将軍のために設けられた、格式と美の結晶。名古屋城本丸御殿を歩く
名古屋城の本丸エリアには、徳川義直の政庁兼住居として建てられた「本丸御殿」をはじめ、将軍のための湯殿書院や、清須城ゆかりと伝わる黒木書院、巨大な「清正石」など、歴史の重みと建築美が同居する空間が広がります。本記事では、これら復元・保存された貴重な文化財の見どころを詳しくご紹介します。
湯殿・黒木書院

🏛 概要
名古屋城本丸御殿の湯殿書院(ゆどのしょいん)と黒木書院(くろきしょいん)は、将軍専用の浴室と書院として、それぞれ特別な役割を果たしていました。湯殿書院は、将軍が入浴や休息を取るための施設で、内部には浴室が設けられていました。一方、黒木書院は、清須城内にあった家康の宿を移築した建物とも伝えられ、他の部屋が総ヒノキ造りであるのに対し、良質な松材が使用されており、その色合いから「黒木書院」と名付けられました。
これらの建物は、1945年の空襲で焼失しましたが、詳細な史料を基に復元され、2018年に一般公開されました。
🗺 住所
🚶 アクセス
西南隅櫓から徒歩約1分(約50m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約5分(外から見学)
- じっくり観光するなら:約30分(中に入って見学)
📍 見どころ
- 湯殿書院の浴室:将軍専用の浴室で、当時の入浴設備や建築様式を垣間見ることができます。
- 黒木書院の障壁画:水墨画を主体とした襖絵が特徴で、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
- 季節限定の楽しみ方:春には周囲の桜が美しく咲き誇り、歴史的建造物との調和を楽しむことができます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:黒木書院は、清須城内にあった家康の宿を移築した建物とも伝えられています。
- 知る人ぞ知る情報:黒木書院の襖絵は、戦災を免れ現存しており、特別展などで公開されることがあります。
- 著名人との関係:名古屋城本丸御殿は、徳川家康が九男・義直のために建てたもので、将軍専用の施設として特別な位置付けがされています。
本丸御殿

🏛 概要
名古屋城の本丸御殿(ほんまるごてん)は、1615年(慶長20年)に尾張藩初代藩主・徳川義直の住居兼政庁として完成しました。その後、将軍専用の宿泊施設としても使用され、内部は狩野派の絵師による障壁画や豪華な飾金具で装飾され、近世城郭御殿の最高傑作と称されました。1930年(昭和5年)には天守とともに国宝第一号に指定されましたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失しました。しかし、詳細な史料や写真が残されていたため、2009年(平成21年)から復元工事が始まり、2018年(平成30年)に往時の姿が忠実に再現されました。
🗺 住所
🚶 アクセス
湯殿・黒木書院から徒歩約5分(約200m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約10分(外から見学)
- じっくり観光するなら:約1時間(中に入って見学)
📍 見どころ
- 玄関:将軍専用の入口で、格式高い造りが特徴です。
- 表書院:公式な謁見の場で、豪華な障壁画が見どころです。
- 対面所:家族の対面や宴席に使用された部屋で、華やかな装飾が施されています。
- 上洛殿:将軍の宿泊施設として増築された最も豪華な部屋で、狩野派による障壁画が圧巻です。
- 季節限定の楽しみ方:春の桜や秋の紅葉とともに、本丸御殿の美しい外観を楽しむことができます。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:本丸御殿は、江戸時代の先端技術を結集して建てられた建物で、その豪華さから「近世城郭御殿の最高傑作」と称されました。
- 知る人ぞ知る情報:復元にあたり、江戸時代の詳細な図面や写真、実測図などの第一級の史料が活用され、史実に忠実な再現が可能となりました。
- 著名人との関係:初代藩主・徳川義直の住居として建てられ、後に将軍専用の宿泊施設としても使用されました。
本丸東一門跡

🏛 概要
名古屋城の本丸東一之門跡は、かつて本丸の東側に位置し、主要な出入口として機能していた門の跡地です。この門は、外門である東二之門とともに枡形(ますがた)を形成し、防御上の要所となっていました。しかし、1945年(昭和20年)の空襲により焼失し、現在は石垣のみが残されています。
住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1 名古屋城内
アクセス:
本丸御殿から徒歩約2分(約60m)
見学の目安:
- 短時間での見どころ:約5分
- じっくり観光するなら:約15分
見どころ:
- 石垣の遺構:門の基礎部分である石垣が現存しており、当時の建築技術や防御構造を垣間見ることができます。
- 周辺の景観:本丸エリアは緑豊かで、歴史的な雰囲気を楽しみながら散策することができます。
- 季節限定の楽しみ方:春には桜が咲き誇り、石垣とのコントラストが美しい風景を作り出します。
トリビア:
- 意外な歴史的背景:本丸東一之門は、外門である東二之門とともに枡形を形成し、敵の侵入を防ぐための重要な防御施設として機能していました。
- 知る人ぞ知る情報:現在、門自体は存在しませんが、石垣の一部が残っており、歴史愛好家の間では隠れた見どころとなっています。
- 著名人との関係:名古屋城は徳川家康の命により築城され、本丸東一之門もその一部として建造されました。
清正石

🏛 概要
名古屋城の本丸東二之門近くに位置する清正石(きよまさ いし)は、城内最大の石垣用石材で、その大きさは約八畳敷、重さは推定10トンとされています。 この巨石は、築城の名手として知られる加藤清正が運んだと伝えられ、その名が付けられました。しかし、実際にはこの石垣の施工を担当したのは黒田長政であり、清正が直接関与したかどうかは定かではありません。
名古屋城の石垣は、西国の大名20家が分担して築いたもので、各大名は自らの担当箇所の石に識別のための刻印を施しました。清正は天守台の石垣を担当し、熊本から約2万人を率いてわずか3カ月で工事を完了させたと伝えられています。
🗺 住所
🚶 アクセス
本丸東一門跡から徒歩約1分(約5m)
⏳ 見学の目安
- 短時間での見どころ:約5分
- じっくり観光するなら:約15分
📍 見どころ
- 清正石の迫力:名古屋城内最大の石材で、その大きさと存在感は圧巻です。
- 石垣の刻印:各大名が識別のために施した刻印を探すことで、築城当時の歴史を感じることができます。
- 季節限定の楽しみ方:春には周囲の桜が美しく咲き、清正石とのコントラストが見事です。
📌 トリビア
- 意外な歴史的背景:清正石は加藤清正が運んだと伝えられていますが、実際の施工担当は黒田長政であり、この伝承は後世に生まれたものとされています。
- 知る人ぞ知る情報:名古屋城の石垣全体の総延長は約8.2kmにも及び、その規模と技術は近世城郭の最高峰と称されています。
- 著名人との関係:加藤清正は名古屋城築城において天守台の石垣を担当し、その卓越した築城技術で知られています。
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