名古屋・大高エリアは、桶狭間の戦い(1560年)の”前哨戦”を現地で追体験できる、全国でも希少な史跡群です。大高城跡・丸根砦跡・鷲津砦跡は互いに数百メートルの距離に点在し、いずれも国指定史跡。2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも「桶狭間」が描かれており、放送を機に訪れる方が増えています。
このガイドは、実際に現地を歩いた体験をもとに作成しています。大高駅を起点に3つの史跡をめぐる全行程は約120分。地形の高低差をたどるうちに、信長・家康・義元が交差した戦局が”地図ではなく足で”理解できます。
尾張・大高は、ただの「城跡めぐり」では終わりません。織田信長が今川方の大高城を封じるために鷲津砦・丸根砦を築き、若き松平元康(のちの徳川家康)が今川方として動いた——“信長と家康が敵として交差した最前線”がここです。数百メートル単位の距離に、両者の決断が折り重なるのが大高の面白さです。
この緊張の糸が一気にほどけ、歴史を大きく動かしたのが「桶狭間の戦い」。今川義元の大軍に対し、信長が奇襲で勝利したことで、天下の潮目が変わったとされます。鷲津砦・丸根砦・大高城跡は、その”桶狭間の前哨戦”を現地でたどれる貴重な舞台。実際に歩くと、地図上の作戦線が「体感できる距離」として立ち上がってきます。
そして2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、物語の重要局面として「桶狭間」が描かれています。ドラマで見た”決戦前夜”から”桶狭間”へ——その空気を、史跡の地形と距離感で追体験できるのが大高エリア。放送とあわせて歩くと、合戦が「ニュース」ではなく「現場」へ変わります。

🧾 御朱印(御城印)について
御朱印感覚で集められる大高城・鷲津砦・丸根砦の御城印は、大高観光案内所で購入可能です(営業時間:土・日 10:00〜16:00)。大高城跡からは徒歩約7分(約550m)。
URL:https://www.nagoya-info.jp/useful/guide_detail/33/



スポット紹介と巡るルート
【スタート】大高駅 → 大高城跡 → 大高観光案内所 → 鷲津砦跡 → 丸根砦跡 → 【ゴール】大高駅
大高城跡(大高城跡公園)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆

桶狭間の戦いへと雪崩れ込む直前、まだ「松平元康」と名乗っていた若き徳川家康が、織田方の圧力が高まる戦場の気配を縫って”兵糧入れ”を成し遂げた——その記憶を地形ごと刻み込んだ場所が、名古屋・大高の丘に残る大高城跡です。城は室町期に花井備中守の居城として始まり、のち水野氏を経て今川義元の属城となり、鵜殿長照が守備して織田信長に備えたと伝わります。義元の敗死後に廃絶へ向かったものの、本丸・二之丸を核にした曲輪の輪郭や壕(堀)跡が”城の骨格”として今も読み取れるのが魅力です。
近年は名古屋市教育委員会による地中レーダー探査や発掘調査で、江戸初期の絵図と整合する位置に堀跡が確認され、幅15m以上・深さ最大4m以上と推測されるスケール感まで浮かび上がりました。歴史の大転換点を駆けた家康の息づかいを、土橋や堀の痕跡をたどりながら”足で追体験”できる、戦国のリアルが詰まった史跡です。





