の象徴といえるでしょう。



パノラマ写真
| 築造年 | 江戸時代(築造年不詳)/昭和59年(1984)木造復元 |
|---|---|
| 築造者 | (原形)不詳(郡山藩の城郭整備)/(復元)市民運動・寄付を背景に大和郡山市が復元 |
| 構造・特徴 | 木造二層二階。追手門を側面から防御する「横矢掛け」の要衝。 |
| 改修・復元歴 | 明治6年(1873)に破却/昭和59年(1984)に追手東隅櫓・多聞櫓を復元 |
| 現存状況 | 復元櫓として現存 |
| 消滅・損壊 | 廃城に伴い1873年に撤去 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「郡山城跡」(2022年11月10日指定) |
| 備考 | 周辺から多聞山城(松永久秀築城)からの転用瓦が出土。多聞櫓によって追手向櫓と繋がっていた。 |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町2
🚶 アクセス
前のスポット「鉄御門跡」から徒歩3分(約0.22km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 二重櫓の“横矢”ポジション:追手門を正面からだけでなく横方向からも押さえる配置。城郭防御の合理性が、立ち位置だけで実感できます。
- 多聞櫓でつながる追手の構え(枡形の発想):追手門側と多聞櫓で連結していたとされ、門前の空間そのものが“罠”になる造り。写真を撮るなら、石垣の角度が出る斜め方向がおすすめです。
- 季節限定の楽しみ方:春は郡山城跡の桜(「日本さくら名所100選」)が堀端を彩り、華やかな景観に。さらに2月上旬〜3月中旬には「盆梅展」も案内されています。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:「追手東隅櫓」という呼び名は、柳沢吉里の入封後に定着したとされ、それ以前は別名で呼ばれていた――名前の変遷だけでも城の“支配者の交代”が見えてきます。
- 知る人ぞ知る情報:周辺の発掘で、多聞山城から流用されたとされる瓦が出土したという話が伝えられています。秀長の時代の築城が、近隣の歴史資源とつながっていた可能性を想像させます。
- 著名人との関係:豊臣秀長が城を“大和の政治拠点”として磨き上げた流れの上に、江戸期の藩主たちが追手の守りを整備し、近代に市民の力で復元――秀長・柳沢吉里・そして現代の市民まで、時代を超えたバトンがここに凝縮しています。
追手向櫓
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

郡山城の追手口は、豊臣秀長期に整えられた城郭の骨格の上に、のちの時代も「入口を守り切る」工夫が重ねられてきました。追手向櫓はその要で、追手門(梅林門)へ向かう動線を横から押さえる“横矢”の位置取りが最大の見どころ。案内板に残る寸法(下重4間2尺×5間、上重2間四方)を思い浮かべると、門前の圧がいっそう具体的になります。

門へ向かう旅人の目線を、櫓が斜めに受け止めるこの配置は、城が自らの弱点を知り尽くし、一寸の隙も与えないという思想の表れです。郡山城の骨格を築いた豊臣秀長の時代から、この「正面突破を許さない入口」という設計思想は、城主が変わっても脈々と受け継がれてきました。
この櫓は“名前の履歴”も興味深く、本多氏の時代(17世紀)には「大手先艮(うしとら)角櫓」と呼ばれていました。「艮」とは北東、すなわち鬼門の方角を指します。実戦的な防御だけでなく、城の安泰を祈る精神的な守護の要でもあったことが、その名から読み取れます。
明治の廃城で失われましたが、昭和62年(1987年)、市民の熱意に応える形で木造復元されました。東隅櫓・多聞櫓・追手門と連なるこの一角は、戦国から江戸、そして「歴史を次代へ繋ぐ」という現代の意志までを、ひとつの美しい景観の中に重ねて見せてくれます。

