西舞鶴から京丹後へ――雪の味土野、ガラシャを追う一日

(2025/12/27)

西舞鶴でレンタカーを借り、京丹後へ。今日の主役は、細川ガラシャ(明智光秀の娘・玉)。本能寺の変ののち、丹後の山中・味土野(みどの)に身を隠した――その伝承の地を、運転でたどっていく。

訪問マップ


宮津・天橋立を“経由”して、味土野へ(約60km/約1時間半)

西舞鶴から味土野方面へは、距離で約60km、車で約1時間半ほどの感覚。途中、ガラシャゆかりの宮津市や、観光地として名高い天橋立の気配を横目に進む。宮津は、細川家が丹後を与えられたことで城下町が整い、ガラシャもこの地で暮らしたと説明されている。


味土野付近:看板が“物語の入口”になっている

味土野付近に着くと、看板が現れ、ガラシャゆかりの地の紹介や近辺スポットがまとめられていた。こういう案内板って、ただの情報なのに、読むと気持ちが「旅」から「追体験」に変わる。

看板に「少し戻ると、伊勢神宮と同じ造りの大宮神社」と看板に記載があり、気になってUターン。(看板の言葉に背中を押されるように)お詣りして、気持ちを整えてから山へ向かった。


ここから本番:車一台ぶんの山道、標高が上がるほど雪が増える

いよいよ、車一台が通れる幅の山道を登っていく。雪がないなら約4.5kmほどの山道……のはずが、この日は標高が上がるにつれて道に雪が積もり、20分ほど、ゆっくり慎重運転

幸い、対向車は一台も来ない。静かな山、タイヤが雪を踏む「きゅっ、きゅっ」という音。ハンドルを握る手にじわっと力が入る。
そして「ガラシャの滝」の看板が現れた。

「ガラシャの滝」の看板

味土野ガラシャ大滝:雪景色の中で、白い水が落ちる

少し奥へ進むと駐車場があり、そこに停める。少し戻って、雪の積もった階段を20mほど降りると広場があり、正面に滝。

ここは「味土野ガラシャ大滝」として紹介され、味土野(ガラシャ幽閉の地)にある滝として観光案内にも載っている。
雪の白と、滝の白が重なるのに、音だけはやけに生々しい。水の落ちる響きが冷気を震わせ、しばらく言葉が出なかった。

ガラシャ大滝


味土野女城跡:新雪20cm、足跡ゼロの“白銀の城跡”

駐車場に戻り、さらに細い道をゆっくり進む。やがて行き止まり。その左側が、目的の味土野女城跡(めじろあと)だ。

ここは、ガラシャ(玉)の住まいがあったと伝わる「女城」と、谷を隔てて警護の武士がいたとされる「男城」が残る、と案内されている。
この日は誰も歩いた形跡がなく、雪が約20cm。新雪を踏む「ぐっ」とした感触が、やけに現実的だった。

看板へ向かって進むと、井戸だけ雪が積もっていない。あとは白銀の世界。雪で足が濡れながらも、高台にある石碑の場所へ。裏側へ回り込むようにして上る。

石碑の立つ場所は、風が抜ける。視界の先には谷の向こう——味土野男城跡が見える。ここでガラシャを守る人々がいたのだと思うと、雪の静けさが急に“緊張”に聞こえてくる。

味土野女城跡
味土野女城跡の井戸
味土野女城跡の石碑
味土野男城跡


ガラシャの化粧水場:澄んだ水が、手の熱を奪う

車に戻る途中、ガラシャの化粧水場へ。ここは、ガラシャが化粧の際に使ったと伝わる「化粧池」近くを水源とする超軟水が原水、と紹介されている。
水はきれいに流れ、触れると冷たさが骨に届く。——けれど、その透明感に見惚れてしまう。

