天皇を迎えた格式の門「唐門」
二条城を象徴する「唐門」「二の丸御殿」「二の丸庭園」は、江戸幕府の権威と美の粋を今に伝える空間です。
天皇の行幸を迎えるために整えられた極彩色の唐門、将軍の政務を支えた絢爛な二の丸御殿、そして蓬莱思想を反映した唯一現存の書院造庭園。訪れる者に、江戸時代の美と権力の深奥を体感させてくれます。
唐門

🏛 概要
唐門は、二の丸御殿の正門として、1626年(寛永3年)の後水尾天皇の行幸に合わせて造営されました。切妻造の檜皮葺屋根に、前後に唐破風を備えた四脚門で、極彩色の彫刻や金具で装飾されています。彫刻には、長寿を象徴する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」などが施され、門全体が豪華絢爛な桃山文化の粋を示しています。
2013年(平成25年)には保存修理が行われ、檜皮の葺き替え、飾金具の金箔貼り直し、彫刻欄間の彩色の塗り替え、漆の塗り替えなどが実施されました。
項目 | 内容 |
---|---|
築造年 | 1626年(寛永3年)、後水尾天皇の行幸に合わせて造営 |
築造者 | 不明(幕府の命による造営と考えられる) |
構造・特徴 | 四脚門形式、切妻造、屋根は檜皮葺、 前後に唐破風付き。 門上部や側面に“松竹梅・鶴・唐獅子・蝶・獅子”などをモチーフとした極彩色の彫刻と飾金具あり。 豪華で格式高い正門として意匠が凝らされている。 |
改修・復元歴 | 明治時代に屋根を檜皮葺に復している。 2013年(平成25年)に保存修理工事が完了(檜皮葺替え、飾金具金箔貼り直し、彫刻欄間彩色修復、漆塗替え等) |
現存状況 | 現存、二の丸御殿の正門として公開中。国の重要文化財に指定。 |
消滅・損壊 | 大きな焼失・消失記録は見当たらない。 ただし、1627年には一時移築されたという記録もある。 |
文化財指定 | 国の重要文化財(「唐門」として)として指定 |
備考 | 彫刻モチーフは城の守護・繁栄願望を込めたものとみられる。 |
📍 所在地
🚶 アクセス
南門から約1分(76m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約10分
- じっくり観光するなら:約30分(彫刻や装飾の詳細を鑑賞する場合)
🔍 見どころ
- 彫刻の精緻さ:門の欄間には、鶴亀に松、竜虎に唐獅子など、縁起物の彫刻が施されています。これらの彫刻は、極彩色で彩られ、門全体を華やかに演出しています。
- 金具の装飾:門の各部には金箔を押した飾り金具が施されており、豪華さを一層引き立てています。
- 歴史的な発見:保存修理の際、飾り金具の菊紋の下から徳川家の葵紋が発見されました。これは、明治時代に城の主が徳川家から天皇家へと変わったことを示す歴史的な証拠とされています。
💡 トリビア
- 黄安仙人の彫刻:門の装飾の中には、亀に乗った黄安仙人の彫刻があります。これは、徳川幕府の政権が末永く続くことを願ったものとされています。
- 三大唐門の一つ:二条城の唐門は、京都御所の建礼門、日光東照宮の陽明門と並び、日本三大唐門の一つとされています。
二の丸御殿