パノラマ写真
| 築造年 | 江戸時代(築造年不詳)/昭和62年(1987)復元 |
|---|---|
| 築造者 | (原形)郡山藩の城郭整備(詳細不詳)/(復元)大和郡山市(市民活動の流れの中で復元) |
| 構造・特徴 | 木造二層二階。追手門に迫る敵を側射(横矢)する重要な防衛拠点。 |
| 改修・復元歴 | 明治6年(1873)に破却/昭和62年(1987)に復元(追手門周辺の復元整備の一環) |
| 現存状況 | 復元櫓として現存 |
| 消滅・損壊 | 廃城に伴い1873年に撤去 |
| 文化財指定 | 国指定史跡「郡山城跡」(2022年11月10日指定) |
| 備考 | 本多氏期の呼称「大手先艮角櫓」→柳沢氏入城後に「追手向櫓」へ。追手門・多聞櫓と一体で追手口の景観をつくる |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町2(郡山城跡公園・追手口付近)
🚶 アクセス
前のスポット「追手東隅櫓」から徒歩1分(約0.05km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 追手門を“斜めに守る”角:門へ向かう動線に対して櫓が角度をもって立ち、攻め手の正面を外して制する「城の合理性」を体感できます。
- 追手門・多聞櫓とのセット景観:追手門周辺は復元建物が連なり、写真でも「城の顔」が成立するエリア。秀長期の城づくりを思わせる追手門と並べて見るのが醍醐味です。
- 季節限定の楽しみ方:冬〜早春は追手門周辺で「盆梅展」が行われる会場として案内され、渋い城郭景観に“梅の艶”が映えます(開催情報は年により変動)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:「艮(うしとら)」は北東を指す方角。かつての呼称「大手先艮角櫓」は、櫓が“方角で位置を言い当てられるほど”追手口の要だったことを示します。
- 知る人ぞ知る情報:案内板には、二重櫓の寸法(下重・上重)が具体的に記されており、城郭ファンは数字を手がかりに当時のボリューム感を想像できます。
- 著名人との関係:豊臣秀長が鍛えた“入口の思想”の上に、江戸期の藩主たちが櫓を整え、現代に復元されたのが追手向櫓。秀長の城づくりの余韻を、もっとも分かりやすく“門前の景色”として味わえる場所です。
追手門(梅林門)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆

追手口に立つと、城の“正面玄関”がどっしりと道をまたいでいます。これが追手門(梅林門)。門をくぐる直前、石垣の張り出しと道の折れがつくる空間に、ただの通路ではない「城の入口」の緊張感が宿ります。白壁と木組みの端正さの奥に、統治の拠点として人と物の出入りを管理した城のリアリティが、いまも立ち上がってくる場所です。

郡山城が大和の政治拠点として鍛え上げられたのは、天正13年(1585)に入城した豊臣秀長の時代。この追手門も、秀長の「統治の拠点」としての思想が、城の入口という形で結晶した場所といえるでしょう。
現在の門は、昭和58年(1983)に、市民運動(「明日のお城と城下町を考える会」など)の情熱によって木造復元されたものです。形式は江戸時代の城門を代表する「高麗門(こうらいもん)」を再現しており、発掘調査や古絵図に基づいた緻密な再建が行われました。
2月から3月にかけて、門周辺に梅の香りが漂う頃、かつて城内にあった門が「梅林門」と呼ばれた名残が、現在の景色にそっと重なります。端正な白壁と力強い木組みが織りなす姿は、まさに大和郡山の誇りを感じさせる一枚の絵画のようです。
パノラマ写真
| 築造年 | (原位置の追手門)天正13年(1585)以降、この場所に築かれたと考えられる/(現状)昭和58年(1983)木造復元 |
|---|---|
| 築造者 | (原形)豊臣秀長期の城郭整備によるものとされる/(復元)市民運動の協力のもと大和郡山市(教育委員会等)が整備・再建 |
| 構造・特徴 | 木造高麗門(こうらいもん)形式。 門の内側に四方を囲む「枡形」を備えた防御重視の構造。 |
| 改修・復元歴 | 明治期の廃城で失われたのち、昭和58年(1983)に木造復元。以後、追手向櫓(1987)など周辺も段階的に復元整備 |
| 現存状況 | 復元門として現存 |
| 消滅・損壊 | 廃城(明治6年・1873)に伴い、城門を含む建物群が失われた |
| 文化財指定 | 国指定史跡「郡山城跡」(2022年11月10日指定) |
| 備考 | 追手門は「梅林門」とも呼ばれ、梅の季節(2月上旬〜3月中旬)には城跡の梅や盆梅展とあわせて楽しめる 昭和50年代、全国に先駆けて行われた市民による城郭復元運動の先駆け的存在。 |
🗺 住所:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2-255(郡山城跡公園・追手門付近)
🚶 アクセス
前のスポット「追手向櫓」から徒歩1分(約0.01km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- “城の顔”をつくる門構え:追手口の中心に立つ堂々たる姿は、復元建築の中でも特に写真映え。石垣と門のラインを斜めから入れると迫力が出ます。{index=10}
- 枡形の発想を感じる入口:まっすぐ抜けない動線と周囲の石垣が、追手口が「通路」ではなく「防御装置」だったことを教えてくれます。
- 季節限定の楽しみ方:2月上旬〜3月中旬は梅が見頃。追手門が「梅林門」と呼ばれた由来を、花の気配ごと味わえます(同時期に盆梅展の案内も)。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:案内板では、秀長入城後に本格的な築城が進み、追手門もこの場所に築かれたと考えられる――と説明されています。入口から秀長の“政治拠点づくり”が始まっていた、という読み解きができます。
- 知る人ぞ知る情報:追手門の再建は、市民運動(「明日のお城と城下町を考える会」など)の協力で進められた経緯が伝えられています。いまの景観は「残したい」という市民の意思の結晶でもあります。
- 著名人との関係:豊臣秀長が大和・紀伊・和泉を束ねる拠点として郡山城を整えた時代、その“入口”を担ったのが追手口。追手門に立つと、秀長が目指した統治の拠点のスケールを、最初の一歩で体感できます。
城址会館(旧奈良県立戦捷記念図書館)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆


