大河『豊臣兄弟!』前に知る豊臣秀長と和歌山城

来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、いよいよ豊臣秀長が主役に。
放送を前に「秀長が築いた城ってどこ?」「彼の治めた紀伊とは?」と気になり始めた人も多いはず。

秀吉の右腕として紀州の地を治め、和歌山城(若山城)築城の基礎をつくった人物こそ秀長です。
本記事では、大手門跡や岡口門、松の丸高石垣、本丸御殿跡、紅葉渓庭園、御橋廊下、天守閣など、
「大河放送前に知っておきたい、秀長ゆかりの和歌山城」 を徹底解説。

ドラマの予習に、和歌山旅行の計画に、そして放送をもっと楽しむために役立つ“秀長ガイド”です。

場内スポット

大手門跡

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆
 体験的価値:☆

和歌山城の「大手門跡」は、かつて城の正面玄関──いわゆる大手門があった場所の痕跡です。時代の変遷と城の拡張により正門の位置が移されたため、現在は「跡地」として門の建物は存在しませんが、地形や石垣、水路の構造、城下町とのつながりなどから、かつての大手門の存在を想起させる重要な“歴史の場所”です。

大手門設置時期 築城期(天正13年/1585年〜)に、初めての正門として機能。
位置変更 江戸時代初期(浅野氏時代) — 正門を「一の橋」側へ移設。以降、当該地点は「跡地」となる。
現存状況 門そのものは消失。現在は門の印となる構造もなく、「大手門跡地」として扱われており、案内でその位置が示されるのみ。
文化財指定 個別の建造物としての指定なし。ただし、城全体が国の史跡に指定されており、跡地も含まれる。
備考 大手門の移設は、城下町の再編とともに行われ、和歌山市の都市構造形成にも関係。現在の町並みと城下町の“起点”を考えるうえで重要な地点。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁附近(城下町側)
🚶 アクセス
城外から入城する一般ルートではなく、現在は歩道や案内地図等でその地点をあたる必要あり。城内散策の途中で案内標識などを探すのがおすすめ。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約3〜5分(跡地の位置確認)
じっくり構造を想像するなら:約10〜15分(地形、周囲の石垣、水路などとあわせて)

📍 見どころ

  • 城下町と城の“正面入口”の名残:大手門跡は、かつて城と町をつなぐメインゲート。城下町の形成と防御構造を考えるうえで重要な地点。
  • 地形と石垣の痕跡:門は消失していても、当時の堀や石垣、橋・水路などの地形構造の名残を辿ることで、城の構造や守りの意図を想像できる。
  • 城の歴史変遷を物語る場所:築城期 → 浅野氏時代の改変 → 徳川期の城下町整備 —— 時代と用途の変化が“門の移動”という形で残る、歴史の節目を象徴するスポット。

📌 トリビア

  • 正門の移動が町並みを決めた:大手門が移されたことで、城下町のメインストリート「本町筋」が整備され、以後の町の区画や商業地の中心にも影響を与えた。
  • 今は“空白地”としての存在:多くの観光地のような建物や遺構は残らないため、訪れる人の想像力に委ねられた“歴史の余白” — だからこそ、過去の姿を想像するロマンがある。

井戸屋形

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆
 体験的価値:☆☆

城郭として知られる和歌山城には、江戸時代以降に建てられた建造物がいくつか残されています。そのうちのひとつが「井戸屋形」です。城の核心部ではなく、城下の丸(周辺の曲輪)に属する比較的小規模な建物ですが、当時の城郭の生活様式や施設構成を知る貴重な手がかりとなっています。現存することで、近世以降の城の変遷や和歌山城の城内構造を今に伝えるスポットです。

築造年江戸時代後期(正確な建立年は明記されていない)
築造者紀州藩による整備時期の建造
構造・特徴簡素な屋根付き構造。櫓ではなく「屋形(屋根屋根付きの建物)」として設置。井戸を覆う形で設置され、水の手を管理する建物。
改修・復元歴昭和59年(1984年)に解体修理がなされ、保存状態が維持されている。
現存状況現存。城内で唯一、江戸時代の建造物の一つとして残っている。
消滅・損壊特に大きな消滅や焼失の記録はなし(戦災・空襲の対象外)
文化財指定城郭全体は国の史跡に指定。井戸屋形は個別の重要文化財指定は確認できないが、城内に残る貴重な江戸期建造物として保存対象。
備考水の手を管理する施設として、城のライフラインの一部を担っていた。観光ではあまり目立たないが、歴史ファンには価値の高い遺構。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内)
🚶 アクセス
城内の主要入口(例:大手門または岡口門)から徒歩で城内散策 → 城下の丸方面へ。城内全体が公園として整備されており、案内図に「井戸屋形」の位置が記載されているので、それに従って移動。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10〜15分(外観観察)
じっくり観察するなら:約30分(周囲の石垣、水の手曲輪などとあわせて)

📍 見どころ

  • 江戸期の建物の実物:城内で現存する数少ない江戸時代築の構造物。戦災や近代改修を免れた貴重な遺構。
  • 「水の手」を担う井戸屋形:かつて城の「水の手」(井戸・給水施設)を管理していた場所。城の生活インフラの一端を垣間見ることができる。
  • 城郭と城下の丸の構造理解に役立つ:華やかな天守や櫓とは異なり、生活本来の機能をもつ建物として、城全体の構造・運営のリアルを考察する手がかり。

📌 トリビア

  • 意外に残る貴重な建造物:往時の天守や御殿、櫓など多くは焼失または再建されたが、「井戸屋形」は江戸時代のまま残り、城の古い姿を伝えている。
  • 保存への取り組み:1984年の解体修理で構造の安定と老朽化対策が行われ、現在も良好に保存されている。
  • あまり注目されない隠れた魅力:観光パンフやガイドブックでは大天守や櫓に目が行きがちだが、井戸屋形のような地味な建物にこそ「日常の城の姿」が残っている。

一中御門跡(いちちゅうごもんあと)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の敷地内における重要な防御施設のひとつが、かつての「一中御門(または一中門)」の跡地です。現在は建物の門自体は残っていませんが、屈曲した石垣と通路の「枡形虎口(ますがたこぐち)」、そして門の礎石の一部などにより、そのかつての構造と防御の仕組みを静かに伝えています。訪れることで、戦国〜江戸期の城の「仕掛け」と「緊張感」を感じ取ることができるスポットです。

築造年(正確な創建年は不明) — 城の近世改修期に設置された門
築造者紀州城の築城・改修を行った藩政期の城郭整備者
構造・特徴櫓門(櫓門形式の城門)+石垣・枡形虎口。門前通路が「右折→左折」の屈曲構造で、進入者を容易に見通せないよう防御性を高めた設計。
改修・復元歴現状では門は消失し、礎石と石垣のみが残存。城全体の改修や城下町整備の過程で変遷。
現存状況門そのものは現存せず。石垣・礎石・通路跡として「門跡」として確認できる。
消滅・損壊櫓門や建物部分は明治・戦災などの影響で消失。現在は遺構としてのみ残る。
文化財指定和歌山城全体が国の史跡に指定。門跡個別の建造物指定はされていないものの、遺構として重要。
備考門前の枡形虎口の防御構造には「鏡石」と呼ばれる大きな平石が配置されており、敵の威圧と心理的効果も狙った造り。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内)
🚶 アクセス
城の主要入口(例:一の橋→大手門)から城内へ入り、石垣沿いに進むと「一中御門跡」の標示と遺構を見ることができます。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(石垣・通路跡の観察)
じっくり観察するなら:約20〜30分(近隣の石垣・他遺構とあわせて)

