天下人と天皇をつなぐ歴史の舞台
【徳川幕府、ここに始まり、ここに終わる】
千年の都・京都に、たった一つだけ「将軍のために築かれた城」があります。
それが、二条城。
その始まりは、織田信長が室町幕府最後の将軍・足利義昭のために築いた旧二条城にさかのぼります。
のちに徳川家康が現在の城を築き、ここで征夷大将軍としての幕を開き、十五代将軍・慶喜が政権を朝廷へ返した――
この地こそ、日本の歴史が動いた舞台です。
概要
京都の中心にそびえる二条城は、単なる城郭ではなく、時代を超えて武家政権と天皇家の交錯の場となった特別な場所です。その始まりは戦国末期――織田信長が将軍・足利義昭のために築いた「旧二条城」まで遡ります。天下布武を掲げた信長は、京の都で権威を誇示すべく、将軍の権威を擁護しつつも、その実権を掌握していきました。
やがて時は流れ、江戸時代初期の徳川家康が現在の二条城を築城。ここは、征夷大将軍の就任宣言や、徳川幕府の始まりと終焉を告げる数々の歴史的事件の舞台となりました。特に有名なのが、1867年(慶応3年)に15代将軍徳川慶喜が「大政奉還」を宣言した場所としての役割です。
江戸時代の機能と天皇との関係
二条城は、徳川将軍が上洛(京都訪問)する際の宿所として使用されました。これは単なる居住施設ではなく、将軍が朝廷に拝謁するための正統な儀礼空間であり、武家政権が朝廷と公的な関係を築くための外交の場でもありました。
また、1626年には後水尾天皇が二条城に行幸(天皇の外出)するという、極めて異例な出来事もありました。この行幸に合わせて、現在も残る華麗な二の丸御殿唐門や御殿建築が整えられ、政治的儀礼と建築美が融合した空間が形作られたのです。
明治以降と現代
幕末に幕府の政治的役割を終えた二条城は、その後皇室の所有となり、**「元離宮二条城」**と名を改められました。現在では京都市が所有し、世界遺産として国内外から多くの観光客を迎えています。
基本情報
- 所在地:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
- 開城時間:
- 午前8時45分~午後4時(最終入城 午後4時)
- 閉城:午後5時
- 休城日:
- 年末(12月29日~31日)
- 1月・7月・12月に臨時休城日あり(事前確認を推奨)
- 入場料(2025年4月時点):
- 一般:1,300円(入城券+二の丸御殿観覧券)
- 中高生:400円
- 小学生:300円
- 障がい者手帳提示者は無料(付添1名まで無料)
- 公式サイト:https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
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