郡山城跡を歩いていると、無骨な石垣と土塁が続く“戦国の気配”の中に、寺院のような優美な屋根を戴いた近代建築がふっと現れます。これが「城址会館」です。
もとは日露戦争の戦勝を記念し、明治41年(1908)に奈良公園内(現在の登大路付近)に建てられた奈良県立戦捷記念図書館でした。昭和40年代に取り壊しの危機に瀕しましたが、歴史的建造物の保存を願う声を受け、昭和45年(1970)に郡山城跡へと移築・保存されました。

この建物の見どころは、明治期の技術と伝統美の融合です。設計者・橋本卯兵衛による、正面の立派な**「唐破風(からはふ)」や、内部を支える「木造トラス構造」**は、西洋の建築技術を日本の伝統的な装飾で包み込んだ、当時ならではの折衷美を示しています。
豊臣秀長が整えた「城の中枢」という特別な場所に、かつて「知識の殿堂」であった図書館が鎮座する——。時代は違えど、大和の文化を支えてきた存在同士が不思議な調和を見せる、郡山城内でも屈指のフォトジェニックなスポットです。
パノラマ写真
| 築造年 | 1908年(明治41年)10月30日竣工(旧奈良県立戦捷記念図書館として) |
|---|---|
| 築造者 | 奈良県(設計:橋本卯兵衛) |
| 構造・特徴 | 木造2階建て/瓦葺き。寺院風の外観意匠と、明治以降に導入された木造トラス構造が特徴。 |
| 改修・復元歴 | 1970年(昭和45)に奈良公園から郡山城跡へ移築保存。2006年(平成18)に「城址会館」の名称を公募で採用。 |
| 現存状況 | 現存(郡山城跡内で保存活用)。 |
| 消滅・損壊 | 建物自体は保存。旧所在地(奈良公園内)からは移築により“原位置では消滅”。 |
| 文化財指定 | 奈良県指定有形文化財(建造物)。名称「旧奈良県立戦捷記念図書館」 |
| 備考 | 一般公開は原則、土日祝の10:00〜16:00。建物は1階ホールのみ公開(平日は非公開)。 1階ロビーには、郡山城の歴史に関する展示や資料が置かれていることが多く、散策の合間の学習に最適。 |
🗺 住所:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2
🚶 アクセス
前のスポット「追手門」から徒歩1分(約0.05km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- “お寺みたいな図書館”の外観:瓦屋根の反りや正面意匠が印象的。石垣の城跡に、明治建築が驚くほどしっくり溶け込みます。
- 移築保存のドラマ:取り壊し方針からの譲り受け、移築保存という経緯そのものが見どころ。建物が「残された理由」を知ると、見え方が変わります。
- 季節限定の楽しみ方:春は城跡の桜、早春は梅の季節に合わせて。重厚な屋根と花の対比が写真映えします。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:この建物は、日露戦争の戦勝(戦捷)を記念して建てられた“記念図書館”でした。
- 知る人ぞ知る情報:公開は常時フルオープンではなく、原則「土日祝の指定時間」「1階ホールのみ」。開いている日に合わせるのがコツです。
- 著名人との関係:豊臣秀長が城の中枢を担った郡山城。その城域に、近代の公共建築が保存されていることで、戦国と近代が同じ景色の中に同居しています。
柳澤文庫(旧柳澤伯爵家郡山別邸)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

