石垣が語り、茶席がもてなす——御深井丸で体感する名古屋城の“静と動”
名古屋城の北西に位置する御深井丸には、築城当初の構造を今に伝える「塩蔵門跡」や、戦災の記憶が刻まれた「天守礎石」、そして風雅な茶文化を伝える「茶席群」が静かに佇んでいます。石と木と土が紡ぐ歴史と美意識の空間で、名古屋城のもう一つの顔に出会ってみませんか?
塩蔵門跡

🏛 概要
名古屋城の塩蔵門跡(しおぐらもんあと)は、御深井丸(おふけまる)の東部に位置し、かつて塩蔵構(しおぐらかまえ)と呼ばれる小さな曲輪(くるわ)への主要な出入口として機能していました。この門は枡形門(ますがたもん)として設計され、防御の要所となっていました。塩蔵構は、塩などの貯蔵施設があったとされ、その名の由来となっています。
現在、塩蔵門自体は現存していませんが、門の跡地には石垣が残されており、当時の城郭構造を偲ぶことができます。また、周辺の石垣には築城時の大名たちが残した刻印が見られ、歴史的価値が高いスポットとなっています。
🗺 住所
🚶 アクセス
不明門から徒歩約1分(約30m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約3分
- じっくり観光するなら:約15分
📍 見どころ
- 石垣の遺構:塩蔵門跡には、枡形門の石垣が残されており、当時の防御構造を間近で観察できます。
- 刻印探し:周辺の石垣には、築城に関わった大名たちの刻印が多数残されており、歴史ファンには見逃せないポイントです。
- 季節限定の楽しみ方:春には周囲の桜が美しく咲き、歴史的な石垣とのコントラストが楽しめます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:塩蔵門は、御深井丸の塩蔵構への出入口として、物資の貯蔵や搬入に重要な役割を果たしていました。
- 知る人ぞ知る情報:塩蔵門跡からは、天守閣の石垣に刻まれた大名の刻印を観察するのに適したスポットとしても知られています。
- 著名人との関係:名古屋城の築城には、徳川家康の命により全国の大名が動員され、塩蔵門周辺の石垣にも彼らの刻印が残されています。
天守閣礎石

🏛 概要
名古屋城の天守閣礎石は、かつての天守閣を支えていた基礎石で、現在は御深井丸(おふけまる)の東側に移設・保存されています。これらの礎石は、1945年(昭和20年)の名古屋大空襲で天守閣が焼失した後、再建工事の際に現在の位置に移されました。礎石には当時の焼け跡が残っており、戦災の痕跡を今に伝えています。
名古屋城の築城は1610年(慶長15年)に始まり、1612年(慶長17年)には大小天守が完成しました。天守台の石垣は、築城の名手として知られる加藤清正が担当し、わずか3カ月で築き上げたと伝えられています。
現在、礎石は当時の配置を再現する形で整列されており、訪れる人々に往時の天守閣の規模や構造を偲ばせます。
🗺 住所
🚶 アクセス
塩蔵門跡から徒歩約1分(約20m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約3分
- じっくり観光するなら:約15分
📍 見どころ
- 礎石の配置:当時の天守閣の柱を支えていた礎石が整然と並べられており、建物の規模や構造を想像することができます。
- 焼け跡の痕跡:礎石には戦災時の焼け跡が残っており、歴史の生々しい証人となっています。
- 季節限定の楽しみ方:春には周囲の桜が美しく咲き、歴史的な遺構とのコントラストが見事です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:天守閣の礎石は、戦後の再建工事の際に現在の御深井丸東側に移設され、当時の配置を再現する形で保存されています。
- 知る人ぞ知る情報:礎石の中には、戦災時の焼け跡が今も残っており、歴史の証人としての価値があります。
- 著名人との関係:名古屋城の天守台の石垣は、加藤清正が担当し、その卓越した築城技術を今に伝えています。
石棺式石室(せっかんしきせきしつ)

