岐阜駅周辺の信長ゆかりスポットまとめ|アクセス・見どころ・御朱印

黄金の信長像
岐阜駅前の黄金の信長像

岐阜駅から行ける「信長ゆかりスポット」を、徒歩・バスの目安つきでまとめました。
結論:初見は「駅前の黄金像 →(バス)岐阜公園・岐阜城」+時間があれば「円徳寺(楽市楽座の制札)」が鉄板。
御朱印の有無・拝観の可否は、現地掲示/公式案内で確認できた範囲だけ記載しています。

岐阜駅に着いた瞬間から、信長の気配はもう始まっています。駅前の黄金像で“岐阜=信長の町”を掴んだら、あとは気分と体力に合わせて、街なかの寺社や岐阜公園(岐阜城)へ。ここでは「名所を網羅して走る」よりも、気になるテーマをつまみ食いするくらいがちょうどいい——そんな前提で、信長ゆかりのスポットをまとめました。

このページは、モデルコースを押しつけません。かわりに、岐阜駅からどう近づくか(徒歩・バスの考え方/迷いやすい所)に加えて、“岐阜公園方面は駅前バス→公園口から散策”のように、移動の組み立てが分かるようにしています。現地で実際に目にできるもの(制札、廟、像、城跡など)を軸に、「ここは何を見に行く場所か」が一瞬で分かるように整理しています。御朱印や拝観の可否・時間など、行く前に気になる点は確認できた範囲だけ触れ、曖昧なものは無理に断定しません。

※拝観時間や授与所の対応、行事の実施は変更されることがあります。出発前は最新の案内もあわせて確認しておくと安心です。

  1. 徒歩・バスの組み立て(ミニガイド)
    1. 1)結論:徒歩ゾーン/バスゾーンを分けるだけで失敗しにくい
      1. 徒歩で回しやすい(駅前〜中心部)
      2. バス併用が現実的(岐阜公園/長良方面)
      3. 別枠:電車+徒歩で切り分けやすい(各務原)
    2. 2)現地で迷わない「組み立てテンプレ」
      1. テンプレA:初見の鉄板(半日〜)
      2. テンプレB:雨・強風の日(短距離で満足度を作る)
      3. テンプレC:体力ある日(+長良方面を足す)
      4. テンプレD:手力雄神社(各務原)を入れる日
    3. 3)現地で効く“小ワザ”だけ
      1. 移動が散るのを防ぐ
      2. 岐阜城は「山頂」だけが正解じゃない
  2. スポット紹介
    1. 黄金の織田信長公像
    2. 円徳寺
    3. 建勲神社(岐阜信長神社)
      1. 御朱印
    4. 岐阜善光寺(善光寺安乗院)
      1. 御朱印
    5. 岐阜公園(岐阜城)
      1. 御城印
    6. 「若き日の織田信長」北村西望
    7. 崇福寺
      1. 御朱印
    8. 伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)
    9. 手力雄神社
      1. 御朱印、御朱印帳紹介
  3. よくある質問(FAQ)
    1. Q1. 岐阜駅から岐阜城(岐阜公園)まではどれくらいかかりますか?
    2. Q2. 徒歩だけで信長ゆかりスポットを回れますか?バスは必要ですか?
    3. Q3. 半日しかない場合、どこを優先するのがおすすめですか?
    4. Q4. 御朱印がある(可能性が高い)のはどこですか?
    5. Q5. 雨の日でも楽しめますか?おすすめの回り方は?
    6. Q6. 岐阜城の天守は当時のものですか?
    7. Q7. 行事(節分・胡瓜封じ・追悼式など)はいつ行けば体験できますか?
    8. Q8. 手力雄神社は「手力の火祭」と同じ場所ですか?
  4. 御朱印(御城印)窓口まとめ
  5. 関連セクション

徒歩・バスの組み立て(ミニガイド)

岐阜駅周辺の「信長ゆかりスポット」は、駅前(徒歩)→岐阜公園方面(バス)の順に組むと、迷いにくく効率も良いです。ここではモデルコースを押しつけず、現地で組み替えやすい“移動の考え方”だけをまとめます。

バスで迷いやすいポイント:岐阜公園方面は便によって停留所名が違うことがあるので、乗るときに行先表示で「岐阜公園方面」を確認すると安心です。崇福寺など長良方面は、同じく行先表示に「長良」が入る便を目印にすると迷いにくいです。

所要時間の目安:
半日:黄金像 → 岐阜公園(余力で円徳寺)
1日:+善光寺/建勲神社/崇福寺をテーマで追加

1)結論:徒歩ゾーン/バスゾーンを分けるだけで失敗しにくい

基本は「徒歩で中心部 → バスで岐阜公園(+余力で長良方面)」。これだけで移動が散らばらず、旅の満足度が上がります。

徒歩で回しやすい(駅前〜中心部)