追手口の復元建築が「城の顔」だとしたら、柳澤文庫は「城の記憶」を抱える場所です。豊臣秀長が城の骨格を築いたのち、江戸中期に甲府から柳澤吉里(よしさと)が入封。以来、明治まで柳澤家がこの地を治めました。その歴代藩主の古文書や記録を大切に守り伝えているのが、ここ柳澤文庫です。

建物は、かつての毘沙門曲輪(びしゃもんくるわ)に建つ旧柳澤伯爵家郡山別邸の一部。まず目を奪われるのは、ゆるやかな弧を描く「唐破風(からはふ)」の車寄せがある玄関です。近代和風建築の気品が、周囲の石垣や濠の景色に驚くほど自然に溶け込んでいます。
館内には、郡山藩の公用記録である『柳澤家年録』をはじめ、数万点の貴重な史料が収蔵されています。城を「見る」だけでなく、古文書を通じて当時の武士たちの息遣いを「読む」体験は、旅の解像度を一気に高めてくれるはず。秀長が築いた舞台の上で、柳澤家が育んだ文化が今も静かに息づいている――そんな歴史の重層性を実感できるスポットです。
パノラマ写真
| 築造年 | 1905年(明治38年)頃(旧柳澤伯爵家郡山別邸として)/1960年(昭和35年)に財団設立、翌年秋に柳澤文庫として開館 |
|---|---|
| 築造者 | 柳澤伯爵家(柳澤保承氏による私立図書館としての側面も持つ) |
| 構造・特徴 | 近代和風建築(木造・瓦葺)。車寄せ付き玄関が象徴的で、和室の大広間と洋風要素を併せ持つ和洋折衷の空間構成 |
| 改修・復元歴 | 1960年代以降、文庫(展示室・閲覧室)として活用するための整備を重ねつつ保存 |
| 現存状況 | 現存(展示室・閲覧室として公開) |
| 消滅・損壊 | 大きな消滅はなし(保存活用) |
| 文化財指定 | 郡山城跡として国指定史跡/建物は大和郡山市景観重要建造物 |
| 備考 | 開館9:00~17:00(入館16:30まで)。休館:月曜・第4火曜(祝日は開館)、展示替え等。観覧料:一般300円・学生200円(閲覧室のみ利用は無料) 柳澤吉保が愛した「六義園」の写本や、郡山藩の宝生流能楽に関する史料など、「文武両道」を重んじた柳澤家の家風を伝える展示が多い。 |
🗺 住所:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2-18
🚶 アクセス
前のスポット「城址会館(旧奈良県立戦捷記念図書館)」から徒歩2分(約0.1km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 車寄せ(玄関)の美しいカーブ:瓦屋根の反りと軒の線がとにかく絵になるポイント。城の石垣を背景に撮ると、近代和風建築の格が際立ちます。
- “城の記憶”を展示で読む体験:郡山藩の公用記録や柳澤家ゆかりの史料が、年3回の展覧会で紹介されます。城跡散策が一気に立体的になるはず。
- 季節限定の楽しみ方:秋は周辺の木々が色づき、車寄せの屋根と紅葉の対比が見事。春は郡山城跡の桜と合わせて“城内散歩+文庫”が鉄板です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:柳澤文庫は、柳澤家から寄贈された史料を核に、1960年に財団が設立されて開館した“城跡の専門文庫”。「城の中にある図書館」という立地そのものが、郡山の歴史の厚みです。
- 知る人ぞ知る情報:展示室は有料でも、閲覧室のみの利用は無料。時間があれば、旅先で“史料に触れる”贅沢をぜひ。
- 著名人との関係:豊臣秀長が整えた城が、のちに柳澤家の治世へ引き継がれ、その記録がここに集まる——秀長の城づくりを「遺構」だけでなく「史料の連なり」として追体験できる場所です。
極楽橋
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆☆

