二条城 本丸エリア#1

天皇が歩いた空中通路の記憶「東橋」

二条城の奥深い歴史を体感するなら、「東橋」と「本丸櫓門」は見逃せません。
江戸初期の築城思想と儀式空間の象徴であるこのふたつの建築は、防御と格式を兼ね備えた機能美の結晶。かつて天皇が歩んだ「空中通路」や、現存する貴重な櫓門の構造には、日本の歴史を大きく動かした舞台裏が詰まっています。

東橋

二条城 本丸櫓門

🏛 概要
東橋は、二の丸庭園から内堀を越えて本丸へと続く唯一の連絡路であり、江戸時代初期の築城思想における「本丸防衛」の重要性を体現した構造物です。この橋は、本丸櫓門と一体となって、敵の侵入を防ぐ仕組みを持っていました。形式は木造の桁橋で、欄干や足元の材には堅牢な木材が用いられており、控えめながらも美しさと機能美を兼ね備えた意匠となっています。

かつてこの橋には、2階建ての屋根付き廊下「二階橋」が設置されており、寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸の際には、天皇が地を踏まずに本丸天守へと進むための「空中通路」として機能しました。このように、単なる渡り橋以上の政治的・儀礼的意味を持っていたことが、二条城という場の格と構造の複雑さを物語っています。

項目内容
築造年1626年(寛永3年)、後水尾天皇の行幸に合わせて本丸整備の際に架設されたと推定
築造者徳川幕府(京都所司代の監督下で施工されたとみられる)
構造・特徴木造桁橋構造。
本丸東側の内濠に架かる橋で、通常時は通行路、戦時には落とせる仕掛け(可動式橋)を備えた防衛構造とされる。
改修・復元歴明治・昭和期に修理記録あり。
近年も木橋として維持管理が続けられている。
現存状況現存。通常は観覧ルートとして利用可能だが、補修・工事期間中は通行止めとなる場合がある。
消滅・損壊完全消滅・焼失などの記録は確認されていない。
文化財指定構成遺構の一部とみなされるが、橋単体での指定はなし。
備考本丸東橋は、二条城の防衛設計思想を示す重要な遺構の一つ。
本丸東橋と対をなす西橋も存在し、両者が本丸出入りの要路であった。

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
二の丸庭園から徒歩2分(約150m)

見学の目安
短時間での見どころ:約5分
じっくり観光するなら:約10〜15分(堀や本丸櫓門と合わせて)

📍 見どころ

🔹 堀と橋の調和:鏡のように澄んだ内堀と、直線的な東橋の構造が織りなす景観は、写真スポットとしても人気です。

🔹 失われた「二階橋」:かつてこの橋の上には屋根付きの畳廊下があり、天皇のための専用通路として用いられていました。現存していないものの、痕跡や部材の一部が土蔵に保存されています。

🔹 機能的配置:東橋は、敵の侵入経路を一点に絞る構造的意図に基づき、守備の要衝としても極めて重要な位置にあります。

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景:明治期以降も本丸と二の丸をつなぐ唯一のルートとして使われ続け、後に皇族の視察や外国賓客の案内にも利用された記録が残っています。

💡 知る人ぞ知る情報:現在の橋は何度か補修が施されていますが、基本的な構造と位置は江戸時代のものを忠実に継承しています。

💡 著名人との関係:大正天皇即位に際しても、行幸の演出として本丸に向かう道中でこの橋が使われ、警備記録にも登場しています。

本丸櫓門

二条城 本丸櫓門

🏛 概要
本丸櫓門は、二条城本丸の象徴的な玄関口として、内堀の防御線の一角を占める重要な櫓門です。1626年(寛永3年)に徳川家光が行った大改修により建設され、天守や本丸御殿とともに、江戸初期の政治儀礼空間を構成する中心建築として存在感を放っています。

櫓門は二重構造で、入母屋造の本瓦葺き屋根を持ち、下層が通用門、上層が物見や弓・鉄砲を備えた防御空間となっています。現在、二条城の本丸建築群のうち、この本丸櫓門だけが1788年(天明8年)の大火を免れて現存する、極めて貴重な遺構です。

かつて門の内部には鉄砲狭間(てっぽうざま)や石落としなどが備えられており、敵が橋を渡って門に迫ってきた際に上部から攻撃できるよう設計されていました。その構造からも、将軍や天皇の滞在時において、警備体制がいかに厳重だったかがうかがえます。