  • 黄金の織田信長公像(岐阜駅前)
  • 円徳寺(中心部)
  • 橿森神社・建勲神社(岐阜信長神社の授与所)

バス併用が現実的(岐阜公園/長良方面)

  • 岐阜公園(岐阜城・金華山)
  • 崇福寺(長良方面)

別枠:電車+徒歩で切り分けやすい(各務原)

  • 手力雄神社(各務原)

2)現地で迷わない「組み立てテンプレ」

時間が読めない旅でも、この順にすると崩れにくいです。

テンプレA:初見の鉄板(半日〜)

  1. 黄金の織田信長公像(駅前で1枚)
  2. (徒歩で1点)円徳寺 or 橿森神社
  3. (バス)岐阜公園(山麓→余力でロープウェー)

テンプレB:雨・強風の日(短距離で満足度を作る)

  • 駅前(黄金像)→中心部(円徳寺/橿森神社)で完結
  • 岐阜城は「景色の日」に回すと満足度が上がる(霧狙いはアリ)

テンプレC:体力ある日(+長良方面を足す)

  • 岐阜公園のあと、余力があれば崇福寺(長良方面)
  • 徒歩で無理につなげず、バス前提で“目的地”として行くのが快適

テンプレD:手力雄神社(各務原)を入れる日

  • 岐阜駅周辺の街歩きとは導線が分かれるので、別日に切り分けてもOK
  • 名鉄+徒歩のほうが時間が読みやすい

3)現地で効く“小ワザ”だけ

移動が散るのを防ぐ

  • 徒歩ゾーン(駅前〜中心部)とバスゾーン(岐阜公園/長良)を混ぜすぎない
  • 「1ブロック(エリア)=最大2〜3スポット」くらいが体験密度が上がる

岐阜城は「山頂」だけが正解じゃない

  • 天候や混雑で登れない日は、山麓散策(居館跡・地形)を主役にすると満足度が落ちにくい

スポット紹介

黄金の織田信長公像

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆

JR岐阜駅北口の黄金の織田信長公像

岐阜の旅のはじまりに、まず“金色の覇気”を浴びてください。JR岐阜駅前に立つ「黄金の織田信長公像」は、岐阜が信長にとって“天下布武”へ踏み出した重要な拠点であることを、現代の街角で一瞬にして思い出させてくれます。甲冑の稜線が光をはじき、見る角度で表情が変わるのがこの像の面白さ。マントを羽織り、右手に火縄銃、左手に西洋兜を持つ姿が、駅前で強烈に目に入ります。史跡そのものではないけれど、岐阜へ入った信長が見せた“新しい城下の空気”――楽市・楽座のような改革の気配を、駅前という最も人が交わる場所に重ねた演出だと感じられます。

築造年2009年9月
築造者「信長公の銅像を贈る会」により設置(市制120周年記念)/像高:信長像約3m、台座含め約11m
構造・特徴金色仕上げの信長立像(駅前広場のランドマーク)
改修・復元歴不明
現存状況現存
消滅・損壊不明
文化財指定なし
備考JR岐阜駅北口側に設置

🗺 住所:岐阜県岐阜市橋本町1丁目100
🚶 アクセス
最寄り駅:JR岐阜駅から徒歩1分(約0.1km)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3分
じっくり観光するなら:約10分

📍 見どころ

  • 駅前で“信長の目線”に立つ:行き交う人波の中心で、岐阜を“新しい都”として見渡す感覚が味わえます。
  • 写真映えする金色の陰影:晴天・夕景・夜の照明で印象が激変。旅の1枚が確実に強くなります。
  • 季節限定の楽しみ方:冬の澄んだ空気の日は金色が冴え、写真のコントラストが最も美しく出ます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:信長が岐阜へ入った“城下づくりの熱”を、現代の玄関口(駅前)に置き換えた象徴的モニュメントです。
  • 知る人ぞ知る情報:像を少し見上げる位置に立つと、甲冑の立体感が強調され、写真の迫力が増します。
  • 著名人との関係:織田信長を題材にした岐阜の“表玄関”の定番撮影スポットとして定着しています。

円徳寺

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

円徳寺外観イメージ

岐阜で信長の足跡を追うなら、派手な城や像だけでは見えてこない“城下の仕組み”に触れたくなります。岐阜市中心部、駅から歩ける距離にある円徳寺は、まさにその扉。信長が岐阜へ入り城下町復興のために発給した「楽市場・定」(永禄10年・11年など)の制札が伝わり、のちに国の重要文化財として評価されています。戦うだけでは天下は取れない——人を呼び、商いを動かし、街を蘇らせる。信長の“統治者としての顔”が、境内の静けさの奥に透けて見えるのです。