天守曲輪(本丸)へ渡るための“正面ルート”が、約150年ぶりに息を吹き返しました。郡山城の内堀に架かる極楽橋は、政治の中枢である天守曲輪と毘沙門曲輪を結び、登城の儀式性を担った重要な懸け橋です。
豊臣秀長が城を大規模に整備した時代、この場所は中枢へ至る厳重な防衛線でした。のちに江戸時代の城絵図(正保年間)にも描かれ、柳澤家の時代に「極楽橋」と呼ばれるようになったと伝えられています。一説には、橋を渡った先にあった豪華な御殿や庭園を「極楽」に見立てたとも言われ、その名は城内でも特別な聖域への入り口であることを示しています。

明治時代に失われて以降、長く幻の橋となっていましたが、2021年に市民の願いを受けて再建されました。宝珠柱(ほうじゅばしら)を備えた優美な反り橋のシルエットは、深い堀や石垣の陰影と見事に調和しています。秀長が築いた“城の骨格”の上に、歴代城主の美意識が重なり、現代の私たちがそれを歩いて追体験できる——。極楽橋は、郡山城の時を繋ぐ新しいシンボルです。
パノラマ写真
| 築造年 | 創建時期不明(正保年間=1644〜1648の城絵図に描写)/再建:2021年2月竣工 |
|---|---|
| 築造者 | 創建:不詳(郡山城主による)/再建:公益財団法人「郡山城史跡・柳沢文庫保存会」(事業) |
| 構造・特徴 | 鋼部材と木材を組み合わせたハイブリッド構造。外観は伝統的な「宝珠柱高欄付き反り橋」を忠実に再現。 |
| 改修・復元歴 | 2020年3月に地鎮祭、2021年春にお披露目予定→2021年3月に一般公開(再建完了) |
| 現存状況 | 再建橋として現存(通行可) |
| 消滅・損壊 | 廃城令後に撤去されたとみられる(明治期に消滅) |
| 文化財指定 | 橋単体の指定:なし/所在地の郡山城跡:国史跡(指定年月日:2022-11-10) |
| 備考 | 柳澤家入部(1724)以前は「玄関前橋」と称されたとされ、柳澤家の城図に「極楽橋」と記載される 市民や企業から寄せられた多額の寄付と、再建を願う情熱によって、約4億8千万円の巨費を投じて150年ぶりに蘇った |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町2(郡山城跡内)
🚶 アクセス
前のスポット「柳澤文庫(旧柳澤伯爵家郡山別邸)」から徒歩1分(約0.04km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 反り橋のシルエット:宝珠柱の高欄を備えた反り橋形式。堀と空を切り取るカーブが写真映えします。
- 内堀と石垣の“陰影”:橋の上から見下ろす堀、見上げる石垣。郡山城の防御と美が同居する瞬間です。
- 季節限定の楽しみ方:春は「大和郡山お城まつり」の頃に城跡一帯が華やぎ、桜と朱系の高欄がよく映えます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:正保年間の城絵図に描かれる一方、江戸期の城主交代の中で呼称や整備のされ方が変わり、城の“運用史”が見えるスポットです。
- 知る人ぞ知る情報:再建橋は見た目は木橋でも、構造安全性を確保するために鉄骨フレームを木で被覆する“混構造”的な設計が採られています。
- 著名人との関係:豊臣秀長が大改修した郡山城の中枢へ向かう導線上にある橋で、のちに柳澤吉里が「極楽橋」と名付けたと考えられています。
白沢門櫓跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

極楽橋を渡り切ったその瞬間、城の空気がふっと変わるのを感じるはずです。ここは本丸(天守曲輪)へ上がる“最後の関門”。かつては「白沢門(はくたくもん)」が据えられ、その周囲を強固な櫓台が固めていました。