📍 見どころ

  • 枡形虎口の石垣構造:右折・左折の屈曲通路が生む閉塞感 — 敵を包囲する防御の工夫が見て取れる構造。
  • 礎石・鏡石の痕跡:かつての櫓門の礎石や、門脇の「鏡石」と呼ばれる大きな平石が残り、櫓門の存在を想像させる。
  • 城の防御設計を実感:単なる入口ではない、防御の要所としての門。城全体の構造設計の巧妙さを知る手がかり。

📌 トリビア

  • 「虎口(こぐち)」の語源:一中御門のような屈曲した門前通路が防御上の「虎口」とされ、「小口(こぐち)」が転じて「虎口」と呼ばれるようになったという説がある。
  • 心理的防御の演出:「鏡石」は単なる石垣の一部ではなく、威圧感を与えることで城の統制力・権威を視覚的に示す意図もあったとされる。
  • 隠れた重要性:華やかな天守や櫓・御殿に比べると目立たないが、実は城の守りの要 — 二の丸や本丸への動線を制御する「関所」にあたる場所だった。

伏虎像(ふっこぞう)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の敷地内にある 伏虎像(ふっこぞう)は、城の別名「虎伏山/虎伏城」にちなんで設けられた象徴的なオブジェです。城が建つ山の形が虎の伏せた姿に似ていたことからこの名がつき、伏せ姿の虎の像を城のシンボルとして表現しています。昭和34年(1959年)制作の現在の像は2代目で、初代は立ち姿の銅像でしたが、戦時中の金属供出により失われてしまいました。

設置年初代:1922年頃(銅像、立像)/現在の2代目:1959年(昭和34年)
作者・制作者2代目は造形家 角田蘇風 によるコンクリート像。
材質・形態コンクリート製、伏せた虎の姿(横たわる虎の像)
現存状況現存。城内の公開エリアに設置。
文化財指定像個別の文化財指定の記録は確認されていないが、城全体の枠組みで保存対象。
備考戦前の立像は戦時中の金属回収で供出。現在の像は伏せ姿で、和歌山城の歴史と名称の由来を象徴するもの。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城公園内)
🚶 アクセス
JR和歌山駅または南海和歌山市駅からバス「和歌山城前/公園前」下車すぐ。城内の案内にしたがって天守方向に向かうと、二の丸庭園付近で伏虎像を見ることができます。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(像の写真撮影など)
ゆったり鑑賞するなら:約15〜20分(近くの庭園や城の遺構とあわせて)

📍 見どころ

  • 伏せた虎のユニークな造形:伏せた姿で設置された虎の像は、他の城であまり見られないユニークなモニュメント。安定感と威厳、そしてどこか親しみやすさを併せ持つ造形です。
  • 城の別名「虎伏城」の象徴:山の形状に由来する「虎伏山/虎伏城」の名称を視覚化したものとして、和歌山城の歴史と地理的アイデンティティを体現。
  • フォトスポットとしても人気:城内随一の印象的オブジェ。城の石垣や天守、紅葉渓庭園などと組み合わせて撮影すると、和歌山城らしい雰囲気ある写真に。

📌 トリビア

  • 立虎から伏せ虎へ:初代の立像は1920年代に建立されましたが、戦時中の金属回収令で供出。再建の際、伏せ姿に改められたのは「伏虎山」にちなむデザイン意図から。
  • 制作背景:2代目の像を制作した角田蘇風は、和歌山県出身の造形作家で、県内各地に碑や像などを手掛けた人物。和歌山城の復興とともに城の新たなシンボルとしてこの像が選ばれた。
  • 「狛犬ではない」けれど…:狛犬のように神社の入口を守る役割ではなく、あくまで「城のシンボル/記念碑」。実用性はなく、平和と記憶の象徴として設置された。

御蔵の丸跡(みくらのまるあと)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆~☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の敷地内にある 御蔵の丸 は、その名のとおり「蔵(お蔵)」を置くための曲輪(郭)のひとつで、かつて城の物資や米蔵などを収める機能を担っていたエリアです。現在では「跡地」として区画されており、往時の城郭構造や城下町の生活を想像させる“影の部分”として、歴史を感じるには貴重なスポットです。

設置・使用時期江戸時代中期(少なくとも文政3年/1820年には蔵が設置)
用途・特徴米蔵(蔵)を置くための区画。城の物資備蓄や管理のための施設として機能。周囲は水堀で囲まれていた。
構造・立地本丸東麓、表坂登り口に近い。かつては蔵に続く橋(西の丸橋)が架けられた水堀に囲まれていた。
現存状況蔵や水堀は現存せず、土地の区画や碑などで「御蔵の丸跡」として案内されている。市街地化・整備により外観の面影はほとんど失われている。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、御蔵の丸跡もその一部として保護対象。
備考明治以降、城の多くの区域が市街地化。かつての堀や蔵は埋め立てられ、現在は「跡地」としてのみ認識。かつては藩の米蔵や物資管理の中心だった。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内およびその付近)
🚶 アクセス
城内の主要入口(例:岡口門または他の門)から城域を東麓方面へ。案内板や「御蔵の丸跡」の表示に従って探索する必要あり。城全体が公園として整備されているため、地図やパンフレットを参照すると良い。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(跡地の碑や案内板を見る程度)
じっくり見学するなら:約20〜30分(周囲の城遺構や城下町との関係も考えながら散策)

📍 見どころ

  • 藩政期の「蔵」の跡:城の米蔵・物資蔵として機能していた場所。軍事以外の生活や管理に使われた“城の裏側”を想像することができる。
  • かつての水堀の痕跡:御蔵の丸は北・東・南の三方向を水堀で囲まれていたと伝えられており、その名残を思い浮かべながら歩くと、かつての城の防備構造を感じられる。
  • 城郭全体の縄張の理解に役立つ位置:本丸・松の丸・二の丸など主要曲輪へ至る動線の一部。復元建造物が多い天守・門とは異なり、「生活・管理のための空間」という別の視点で城を見るきっかけになる。

📌 トリビア

  • 市役所発祥の地:明治時代、御蔵の丸跡地に初代の市役所が設置されたという記録があり、城の跡地が近代行政の拠点になったという歴史の変遷もある。
  • 失われた“蔵”と堀:蔵や水堀は明治以降の都市化、整備によってすべて消滅。現在では碑や案内表示だけが往時を伝える。地元の人でも場所を知らないことが多く、「知られざる遺構」としての価値がある。
  • 本丸への登城ルートの一部:昔は御蔵の丸を経由する「表坂」が本丸へ向かう重要なルートのひとつで、物資搬入や日常の行き来にも使われていた。今では坂や石垣、地形の名残でその痕跡をたどることができる。

御蔵の丸跡は、華やかな天守や櫓、庭園といった“お城らしい”見どころとは異なり、むしろ城の「実用」「生活」「管理」の側面を伝えてくれる地味で静かな場所です。もし和歌山城を訪れるなら、復元建物だけでなく、こうした「影の部分」にもぜひ足を伸ばし、当時の城の日常を想像してみてください。

岡中御門跡(おかちゅうごもんあと)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の敷地内に残る 岡中御門跡 は、かつて城の重要な通路のひとつとして機能していた門の跡地です。現在は門そのものは失われていますが、石垣や「枡形虎口(ますがたこぐち)」の構造が遺され、当時の防御設計の巧妙さを物語る貴重な遺構として見ることができます。