さらにこの寺は、信長の父・織田信秀が美濃へ攻め入って大敗した天文16年(1547)の戦死者を弔うために築かれた「織田塚」を伝え、戦国の勝敗の陰にある無数の命も語り継ぎます。関ヶ原前哨戦の「岐阜城の戦い」で敗れた孫・織田秀信の逸話(剃髪にまつわる塚)まで重なり、織田家三代の“栄光と後退”が、街なかの一寺に折り畳まれている——それが円徳寺の深み。短い滞在でも、岐阜の戦国史が一段立体的になります。

築造年不明(前身は「浄泉坊」とされる)
築造者不明
構造・特徴浄土真宗本願寺派の寺院/「楽市楽座」制札が伝わる/織田塚(戦死者供養)を伝える
改修・復元歴不明
現存状況現存(拝観可)
消滅・損壊不明
文化財指定楽市楽座制札附織田信長百姓帰住制札:国指定重要文化財/梵鐘ほか:岐阜市指定重要文化財
備考拝観時間 9:00~17:00/拝観無料/駐車場なし(周辺の駐車場利用を推奨)

🗺 住所:〒500-8833 岐阜県岐阜市神田町6丁目24
🚶 アクセス
岐阜駅からバスと徒歩で約10分(バスのタイミングに次第)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約45分

📍 見どころ

  • 「楽市楽座」を伝える制札:信長が城下の商いを動かすために掲げたとされる“街づくりの証拠”。戦国史が経済史に切り替わる瞬間です。
  • 信長寄進と伝わる梵鐘:武将の寄進が、寺の時間を何百年も支えてきたことを実感できる寺宝(指定文化財)。
  • 季節限定の楽しみ方:夏の夕方は境内が比較的涼しく、街歩きの小休止に最適。柳ヶ瀬~岐阜駅方面の散策ルートに組み込みやすいです。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:ここに残る制札は、合戦の武功ではなく「城下復興と商業政策」を示す資料として評価され、国の重要文化財に指定されています。
  • 知る人ぞ知る情報:駅近の“街なか寺院”ながら、境内には戦死者供養の「織田塚」を伝え、戦国の生々しい裏面にも触れられます。
  • 著名人との関係:信長・信秀・秀信——織田家三代にまつわる痕跡が重なり、家の盛衰を一地点で辿れるのが円徳寺のユニークさです。

建勲神社(岐阜信長神社)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

橿森神社境内にある岐阜信長神社(建勲神社)の社殿

岐阜の街に“信長の神気”が宿る場所がある――それが橿森神社の境内に鎮座する「建勲神社(通称:岐阜信長神社)」です。京都の建勲神社から分霊されたと伝わり、武将としての信長ではなく、功績を背負った“御祭神としての信長”に静かに向き合えるのが魅力。派手さはないのに、鳥居をくぐると空気が変わる。信長が岐阜で目指した“新しい秩序”は、こうした祈りの場にも確かに残っています。旅の途中で心を整えたいとき、ここはちょうどいい深呼吸の場所になります。

橿森神社境内にある岐阜信長神社(建勲神社)の社殿 正面から

御朱印

私が参拝した日は、通常の御朱印は、橿森神社の授与所で書置きとして拝受できました(状況により直書き/書置きは変わる場合あり)。
金の御朱印は「毎月最終金曜日」に直接、御朱印帳に記載してもらえました。(以下、画像)
実施有無は当日の掲示/公式SNS/社務所案内で確認してください。

建勲神社 (岐阜 信長神社) 金の御朱印
金の御朱印
築造年明治時代(年不明)
築造者不明(京都・建勲神社から分霊)
構造・特徴橿森神社境内の社(信長を主祭神とする)
改修・復元歴不明
現存状況現存
消滅・損壊不明
文化財指定不明
備考通称「岐阜信長神社」

🗺 住所:岐阜県岐阜市若宮町1-8
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバスと徒歩で16分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約25分

📍 見どころ

  • “信長を祀る”という視点:城や合戦ではなく、功績を背負った存在としての信長に向き合えます。
  • 境内の空気の切り替わり:橿森神社の中にありながら、参道の先で気配が静まる感覚が印象的。
  • 季節限定の楽しみ方:夏は木陰が深く、参拝後の涼しさが心地よい時間になります。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:京都の建勲神社から分霊されたとされ、岐阜でも信長信仰が形になっています。
  • 知る人ぞ知る情報:橿森神社は「岐阜三社参り」の一社としても知られ、巡礼的な歩き方ができます。
  • 著名人との関係:祀られているのは“織田信長公”その人。岐阜の信長巡りの精神的な拠点です。

岐阜善光寺(善光寺安乗院)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

岐阜善光寺(善光寺安乗院)