🏛 概要
二の丸御殿は、徳川幕府の権威を象徴する建造物として、将軍の宿泊や儀式、政務の場として使用されました。江戸時代初期の書院造の代表例であり、現存する城郭御殿としては唯一のものです。内部には、狩野派による障壁画や精緻な欄間彫刻、飾金具が施され、豪華絢爛な装飾が施されています。
項目 | 内容 |
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築造年 | 江戸初期(寛永年間)に大規模改修・完成 |
築造者 | 徳川幕府/幕府の命により整備 |
構造・特徴 | 書院造を基本とする御殿群。 遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院の6棟から成る。 屋根・破風が重なり合い、雁行配置。 内部は上段の間、床・棚・書院、帳台構を備え、壁・襖には狩野派の障壁画、欄間彫刻、飾金具、彩色天井など装飾が豊か。 |
改修・復元歴 | 1626年(寛永3年)の後水尾天皇行幸に合わせ大改修。 寛文2年(1662年)の地震で被災、再修復。 幕末や火災・雷火等の被害も受け、都度修理・維持。 |
現存状況 | 現存。部屋数は約33室、建築面積約3,300m²、畳800畳余り。 国宝に指定され、一般公開中。 |
消滅・損壊 | 寛延3年(1750年)の雷火で天守閣と共に被災。 天明の大火(1788年)でも二の丸の櫓・殿舎が類焼。 |
文化財指定 | 国宝(1952年、二の丸御殿6棟が国宝指定) |
備考 | 現存する城郭御殿としては極めて貴重(城郭御殿の現存例は少ない)。 |
📍 所在地
🚶 アクセス
唐門をくぐると、徒歩約1分(約40m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約30分
- じっくり観光するなら:約60分(各部屋の装飾や歴史的背景を詳しく学ぶ場合)
🔍 見どころ
- 遠侍(とおざむらい):来殿者が控える場所で、二の丸御殿最大の建物です。襖や壁には虎の絵が描かれており、「虎の間」とも呼ばれています。これらの絵は、徳川家の権力を象徴しています。
- 大広間:将軍が公式な儀式を行う場で、広大な空間に豪華な装飾が施されています。
- 黒書院・白書院:将軍の私的な生活空間で、黒書院は政務を行う場、白書院は居住空間として使用されました。
- 鶯張りの廊下:歩くと音が鳴る仕組みで、侵入者を察知するための防犯機能を持っています。
💡 トリビア
- 大政奉還の舞台:1867年(慶応3年)、15代将軍徳川慶喜が二の丸御殿で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史の大きな転換点となりました。
- 障壁画の保存:内部の障壁画は、保存のために一部が展示収蔵館に移され、レプリカが設置されています。
- 観覧休止日:二の丸御殿は、7月、8月、12月、1月の毎週火曜日および12月26日~1月3日は観覧休止となります。
二の丸庭園

🏛 概要
二の丸庭園は、二条城内にある代表的な日本庭園で、書院造庭園として知られています。池泉回遊式の庭園で、中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配し、神仙蓬莱思想を表現しています。庭園は、二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できるように設計されており、どの角度からも美しい景観を楽しむことができます。
項目 | 内容 |
---|---|
築造年 | おおよそ江戸時代初期、二の丸御殿の整備と同時期と推定 |
築造者 | 徳川幕府(幕府の造営事業の一環) |
構造・特徴 | 池泉回遊式庭園の形式を基本とする。 池を中心として築山・飛石・築地塀・植栽などを配置。 二の丸御殿と一体化した景観構成を意図。 元々、この庭園用地には行幸御殿(天皇滞在所)が築かれていたという記録あり。 |
改修・復元歴 | 庭園としての整備や修理は明確な記録は少ないが、近世維持・近代の庭園整備を経て現状に至る。 近代以降、庭園景観の整備・修復が行われている。 |
現存状況 | 現存。二の丸庭園として一般公開されており、御殿とともに景観が保存されている。 |
消滅・損壊 | 大規模な完全消失の記録はなく、戦災・焼失による大破は確認されていない。 |
文化財指定 | 二の丸庭園は「特別名勝」に指定(1953年) |
備考 | 庭園地には、かつて天皇が滞在する行幸御殿が置かれていたとする記録がある。 二条城全体の構成として、二の丸庭園と御殿・唐門などが一体的に設計されている。 年表によれば、二の丸庭園は1953年に特別名勝に指定されている。 |
📍 所在地
🚶 アクセス
二の丸御殿から徒歩約2分(約130m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約15分
- じっくり観光するなら:約30分(庭園の構成や歴史的背景を詳しく学ぶ場合)
🔍 見どころ
- 蓬莱島と鶴亀の島:池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配し、不老不死や長寿を象徴する神仙蓬莱思想を表現しています。
- 滝の石組:大広間西側には滝を模した石組があり、庭園に動的な要素を加えています。
- 石の配置:縦長の石を多用し、力強い印象を与える配置が特徴的です。
- 四季折々の植栽:春の桜やツツジ、秋の紅葉など、季節ごとに異なる表情を楽しむことができます。
💡 トリビア
- 「八陣の庭」:二の丸庭園は「八陣の庭」とも呼ばれ、兵法の陣形を模した石組が施されています。
- 唯一現存する書院造庭園:御殿と庭園が一体となって現存する日本庭園は、二の丸庭園が唯一とされています。
- 多方向からの鑑賞:庭園は、黒書院、大広間、行幸御殿の3方向から鑑賞できるように設計されており、各場所から異なる景観を楽しむことができます。
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