項目内容
築造年1625-1626年(寛永2~3年)頃
築造者徳川幕府(家光期の本丸整備事業の一環)
構造・特徴櫓門形式、入母屋造、本瓦葺き。
扉には銅板を張り付けて耐火性を確保。
戦時には木橋を落として渡れないようにする構造を備える。
内側の土塀に銃眼(鉄砲狙撃用の穴)が設けられており、防御性を強化。
外観は一見質素に見えるが、防衛機構が随所に組み込まれている。
改修・復元歴原建築以降、火災や戦災による被害や修理を受けてきたが、詳細な復元記録は限定的。
建物構造・意匠の修理・補強が行われてきた。
扉や橋の部材などは後世に補修・交換がなされている可能性あり。
現存状況現存。国の重要文化財に指定されている。
本丸への正門として、城郭防衛の拠点として機能していた扉・防御設備が残る。
消滅・損壊本丸西櫓門は焼失しており、対向する門とともに本丸を守る門としての役割を担っていた。
一部部材や橋部品は解体・保存され、再構成可能な状態で保存されたとの記録もある。
文化財指定国の重要文化財(1939年10月28日指定)
備考本丸櫓門は、東橋を渡って二の丸から本丸へ入る入口に位置。
橋を落とす仕掛け、銅板扉、銃眼などを備え、籠城戦にも対応可能な仕様であった。
外見は堅牢さを感じさせつつも装飾は控えめで、城門としての機能性を重視した設計。
本丸御殿の整備と同時期に築かれ、城の核心的防衛ラインを構成していた。

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
東橋を渡ってすぐ徒歩1分(14m)

見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20〜30分(構造や歴史背景を理解する場合)

📍 見どころ

🔹 防御の工夫:銅板張りの堅牢な扉や、上層部にある狭間(攻撃用の小窓)、石落としなど、実戦仕様の設計が多数。

🔹 本丸で唯一現存する江戸時代の建物:本丸御殿や天守は焼失してしまったが、この門は現存し、当時の建築様式をそのまま伝えています。

🔹 天皇専用の畳廊下と接続していた遺構:寛永行幸時に設けられた「二階橋」の2階通路はこの門と接続しており、天皇が地を踏まずに天守へ至るルートの一部でした。

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景:門に使われている銅板は、火縄銃などの火器に備えた防炎対策として施されたもので、京都御所とは異なる戦国時代の緊張感を反映しています。

💡 知る人ぞ知る情報:2階部分は通常非公開ですが、文化財保護修理の際に内部の間取りや材質が詳しく調査され、初期江戸建築の貴重な資料となりました。

💡 著名人との関係:大政奉還の際、徳川慶喜の側近たちがこの門の警備を厳重にし、本丸内での密議が外に漏れないよう気を配ったとする記録も残っています。

元離宮二条城

二条城 元離宮二条城

🏛 概要
元離宮二条城は、1603年(慶長8年)に徳川家康によって築かれた、江戸幕府の政治的正統性を誇示するための城郭であり、天皇の居所である京都御所の西方を守護する役割を担っていました。「元離宮」とは、明治17年(1884年)に宮内省所管となり、皇室の離宮としての歴史を経た後、現在は京都市が所有・管理することから冠された名称です。

この城は、将軍の上洛時の宿泊所および儀礼・政務の舞台として機能しました。1626年には三代将軍徳川家光によって大改修が施され、後水尾天皇の行幸を迎えるという国家的儀式の舞台にもなりました。江戸幕府の権威を内外に示す意図が込められたこの城は、桃山文化を色濃く残す建築群、狩野派による壮麗な障壁画、格式ある書院造の御殿などを備え、建築・美術・造園の粋が結集された存在です。

1867年には、15代将軍徳川慶喜がこの地で「大政奉還」を表明し、日本の歴史が大きく動く象徴的な場となりました。まさに「政権の始まりと終わり」を見届けた、日本史上特異な城であり、1994年にはユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にも登録されています。

項目内容
築造年1603年(慶長8年)に完成(築城開始は1601年)
築造者徳川家康(江戸幕府)
構造・特徴平城(平地城)構造。
二重の堀と二重の曲輪(内郭・外郭)を備える。
主な建築物として二の丸御殿(6棟)、唐門、門櫓、庭園、隅櫓などが配置。
建築・装飾には狩野派の障壁画や飾金具などが用いられ、威厳を示す意匠となっている。
改修・復元歴1624年以降、3代将軍徳川家光期に大改修・拡張。
火災や落雷による焼失を都度修復。
明治以降は皇室離宮化、1939年に京都市へ下賜される。
現存状況二の丸御殿、唐門、隅櫓、庭園などが現存。
二の丸御殿は国宝、庭園は特別名勝。
世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産。
消滅・損壊天守は1750年(寛延3年)に落雷で焼失。
1788年(天明8年)の大火で本丸御殿などが焼失し、再建されていない。
文化財指定二の丸御殿:国宝(1952年)
二の丸庭園:特別名勝(1953年)
櫓門・隅櫓など多数が重要文化財指定。
1994年、ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」に登録。
備考1867年(慶応3年)、徳川慶喜が二の丸御殿で大政奉還を宣言。
「元離宮」の名は、明治以降に皇室離宮として利用された経緯に由来。
2024年には本丸御殿が約18年ぶりに公開。

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス

最寄り駅:地下鉄東西線「二条城前駅」から徒歩2分(約0.2km)