岐阜の城下に、信長の「勝ち筋」を静かに語る寺があります。伊奈波神社のほど近くに佇む岐阜善光寺(善光寺安乗院)は、戦国の権力者たちの思惑に翻弄されながらも、祈りの中心であり続けた“善光寺如来”の記憶を受け止める場所。寺の由緒によれば、武田信玄が信濃善光寺から如来を甲府へ移したのち、信玄没後に織田信長によって岐阜へ迎えられたとされます。さらに本能寺の変後に本尊が移されたのち、信長の嫡孫・織田秀信がこの地に善光寺堂を建立し、如来の御分身を祀った——ここには、戦国の激流のなかでも「信仰だけは絶やさない」という、岐阜の芯の強さが宿ります。

岐阜善光寺(善光寺安乗院)

明治24年(1891)の濃尾大震災で全焼し、大正初年に再建された本堂は、豪壮さで圧倒するというより、城下町の暮らしに溶け込みながら“日常の救い”を受け止める佇まい。堂内には平安時代作とされる釈迦如来坐像(岐阜市指定重要文化財)も伝わり、信長という「動」の物語と、仏たちが守る「静」の時間が、同じ空間で交差します。信長ゆかりの史跡巡りの合間に立ち寄れば、天下布武の鋭さとは別の角度から、岐阜という土地の精神風土が見えてきます。

御朱印

私は参拝後に授与所で御朱印を拝受しました。行事日(節分/胡瓜封じ周辺)は混みやすく、受付時間が変わることもあるので、余裕をもって立ち寄るのがおすすめです。

岐阜善光寺(善光寺安乗院) 御朱印
御朱印
築造年不明(現在の本堂は大正初年に再建)
築造者開基:織田秀信(信長の嫡孫)
構造・特徴真言宗(醍醐派)の寺院/本尊:善光寺如来(御分身)/美濃新四国八十八ヶ所 第1番札所
改修・復元歴1891年(明治24年)濃尾大震災で全焼→大正初年に本堂再建
現存状況現存(参拝可)
消滅・損壊1891年(明治24年)濃尾大震災により全焼
文化財指定釈迦如来坐像:岐阜市指定重要文化財(寺院案内に記載)
備考節分頃の「節分星祭り」、夏(7月頃)に「胡瓜封じ」が行われることがあります。年によって日程・受付方法が変わるため、参拝前に寺の案内(掲示/公式発信/電話)で開催日・受付時間を確認してください。

🗺 住所:〒500-8043 岐阜県岐阜市伊奈波通1-8
🚶 アクセス
最寄り駅:JR岐阜駅からバスと徒歩で約20分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分

📍 見どころ

  • 戦国を渡り歩いた「善光寺如来」の記憶:信長が岐阜へ迎えたとされる由緒が、寺の物語の核。史跡巡りに“信仰史”の視点が加わります。
  • 再建本堂の落ち着いた佇まい:濃尾大震災の全焼を経て大正初年に再建。城下町の時間に寄り添う、生活の中の祈りが感じられます。
  • 季節限定の楽しみ方:節分の「節分星祭り」、夏の「胡瓜封じ」。参拝が“行事体験”に変わる。行事日は混雑や受付時間の変更も起きやすいので、訪問前に最新日程を確認した上で狙うのもおすすめです。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:本尊にまつわる伝承では、武田・織田・豊臣・徳川へと“時代の手”を渡ったのち本所へ帰ったとされ、戦国の勢力図が信仰にも影を落とします。
  • 知る人ぞ知る情報:美濃新四国八十八ヶ所の第1番札所。巡礼のスタート地点として歩くと、岐阜の街の見え方が変わります。
  • 著名人との関係:信長本人の関与が語られるだけでなく、堂を建立したのは信長の嫡孫・織田秀信とされ、織田家の“次の世代”の痕跡としても興味深い存在です。

岐阜公園(岐阜城)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

岐阜城

岐阜で信長を語るなら、最後に必ず戻ってくるのが金華山——そして岐阜公園(岐阜城)です。永禄10年(1567)、信長は稲葉山城を攻略し、城と地名を「岐阜」へと改めたと伝わります。ここから「天下布武」の歩みが加速した、いわば“天下への発射台”。山頂の城だけでなく、山麓の居館跡を含む金華山一帯が国史跡「岐阜城跡」に指定されているのも、この城が「山全体で機能した城」であり、信長が政治と外交の舞台として使いこなしたことを物語ります。

岐阜公園の心地よさは、戦国の緊張感と、現代の休日のやわらかさが同居しているところ。山麓では散策が気持ちよく、少し足を伸ばせば、信長の居館跡や庭園の遺構が“城下のリアル”を伝えてくれます。そしてロープウェーで山頂へ上がれば、天守から長良川と濃尾平野が一望。信長が「この景色で国を動かした」と想像するだけで、歴史が一気に現在形になります。なお現在の天守は復興天守で、明治期の模擬天守(1910年)→焼失(1943年)を経て、1956年に再建されたもの。史実の遺構に、近代以降の“岐阜の象徴づくり”が重なった場所だからこそ、信長の時代と今が一本の道でつながって見えるのです。