築造/設置時期江戸期 城郭整備時(正確な創建年の資料は不詳)
築造者紀州藩による城郭整備時の設置
構造・特徴櫓門+石垣を伴う門。門前の通路が屈曲する「枡形虎口構造」で、防御力を高めた設計。松の丸の石垣に面する高石垣区画と連動。
改修・復元歴門は近代以降に消失。現在は遺構(石垣・虎口・櫓台跡など)のみが残存。
現存状況門そのものは存在せず。枡形虎口と石垣、櫓台の名残など遺構として確認可能。
消滅・損壊櫓門は失われ、屋根・櫓構造などの建物は現存しない。時間の経過とともに遺構化。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、岡中御門跡もその一部として扱われる。個別の建造物指定はなし。
備考門前の枡形構造は、敵を入り込ませてもその場で動きを封じ、櫓や塀から横合いの攻撃を可能とする防御設計の典型。岡中御門跡は、当時の城の“守りの仕掛け”を今に伝える場所。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内)
🚶 アクセス
城内メインの入口(岡口門 など)から入城後、城内案内図に沿って進み、松の丸方面へ。そこから案内標識「岡中御門跡」の地点に至る。徒歩でのアクセスが可能。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(枡形虎口と石垣を見るのみ)
じっくり観察するなら:約20〜30分(周囲の櫓台跡や石垣、城の縄張り構造を考えつつ散策)

📍 見どころ

  • 枡形虎口の石垣構造:右折→左折の屈曲通路が生む狭隘空間 — かつての防御意図を肌で感じられる場。
  • 松の丸櫓台との位置関係:高石垣を背景に、かつて櫓があったとされる櫓台の名残。城の構造と守りの段階が目で見て分かる。
  • 城の縄張り設計を知る手がかり:復元天守・門とは違い、遺構だけで城の防御構造を見る — 実用と防御を兼ねた“影の設計”を感じることができる。

📌 トリビア

  • 「見えない敵にも備える」構造:枡形虎口の屈曲により、通路内で視界を遮り、左右や背後からも攻撃可能。大手門とは異なる“隠れた守り”の拠点だった。
  • 意外と高い石垣:岡中御門跡に隣接する松の丸の石垣は最大で高さ約14 mに達する区間があり、防御と見下ろす優位性を兼ね備えていた。
  • 名所ではない“地味な遺構”の価値:天守や華やかな櫓・門に比べ目立たないが、城の防御設計のリアルを知る貴重なスポット — 城好きや城郭研究好きにこそおすすめ。

岡中御門跡は、復元された門や天守とは異なる、城の“裏の顔” を伝える場所です。華やかな見どころを巡るだけでなく、こうした遺構にも足を運ぶことで、当時の城の構造や防御思想をより深く理解できます。次に和歌山城を訪れる際は、ぜひこの「影の要所」にも立ち寄ってみてください。

松の丸櫓台 高石垣

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城の中でも、藩政期に築かれた石垣の中で特に見応えのあるのが、松の丸櫓台の高石垣です。この石垣は、美しい反りを持つ「武者返し(宮勾配)」の典型で、訪れる者に強い迫力と石垣の技術の高さを伝えます。単なる城壁ではなく、見上げると石の壁が弧を描いてそそり立つ姿は、城の防御思想と城郭建築の美を同時に感じさせてくれます。

整備期江戸時代/徳川時代(五代藩主による改修時期と伝えられる)
構造・特徴切込接ぎ(隙間なく石を加工し積む技法)による高石垣。上部に近づくほど垂直に立ち上がる「反り(宮勾配)」が特徴。忍びや敵兵が登るのが困難な“武者返し”構造。
使用石材主に砂岩・花崗岩系石材(城内に見られる熊野石等を含む)を用いた切込接ぎ工法。
現存状況現在も高石垣として良好に残存。城内を散策すれば、櫓台の名残とともに当時の石垣技術の高さを実感できる。
文化財指定城郭全体が国の史跡に指定されており、松の丸櫓台高石垣もその一部として保護対象。個別指定はなし。
備考和歌山城内で「武者返し(反りのある石垣)」の技法が残る数少ない例の一つ。不明門付近の高櫓台石垣と並び、切込接ぎによる高度な石垣工法の代表例。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内)
🚶 アクセス
城内の主要入口(例:岡口門など)から入り、案内図に従って「松の丸櫓台」表示のある石垣群へ。徒歩で数分 — 城内散策の延長で容易に訪問可能。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(石垣を見るだけ)
じっくり観察するなら:約20〜30分(周囲の櫓台跡や石垣の構造、城全体の縄張りとの関係も含めて)

📍 見どころ

  • 反りのある石垣(武者返し):天端に近づくほど垂直になる迫力ある石垣。城の防御設計が“石の壁”という形で現代に残る。
  • 切込接ぎによる精緻な積み工法:隙間なく石を積み上げた見事な石垣。石材の加工と配置による安定性と見た目の美しさを兼ね備える。
  • 眺望と見晴らしの良さ:櫓台の高石垣によって城内外の視界が開けており、当時は見張りや監視に適した位置。現在でも石垣の高さと城下町の眺めを感じられる。

📌 トリビア

  • 石垣技法の「清正流」と「高虎流」の共存:城内の多くの石垣は、築城名手 藤堂高虎 による「高虎流」(垂直積み・高石垣)が用いられたが、松の丸櫓台高石垣はあえて「武者返し」の技法を用い、異なる石垣文化を体現している。
  • 月見や眺望のための場所だった:江戸時代、櫓台からは南東方向が開けており、月見の宴などにも使われたという記録がある。防御だけでなく“眺め”の価値もあったようです。
  • 石垣を見ることで城の年代と改修史が分かる:石材や積み方の違い(砂岩、花崗岩、切込接ぎなど)から、築造・改修時期や大名の意図を読み取ることができ、城巡りの“教養”スポットとしても価値が高い。

岡口門(旧大手門)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 に現存する数少ない江戸時代以来の城門のうち、もっとも重要なもののひとつが 岡口門(おかぐちもん)です。この門はかつての正門(大手門)であり、城の「顔」であった時期もあります。現在の姿は、江戸時代初期、元和7年(1621年)に再整備された櫓門で、空襲や廃城の混乱をくぐり抜け、唯一ほぼ完全な形で残った旧藩時代の遺構です。

築造年/整備年元和7年(1621年)再整備(徳川期)
構造・特徴櫓門(切妻造・本瓦葺き)+白漆喰壁と土塀、片潜戸つき。2階構造あり。
改修・復元歴江戸時代以降も維持・修復。昭和32年(1957年)に門と北側土塀が国の重要文化財に指定され、保全されてきた。
現存状況現存。和歌山城で唯一、戦前からの本来の門が残る貴重な建造物。
文化財指定国の重要文化財(建造物および土塀)指定。
備考元は城の正面玄関(大手門)だったが、城の大改修により表門の位置が移され、以降は搦手門に。現在も城の重要な遺構として残る。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3-2(和歌山城 南東部)
🚶 アクセス
城の主要入口のひとつ。城外から城内に入る際はここを経由。城内案内図に「岡口門」と明示されており、天守や城郭内部へのアクセスにも便利。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(門と土塀の観察)
じっくり見学するなら:約15〜20分(櫓門構造、石垣や土塀・銃眼の狭間などを含めて)

📍 見どころ

  • 櫓門と土塀の実物:和歌山城で唯一、江戸時代からの建物が現存する櫓門。瓦屋根、白漆喰の壁、土塀、狭間など、当時の城門の雰囲気を直接感じられる。
  • 続塀と銃眼(狭間):門に続く北側の土塀には銃眼(狭間)が設けられており、防御の構造を今に伝える。実用を兼ねた美と緊張感がある構造。{index=10}
  • 歴史の変遷を示す「大手→搦手」の象徴:かつては城の正面玄関だったが、城の拡張とともに表向きの門の位置が移され、以来裏門的な役割に。城の時代変化を読み取ることができる。
  • 写真映えする風景:白壁に瓦屋根、土塀、桜や庭園との組み合わせは、城としての佇まいが美しく、春の桜や秋の紅葉とともに映えるスポット。