「白沢」とは、徳の高い主の前に現れ、災厄を退けると伝えられる神聖な瑞獣(ずいじゅう)の名です。本丸の入り口にその名を冠した門を置いたことは、ここから先を「穢れなき聖域」として守るという、精神的な防衛の意図も感じさせます。
豊臣秀長が天正13年(1585)に入城して以降、郡山城は畿内統治の拠点として、人の動きを緻密に設計した「導線の城」となりました。近年、この一帯では3Dレーザー計測を用いた精密な石垣整備が行われ、埋もれていた門の礎石や排水のための石組溝(いしぐみみぞ)も確認されました。建物は失われましたが、精悍な表情を取り戻した石垣の角(すみ)を見上げれば、秀長がこの場所に込めた「最後の鉄壁」のリアリティが、静かに、しかし力強く伝わってきます。
パノラマ写真
| 築造年 | 築造年不詳(近世城郭整備期)。平成30年(2018)〜令和元年(2019)にかけて調査・整備が進む |
|---|---|
| 築造者 | 郡山城主(藩政期の城郭運用の中で整備) |
| 構造・特徴 | 本丸側の出入口(白沢門)に付属する櫓台の石垣(南櫓台・北櫓台)。門周辺の遺構(礎石列・石組溝など)が確認されている |
| 改修・復元歴 | 平成30年〜令和元年にかけて「石垣解体修理および遺構表示整備」を実施。最新技術で石の積み直しが行われた。 |
| 現存状況 | 櫓・門は現存せず。櫓台石垣および周辺遺構が残る |
| 消滅・損壊 | 明治期の廃城に伴い城内建造物の多くが解体・売却され、門・櫓も失われた |
| 文化財指定 | 国指定史跡「郡山城跡」(指定年月日:2022年11月10日) |
| 備考 | 極楽橋〜白沢門周辺は、城の“正規登城路”を体感できる中枢動線。現地では石垣や遺構の見方が楽しくなる |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町(郡山城跡・本丸側)
🚶 アクセス
前のスポット「極楽橋」から徒歩2分(約0.16km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 「門前の空気」が変わる地点:極楽橋を渡り切った直後に、本丸へ入る“最後の絞り”を感じられる場所。石垣の向きと段差が、防御の設計図そのものです。
- 南櫓台・北櫓台の石垣:整備で輪郭が読み取りやすくなった石垣は、写真よりも現地のほうが迫力が出ます。角の積み方や石の表情を観察すると面白い。
- 季節限定の楽しみ方:春は城跡の桜シーズンに人の流れが増え、まさに“登城路”の実感が高まります。石垣の陰影が柔らかくなる夕方もおすすめ。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:白沢門周辺は近年の調査で、門まわりの遺構(礎石列・石組溝など)が確認され、往時の構えを“推理”できる場所になりました。
- 知る人ぞ知る情報:石垣整備は当初予定より修復範囲が広がり、行政機関と協議して工期が延長されています。「残すための工事」がどれほど繊細か、現地の石垣を見ると納得します。
- 著名人との関係:秀長が整えた“中枢へ近づく導線”の先端にあるのが、この白沢門櫓跡。派手な建物ではなく、城の統治機能を支えた「入口の設計」を体で理解できる、通好みのスポットです。
柳澤神社
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆☆
体験的価値:☆☆

白沢門の“最後の絞り”を越えると、視界がふっと開け、本丸の静謐な空気に包まれます。ここに鎮座するのが柳澤神社です。戦国の城の中枢に、近代の「顕彰(けんしょう)」という時間がそっと重なる、歴史の重層性を象徴する場所です。


豊臣秀長が「政治の舞台装置」として磨き上げた本丸。その御殿跡に、明治15年(1882)、旧郡山藩士らによって柳澤吉保公(柳澤家初代)を祀る神社が遷座されました。五代将軍徳川綱吉の側用人として知られる吉保公は、学問や和歌を重んじた教養人でもあり、その精神は今もこの地に息づいています。

石灯籠が並ぶ参道を進むと、城の防衛施設とはまた異なる、端正で格式高い気配が立ち上がります。城主が移り変わり、役割が「攻防の地」から「祈りの地」へと変わっても、ここが郡山の中心であり続けたことを、境内に流れる穏やかな時間が教えてくれます。