御城印

岐阜城の御城印や御城印帳は、ロープウェイ山麓駅1Fで買うことができます。

築造年建仁年間(1201~1204)築城と伝承/信長の岐阜城改名:1567年(永禄10年)/現天守:1956年(昭和31年)再建
築造者伝承:二階堂行政(諸説あり)/戦国期の整備:斎藤氏→織田信長
構造・特徴金華山(標高約329m)山頂の山城+山麓居館を含む城郭システム/現天守は鉄筋コンクリート造の復興天守(3層4階相当の構成)
改修・復元歴1910年(明治43年)模擬天守建設→1943年(昭和18年)焼失→1956年(昭和31年)2代目復興天守再建
現存状況岐阜公園として整備・現存/岐阜城(復興天守)として公開
消滅・損壊模擬天守が1943年に焼失(現天守は1956年再建)/江戸初期以降、天守は失われた期間があった
文化財指定平成23年2月7日(2011年2月7日) 国史跡指定
備考山頂へは「ぎふ金華山ロープウェー」または登山道/岐阜公園内に飲食・物販施設「岐阜城楽市」(令和7年4月26日(2025年4月26日)オープン)

🗺 住所:岐阜県岐阜市大宮町1丁目(岐阜公園)/岐阜城:岐阜県岐阜市天主閣18番地
🚶 アクセス
岐阜駅からバスと徒歩で約20分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約60分(公園散策+ロープウェー往復の目安)
じっくり観光するなら:約3時間(天守・資料館・居館跡周辺まで)

📍 見どころ

  • 岐阜城・復興天守の展望:長良川と濃尾平野を一望する“天下の視界”。信長がここを本拠に選んだ理由が、体感で腑に落ちます。
  • 岐阜公園の山麓散策:城へ向かう前の助走区間。信長の居館跡(発掘整備エリア)周辺も含め、山麓の“政治の舞台”を歩けます。
  • 季節限定の楽しみ方:春は桜、秋は紅葉で金華山が色づき、天守の白壁が際立ちます。夜はライトアップも人気です。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:国史跡「岐阜城跡」は、山頂の城郭だけでなく、山麓の居館跡や自然地形を含めた“山全体”が指定範囲になっています。
  • 知る人ぞ知る情報:今見ている天守は「史跡の遺構」ではなく、1956年に再建された復興天守。史跡(城跡)とシンボル建築(天守)を分けて見ると理解が深まります。
  • 著名人との関係:宣教師ルイス・フロイスが信長を訪ねた記録が残るなど、岐阜城は“世界史の窓”にもなった場所として注目されます。

「若き日の織田信長」北村西望

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆

「若き日の織田信長」外観イメージ

岐阜公園の正門前に立つのは、馬上で弓を引き、今まさに駆け抜けていく“若き信長”の瞬間を切り取ったブロンズ像。作者は、長崎の平和祈念像でも知られる彫刻家・北村西望です。信長が岐阜へ入った永禄10年(1567)から四百年以上を経た昭和63年(1988)、岐阜市制100周年を記念して寄贈され、のちに平成21年(2009)に岐阜公園正門前へ移されました。史跡そのものではありませんが、ここに立つと、金華山の稜線の向こうに岐阜城を仰ぎ、信長がこの地で「天下」へ視線を定めた空気を、写真と体感でつかめます。旅の最初に“信長の速度”を身体に入れる——そんな導入にぴったりの撮影スポットです。

築造年1988年(昭和63年)
築造者作者:北村西望/(岐阜市制100周年記念として岐阜市に寄贈)
構造・特徴ブロンズ像/馬上で弓を引く「若き日の信長」を表現/撮影ポイントとして人気
改修・復元歴2009年(平成21年)に岐阜公園正門前へ移設
現存状況現存
消滅・損壊不明
文化財指定不明(彫像自体の文化財指定は確認できず)
備考同じ作者名・題名で類似の馬上像が各地で紹介されることがあります。ただし設置経緯や同一原型かは資料により差があるため、ここでは「岐阜公園正門前に設置されている像」として案内します。

🗺 住所:〒500-8003 岐阜県岐阜市大宮町1丁目(岐阜公園 正門前)
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバス・徒歩で約17分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約20分

📍 見どころ

  • 躍動する馬上像の造形:弓を引く上体と、疾走する馬体の流れが一体になり、信長の“攻めの速度”が視覚化されています。
  • 岐阜城を背景にした撮影:立ち位置を少し調整すると、金華山と岐阜城を背に「天下へ駆ける」構図が決まります。
  • 季節限定の楽しみ方:春は岐阜公園周辺の桜、秋は紅葉の色が像のシルエットを引き立て、写真映えが増します。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:建立は戦国期ではなく、岐阜市制100周年(1988年)の記念事業として生まれた“現代の信長レガシー”です。
  • 知る人ぞ知る情報:2009年に岐阜公園正門前へ移設され、現在の「岐阜城をバックに撮れる」配置になりました。
  • 著名人との関係:作者の北村西望は、日本を代表する彫刻家として知られ、平和祈念像の作者としても広く認知されています。