📌 トリビア

  • 戦火と廃城を逃れた“奇跡の門”:多くの櫓や天守が戦災や廃城で失われた中、岡口門は焼失を免れ、現代まで残ってきた希少な遺構。
  • 銃眼と透かし門扉の防衛設計:門扉は上部が格子になった「上部透かし扉」で、扉を閉じても外を見ることができ、銃や槍での攻撃や防御が想定されていた。単なる見せかけではなく「戦うための門」であった。
  • 重要文化財の価値:昭和32年(1957年)に門と土塀が国の重要文化財に指定され、和歌山城では数少ない“焼失を免れた”貴重な構造物として法的にも保護されてきた。

表坂(おもてざか)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城の表坂は、古くから本丸・天守へ通じる正式な登城ルートのひとつであり、城の構造や防御設計を肌で感じられる「往時の道」を今に残す貴重な通路です。かつては城門や枡形(屈曲虎口)が連続し、防御を重視した構造を経て山上の天守へ向かうルートとして機能していました。現在も石段や石垣、坂道の雰囲気を残し、歩くことで「城への登場」と「防御の厳しさ」を体感できるスポットです。

役割城の主要登城ルート — 大手門~一中門を経て、本丸・天守へ至る坂道
構造・特徴石段および石垣を伴うつづら折りの坂。かつては複数の城門と枡形虎口(屈曲防御構造)を経由する入城経路。
石材地元の“紀州青石”などを用いた石段・石垣。濡れると青みが増す石材で、晴雨で異なる風情を楽しめる。
現存状況現在も石段および石垣が残存し、一般に開放された散策ルートとして利用可能。
備考現在は「登城ルート」のひとつとして観光客に開放。遺構の説明パネルなどは整備されているが、かつての城門(門扉など)は存在しない。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内)
🚶 アクセス
城の大手(かつての正門)付近(例えば岡口門)から入城し、「表坂 登り口」の表示に従って進む。石段はつづら折りで、徒歩で本丸・天守方面へ向かうのが基本。城内の案内図や標識に従えば迷いにくい。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(坂道・石段の雰囲気と石垣を見る)
ゆったり登るなら:約20〜30分(坂の途中で石垣構造や眺望、城全体の構造を意識しながら)

📍 見どころ

  • つづら折りの石段:急勾配を避けつつ、屈曲しながら本丸へ登る構造 — 登城の感覚が城の力強さを伝える。
  • 石垣と紀州青石:石段脇や坂道に連なる石垣。雨の日は青石が濡れてより青みを帯び、昼と異なる風情を楽しめる。
  • 城の防御設計の実感:かつて多くの門と枡形を通過しなければ天守にたどり着けなかった「仕掛けの坂道」。現存する地形と石積みを見ながら、その防御思想を感じることができる。
  • 登城の達成感と眺望:坂を登り切ると本丸・天守が望め、城下町や紀ノ川・和歌山市街の眺めも楽しめる — 歴史と今日の風景が交錯する場。

📌 トリビア

  • 昭和以降の“近道”に注意:現在は“新裏坂”など近代につくられたルートもあるが、戦国〜江戸期の雰囲気を味わいたければ、ぜひ表坂または旧来の裏坂から登城するのが城好きのおすすめ。
  • 石垣は「石積み博物館」:城内には時代や工法の異なる石垣が混在しており、表坂沿いや松の丸・岡中御門方面とあわせて歩くと、城の築城史と改修の歴史を石積みから読み取れる “石垣ファン垂涎のルート” になる。

松の丸跡(まつのまるあと)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 における 松の丸 は、かつて城郭の重要な曲輪(郭)のひとつで、現在「松の丸跡」としてその名残が残されています。本丸・天守曲輪に至るための中間の郭であり、城の構造や防御のバランスを保つ要所でした。現在は櫓台としての石垣や地形でその位置とスケールを知ることができ、当時の城郭構造を想像させてくれるスポットです。

位置本丸南側中腹 — 岡口門(旧大手門)近くから表坂、松の丸櫓台のあたり
構成・役割城の中心部(本丸・天守曲輪)へと至るための中間郭。防御と居住・運用のバランスを保つ構造の一部。石垣・郭で城の段差と防衛性を確保。
石垣の高さ10 m級の石垣が残る区間あり。さらに、城内の説明で「最大で約14 mの石垣」がこの松の丸付近に存在するとの記録。
現存状況建造物は失われているが、石垣や地形、櫓台の名残として郭の範囲が確認できる。散策ルートおよび城の縄張解釈の対象。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、松の丸跡もその一部として保護対象。
備考城の拡張・改修の歴史に伴い、郭としての機能は失われたものの、石垣や地形を通じてかつての縄張りの構造を今に伝える。「石垣好き」「城郭構造好き」には特に価値の高いスポット。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁 3(和歌山城公園内)
🚶 アクセス
城の入口(例えば 岡口門)から入城し、「表坂」または「三年坂」などの道を通って本丸を目指す際、その途中で松の丸跡にあたります。石垣と案内のある区画で確認可能です。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(石垣の見学、郭の位置確認)
じっくり見学するなら:約20〜30分(周囲の石垣構造、城全体の縄張りとの関係を考えながら散策)

📍 見どころ

  • 高石垣の迫力:松の丸地帯には高さ10 m〜14 m級の石垣が残っており、近くで見るとそのスケールと石積み技術の高さに圧倒されます。
  • 曲輪の地形を実感:本丸や天守へ向かう途中で、郭(曲輪)ごとの段差や石垣の連続を体感でき、城の縄張り設計の巧妙さを感じられます。
  • 櫓台の痕跡と石垣の違い:「松の丸櫓台」に使われた石垣は「武者返し(宮勾配)」などの積み方が特徴で、別の技法で作られた石垣と見比べることで、城の築造・改修史を“石”から読み取れます。
  • 城全体の構造理解に役立つ:天守、本丸、松の丸、そしてさらなる郭との位置関係を、地形と遺構で確認できる — 城を「点」ではなく「面」で理解するのに最適なエリア。

📌 トリビア

  • 石垣技術の「二重構造」:松の丸の石垣は、古い野面積みの壁と、後世に整備された「切込接ぎ(算木積み)」が混在。異なる時代の石垣技法が並ぶ、歴史の“積み重ね”が見られる数少ない場所。
  • 城の縮小と都市化の影響:最盛期に比べ、現在の和歌山城はおよそ4分の1ほどの面積になっており、松の丸跡もその変遷に伴い「跡地」として残されているに過ぎません。にもかかわらず、石垣や地形で当時のスケール感を感じられるのは、保存の努力のおかげです。
  • 「櫓台+中間郭=城の防御の要所」:天守直下ではなく、あえて一段下の郭(松の丸)をしっかり石垣で囲うことで、もし天守や本丸が攻撃されても、堅固な防衛線を維持できる — 城の戦略構造を今に伝える設計の妙。

松の丸跡は、華やかな天守や櫓、門といった「お城らしい」見どころとは異なり、むしろ「城を支える構造」「防御の裏側」「曲輪(郭)としての設計」のリアルを感じられる、玄人好みのスポットです。もし和歌山城を訪れるなら、復元建造物だけでなく、こうした石垣と地形の“本当の城の姿”にもぜひ注目してみてください。

表坂のクスノキ

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験性:☆☆☆

和歌山城 の「表坂」を登る途中にある「表坂のクスノキ」は、城を訪れる人々に安らぎと趣を与える“自然の記憶”を宿す木です。単なる巨木ではなく、城内における歴史と現在をつなぐランドマークのひとつとして、訪問者の目を引きます。

樹種 クスノキ(楠木)
特徴 城内で有数の幹囲を誇る巨樹。表坂沿いに立ち、登城の道の雰囲気を和らげる緑の存在。
現存状況 良好 — 散策ルートに沿って公開。城の石垣・坂道とともに、年間を通して見ることが可能。
備考 表坂の石垣や石段と並んで、城の自然と歴史の調和を感じさせる存在。春や初夏には青々とした葉が坂道を彩る。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城 内 表坂 沿い)
🚶 アクセス
城の入口(大手門または岡口門付近)から城内に入り、表坂の案内にしたがって天守方面へ向かう途中。石段や石垣に囲まれた坂道を登る中で見ることができ、特別なルート分岐などは不要。

