二条城 西側・南側エリア

移築された旧二条城の石垣

🏛 概要
現在の二条城本丸西側、トイレの近くに、旧二条城の石垣が移築復元されています。​旧二条城は「二条御所」とも呼ばれ、織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のために築いた城です。​この石垣は、1970年代に京都市営地下鉄烏丸線の建設工事中に烏丸下立売付近から発見され、後に現在の場所に移築されました。

石垣には、石仏や板碑、燈籠などが使用されており、築城当時の急ピッチな工事の様子がうかがえます。これらの石材は、近郷から集められたもので、当時の築城技術や信仰との関係を示す貴重な遺構です。​

建築年:1569年(永禄12年)築城、1970年代に移築復元​

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
スタート地点:​西橋から徒歩約3分(約200m)​

見学の目安
短時間での見どころ:​約10分
じっくり観光するなら:​約20〜30分(石材の詳細や歴史背景を詳しく観察する場合)​

📍 見どころ

🔹 石仏や板碑の使用
石垣には、石仏や板碑、燈籠などが使用されており、築城当時の急ピッチな工事の様子がうかがえます。​これらの石材は、近郷から集められたもので、当時の築城技術や信仰との関係を示す貴重な遺構です。

🔹 石垣の構造
石垣は「犬走り」を挟んで上下二段に分かれており、北面し、東西方向に走り、東南方向に折れる角を持つ構造です。移築に際して方向が約90度変わっていますが、元来は東西方向が長く、約8m強を測ります。普通の石材約150個の他に、約40個の石仏・板碑・礎石が使われています。​

🔹 歴史的背景
旧二条城は、織田信長が足利義昭のために築いた城で、信長の長子・信忠が本能寺の変の際に籠城し、自刃した場所としても知られています。その後、城郭建築は焼失し、石垣は長らく地中に埋もれていました。1970年代の地下鉄工事中に発見され、現在の場所に移築復元されました。​

📌 トリビア

💡 築城のスピード
旧二条城は、永禄12年(1569年)2月に工事を開始し、常時1万5千人から2万5千人の人員を投入し、約70日間でほぼ全容を整えたとされています。この急ピッチな工事のため、近郷の石仏や板碑、燈籠などを石材として使用したと記録されています。​

💡 石材の再利用
石垣に使用された石仏や板碑は、元々は信仰の対象であったものを築城のために再利用したもので、当時の宗教観や築城技術の一端を示しています。​

💡 発見と移築
1970年代の京都市営地下鉄烏丸線の建設工事中に、烏丸下立売付近から旧二条城の石垣が発見されました。その後、現在の二条城本丸西側に移築復元され、一般公開されています。​

梅林

🏛 概要
二条城の梅林は、1954年(昭和29年)に青剛櫟の林を伐採して整備された、城内西南部に広がる梅の名所です。​現在では約100本の梅が植えられ、紅梅、白梅、桃色梅、源平咲き(1本の木に紅白の花が咲く品種)、枝垂れ梅など、多彩な品種が春の訪れを告げます。​毎年、地元住民と協力して梅の実を収穫し、関連商品として販売する取り組みも行われています。 ​

開花時期:​2月中旬~3月下旬(見頃は2月下旬~3月上旬)

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
スタート地点:​移築された旧二条城の石垣から徒歩約3分(約200m)​

見学の目安
短時間での見どころ:​約15分
じっくり観光するなら:​約30分(品種の違いや香りを楽しむ場合)​

📍 見どころ

🔹 多彩な梅の品種
紅梅、白梅、桃色梅、源平咲き、枝垂れ梅など、色とりどりの梅が咲き誇ります。​特に源平咲きは、1本の木に紅白の花が咲く珍しい品種です。​

🔹 梅の実の収穫と商品化
毎年、地元住民と協力して梅の実を収穫し、梅干しや梅酒などの商品として販売する取り組みが行われています。​

🔹 季節限定の楽しみ方
梅の開花時期には、梅林内の小径が開放され、間近で梅の花を楽しむことができます。また、雪景色の中で見る梅の花も風情があります。​

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
梅林が整備された1954年(昭和29年)は、戦後の復興期であり、市民の憩いの場として整備された背景があります。​

💡 知る人ぞ知る情報
梅林内には、梅の品種を示す札が立てられており、品種ごとの特徴を学びながら散策できます。​

💡 著名人との関係
梅は、古来より和歌や俳句の題材として多くの文人に愛されてきました。二条城の梅林も、多くの詩人や画家にインスピレーションを与えたとされています。​

南中仕切門

🏛 概要
南中仕切門は、二条城本丸の南側に位置する堅牢な門で、1626年(寛永3年)の大改修時に築かれたものです。内堀の北端に沿って設けられており、北中仕切門とほぼ対を成す存在として、本丸の防衛ラインを形作る重要な構造の一つでした。

この門は、単なる出入口ではなく、「仕切門」として、本丸西側の通行を意図的に制限し、万が一の侵入を複雑化させるための軍事設計が施されています。石垣に囲まれた枡形構造の中に設けられ、敵が門を突破してもすぐには本丸内部へ進入できないようにし、迎撃態勢を取るための空間を確保するという工夫がなされていました。

また、門扉には銅板が打ち付けられており、火縄銃や火矢といった攻撃にも耐えられる構造。加えて、枡形内には視界を遮る角度がつけられており、敵の進行ルートを複雑化することで、幕府の中枢である本丸を守る仕組みになっています。

現代においても、この南中仕切門は当時の築城技術と城郭防衛思想の結晶として、多くの歴史ファンを惹きつけています。

建築年:1626年(寛永3年)