崇福寺

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

崇福寺
崇福寺 入口

岐阜に「岐阜」という名が刻まれ、信長が天下へ向けて歩み出した永禄10年(1567)。そのとき信長が美濃で“拠りどころ”に選んだ寺の一つが崇福寺です。やがて本能寺の変で信長と信忠が倒れると、側室・お鍋の方が遺品を寺に送り、父子を弔う廟所が守られてきました。境内の静けさは、戦国の轟きが遠ざかった後に残る「祈りの余韻」そのもの。さらに本堂には、関ヶ原前夜の岐阜城落城にまつわる“血天井”が伝わり、勝者と敗者の境界がいかに脆いかを、言葉より強く語ります。手入れの行き届いた庭と、秋のドウダンツツジの紅葉がやわらげる空気の中で、信長の栄光と断絶を、ひとつの場所で受け止められる稀有なスポットです。

御朱印

崇福寺 御朱印
御朱印
築造年不明(創建:伝・1469年〔文明元年〕など諸説)
築造者伝:土岐成頼・斎藤長弘
構造・特徴臨済宗妙心寺派の寺院/織田信長父子廟、位牌堂、血天井(伝承)
改修・復元歴不明(中興:伝・1511年〔永正8年〕など諸説)
現存状況現存(拝観可)
消滅・損壊不明
文化財指定織田信長父子廟:岐阜市指定史跡
備考「ぎふ信長まつり」前後に追悼行事が案内されることがあります。実施日・参列可否は年によって異なるため、当日の掲示や案内で確認してください。

🗺 住所:〒502-0817 岐阜県岐阜市長良福光2403-1
🚶 アクセス
「岐阜駅」からバス・徒歩で約27分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約40分

📍 見どころ

  • 織田信長父子廟:華やかな武名の裏側にある“弔い”の場所。静かな一角で手を合わせると、岐阜の時間が深く沈みます。
  • 血天井(本堂):岐阜城落城の記憶を伝えるとされる天井。由来を知って見上げると、寺の空気が一段と引き締まります。
  • 季節限定の楽しみ方:秋はドウダンツツジの紅葉が庭に彩りを添え、重厚な歴史散策をやさしく包みます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:信長の時代だけでなく、関ヶ原前後の“岐阜城の記憶”も境内に折り重なっています。
  • 知る人ぞ知る情報:信長まつりの時期に追悼式が営まれ、寺が“追慕の舞台”としても息づきます。行事は年ごとに実施形態が変わるため、訪問前に寺の案内で確認してください。
  • 著名人との関係:信長の側室・お鍋の方が遺品を送り弔わせたと伝わり、父子廟の成立に関わったとされます。

伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)外観イメージ

岐阜の信長史跡を巡っていると、ふいに“物語の余白”へ踏み込む瞬間があります。路地が入り組む住宅街の一角、西野不動尊前。そこに立つ石碑が、伝 お濃之墓(濃姫遺髪塚)です。濃姫(帰蝶)は斎藤道三の娘で、織田信長の正室として語られる存在ですが、婚姻後の確かな史料は少なく、その生涯は霧の中にあります。だからこそ、この場所に伝わる「本能寺の変で信長と共に亡くなり、逃れた家臣が遺髪を持ち帰って埋葬した」という伝承は、史実の断片というより、岐阜の人々が“信長の時代”を心に留めるために紡いだ祈りの形として響きます。

岐阜市の案内によれば、遺髪塚は1945年(昭和20年)の岐阜空襲で焼失し、のちに有志の尽力で1976年(昭和51年)に再建されたとされます。戦国の大火ではなく、近代の戦火によって失われ、再び戻ってきた慰霊のしるし——その事実が、ここを“伝承スポット”以上の場所へ引き上げます。大きな石碑の前に供えられる花は、歴史上の人物というより、街の記憶に寄り添う人への手向け。信長の岐阜が「天下布武」の出発点なら、ここはその陰にある静かな喪失と再生の地点です。

築造年不明(石碑の年代は不明/遺髪塚は1945年焼失後、1976年に再建とされる)
築造者不明(再建:有志の尽力によるとされる)
構造・特徴遺髪塚(石碑)/「お濃之墓」として伝承される/西野不動尊前の路地に所在
改修・復元歴1945年(昭和20年)岐阜空襲で焼失→1976年(昭和51年)に再建(伝承・案内による)
現存状況現存
消滅・損壊1945年(昭和20年)岐阜空襲で焼失(その後再建)
文化財指定不明(岐阜市の案内では「史跡ではない」と明記)
備考濃姫(帰蝶)に関する伝承地。史料が少ない人物のため、内容は「伝」として受け止めたい