ガラシャの化粧水場

溝谷神社へ:信長の社殿復興、光秀の石灯籠――看板の一文に釣られて

女城跡の看板に、溝谷神社が紹介されていた。
「信長が社殿を復興」「光秀が寄進した石灯籠がある」——この一文で、行かない理由がなくなる。

車で約15kmほど走って到着。石碑のあたりから参道、鳥居が見える。鳥居の奥には、普段の神社では見ない建物があり、それをくぐると、石灯籠が屋根のある小屋(覆屋)に大切に格納されていた。

京丹後市の資料では、この石灯籠は京都府指定文化財で、社伝では明智光秀奉納と伝わる、と説明されている。
さらに、溝谷神社は延喜式内社で、武士の崇敬が厚く、織田信長が社殿を再建したと伝わる旨も記されている(伝承として)。

奥には立派な石段。想像していたよりずっと大きい。石段の上には、社殿が“建物の中に格納”されているように見える独特の姿。ここが信長が関わったといわれる社殿かと思うと、素直にうれしくなる。

参道
鳥居をくぐったあと
社殿への石段
石灯篭


宮津へ戻り、ガラシャ像と“城の記憶”をたどる

続いて宮津のガラシャ像へ。新しい像だが、ガラシャに関係するものとしてありがたい。後ろにある教会と相まって、像がよく映える。

宮津市の紹介では、この像は“祈り”をテーマに、かつての宮津城を眺め、細川家と宮津市民の幸せが続くことを願う姿として表現されているという。

そのあと車で2分ほどの場所にある宮津城太鼓門へ。どこまでが当時の部材かは分からないが、きれいな門で、手が入っているのだろうと思う。
宮津市の解説では、太鼓門は宮津小学校の正門として利用され、宮津市内に唯一残る旧宮津城の建物として貴重、とされている。

さらに、大通り脇に宮津城の石垣などが提示されている場所へ。石碑と説明板があり、車を止めて“城が消えたあと”の痕跡を確認する。

宮津のガラシャ像(教会と一緒に)
宮津城太鼓門
宮津城の石垣



大久保山城:城があってもおかしくない高台、残るのは説明板だけ

次に、宮津城の出城ともいえる大久保山城へ。忠興・ガラシャ夫婦が住んだともされる場所で、高台の地形は「ここに城があった」と言われれば納得してしまう。

ただ、現地で見つかるのは説明の看板が中心で、城っぽい遺構は特に見つからない。
宮津市の別の解説でも、盛林寺の向かいに上宮津城、宮津湾近くに大久保山城があったことが触れられていて、この一帯が“城と寺と海”で組み上がった地域だったと想像できる。

大久保山城跡の入り口
大久保山城跡

盛林寺:光秀の首塚――ガラシャが祀ったと伝わる場所で旅が締まる

最後に盛林寺(せいりんじ)へ。車で約3.5km、7分ほど。お寺の前に電車の高架があるのが印象的で、石段もあり風格がある。境内はきれいに手入れされ、本堂の左側に「光秀の首塚」の石碑が立っている。

案内に沿って進むと、小さな山(斜面)が現れ、その途中に光秀の首塚。説明板と石の塚があり、大きさは1mほど。
宮津市の紹介では、盛林寺には明智光秀の首塚と伝わる場所があり、山崎の合戦後に娘(ガラシャ)のもとに届けられた首を供養したという伝承が語られている。

雪の気配が残る夕方、静かな斜面の前に立つと、今日一日で追ってきた“ガラシャの線”が、ここで一度きゅっと結ばれる気がした。

盛林寺の石段
盛林寺境内
光秀の首塚の入り口
光秀の首塚


旅の終わり:西舞鶴へ戻り、レンタカー返却

これで旅は終了。西舞鶴に戻ってレンタカーを返却し、日程を締める。

雪の山道は緊張もあったけれど、対向車ゼロの静けさ、白い滝の音、新雪の女城跡、そして覆屋の石灯籠——どれも“冬の丹後”でしか出会えない表情だった。
ガラシャの人生の重さを、景色と距離で少しだけ測れた気がする。

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