城山八幡社は、大高城主・花井備中守が鎌倉の鶴岡八幡宮から分霊して創建したと伝えられています(1500年代初頭頃)。江戸時代には武士のみが参拝できた社で、現在も地域の町内会が維持管理し、毎年9月と年越しには祭事が行われています。境内には寛文10年(1670年)に志水忠時が寄進した石灯籠一対と、天保8年(1837年)に山口源兵衛が寄進した手水鉢が残っています。
| 築造年 | 室町時代(永正年間[1504〜1521]頃とされる) |
|---|---|
| 築造者 | 花井備中守 |
| 構造・特徴 | 本丸・二之丸などの曲輪で構成/壕(堀)跡・土橋などの痕跡が残る |
| 改修・復元歴 | 令和元年度より地中レーダー探査/令和4年1月17日〜3月11日に初の発掘調査(堀跡を確認) |
| 現存状況 | 建物は現存せず(遺構=堀・土橋・曲輪の痕跡は公園内で確認可) |
| 消滅・損壊 | 今川義元敗死後に廃絶へ。土居(堤状の遺構)は破壊が進んだが、壕跡はなお残る |
| 文化財指定 | 国史跡(大高城跡 附 丸根砦跡・鷲津砦跡)/指定年月日:1938年12月14日 |
| 備考 | 本丸跡付近に「史跡 大高城跡」碑が立つ。周辺に丸根砦跡・鷲津砦跡(附指定)も点在 |
🗺 住所:〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町字城山
🚶 アクセス:JR東海道本線「大高駅」から徒歩11分(約800m)
⏳ 見学の目安:短時間:約20分 / じっくり:約1時間
📍 見どころ
- 堀・土橋の痕跡:公園内に残る”線”を追うと、城の防御ラインが立体的に見えてきます(近年の調査で堀跡も確認)。
- 本丸・二之丸の曲輪地形:わずかな高低差が、戦国の「守りやすさ」を体感させるポイント。家康の兵糧入れの緊張感も想像しやすい地形です。
- 季節限定の楽しみ方:春は桜、秋は紅葉など、木々の色づきで”城山の輪郭”がいっそう映えます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:大高城は桶狭間の戦いと深く結びつき、松平元康(徳川家康)の初陣「兵糧入れ」の遺跡として名が広まりました。
- 知る人ぞ知る情報:令和元年度からレーダー探査、令和4年には初の発掘調査が実施され、堀跡の位置関係が具体的に裏づけられました。
- 著名人との関係:今川の属城となった大高城に対し、織田信長は周辺に丸根砦・鷲津砦を築いて圧力を強め、戦局は一気に桶狭間へ——家康・信長・義元が交差する”前夜”の舞台です。
鷲津砦跡(鷲津砦公園)
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆

大高城を今川方に押さえられた織田信長が、城への往来を断ち、戦局の主導権を奪い返すために打った”一手”——その戦略の痕跡が、鷲津砦跡です。永禄2年(1559年)、信長は大高城の北東側にあたる丘陵上へ、丸根砦とともに砦を築き、城を包むように睨みを利かせました。標高約35mの小高い尾根に、東西約40m・南北約69mという”砦サイズ”の舞台が用意され、桶狭間へ向かう前夜の緊張が、森の起伏そのものに染みついています。
桶狭間の戦いの際には、飯尾定宗・信宗父子や織田信平らが籠もって防戦したものの、今川勢の朝比奈泰朝らに攻め立てられ、大半が討死したと伝えられます。いまは公園として整備され、碑石の前に立つと、信長が描いた「大高城—丸根砦—鷲津砦」の三角形の包囲線が、地図ではなく”実際の距離感”として迫ってきます。




現地の説明板によれば、鷲津砦は大高城の北東約700mの丘陵上に、永禄2年(1559年)に織田方によって築かれました。大高城を頂点とし、丸根砦とともに二等辺三角形の底辺の両端に位置する戦略的配置で、大高と鳴海を結ぶ交通路を押さえる要衝でもありました。永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いの緒戦には飯尾定宗らが立てこもり、今川の重臣朝比奈泰能の軍勢に攻め立てられ全滅したといわれています。
| 築造年 | 永禄2年(1559年) |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長 |
| 構造・特徴 | 丘陵上の砦/標高約35m、東西約40m・南北約69mの規模 |
| 改修・復元歴 | 史跡として保存され、公園として整備(碑石が建つ) |
| 現存状況 | 建物は現存せず(鷲津砦公園として保存、碑石あり) |
| 消滅・損壊 | 永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの前哨戦で攻め落とされたのち廃絶 |
| 文化財指定 | 国史跡(大高城跡 附 丸根砦跡・鷲津砦跡)/指定年月日:1938年12月14日 |
| 備考 | 「緑区史跡散策路・大高城下コース」(約5.7km)の主要ポイントの一つ |
🗺 住所:〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町鷲津65
🚶 アクセス:JR東海道本線「大高駅」から徒歩3分(約260m)
⏳ 見学の目安:短時間:約20分 / じっくり:約35分
📍 見どころ
- 鷲津砦址碑と公園の入口:碑の前で”ここが前線だった”ことを実感。周囲の起伏が、そのまま防御線の設計図です。
- 丘陵の高低差(標高約35m):わずかな高さが、監視・防衛・連絡の要。信長が地形を”兵器”として使った感覚が伝わります。
- 季節限定の楽しみ方:新緑の季節は木漏れ日が美しく、秋は落ち葉が道をやわらかく染めて”砦の森”らしい空気感に包まれます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:鷲津砦は、大高城を頂点に丸根砦と結ぶ”三角形”の位置取りで築かれたとされ、包囲線の一角を担いました。
- 知る人ぞ知る情報:「大高駅北200m」ほどの近さにあり、駅前の街並みから急に”戦国の裏山”へ切り替わるギャップが面白いポイントです。
- 著名人との関係:築いたのは織田信長、桶狭間前哨戦で飯尾定宗らが奮戦し大半が討死したと伝わります。
丸根砦跡
⭐おすすめ度
歴史的価値:☆☆☆
視覚的魅力:☆
体験的価値:☆

