二条城 城外エリア

東北隅櫓跡

🏛 概要
東北隅櫓跡は、二条城の外堀の北東隅に位置していた隅櫓の跡地です。​築城当初、二条城の外堀四隅には防御の要として隅櫓が設けられており、東北隅櫓もその一つでした。​しかし、現在では建物は失われ、石垣や堀の構造からその存在を偲ぶことができます。​

この隅櫓は、城の防備を強化するための重要な施設であり、敵の侵入を監視・防御する役割を果たしていました。また、二条城の東北隅は、京都御所に近接していることから、特に重要視されていたと考えられます。​

建築年:1603年(慶長8年)​

🗺 住所
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541

🚶 アクセス
北大手門から徒歩約1分(約80m)​

見学の目安
短時間での見どころ:約10分
じっくり観光するなら:約20分(石垣や堀の構造を詳しく観察する場合)​

📍 見どころ

🔹 石垣と堀の構造
東北隅櫓跡には、かつての櫓を支えていた石垣が残されており、その規模や構造から当時の建築技術の高さを感じることができます。また、周囲の堀も当時のままの形状を保っており、城の防御機能を理解する手がかりとなります。​

🔹 周辺の景観
東北隅櫓跡周辺は、比較的静かなエリアであり、堀の水面に映る石垣や周囲の緑が美しい景観を作り出しています。訪れる人々にとって、静寂の中で歴史を感じることができるスポットです。​

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
東北隅櫓は、江戸時代には火災や老朽化により失われたとされており、正確な記録は残っていませんが、他の隅櫓と同様に重要な役割を果たしていたと考えられます。​

💡 知る人ぞ知る情報
東北隅櫓跡は、一般的な観光ルートからは少し外れた場所に位置しているため、訪れる人も少なく、静かに歴史を感じることができる穴場スポットです。​

二条城北遺跡

🏛 概要
二条城北遺跡は、京都市上京区丸太町通黒門東入藁屋町に位置する、古代から近世にかけての複合的な遺跡です。​この地は、平安時代には平安宮の一部である大炊寮(おおいりょう)や供御院(くごいん)が所在していたと推定され、また、弥生時代の遺構も確認されています。​2017年に行われた発掘調査では、平安時代の溝や井戸、土坑などが検出され、当時の生活や行政機能を示す貴重な資料が得られました。 ​

この遺跡は、平安京の都市構造や生活の様子を理解する上で重要な手がかりとなっており、京都の歴史を深く知るための貴重な遺産です。​

発掘調査:​2017年(平成29年)3月21日~5月2日

🗺 住所
京都府京都市上京区藁屋町535-2 他

🚶 アクセス
スタート地点:東北隅櫓跡から徒歩約11分(約800m)​

見学の目安
※現在、遺跡は埋め戻されており、現地での見学はできません。発掘調査報告書や関連展示を通じて学ぶことができます。​

📍 見どころ

🔹 平安宮大炊寮跡
大炊寮は、宮内省に属し、宮中の食料や炊事を担当する役所でした。発掘調査では、平安時代の溝や井戸が検出され、当時の行政機能や生活の様子を示す貴重な資料が得られました。 ​

🔹 供御院の存在
供御院は、畿内からの稲を収める施設であり、大炊寮の北西隅に位置していたとされています。これにより、当時の食料管理体制や物流の一端を垣間見ることができます。​

🔹 弥生時代の遺構
調査地周辺では、弥生時代の柱穴や炉、溝などが確認されており、古代からの人々の営みがこの地で連綿と続いていたことが示されています。 ​

📌 トリビア

💡 意外な歴史的背景
この遺跡は、平安時代の宮廷施設だけでなく、弥生時代の遺構も含まれており、京都の長い歴史を物語る貴重な場所です。また、江戸時代には二条城や京都所司代が営まれ、その周辺には町屋が形成されていたことが、元禄4年(1691年)の絵図から明らかになっています。 ​

💡 知る人ぞ知る情報
発掘調査では、近世前半と後半の井戸や土坑、土取り穴などが検出され、当時の生活や土地利用の様子が明らかになりました。これらの遺構からは、陶磁器や瓦、金属製品など多様な遺物が出土しています。 ​

💡 著名人との関係
平安宮大炊寮は、宮中の食事を司る重要な役所であり、天皇や貴族の食生活を支えていました。そのため、この地は当時の宮廷文化や食文化を理解する上で重要な場所といえます。​

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