⏳ 見学の目安
短時間で:数分(木を眺めるだけ)
ゆったり散策なら:10〜15分(坂道と石垣、木々の雰囲気を味わいながら)

📍 見どころ

  • 巨木と石垣のコントラスト:石段と城壁の硬質な空間にあって、緑豊かなクスノキが自然の安らぎを与え、城の“生活感”や“時間の流れ”を感じられる。
  • 季節ごとの風情:春から夏にかけては青々とした葉が涼やかで、秋から冬は樹形や枯れ枝のシルエットが坂道に静けさをもたらす — 城の風景として一種の“柱”となっている。
  • 登城のひと息ポイント:表坂は天守へ向かう登城路だが、クスノキのあたりでひと休みして、城全体の構造や歴史を思い返すのに最適な“中継点”となる。

📌 トリビア

  • 城内で2番目の幹囲を持つ巨木:表坂のクスノキは、城内では“最も古く大きな木”のひとつとされ、幹囲や存在感で特記される。
  • 自然と城の調和の象徴:単なる観光用の植栽ではなく、城の歴史と自然が共存する空間 — 城郭の“防御・構造”だけでなく、“暮らし・日常”という視点を伝える存在。

七福の庭(しちふくのにわ)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 内にある 七福の庭 は、もともと藩主 徳川頼宣 が江戸時代初期(元和7年/1621年)に、自らの治める城の安泰と繁栄を願って、当時の本丸御殿の中庭に築いた庭園です。その名が示すとおり、七福神にちなんだ「七つの大石」を“宝船”に見立てて配置した石庭で、城の歴史と信仰、そして自然観が融合するユニークな空間として知られてきました。

創設年1621年(元和7年)
作庭者徳川頼宣(紀州徳川藩初代藩主)
構造・特徴七福神に見立てた7個の巨石(結晶片岩など)を宝船の形に配置する石組みの庭園。小石を敷いた水盤を囲む構成で、「石の宝船」として縁起を担ぐデザイン。
移設歴1923年(大正12年)、本丸御殿跡に上水道貯水池がつくられたため、庭の石組が当時の郭であった 松の丸跡 に移設された。
現存状況現在も石組みが残存。城内の散策ルート上にあり、見学可能。
文化財指定庭園個別での文化財指定は確認されないが、城全体が史跡指定されており、その一部として保護対象。
備考七福神イメージの石組みは城の安寧と藩の繁栄を祈念したもの。移設を経ても現存し、城の歴史層を読む上で貴重な遺構。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城公園内・松の丸付近)
🚶 アクセス
城の入口(たとえば 岡口門 など)から入り、「表坂」を通って「松の丸跡」まで登城。七福の庭は松の丸付近の石庭として案内されており、城内の案内板に従えば迷わず訪問可能。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(石庭の石組みと配置を眺める)
ゆったり見学するなら:約15〜20分(庭を囲む松の丸跡の石垣などとあわせて、城の歴史を想像しながら)

📍 見どころ

  • 七福神に見立てた巨石の配置:宝船を模した石組みのユニークさ — 七福神を象徴する7つの巨石が「宝船」に見立てられている、江戸期らしい洒落のある庭。
  • 歴史の移ろいを感じる石庭:本丸御殿の中庭 → 上水道施設 → 松の丸への移設という変遷を経て現在に残る。城の時代の変化や運命を物語る“生きた遺構”。
  • 石と城の造形美:緑泥片岩などを用いた石組みと、その周囲の石垣や城郭構造との対比 — 歴史・信仰・建築が交錯する空間。
  • 静かな瞑想の場:天守や櫓の華やかさとは異なる、落ち着いた雰囲気。七福の庭の石組みを眺めながら、かつての城主たちの祈りや願いを想像できる静かなスポット。

📌 トリビア

  • 七福神の演出:石組みの巨石は、それぞれ七福神に見立てられており、江戸期の人々が願った“城の安泰・家運隆盛”の願掛けが込められていた。
  • 移設によって残った庭:本丸御殿の消滅や上水道施設整備の中で、七福の庭は取り壊されず、松の丸に移設保存された — 城の保存・再利用の歴史を物語る一例。
  • “宝船”モチーフの庭は珍しい:日本の城郭庭園ではあまり例を見ない、七福神や宝船を象徴する寓意的な石庭 — 庭を通じて城の文化的・精神的側面を感じられる貴重な造園文化。

本丸御殿跡(ほんまるごてんあと)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆☆(☆☆☆以上に相当する“城の中核”)
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の最も中心となる郭(曲輪)「本丸」にかつてあった 本丸御殿 — 現在は「本丸御殿跡」としてその地形と石垣のみが残り、往時の城の中核としての面影を伝えるスポットです。城主や藩主が過ごした場所であり、かつての権力と居住、儀礼の中心であったことを思い起こさせる“城の歴史の原点”です。

創建・設置時期 慶長期〜元和年間(1600年代初〜1610年代)に築造されたとされる。
役割 城主・藩主およびその一族の居住と政務の場。本丸の中心的建物群。
構造・特徴 御殿建築、庭園(かつては中庭に 七福の庭 を配置)を備えた本格的な大名屋敷様式。
利用歴・変遷 江戸期には藩主の居住や儀式の場として使用。特に、14代藩主の正室・倫宮則子(伏見宮家出身)が入城した際には「宮様御殿」とも呼ばれた。
消失状況 明治期の廃城措置により御殿建物は取り壊され、建物自体は現存せず。
現状 大正12年(1923年)にこの地に上水道貯水池が設けられ、現在はその施設によって覆われている。柵越しに石垣や地形で「御殿跡」として確認可能。
文化財指定 城全体が国の史跡に指定されており、本丸御殿跡もその一部として保存対象。
備考 御殿そのものは失われたが、かつての城主の居住・政務空間の痕跡として、石垣や地形・見晴らしから城の構造を想像できる。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城内・本丸エリア)
🚶 アクセス
城内の主要入口(例:岡口門 など)から城郭内を登り、松の丸や表坂を経由して本丸方面へ。現在は石段と案内表示が整備されており、散策ルートの一部として訪問可能。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(石垣や展望、往時の地形を確認)
じっくり見学するなら:約15〜20分(周囲の城構造・天守との位置関係、城全体の歴史を感じながら)

📍 見どころ

  • 石垣と地形の痕跡:御殿は失われたものの、当時の本丸郭の石垣や地形の高低差が今に残り、城の中心部がどこにあったかを実感できる。
  • 天守との距離感・見え方:本丸御殿跡からは、現在の天守(復元)もよく見える — 往時の城主の視点に近い “城の中心” の眺望を味わえる。
  • かつての御殿と庭園の面影:かつては中庭に石庭(七福の庭)があり、華やかな生活空間があったことを想像させる。現在は移設されているが、御殿跡と合わせて往時を偲ぶ興味深い対比を楽しめる。
  • 歴史の変遷を感じる場所:城の最盛期、廃城、近代 — 時代ごとの城の変容を、この小さな区画で感じられる ”歴史の縮図”。

📌 トリビア

  • 「宮様御殿」としての時代:文久3年(1863年)〜翌年まで、14代藩主の正室である皇族出身の倫宮則子(伏見宮家出身)が本丸御殿に住まい、「宮様御殿」と呼ばれたことがある — 江戸末期の特別な時代の名残。
  • 御殿の移築と生き残り:本丸御殿の建物は明治期に取り壊されたが、御殿の台所部分は近隣の寺院(光恩寺)の庫裡(くり)として移築され、現在もその姿をとどめている。和歌山城の「建物の面影」が残る貴重な例。
  • 城の構造と機能の変化を象徴:山上の不便さから麓(下の丸)への生活拠点移動、その後の廃城と近代化 — 本丸御殿跡は、和歌山城をめぐる400年以上の歴史の「起点と終点」を同時に感じられる場所。