🏛 概要
石棺式石室(せっかんしきせきしつ)は、名古屋城北西部の御深井丸(おふけまる)茶席庭園内に静かに佇む、古墳時代後期(約1400年前)の埋葬施設です。ただし、この石室は名古屋城の築城以前からこの地に存在していたものではなく、もともとは島根県松江市の団原古墳にあったものを、昭和初期に名古屋へ移設・保存したものです。
そのため、この石室は徳川家康や江戸時代の名古屋城とは直接的な関係はありません。あくまで、古代出雲地域の文化を伝える考古資料として、城内の文化財展示の一環として設置されています。
🗺 住所:
愛知県名古屋市中区本丸1-1 名古屋城 御深井丸 茶席庭園内
🚶 アクセス:
天守閣礎石から徒歩約1分(約20m)
⏳ 見学の目安:
短時間での見どころ:約5〜10分
考古学的視点でじっくり観察するなら:約15〜20分
📍 見どころ:
🔹 石棺式石室:幅約2.5m、奥行約1.8m、高さ約2mの規模を持つ古墳時代の埋葬施設。巨石を組み合わせた構造が見られます。
🔹 出雲地方特有の形式:山陰地方に多く見られる石棺式石室の代表的構造で、古代の埋葬文化を学べます。
🔹 茶席庭園との対比:名古屋城の江戸文化と、石室の古代文化が不思議な対照をなす場所です。
📌 トリビア:
意外な歴史的背景:この石室は昭和11年(1936年)に名古屋の古美術商・長谷川長宜堂が購入し、昭和24年(1949年)に名古屋市に寄贈されたものです。出雲地方の団原古墳(島根県松江市)から移設されました。
知る人ぞ知る情報:名古屋城内で唯一、古墳時代の構造物が見られるスポットですが、あくまでも「後年の移設」である点に注意が必要です。
著名人との関係:この遺構は徳川家康や尾張徳川家の歴史とは無関係であり、名古屋城の築城時(1609年~1612年)にも関与していません。
茶席

🏛 概要
名古屋城の御深井丸(おふけまる)庭園内には、約2,000㎡の敷地に4つの茶席が配置されています。これらの茶席は、それぞれ異なる趣を持ち、風情ある佇まいを見せています。通常は一般公開されていませんが、お茶会や結婚式などの特別なイベントで利用することができます。
主な茶席の紹介:
- 猿面茶席(さるめんちゃせき):織田信長が豊臣秀吉の顔を「猿に似ている」と評したことに由来する茶席で、床柱の木目が猿の顔に見えることから名付けられました。
- 望嶽茶席(ぼうがくちゃせき):詳細な歴史は明らかではありませんが、名古屋城内の茶席として知られています。
- 又隠茶席(ゆういんちゃせき):千利休の孫、千宗旦が建てた茶席の写しとされています。
- 織部堂(おりべどう):茶人・古田織部を祀るために建てられた堂で、1955年に建立されました。
これらの茶席は、戦後の名古屋城再建の一環として整備され、茶どころ名古屋の復興を象徴する文化財となっています。
🗺 住所
🚶 アクセス
石棺式石室から徒歩約1分(約50m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約3分(茶席の外観と庭園の散策)
- じっくり観光するなら:約15分(各茶席の詳細な観察と写真撮影)
📍 見どころ
- 茶席の建築美:それぞれの茶席が持つ独特の建築様式や意匠を楽しむことができます。
- 庭園の景観:四季折々の風情を感じられる庭園内を散策しながら、茶席との調和を堪能できます。
- 季節限定の楽しみ方:春の桜や秋の紅葉など、季節ごとの美しい景色と茶席の組み合わせが魅力的です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:猿面茶席の床柱は、織田信長が豊臣秀吉の顔を「猿に似ている」と評したことに由来し、その木目が猿の顔に見えることから名付けられました。
- 知る人ぞ知る情報:これらの茶席は通常一般公開されていませんが、お茶会や結婚式などの特別なイベントで利用することができます。
- 著名人との関係:又隠茶席は、千利休の孫である千宗旦が建てた茶席の写しとされ、茶道の歴史に深い関わりを持っています。
コメント