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
スタート地点:梅林から徒歩約5分(約300m)

見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20分(構造や石垣の技法を観察する場合)

📍 見どころ

🔹 枡形構造による防御性
門の内側はL字型に折れた構造で、敵を正面から侵入させず、迎撃のための「待ち構える空間」を形成。戦国末期〜江戸初期の軍事思想が色濃く反映されています。

🔹 銅板張りの堅牢な扉
木製の扉に銅板を打ちつけ、火器からの攻撃に備える設計。当時の「火縄銃時代」に対応した最先端の防御建築です。

🔹 石垣の技巧
石垣には「切込接ぎ」や「打込み接ぎ」といった積み方が混在し、枡形空間をより頑強に支えています。築城職人の技術が今も読み取れます。

🔹 季節の風情
春は門前に咲く梅や桜が、秋には紅葉が、堅牢な門構えと柔らかな風景の対比を際立たせ、撮影スポットとしても人気です。

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
南中仕切門は、徳川家の将軍が本丸に滞在する際には、通行ルートを厳格に制限するために使用されたとされ、側近以外の通行は厳しく制限されていたという記録があります。

💡 知る人ぞ知る情報
門の横には、実は非常に細い警備用の通路が設けられており、緊急時の通行や兵の巡回に使われたとされる形跡があります。見逃しがちですが、歴史ファンにはたまらないポイントです。

💡 著名人との関係
この門の防御機能は、江戸末期に徳川慶喜が京都滞在中の身辺警護にも利用されていたと伝わり、幕末の政変の陰にもこの門が控えていた可能性があります。

桜の園

🏛 概要
二条城の「桜の園」は、城内北西部に位置する、約50本の桜が植えられたエリアです。この園は、春になると多くの観光客で賑わい、特にソメイヨシノや枝垂れ桜が見事な花を咲かせます。また、夜間にはライトアップが行われ、幻想的な雰囲気を楽しむことができます。​

「桜の園」は、もともと城内の防御施設の一部であった場所を整備して造られました。​そのため、桜の美しさとともに、歴史的な背景も感じられるスポットとなっています。​

開園年:​不明(江戸時代以降に整備)​

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
スタート地点:南中仕切門から徒歩約1分(約75m)​

見学の目安
短時間での見どころ:約15分
じっくり観光するなら:約30分(桜の品種や歴史的背景を詳しく観察する場合)​

📍 見どころ

🔹 多彩な桜の品種
ソメイヨシノ、枝垂れ桜、山桜など、さまざまな品種の桜が植えられており、長い期間にわたって花見を楽しむことができます。​

🔹 ライトアップ
春の夜間には、桜の園全体がライトアップされ、昼間とは異なる幻想的な雰囲気を楽しむことができます。​

🔹 歴史的背景
もともと防御施設であった場所を整備して造られたため、桜の美しさとともに、歴史的な背景も感じられるスポットとなっています。​

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
「桜の園」は、もともと城内の防御施設の一部であった場所を整備して造られました。そのため、桜の美しさとともに、歴史的な背景も感じられるスポットとなっています。​

💡 知る人ぞ知る情報
桜の園には、江戸時代の石垣や土塀の一部が残されており、桜の花とともに歴史的な建造物を楽しむことができます。​

💡 著名人との関係
「桜の園」は、多くの文人や画家に愛され、作品の題材としても取り上げられています。特に、江戸時代の俳人・松尾芭蕉は、二条城の桜を詠んだ句を残しています。​

桃山門

🏛 概要
桃山門は、二条城本丸の南側に位置する重要な門で、1626年(寛永3年)頃に建築されました。この門は、北側にある鳴子門と対をなしており、本丸の防御を強化する役割を果たしていました。​

門の形式は、長屋門型で、正面と背面に控柱を持つ構造です。​控柱の突出が小さいため、外観上は四脚門には見えませんが、構造的には四脚門に分類されます。​このような門の形式は非常に珍しく、二条城内では他に唐門が同様の構造を持っています。​

また、門の両側には番所や控室が設けられており、警備兵が常駐していたとされています。​これらの施設は、門の防御機能を高めるとともに、通行の監視や管理にも利用されていました

建築年:​1626年(寛永3年)頃​

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
スタート地点:​桜の園から徒歩約1分(約110m)​

見学の目安
短時間での見どころ:​約10分
じっくり観光するなら:​約20分(門の構造や周辺の防御施設を詳しく観察する場合)​

📍 見どころ

🔹 長屋門型の構造
桃山門は、長屋門型の構造を持ち、正面と背面に控柱を備えています。​控柱の突出が小さいため、外観上は四脚門には見えませんが、構造的には四脚門に分類されます。​

🔹 番所と控室
門の両側には番所や控室が設けられており、警備兵が常駐していたとされています。​これらの施設は、門の防御機能を高めるとともに、通行の監視や管理にも利用されていました。

🔹 鳴子門との対比
桃山門は、北側にある鳴子門と対をなしており、本丸の防御を強化する役割を果たしていました。​両門の構造や配置を比較することで、当時の防御戦略を理解する手がかりとなります。​

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
桃山門は、1626年(寛永3年)頃に建築され、当時の防御戦略や建築技術を反映した構造となっています。​また、門の両側には番所や控室が設けられており、警備兵が常駐していたとされています。​

💡 知る人ぞ知る情報
門の屋根には、徳川家の家紋である「三つ葉葵」が施された鬼瓦が取り付けられており、細部にまで意匠が凝らされています。​

💡 著名人との関係
桃山門は、後水尾天皇の行幸時に整備されたとされ、天皇の安全な移動を確保するためのルートとしても機能していた可能性があります。

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