楠門(天守二の門)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城 の天守曲輪(天守エリア)への入口として重要な役割を果たしてきた門が 楠門(くすのきもん)――別名「天守二の門」です。かつては城の中心たる天守群へ入るための重要な関門であり、「連立式天守」の構造の一部として、城の防御と格式を担ってきた場所です。現在の門は戦後に木造で再建されたもので、歴史の変遷を経た「本物」の城門として訪問者を迎えます。

築造/再建年旧門:不詳。1846年(弘化3年)落雷で焼失 → 1850年(嘉永3年)に再建。
現存門:1958年(昭和33年)に木造で復元。
構造・特徴楼門形式の櫓門。本瓦葺き、柱・門板には楠材を使用した「総楠造り」。天守への正式な入口として、土塀や櫓、多門櫓などと連結。
改修・復元歴旧門は戦災で焼失。現在の門は1958年に復元された。
現存状況現存。木造復元門として、天守曲輪への入口をつとめる。
文化財指定城全体が国の史跡。楠門は建造物としての個別指定の記録は少ないが、和歌山城の「天守曲輪・城郭施設」の重要な構成要素として保全対象。
備考かつての連立式天守を構成する重要門で、焼失と復元を経た“歴史の橋渡し”。現在は入城チケット売場を兼ねるなど、観光上の役割も担う。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3 (和歌山城 天守曲輪入口)
🚶 アクセス
城の主な入口(例:城下側の岡口門など)から城内を登り、表坂や裏坂を経て天守曲輪へ。楠門は天守群への最後の関門で、入城券売所もこの門の手前に設置されている。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(門の外観・構造観察)
ゆっくり見るなら:約20分(門をくぐって天守や石垣群との位置関係も確認)

📍 見どころ

  • 総楠造りの楼門:柱・門板に楠を用いた堂々たる構造。木造復元ながら、往時の門の存在感・質感を伝える貴重な建造物。
  • 天守群への入口としての重み:かつての連立式天守を構成する主要門。門をくぐると、いよいよ天守・櫓・多門櫓が連なる城の核心部に足を踏み入れるという“感覚”を味わえる。
  • 復元と歴史の重層性:1846年の落雷・焼失、空襲による消失、そして1958年の復元 —— 歴史の波を受けながらも再建された“生きた遺構”。城の変遷を知る上で象徴的な存在。
  • 観光動線の起点:現在では、天守見学の入口かつチケット売場がこの門のそばにあるため、和歌山城観光の“玄関口”として機能。訪れる人にとって最初の城との接点。

📌 トリビア

  • 「天守二の門」が楠門の別称:城の主要な「二の門」であり、「天守二の門」「二之御門(にのごもん)」の通称を持つ。木造であったことから「楠門」と呼ばれるようになった。
  • 空襲で焼失→木造で再建:戦国〜江戸〜昭和と時代を経た和歌山城の歴史 — 多くの建物が焼失するなか、1958年に木造で再建され、往時の姿を復活させた“再生の門”。
  • 連立式天守の最後の関門:かつては大天守・小天守・多門櫓・櫓群が門を取り囲み、防御と連結の核を形成。楠門を抜けた先に、古来から城の“本丸・天守群”が広がっていた。

二の門櫓(にのもんやぐら)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城 の天守曲輪(天守群)を構成する櫓群の一つが 二の門櫓 です。かつては城の“天守への最後の関門”であった門 ― 通称「楠門(天守二之門)」 ― の脇に建てられ、防御と監視の要を担った重要な構造物でした。現在は櫓・門の建物そのものは失われており、「櫓跡・基礎」や「櫓台」の位置として案内されているスポットになります。

設置期主に江戸時代以降の連立式天守構造の一部として整備された櫓の一つ。
構造・特徴櫓 + 門構造を兼ねた城門付櫓。天守と小天守、多門櫓などと「連立式」で連結された構造で、防御用の石落としや塗籠めの白壁などが備えられていた。
改修・消失櫓や門は過去の火災・戦災などで失われ、現在は遺構・跡地として残る。櫓台や石垣の構造でかつての位置を確認できる。
現存状況櫓本体は現存せず。遺構・案内表示・櫓の位置としてのみ確認可能。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、二の門櫓跡もその一環として扱われる。個別の重要文化財指定は確認されていない。
備考かつては櫓と門、そして多門櫓や乾櫓、小天守・大天守とを結ぶ「連立式城郭」の要 — 和歌山城が日本三大連立式平山城とされる所以のひとつ。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城 天守曲輪周辺)
🚶 アクセス
城の主要入口(例:岡口門 など)から登城し、「表坂」または「裏坂」を経て天守曲輪に到達。楠門近辺を目印に、案内表示を参考に櫓跡へアクセス可能。

⏳ 見学の目安
短時間で:約5〜10分(櫓跡や石垣、遺構位置の確認)
じっくり:約20〜30分(天守・他櫓、本丸などとあわせて城の構造を考えながら見学)

📍 見どころ

  • 連立式天守の構造を理解する鍵:二の門櫓は天守、大天守・小天守・多門櫓・乾櫓とをつなぐ連立構造の一部。櫓跡を見ながら、和歌山城がかつてどのような構造だったかを想像できる。
  • 櫓と城門の複合機能:櫓としての防御機能(石落とし、塗籠め壁など)と、門としての出入口管理 — 城の“守り”と“出入り”を兼ねた重要な施設の跡。
  • 歴史の変遷と失われた建築:火災や戦災、廃城によって失われ、今は「跡地」に過ぎないが、石垣や地形、位置関係から往時の城の姿と構造の規模感を感じ取れる場。

📌 トリビア

  • 「二の門櫓」は“楠門=天守二ノ門”とともにあった:櫓の名前に「二の門櫓」とあるのは、天守への入口である「二ノ門(楠門)」の脇を守るためで、門と櫓が一体的に防御系構造を構成していた。
  • “連立式天守”の一部だった:現在も「和歌山城 ≒ 日本三大連立式平山城」の代表例として紹介されるが、その構造の中核となる櫓のひとつがこの二の門櫓。失われた櫓も含め、城の設計思想を考える上で重要。

乾櫓(いぬいやぐら)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆

和歌山城の「乾櫓」は、天守群を構成する櫓のひとつで、かつての「連立式天守」の西北隅に位置していた重要な櫓です。現在も櫓は復元され、天守からその姿を望むことができるなど、城の構造と歴史を伝える遺構として貴重な存在です。

設置/整備時期江戸時代中期〜後期(天守群整備期に包括)
構造・特徴天守・小天守および多門櫓と連結する「連立式天守」を構成する櫓の一角。石落としや防御壁(塗籠め白壁)、屋根付きの多聞櫓通路によって天守群を隙なく覆い、防御性と連結性を兼ね備えた設計。
位置関係大天守の北西「乾(戌亥/いぬい)」の方向に位置し、天守最上階からもその姿が確認できる。
現存状況戦災などで焼失後、外観が復元され現在も見学可能。天守群見学ルートの一部として公開されている。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、乾櫓もその構成要素のひとつとして保存対象。
備考乾櫓は単なる櫓ではなく、天守群をぐるりとつなぐ構造――いわゆる「連立式天守」の“死角なき構造”を象徴する重要な要所。櫓と多門櫓を通じて、小天守・大天守・二の門櫓を結び、籠城戦でも有利な設計とされていた。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城 天守曲輪内)
🚶 アクセス
城の入口(例:岡口門 など)から城内を登り、「表坂」または「裏坂」を経由して天守曲輪へ。天守へ向かうルートの中で乾櫓を確認しやすい。天守と櫓、多門櫓が連結する構造なので、見学ルートとして自然と訪れることになる。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約5〜10分(乾櫓の外観と石垣の観察)
じっくり見学するなら:約15〜20分(天守、小天守、多門櫓などとあわせ、連立式天守の構造を意識しながら)