🗺 住所:〒500-8802 岐阜県岐阜市不動町 西野不動尊前
🚶 アクセス
岐阜駅からバス・徒歩で約24分

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10分

📍 見どころ

  • 巨木と石碑の対比:路地の中で突然現れる大木と石碑。城や寺とは違う“生活の中の歴史”が迫ってきます。
  • 「伝承」と向き合う体験:濃姫は史料が少ない人物。ここでは史実の断定より、土地が残した記憶の温度を味わうのが醍醐味です。
  • 季節限定の楽しみ方:夏は木陰が濃く、静かな路地歩きが心地よい。花の供えが増える時期もあり、地元の祈りが感じられます。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:戦国の火災ではなく、1945年(昭和20年)の岐阜空襲で焼失し、1976年(昭和51年)に再建されたと案内されています。
  • 知る人ぞ知る情報:大通りの観光導線から少し外れた住宅街にあり、地図アプリがないと見落としやすい“街の奥の史跡風景”です。
  • 著名人との関係:織田信長の正室として語られる濃姫(帰蝶)に結びつく伝承地で、信長史跡巡りに「濃姫」という視点を加えられます。

手力雄神社

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

手力雄神社(各務原市那加手力町)

「信長ゆかり」と聞いて思い浮かぶのは、城や合戦の舞台かもしれません。でも各務原の手力雄神社は、武名の陰で“勝ち運を祈る心”が積もってきた場所です。ご祭神は天岩戸神話で岩戸をこじ開けた力の神・手力雄神(たぢからおのかみ)。古くは磐座(いわくら)祭祀にさかのぼる起源が語られ、那加地区の総社として、人々の暮らしの節目を受け止めてきました。戦国期には、織田信長が稲葉山城攻略の折に戦勝祈願をしたと伝わり、以後「勝運・開運厄除け」の社として崇敬が厚くなったとされます。

この神社の“主役”は、境内の空気よりもむしろ社殿の細部に宿ります。延宝2年(1674)に再建された本殿は、各務原市の指定文化財。とりわけ見逃せないのが、本殿の海老虹梁(えびこうりょう)に巻きつくように配された一対の龍の彫刻です。勢いよくうねる胴体、鋭い表情、彩色の名残——近づくほどに「生き物の気配」が立ち上がり、祈りの場が一瞬で“美術館級の彫刻空間”に変わります。信長の物語に浸りたい旅人にも、建築・意匠好きにも刺さる、岐阜の隠れた強打者です。※注意:当社(各務原市)は“火祭を行う神社ではない”旨を公式に案内しています。『手力の火祭』は岐阜市の手力雄神社です。

御朱印、御朱印帳紹介

木製の御朱印帳は、一般的な布表紙とは質感が違い、旅の記念性が強いタイプでした。授与品は時期で変わることがあるため、気になる方は授与所で在庫・頒布状況を確認すると確実です。

築造年創建:不詳(社伝では古い起源が語られる)/本殿再建:1674年(延宝2年)
築造者不明
構造・特徴那加地区の総社/主祭神:手力雄神(天手力雄命)/本殿に一対の龍彫刻(市指定文化財)
改修・復元歴社殿は1674年以降、修復・葺替を重ね現代へ継承
現存状況現存(参拝可)
消滅・損壊不明
文化財指定手力雄神社御本殿:各務原市指定文化財(昭和52年4月21日指定)/竜の雌雄:各務原市指定文化財(昭和32年7月13日指定
備考織田信長が戦勝祈願をしたと伝わる/当社は「火祭」を行う神社ではない

🗺 住所:〒504-0043 岐阜県各務原市那加手力町4
🚶 アクセス
名鉄岐阜駅 →(電車)新加納駅 →(徒歩)約13分(全体目安:約40分)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20分
じっくり観光するなら:約40分

📍 見どころ

  • 本殿の龍彫刻「竜の雌雄」:海老虹梁に巻きつくように配された一対の龍。間近で見るほど、彫りの勢いと迫力に引き込まれます。
  • 延宝2年(1674)再建の本殿:各務原市内でも古い木造建築として知られ、社殿鑑賞そのものが“旅の目的”になります。
  • 季節限定の楽しみ方:例大祭・御神幸祭は4月下旬〜4月29日前後に案内されることがあります。年によって日程・内容が変わる場合があるため、訪問前に公式案内で実施日を確認してください。

📌 トリビア

  • 意外な歴史的背景:社伝では磐座祭祀から始まったとされ、神社になる以前の「祈りの場」の記憶を背負っています。
  • 知る人ぞ知る情報:公式に「当社は火祭りを行う神社ではありません」と案内されています。同名の祭礼(岐阜市の手力の火祭)と混同しやすいので要注意です。
  • 著名人との関係:織田信長が稲葉山城攻略の際に戦勝祈願をしたと伝わり、勝運祈願の信仰につながっています(史料の詳細は不明だが、神社・神社庁の由緒として紹介)。

よくある質問(FAQ)

Q1. 岐阜駅から岐阜城(岐阜公園)まではどれくらいかかりますか?