| 築造年 | 明治13年(1880)創立/明治15年(1882)6月に本丸へ遷座 |
|---|---|
| 築造者 | 旧藩士等(郡山旧藩関係者) |
| 構造・特徴 | 郡山城跡の本丸に鎮座。社殿と参道、石灯籠がつくる落ち着いた境内で、本丸の開けた空気を味わえる |
| 改修・復元歴 | 明治15年(1882)6月に現地へ遷座(移転) |
| 現存状況 | 現存(境内参拝自由) |
| 消滅・損壊 | 大きな消滅情報なし(維持管理され参拝可能) |
| 文化財指定 | 神社単体の指定:記載なし/所在地の郡山城跡:国指定史跡(2022年11月10日指定) |
| 備考 | 境内は季節で開放時間の目安が案内される(夏期19:00まで/冬期18:00まで、祭礼・お城まつり期間は延長案内あり) |
🗺 住所:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2-18(郡山城跡・本丸)
🚶 アクセス
前のスポット「白沢門櫓跡」から徒歩1分(約0.06km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 「本丸に鎮座する」体験:城の中心に“祈りの場”があることで、遺構の見え方が変わります。白沢門〜本丸の流れで訪れると、城の中枢に到達した実感が増します。
- 吉保を祀る顕彰の空気:祭神は柳澤吉保。城主交代の歴史(秀長→譜代→柳澤)を、ここで“人物”として結び直せるのが魅力です。
- 季節限定の楽しみ方:春の「大和郡山お城まつり」では、柳澤神社拝殿前で金魚品評会が行われる案内があります。桜と城跡散策に“郡山らしさ(=金魚)”が加わる季節です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:柳澤神社は明治13年(1880)に旧藩士らが創立した、いわば“近代の顕彰神社”。戦国の城の中心に、明治の記憶が祀られているのがユニークです。
- 知る人ぞ知る情報:創建当初は二の丸に社殿が建てられ、明治15年(1882)に本丸へ遷座したと伝わります。いまの立地は「最初から本丸」ではない、という点が面白いところ。
- 著名人との関係:豊臣秀長が整えた“統治の本丸”に、のちの郡山藩主家を象徴する神社が鎮座する——城の主役が移り変わっても、本丸が都市の記憶の中心であり続けたことを体感できます。
天守台(郡山城天守台展望施設)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆☆☆
体験的価値:☆☆☆
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柳澤神社の境内を背に、天守台の石垣へ歩み寄ると、郡山城が“城下を抱く城”であることが一気に腹落ちします。ここは、天正13年(1585)に入城した豊臣秀長が大和の拠点として築城を加速させた、その「中心の中枢」です。
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かつては崩落の危険から立入禁止が続いていましたが、2013年から4年にわたる修復工事を経て、現在は展望施設として一般公開されています。石垣の頂へ登れば視界は一気に開け、平城京大極殿、薬師寺の塔、そして若草山までをも一望できます。この圧倒的な“抜け”の良さこそ、城主が領民に向けて放った権威の演出そのものです。
整備に伴う発掘調査では、天守の礎石(土台の石)や金箔瓦が見つかり、豊臣政権期に1階部分が約13メートル×15メートル規模の壮麗な天守が実在したことが裏付けられました。風が吹き抜ける石垣の上で、足元に眠る礎石の記憶をたどるとき、秀長が大和100万石の統治に込めた「政治の重み」が、確かなリアリティを持って旅人の心に流れ込んできます。
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パノラマ写真
| 築造年 | 天正13年(1585)以降の豊臣政権期(秀長・秀保期)に天守台・天守が整備されたと考えられる |
|---|---|
| 築造者 | 豊臣秀長(のち豊臣秀保が継承) |
| 構造・特徴 | 本丸北端に位置する石垣造の天守台。整備後は展望デッキを備え、天守礎石の一部見学や城下・奈良盆地の眺望を楽しめる |
| 改修・復元歴 | 2013年度〜2016年度に石垣修復・展望施設整備(4か年)。2017年3月完成、2017年3月26日一般公開開始 |
| 現存状況 | 天守台石垣は現存。天守は現存せず、天守台は展望施設として公開 |
| 消滅・損壊 | 築城から400年以上を経て石垣の変位・変形・破損が進み、崩落の危険で一時立入禁止となった(修復整備により解消) |
| 文化財指定 | 所在地の郡山城跡:国指定史跡(指定年月日:2022年11月10日) |
| 備考 | 天守台の標高は約81mとされ、見晴らしの良さが特徴 |
🗺 住所:奈良県大和郡山市城内町(郡山城跡・天守台)
🚶 アクセス
前のスポット「柳澤神社」から徒歩1分(約0.07km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約15分
じっくり観光するなら:約45分
📍 見どころ
- 石垣の“量感”と天守台の輪郭:近くで見上げると、城の中心を支える石の圧がそのまま伝わります。積み方の角(稜線)を追うと写真も締まります。
- 展望デッキの眺望:城下のまちなみの先に、平城京大極殿・薬師寺・若草山まで見渡せると案内されています。夕方の光は石垣の陰影がいちばん美しい時間。
- 季節限定の楽しみ方:春の桜、秋の紅葉、早春の梅など、郡山城を彩る季節の景観と合わせて楽しめるとされています。花の季節は“城の高み”の特等席になります。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:整備に先立つ調査で天守礎石列や金箔瓦が見つかり、豊臣政権期の天守の存在が確認されました。天守台は“推定”ではなく、発掘成果で語れる場所です。
- 知る人ぞ知る情報:天守台整備の完成記念事業では、石を運ぶ古式の道具「修羅」に関連する催し・展示の話題も発信されています。石垣づくりの労力を、現代の体験へ橋渡しする試みです。
- 著名人との関係:豊臣秀長が入城して“大和100万石にふさわしい城造り”が進んだとされる郡山城。その中心に据えられた天守台は、秀長の統治の視線が最も高く、最も遠くまで届いた場所だと感じられます。
郡山城情報館
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆☆☆