見学の目安

短時間での見どころ:約60分
じっくり観光するなら:約2時間〜3時間(各施設、庭園、展示物を丁寧に見る場合)

📍 見どころ

🔹 二の丸御殿(国宝):徳川将軍が政務を行った場所で、現存する唯一の城郭御殿。精緻な狩野派の障壁画と鶯張りの廊下が特徴。

🔹 二の丸庭園(特別名勝):小堀遠州作庭の池泉回遊式庭園。蓬莱思想を反映した石組と池の配置。

🔹 本丸櫓門・本丸庭園:本丸の象徴としての防御性を備えた門と、明治期に皇室が設けた庭園が残る。

🔹 季節限定の楽しみ方:春は桜(約300本)、秋は紅葉が城全体を彩る。夜間ライトアップイベントも定期開催。

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景:二条城は天守を持たない時期が長く、現存天守は焼失(1750年)後再建されていない。これは幕府が京都での「防衛」よりも「格式」を重視していたことを示唆している。

💡 知る人ぞしる情報:城内には「二条在番」という常駐武士たちの番所が点在していたが、現在唯一残る番所は東大手門脇にある一棟のみ。

💡 著名人との関係:明治天皇、大正天皇の即位に際し、城内では盛大な祝賀行事が行われ、現在もその名残を感じさせる建築群が残されている。

本丸庭園

二条城 本丸庭園

🏛 概要
二条城本丸庭園は、かつて江戸幕府の将軍が政務や儀式を行った本丸御殿の南側に広がる庭園で、現在の姿は明治時代に整備された近代的な芝庭様式となっています。

本丸御殿自体は1788年の天明の大火で焼失してしまいましたが、その跡地を取り巻くように設けられたこの庭園は、1896年(明治29年)に明治天皇の行幸に備えて改修されたものです。江戸時代の厳格で荘厳な庭園とは異なり、芝を敷き詰め、曲線的な園路と築山(月見台)を配した、より柔らかで親しみやすい雰囲気の中に、皇室の品格を感じさせるデザインとなっています。

ここは、徳川将軍の「終焉の舞台」であると同時に、明治以降の新しい時代を迎え入れる「迎賓の庭」として再構築された、時代の交錯を体感できる空間です。特に夕暮れ時、庭園に伸びる芝の影や、築山からの眺望は、過ぎ去った歴史と未来を静かに見守るような趣を感じさせます。

項目内容
築造年明治時代(本丸移築後に新設)
築造者不明(桂宮御殿の移築・改変を含む)
構造・特徴曲線の園路で囲まれた芝地、景石、築山(月見台)を配する意匠。
御常御殿と一体化され、左奥には比叡山を望む配置。
当初の意匠は平安時代末の様式を意図しつつ、後に近代的意匠に改められた。
改修・復元歴1895年(明治28年)に明治天皇の訪問に際して再整備。
枝石・樹木は再利用、庭園構成は一旦白紙に戻され設計し直された。
現存状況現存。一般公開されており、本丸御殿公開と同時に観覧可能。
消滅・損壊大規模な焼失記録は確認されない。
文化財指定本丸庭園単体の指定情報は確認できず。
備考本丸庭園は桂宮御殿を本丸に移築した際に新設された庭園。
当初は平安末期の意匠を意識して造られたが、1895年の訪問に際して大改変が命じられ、現在の姿となった。
芝地、月見台、景石などを使った近代的要素が取り入れられている。

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
本丸櫓門から徒歩1分(約50m)

見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約30分(築山に上り、全景を眺めるなど)

📍 見どころ

🔹 芝庭と築山(月見台)
庭園の南東には小高い築山があり、ここは「月見台」として使われました。登ると本丸御殿跡と二の丸御殿の一部が一望でき、四季折々の風景が楽しめます。

🔹 洋風の趣を取り入れた構成
明治期らしく、曲線を意識した園路、芝生の使い方、そして開かれた視界が特徴です。これは明治天皇の感性と、皇室庭園としての格式の融合とも言える構成です。

🔹 本丸御殿跡との対比
焼失した御殿の礎石が残る空間と、緑あふれる庭園との対比が、時の流れと空間の変容を強く感じさせます。

🔹 季節限定の楽しみ方
春には築山の周辺に咲く枝垂れ桜、秋には芝に落ちる紅葉が印象的。冬の霜が降りた朝には、白い芝面が静謐な美を演出します。

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
この庭園は、かつて江戸期には枯山水様式の庭であったものが、明治天皇の意向で大きく姿を変えています。すなわち、ここには日本庭園史における「断絶と再生」の象徴的な転換点が見て取れます。

💡 知る人ぞ知る情報
築山には、非公開ながら「御休所」と呼ばれる簡素な建物があったとされ、明治期の行幸時に一時的な控え所として用いられていた可能性が指摘されています。

💡 著名人との関係
明治天皇、大正天皇はいずれもこの庭を通って本丸へと入られたと記録されており、その際に庭の整備や儀仗兵の配備など、皇室ならではの演出が施されていたと言われています。

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