A. 目安は バス+徒歩で約20分 です。岐阜公園に着いてからは、山麓散策だけなら1時間前後、ロープウェー往復+天守まで含めるなら 3時間 を見ておくと安心です。


Q2. 徒歩だけで信長ゆかりスポットを回れますか?バスは必要ですか?

A. 駅前の黄金像 と、中心部の 円徳寺 周辺は徒歩でも回しやすいです。一方で 岐阜公園(岐阜城)崇福寺 は距離があるため、時間を節約したいなら バス併用 が現実的です。


Q3. 半日しかない場合、どこを優先するのがおすすめですか?

A. 迷ったらこの順が鉄板です。

  1. 黄金の織田信長公像(岐阜駅前)
  2. 岐阜公園(岐阜城)(展望と城下の舞台)
  3. 時間が余れば 円徳寺(楽市楽座の制札で“統治者の信長”が見える)
    「まず岐阜らしさを掴む→核心に触れる→テーマを足す」の流れが失敗しにくいです。

Q4. 御朱印がある(可能性が高い)のはどこですか?

A. 御朱印はスポットごとに授与窓口が異なります。
建勲神社(岐阜信長神社)橿森神社で授与(境内社のため)
岐阜善光寺:善光寺で授与(受付時間は変動あり)
手力雄神社(各務原):手力雄神社で授与(受付時間は変動あり)
※当日の受付(書置き/直書き/時間)は変更されることがあるため、現地掲示・公式案内で確認してください。


Q5. 雨の日でも楽しめますか?おすすめの回り方は?

A. 雨の日は、移動距離が短い順に組むのがおすすめです。

  • 黄金の織田信長公像(駅前)円徳寺(街なか) →(体力と天候次第で)建勲神社(橿森神社境内)
    岐阜城は景色が主役なので、天気が良い日に回すと満足度が上がります(ただし「霧の岐阜城」狙いで行くのもアリ)。

Q6. 岐阜城の天守は当時のものですか?

A. 現在の天守は 復興天守 で、1956年に再建 されたものです。いっぽうで、国史跡「岐阜城跡」 は山頂だけでなく山麓の居館跡など 山全体 が指定範囲に含まれるため、史跡としての“本体”は 遺構や地形 のほうにあります。


Q7. 行事(節分・胡瓜封じ・追悼式など)はいつ行けば体験できますか?

A. 行事は 年によって日程・受付が変わる ことがあるため、本記事では「行われることがある」までに留めています。狙って行くなら、出発前に 寺社の掲示/公式発信/電話案内 などで最新日程を確認するのが確実です。


Q8. 手力雄神社は「手力の火祭」と同じ場所ですか?

A. 混同されやすいですが、記事で紹介しているのは 各務原市の手力雄神社 です。本文でも触れている通り、当社は 火祭を行う神社ではない 旨の案内があります。「手力の火祭」 は別地点(岐阜市側)なので、目的が祭りの場合は行き先を必ず確認してください。

御朱印(御城印)窓口まとめ

御朱印は、同じスポット名でも授与窓口が別の場合があります(境内社など)。また、御朱印は直書き/書置きが日によって変わるため、ここでは“窓口の場所”を中心にまとめています。参拝当日は現地掲示・公式案内で確認してください。

スポット御朱印(御城印)授与窓口(どこで?)メモ(注意点)
建勲神社(岐阜信長神社)あり(私の参拝時)橿森神社 授与所境内社のため橿森神社で対応。金の御朱印は実施日が案内されることがあるので当日確認。
岐阜善光寺(善光寺安乗院)あり(私の参拝時)岐阜善光寺 授与所行事日(節分/胡瓜封じ周辺)は混みやすく、受付時間が変わることも。
崇福寺あり(私の参拝時)崇福寺(受付・授与所)拝観可否や受付は時期で変動あり。静かな寺なのでマナーも意識。
円徳寺未確認(本記事では断定なし)拝観は可能。御朱印対応は現地掲示や寺の案内で確認推奨。
手力雄神社(各務原)あり(私の参拝時)手力雄神社 授与所木製の御朱印帳など授与品は時期で変わる場合あり。
岐阜公園(岐阜城)御城印ありロープウェイ山麓駅1F販売されている種類は季節により変わる可能性あり
黄金像/若き日の信長像/濃姫遺髪塚なし

関連セクション

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