天守台の高みで奈良盆地を見渡したあと、石段を下りて呼吸を整える――その“余韻の着地点”として、これ以上ふさわしい場所はありません。郡山城情報館は、江戸時代に「緑曲輪(みどりくるわ)」と呼ばれ、藩の蔵が並んでいたエリアに2023年11月に誕生した、城歩きのための最新の羅針盤です。

ここは、いま見てきた遺構を「豊臣秀長の城」として読み解き直すための入り口です。郡山城は秀長の時代に、城下町を丸ごと堀で囲う「惣構(そうがまえ)」を備えた巨大要塞へと進化しました。館内の精巧な復元模型を眺めると、目の前の堀や土塁が、秀長が大和統治のために描いた壮大な「面」の一部であったことが一気に腑に落ちます。
清潔な休憩スペースやバリアフリートイレも完備されており、歴史の深みに触れながら一息つける場所。ここで全体像を掴むことで、郡山城は「ただの史跡」から「秀長の設計思想が詰まった生きた空間」へと、あなたの目の中で姿を変えるはずです。
パノラマ写真
| 築造年 | 2023年11月(開館) |
|---|---|
| 築造者 | 大和郡山市(史跡郡山城跡内の案内・休憩施設として整備) |
| 構造・特徴 | 城の理解を深める展示室(説明パネル・模型など)を備え、休憩・案内拠点として機能。バリアフリートイレ完備 |
| 改修・復元歴 | 2023年11月に開館(新設) |
| 現存状況 | 現存(入館無料) |
| 消滅・損壊 | 特記なし |
| 文化財指定 | 施設単体の指定:記載なし/所在地の郡山城跡:国指定史跡(2022年11月10日指定) |
| 備考 | ペット入室禁止/4~9月は7:00~19:00、10~3月は7:00~17:00(お城まつり期間は21:00まで開館案内あり) |
🗺 住所:〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2(史跡郡山城跡内)
🚶 アクセス
前のスポット「天守台」から徒歩6分(約0.40km)
⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分
📍 見どころ
- 模型・パネルで「縄張り」を先に理解:曲輪や堀の関係を頭に入れてから歩くと、秀長が“城下ごと抱えた城”にした意味が腑に落ちます。
- 城歩きの拠点になる快適さ:休憩所として整備され、バリアフリートイレも完備。遺構巡りの合間に立ち寄るだけで、行程に余裕が生まれます。
- 季節限定の楽しみ方:朝市イベント「郡山・市の日」は郡山城情報館一帯で開催と案内されています。城跡で“朝のにぎわい”を味わえる日です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:郡山城情報館は、郡山城跡公園の情報発信の場・休憩所として2023年11月に開館した新しい施設です。
- 知る人ぞ知る情報:「金魚印(無料)」と「御金魚帖(有料)」の案内があり、城下町歩き(“金魚のまち”)とセットで楽しむ導線が作られています。
- 著名人との関係:城郭が秀長の時代にほぼ完成したとされる郡山城。情報館で全体像をつかむことで、天守台や門跡の“配置の意図”が、秀長の統治設計として読めるようになります。




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