📍 見どころ

  • 連立式天守の要所:乾櫓は天守、大天守・小天守、多門櫓をつなぐ“連結の鍵”。櫓の位置と造りから、かつての城の防御思想と構造の意図を読み取れる。
  • 石落とし・白壁・屋根付き櫓通路:外観復元ながら、防御機能を示す構造が再現。白漆喰の壁と瓦屋根、多聞櫓とのつながりが雰囲気を残す。
  • 櫓からの眺望と構造把握:天守最上階から乾櫓を見ることで、和歌山城の「天守群+櫓群+多門櫓」の構成と、それが城のどの位置にあるかがよくわかる ― 城全体の設計を理解するのに役立つ視点。
  • 「死角なき城」の構造美:乾櫓も含めた櫓・多門櫓・天守群の連結構造は、かつての城の防御力と監視能力の高さを今に伝える「設計思想の遺産」。

📌 トリビア

  • 「乾」の方向に由来:「乾櫓」の名は、城の方角でいう北西(乾/戌亥)の位置にあることに由来 — 風水や方角的意味も考慮された表現。
  • 復元による“現代の城郭”:焼失した櫓や天守を、1958年の再建で復元。乾櫓も含め、かつての「連立式天守」の雰囲気を現代に再現する試みの一つ。
  • 城の「見えない守り」:乾櫓、多門櫓、櫓群による連結は、単なる見栄だけでなく、火縄銃時代の戦闘・籠城にも対応する実戦的な構造 — 石垣や櫓、塀が連続する構造は「死角なしの城」を実現していた。

天守閣

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城 の天守閣は、城のシンボルであり、訪れる人に城の歴史と構造を直接体感させてくれる中心的なスポットです。かつての天守は戦災で焼失しましたが、地域の人々の支援によって昭和33年(1958年)に忠実に復元され、現在も「天守」としての存在感を保ち続けています。

創建年元は天正13年(1585年)–1586年築城時(初代)
建築者豊臣秀長 の命による築城(普請奉行:藤堂高虎)
構造・特徴三層の天守。かつては「連立式天守」として、大天守・小天守・櫓群などが連結された構造の核心。現在はコンクリート復元ながら、その形状を再現。
改修・復元歴1945年の空襲で焼失 → 1958年(昭和33年)に鉄筋コンクリートで外観忠実に復元 
現存状況現存。三層の天守閣、内部は博物館として公開。
文化財指定城全体が国の史跡に指定されており、天守閣もその構成要素の一つ。 
備考日本三大連立式平山城の一つ — かつての天守・櫓群の構造を今に伝える象徴的な城郭遺構。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3
🚶 アクセス
城の入口(例:岡口門(旧大手門)など)から城内を徒歩で登城。坂道・石段を経て天守曲輪へ到達。公園内の標識や案内を頼りに。 

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約10〜15分(外観・石垣・周囲の眺望を眺めるのみ)
じっくり見学するなら:約30〜40分(内部展示を見て最上階からの展望を楽しむ)

📍 見どころ

  • 復元された「連立式天守」の造形 — 大天守と小天守、さらに櫓群が連なる壮麗な構造。他の城では見られない、重厚かつ複雑な城郭構造を実感できます。 
  • 城下町と紀ノ川を見渡す眺望 — 天守最上階からは、和歌山市街、紀ノ川、遠く海まで見晴らせ、城の地形的優位性と立地の戦略性を実感できます。
  • 歴史資料の展示 — 甲冑・武具、紀州藩の歴史資料などが展示され、藩政時代から戦後復興までを通した歴史を学ぶことができるミュージアム機能を持つ天守。
  • 四季折々の景観との調和 — 春の桜、秋の紅葉など、城と自然が一体になった風景。白亜の天守と城山の緑、季節の変化が美しいコントラストを生み出します。

📌 トリビア

  • “おてんす”の呼び名 — 和歌山では天守閣を昔「おてんしゅ」、転じて「おてんす」と呼んできたという地元ならではの愛称があります。
  • 戦災と復興の歴史 — 1945年の空襲で天守閣を含む多くの建物が焼失。1958年に地域の浄財と木造復元の熱意によって今の姿が再建され、“市民の城”として甦った歴史。
  • 日本三大連立式平山城のひとつ — 姫路城、松山城と並ぶ、“連立式天守”の代表格。櫓群・多門櫓・御橋廊下など多彩な構造を持つ点で、城郭構造の学びとしても価値高し。 

わかやま歴史館

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城 の敷地内にある わかやま歴史館 は、城そのものを深く理解するための“知の拠点”です。城の石垣や天守を巡るだけでは見えにくい歴史の裏側──城の変遷、城下町としての発展、地域と城の関係、そして地元の人々の暮らし──を資料と映像で体験できます。2015年に開館した比較的新しい施設で、展示内容も現代的で分かりやすく、初めて和歌山城を訪れる人にもおすすめです。

開館年2015年9月
構成・特徴1階:観光案内所 & 土産品センター/2階:歴史展示室+映像シアター・VR体験コーナーなど 
展示内容・紀州徳川家 伝来の金印など和歌山城および紀州藩の歴史資料 
・江戸後期の和歌山城を再現したVR映像「よみがえる和歌山城」 
・地域ゆかりの人物紹介 など 
開館時間・休館日9:00〜17:30(入場は17:00まで)、休館日:12月29日〜12月31日 
入場料大人(高校生含む)100円/小・中学生 無料 ※天守閣との共通券あり
備考城の概要理解に最適 — 展示・映像・模型・土産の複合施設。雨天時や時間のないときの導入に便利 

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城公園内)
🚶 アクセス
JR和歌山駅または南海和歌山市駅からバス「市役所前」または「和歌山城前」で下車、徒歩3〜5分(または城内散策ルートの途中に立ち寄り可能)

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約20〜30分(主要展示・映像体験のみ)
じっくり見学するなら:約1時間(展示+映像+土産・城下町の雰囲気含め)

📍 見どころ

  • 紀州徳川家の歴史資料:藩政時代の印章(金印)や城の古図、絵巻など、和歌山城と紀州藩の歴史を物語る貴重な資料が展示されている。
  • VRで“よみがえる城”体験:江戸後期の城郭内部をCG再現した「よみがえる和歌山城」で、かつての建物配置や城下町の雰囲気を仮想体験できる。実際に歩く前の“予習”として有効。
  • 地元ゆかりの人物紹介:歴史館ならではの広い視点で、和歌山市および紀州の歴史や文化の担い手たちを紹介。城だけでなく、地域全体の歴史を感じられる。
  • 観光案内&お土産選びに便利:1階には観光案内所・土産品センターが併設されており、見学前後の情報収集やお土産購入に便利。

📌 トリビア

  • 城めぐりの“予備知識スポット”:まず歴史館で和歌山城の歴史・構造を把握してから実地見学すると、石垣や櫓、郭の位置関係がぐっと理解しやすくなる — 初めての訪問には特におすすめ。
  • 雨の日や時間のない時にも使いやすい:屋内施設なので、悪天候や短時間のスケジュールでも訪れやすく、“城+博物館”の両面で満足度が高い。

紅葉渓庭園(西之丸庭園)