住宅地の奥に、小さな森が”島”のように残されています。そこが、織田信長が永禄2年(1559年)に築いた付城(つけじろ)——丸根砦跡です。今川方の大高城を外へ出さないため、信長は鷲津砦など複数の砦を輪のように配置し、補給線を締め上げました。丸根砦は鳴海方面から伸びる丘陵の先端に置かれ、東西約36m×南北約28mという小さな規模ながら、外堀を巡らせて街道と周辺の起伏を見下ろす”目”となりました。
桶狭間合戦当日の早朝、この砦を守った佐久間盛重は、松平元康(のちの徳川家康)らの猛攻を受けて激戦の末に討たれます。静かな木立の中に立つ碑石と慰霊碑は、信長の戦略が、わずか数百メートルの高低差と土の城郭に託されていたことを、そっと語りかけてきます。


| 築造年 | 永禄2年(1559年) |
|---|---|
| 築造者 | 織田信長 |
| 構造・特徴 | 丘陵先端の小規模な付城(平山城)。砦域は東西約36m×南北約28m、周囲に外堀(幅約3.6m)を巡らせたとされる |
| 改修・復元歴 | 史跡として整備され、碑石・殉難烈士之碑・説明板が設置 |
| 現存状況 | 建物は現存せず。碑石・慰霊碑が残り、地形として曲輪・堀の名残を感じられる箇所がある |
| 消滅・損壊 | 永禄3年(1560年)桶狭間合戦の前哨戦で落城後に廃絶。周辺の宅地化で遺構の判別が難しい部分もある |
| 文化財指定 | 国指定史跡(「大高城跡 附 丸根砦跡 鷲津砦跡」/昭和13年〔1938年〕12月14日指定) |
| 備考 | 守将・佐久間盛重が討死。攻撃側は松平元康(徳川家康)らと伝わる |
🗺 住所:〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町丸根(丸根砦跡)
🚶 アクセス:前のスポット「鷲津砦跡(鷲津砦公園)」から徒歩13分(約900m)
⏳ 見学の目安:短時間:約5分 / じっくり:約20分
📍 見どころ
- 丸根砦址碑・殉難烈士之碑:木立の中に静かに立つ石碑群。合戦の”その場所”に立つ体験が、桶狭間の空気を一気に近づけます。
- 丘陵先端の地形:砦は小さくても、先端の高まりから周辺の起伏が読めるのがポイント。信長が”土の城”に託した見張りと封鎖の意図を想像できます。
- 季節限定の楽しみ方:初夏の新緑は木陰が気持ちよく、秋は落葉の絨毯に。短い登りでも季節の移ろいを楽しめます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:鷲津砦から”わずか数百メートル”の距離に別砦を置いたのは、谷地形で互いを独立させつつ、大高城を囲む包囲網を厚くするためでした。
- 知る人ぞ知る情報:周囲は住宅地なのに、砦跡部分だけが小さな森として残る”戦国の飛び地”。地図を見ずに歩くと通り過ぎやすい隠れスポット感があります。
- 著名人との関係:築いたのは織田信長、守ったのは佐久間盛重、攻めたのは若き松平元康(のちの徳川家康)。三者の名前が同じ地点で交差する、桶狭間の核心のひとつです。





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