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城 の敷地内にあり、城の喧騒から一歩離れて自然と静寂を味わえる庭園が、紅葉渓庭園です。別名「西之丸庭園」とも呼ばれ、城郭の地形を巧みに取り入れた池泉回遊式の大名庭園として、江戸時代初期に整備されました。季節によって姿を変える景観、そして池、石橋、茶室、流れ、水面の映り込み…。散策するたびに異なる表情を見せてくれる、和歌山城を訪れる人にとって欠かせない“癒やしの空間”です。

作庭/整備時期江戸時代初期、初代藩主 徳川頼宣 入国後に西之丸御殿用として整備された。
構造・特徴池泉回遊式庭園 — 起伏ある地形を利用し、池・滝、橋、石組、茶室を配した大名庭園。青石(紀州石)を用いた石組みや、池に浮かぶ釣殿風の建物・鳶魚閣、橋梁 御橋廊下 の復元など景観・造形ともに優れた造り。
指定1985年(昭和60年)に「国指定名勝」に認定。
現存状況池・石組・橋・茶室など構成要素は良好に保存。城公園内で散策可能。
入園・利用情報入園無料。開園時間 9:00〜17:00(最終入園 16:45)、茶室「紅松庵」は呈茶あり(有料)。庭園地形を活かした散策が可能。
備考池を城の内堀の名残として“水辺の空間”に再構成。城郭と大名庭園の融合 — 城の防御と居住を両立させる設計のゆらぎを感じられる。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城公園内)
🚶 アクセス
JRまたは南海「和歌山市駅」「和歌山駅」からバス「市役所前/和歌山城前」下車、徒歩すぐ。城内では天守閣・櫓見学の後に、西の丸・裏坂経由でアクセスしやすく、散策ルートの一部として自然に組み込めます。

⏳ 見学の目安
短時間での見どころ:約15〜20分(池・橋・茶室・主要景観をひと通り)
ゆったり散策するなら:約30〜45分(池周り〜滝石組、橋、鳶魚閣、四季の植栽を楽しみつつ)

📍 見どころ

  • 池泉と橋、そして水面に映る景色 — 池に映る紅葉・青石・橋の構造は、静けさと深みのある日本庭園ならではの趣。
  • 鳶魚閣(釣殿風建物) — 水辺に佇む建物で、池や庭を眺めながらのんびりするのにぴったり。雰囲気があり、写真映えも◎。
  • 御橋廊下 — 城の西の丸と二の丸を結ぶ歴史的な廊橋。復元された構造を歩いて渡ることで、城の構造と往時の暮らしを追体験できる。
  • 四季の植栽と庭園の表情変化 — 春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の静寂。それぞれに異なる美しさがあり、訪れる度に違った感動がある。
  • 茶室「紅松庵」でひと息 — 庭園内にある茶室で抹茶をいただきながら、庭の風景を借景にゆったり過ごすことができる(呈茶あり、有料)。

📌 トリビア

  • 城の防御施設を庭へと転用した巧みな設計 — 紅葉渓庭園は、かつての内堀や城山の起伏を取り込み、城郭の“水と地形”を美しい庭園へと変換した稀有な例。城と庭園の融合が見られる場所です。
  • 「紅葉渓」という名の通り、秋が最盛期 — 庭園名は紅葉にちなみ、例年11月下旬〜12月上旬が見頃。池に映る紅葉、橋・石組・建物が織りなす景観の美しさは必見。
  • 入園無料の“気軽な庭園” — 城内の重要スポットにもかかわらず、入園料は無料。気軽に立ち寄れるのが魅力で、時間が限られている人にもおすすめ。
  • 和歌山城の“もうひとつの顔” — 天守や石垣、櫓のような“戦/防御”の城ではなく、平和と雅を象徴する“庭と暮らし”の場。城の多面的な歴史と用途を感じさせてくれる空間です。

御橋廊下

⭐おすすめ度
 歴史的価値:☆☆☆
 視覚的魅力:☆☆☆
 体験的価値:☆☆☆

和歌山城 における 二の丸 と 西の丸(およびその庭園である 紅葉渓庭園)をつなぐ「秘密の通路」として機能していたのが御橋廊下です。当時は藩主およびその側近、あるいは奥女中など限られた人々だけが通行を許された、「城の裏口」というより「プライベートな廊下橋」でした。2006年に発掘調査および古図面をもとに忠実に復元され、現在は誰でも通行できるようになっています。

整備/復元年2006年(平成18年)に復元。
構造・特徴木製の屋根付き廊下橋。全長約27メートル、幅約3メートル。二の丸と西の丸との高低差は約3.4メートルあり、橋は斜めに架かっている。歩行面は滑り止めのため切り込みのある板敷き。入口には杉戸(引き戸)があり、外部から見えない造りとなっていた。
役割藩主・側近・奥女中など限られた人々が、政庁・大奥のある二の丸と、庭園・閑静な西の丸を安全かつ人目を避けて行き来するための屋根付き通路。
現存状況復元された木造橋が現存し、一般公開され徒歩で通行可能。靴を脱いで内部を通過。無料。
文化財指定橋そのものの個別文化財指定はないが、城全体が国の史跡に指定されており、復元構造物として城郭資産の一部。
備考高低差のある斜面に架かる「廊下橋」は非常に珍しく、歩行性・防犯性・隠密性を兼ね備えたユニークな城郭構造。また、発掘調査で橋脚の礎石や構造が確認されたうえでの復元であるため、歴史の再現性が高い。

🗺 住所:和歌山県和歌山市一番丁3(和歌山城 西の丸〜二の丸間)
🚶 アクセス
城の外から入城(例:岡口門 など)し、天守、櫓群などを巡ったのち、西の丸庭園または二の丸エリアに向かうときに見つかります。紅葉渓庭園(西の丸)と二の丸を結ぶ通路として歩行可能。案内図や標識に従って移動すると迷いません。

⏳ 見学の目安
通過だけなら:約5分程度
廊下内部の構造を見てまわるなら:約10〜15分

📍 見どころ

  • 斜めに架かる屋根付き廊下橋:高低差のある二つの郭をつなぐためにあえて傾斜をつけた構造 — 他の城ではあまり見られないユニークさ。
  • 板敷きと杉戸、板壁の内装:外から見えないように囲まれた「廊下」。当時のプライバシーと防御/警戒の思想を感じられる空間。
  • 発掘に基づく忠実な復元:2000年代の発掘調査で橋脚の礎石が確認され、古図面とあわせて復元された—「歴史の再現性」が高い遺構。
  • 城の「生活と風雅」をつなぐ通路:政庁としての二の丸と、庭園や茶室のある西の丸を結び、殿様やその家族、側近が生活空間と“遊び・静養”の場を行き来した歴史を想像できる場所。
  • 夜間ライトアップも幻想的:夜にライトアップされた御橋廊下と、その向こうに浮かぶ天守のシルエット — 秋の満月夜の幻想的な雰囲気は、城ならではの特別な体験。

📌 トリビア

  • 「橋」ではなく「廊下」だった — 一般の橋は「橋」、屋根付きで内装のあるものは「橋廊下/廊下橋」と呼ばれるが、和歌山城では「御橋廊下」という独自名称で、橋というより“通路”としての意味合いが強調されていた。
  • 高低差と傾斜の妙 — 二の丸と西の丸は標高差が約3.4メートルあり、それをそのまま斜めに繋いだため、歩行床は鋸歯形(階段状)の板敷きになっている。藩主が滑らぬよう配慮した設計。
  • 藩主専用の秘密通路 — 一般の城門や橋と違い、外部から見えにくく、屋根と壁で覆われた構造。まさに“城の裏口”としての使われ方 — 現代ならVIP用の通路に近い趣。
  • 復元によってよみがえった生活空間 — 明治以降、御橋廊下は消失していたが、2006年の復元で往時の通路を再現。現在は誰でも通行可能で、「歴史の再発見」として注目されている。

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